2000.11.1(Wed)

小悪魔

 いつの頃からか、ひげ剃りは毎朝の日課ではなく、風呂に入っての作業となっている。そうしてからは、“ひげ剃りまけ”やら流血の惨事もだいぶん減ったものだ。それもこれも、すべては私の顔面がナイーブすぎることに原因がある。
 さらに最近ではシェービングフォームではなく、シェービングジェルに替えた。これでますますひげ剃りは快適になった。ところが…

 今夜はどうしたことかミスを連発してしまったらしい。湯につかると、ぴりぴりと顎のあたりがしみる。たぶん出血しているのだろう。
 みこりんがじっとこちらを見つめている。真剣な眼差しだ。そして私に血が出ていることを告げると、つつっと寄ってきた。迫るみこりんの顔!も、もしやこれは。

 べろり。と、みこりんの舌は私の口元を舐めていった。その瞬間、再びチクリと痛みが走る。傷口の真上を舐めていったようだ。みこりんは顔を離すと、私の口元を見やり、安心したように笑った。これがみこりんの治療であった。
 最初にこの治療をされたのが去年のことだったと思う。“血”を舐めるという行為になにやらダークな雰囲気を感じて、ちょっと怖かった。じつはみこりんには闇の血族のDNAが記憶されているのでは…、とか。どうやってこの治療を思いついたのか聞き出そうとしたが、当時はなんだかわからないうちに過ぎてしまったのだった。

 あんまりみこりんが当然のように血を舐め取っていくので、今夜も聞いてみた。それは誰に教えてもらったのか、と。これまでずっと謎だっただけに、あまり期待してはいなかったのだが、なんと今夜ついにその真相がみこりんの口から語られたのだ。思わず私は戦慄していた。
 それはあまりに衝撃的な事実であった。少なくとも私にとっては吸血鬼が実在していたというよりインパクトはあったと思う。血を舐めていたのは、保育園の先生だった。ただの先生ではない。保育園でもっとも可愛い先生なところがポイントだ。むろん子供の怪我で血を舐めてやるのは別に変なことではない。むしろ舐めて治療するのが普通とさえいえる。多くの哺乳動物はそうしているし。でも…
 口元…舐める…血…可愛い。これらのキィワードが重なり合い、私の想像力豊かな脳味噌はまさにオーバーヒートしそうであった。なんという幻惑。“可愛い”というワードがあるのとないのとでは大違いである。

 こんなことで幸せな気分になれるとは、すっかり“おっさん化”してしまったことであるよ。


2000.11.2(Thr)

紙検索

 職場の Webサーバ用のLinuxマシンで、XML関連の実験などしようと思ったらバージョンが古すぎて動かないことが判明。アップデートするか、それとも別のをインストールし直すかで、しばし迷ったあと、雑誌の付録についていた Turbo Linux Server6.1 日本語版を新規にインストールすることに決めた。
 インストールは今回もネットワークカードが鬼門だった。自動認識しないので手動で登録して…と。次に telnet と ftp できるように設定したあと、Apacheの諸設定に入る。以前の設定ファイル群はコピーしておいたので変更点がわからなくなる心配はなかったのだが、どうしてそのような設定にしたのかという理由を考えはじめると、忘却の彼方にあるものがちらほらと。ここらへんをすっきりさせずに突き進むと、あとできっと後悔するのが目に見えているので、前回と同様、Apacheの解説ページなどを調べ始めるのだった。手抜きせずにコメント入れとけばよかった…と思っても後の祭り。

 ところで日頃、仕事でも趣味のことでも、重要なことやメモなどは専用のノートに記録するようにしているのだが、今回のは「もう設定することもないだろう」という希望的観測により、記入していなかった。“手間を省くための手間は惜しんではならない”というのに。そのことを忘れると痛い目に遭う。

 というわけで今回はきっちりと経過を記録しておいた。理想をいえば、これらはすべて電子メディアに残しておくべきモノだが、記録速度、可搬性の点から紙メディアを選択している。紙メディアで電子媒体なみの検索機能がついたら、さぞや使いやすいだろうに。できないだろうか。特殊なインクを使うのでもいいんだけど。紙のほうにもちょいと細工がしてあって、電気的に紙面をサーチ、インクの分布具合から書かれた意味内容を電子的に抽出可能みたいな。……無理かな。


2000.11.3(Fri)

今日の園芸

 少し早起きできた朝、落ち葉を集めに外に出る。昨日から急に花桃の落葉が目立つようになってきているのだった。
 風に運ばれ三軒先まで散らばっていたが、一枚も残すことなくキレイに収集。なにしろ落ち葉は土づくりには最良の素材の1つ。捨て置くにはもったいない。チリトリが小さすぎて何度も往復せねばならなかったのは手間だったが、みこりんの樹“ハリエンジュ”の株元を覆うには十分な量を集めることができた。

 さて、すっかり枝が剥き出しになってしまって寒々しい花桃の隣では、今年で3年目を迎える紅葉の枝が、ひゅんひゅん元気良く伸びてきつつあった。でも、その方向が問題だ。通路側を通せんぼしていた枝を、ぐるっと捻って花壇上空へと誘因しよう。支柱を立てて、針金で結んでやった。みこりんが10歳になるころには、いい感じの枝振りになってくれることだろう。

 さらにブルームーンを剪定した。新芽のついた部分がけっこうあったので、Licの言うように挿し木にする。都合4本の挿し穂を、ミリオン挿しに。みこりんがてきぱきとお手伝いしてくれた。すっかり挿し木の手順をマスターしているようだ。頼もしいことである。

ミリオン挿し
挿し床に、ミリオンを使った挿し木方法。ハイフレッシュを切り口にまぶし、ミリオンに挿す。表面に土をかけておくといいようだ。

二十年後

 みこりんとお散歩。今日は二人とも手ぶらだ。みこりん愛用の“ぽぽちゃんのカート”と“うさぎさん”は、今もまだクルマのトランクに収納されたままでいる。そのことをみこりんが忘れてしまっているので、いつまでたっても救出される気配がない。たまに「うさぎさんどこいったんやろ?」と呟いているのを聞くのだが、やっぱり思い出すには至っていないらしい。

 今日のルートは、赤い実のある分岐した方。さっそくよじ登ろうとするみこりんだったが、なんということ、サンダル履きだ。これでは登りきるのは難しいだろう。それでも手助けは最小限に。崖登りは練習あるのみ、だ。サンダル履きの経験も、無駄にはなるまい。
 我々が崖(高さ1.2m)を制覇しようとしている二軒先で、さっきから女の子(といっても十代後半、あるいは二十代前半かもしれん)が門のところまで出てきたり、戻ってみたりと、落ち着きのない挙動を示していた。やけにめかし込んでいるところを見ると、なんとなく想像はつくのだが。

 みこりんがついに登りきった。でもやっぱり立ち上がるのは怖いらしい。「おちるで、たてん」と細い草を握りしめて動けない。まさに藁をも掴む心境なのだろう。それでも数分後には頭上の赤い実の魅力に抗しきれず、ついにみこりんは立つことに成功していた。ピラカンサの赤い実は、まだまだ鈴なり状態だ。この冬いっぱいかけて、きっとみこりんは平気で崖の上を渡るようになっていることだろう。
 そして最後はジャンプで降りる。このくらいの高さなら、みこりんのジャングルジムと大差ないので、困難なものではない。実際、家で遊んでるときには、補助なしで飛び降りてしまうこともあるし。

 さて、歩みを再開した我々の前には、さきほどの女の子がいた。今は門のところで立っている。背後から一台のクルマが静かに接近。やはり予想は当たっていたらしい。
 歩道にすり寄るように停止したクルマ。ちょっとうつむき加減に歩いてくる女の子。なんだかわけわかってないみこりんは、そんなことお構いなしに、彼らの間を突き進む。
 ちょうどドアの横を過ぎるとき、女の子が到着した。おぉぉ、なんかすごいおじゃま虫なことになってるような。もっと端を歩いてればよかったかな。なんて一瞬思ったのだが、不意打ちのように女の子が言った「こんにちは」ですべてが丸く収まっていた。そ、そうか、この手があったか。我々は互いに挨拶を交わし、その場を通り過ぎてゆくのであった。

 *

 お散歩で拾ってきたドングリの中に、発根しているものがあった。植えよう、これを。庭にドングリを植えるのが、子供のころからの夢だったのだ。私が実家の庭に植えたクヌギの樹は、1.5mほどの高さになったあと、いつのまにか撤去されてしまったようで、今では残ってはいない。今度は自分の庭なので大丈夫のはず。
 ある程度大きくなる樹なので、植え場所は慎重に選ばねばならない。あれこれ迷って、Licの意見も聞きながら、ラベンダーの西側に決めた。みこりんも張り切って構えている。ドングリを植えるというのが、どんなことになるのか、よくわかっているかのように。
 ここに植えよう、みこりんにそう言うと、率先して草を引き、穴を開けてくれた。その穴に、みこりんは発根したドングリを横たえ、そぉっと土をかぶせている。二十年後には、たくさんの実をつけてくれることだろう。………そのころにはみこりん、家を出て下宿してる可能性が非常に高いんだけど、まぁそれはそれこれはこれだ。縁側で茶でもすすりながら、みこりんと植えたドングリの樹を眺めるのも悪くない。


2000.11.4(Sat)

土中の怪

 昨日の今日だが、ドングリの植え場所を変更した。新しい場所は、花桃の右隣、枯れてしまった沈丁花のあったところ。どうして昨日思いつかなかったのだろう。
 ところが昨日の植え場所を掘っても掘ってもドングリが見つからない。踏まないように丸く石で囲みを作ってあったのだが、その中をいくら探してもドングリは現れなかった。

 こ、これはなんとしたこと…。ドングリが消えた。まさか土中に巣くう何者かに、食われてしまったのではあるまいか。そんなことまで考えた。
 みこりんに新しいドングリを持ってくるように言う。たしかまだ発根したやつが残っていたはずだ。みこりんがドングリを取りに部屋の中に消えたあと、力無くスコップで穴を広げていた私の目の前に、ぽろりとまろび出てきたものがあった。
 なんとそいつはドングリだった。昨日植えたやつに相違あるまい。それは石で囲った下側から転がり落ちてきたようだ。…私の記憶力もまったく当てにはならないらしい。昨日の時点で、すでに植え場所を間違えていたとは。
 とにかくこれで問題なくなった。どんぐりを手に立ち上がったとき、みこりんが新しいドングリを手にして戻ってきていた。

 結局、新しい穴には、発根したドングリを2つ並べて植えることになった。

三輪車ツーリング

 みこりんとお散歩。今日は三輪車がお供である。長い背もたれに、バッグを装備した姿は、ロングツーリングに備えたバイクのよう。
 下り坂ということもあり、三輪車をこぐみこりんのスピードはかなり速い。背もたれを確保した手にも、少々力がこもる。目的地は団地の下を流れる川。この調子ならばあっというまに着けるだろう。

 少々ドングリなど拾いつつも、これまでの最短時間で川へと到着。川は、工事の準備のために支柱がいくつも立っている。大雨で削れた岸辺を修復しようというのだろう。たしかにこのまま放置していては堤防が崩れかねない状況だ。ただコンクリートで固めるだけという旧態依然の工法はとらないで欲しいものだが、どうなることやら。

 あぜ道で、猫じゃらしを巨大にしたような草で遊ぶ。茎に沿って手でしごくと、種がごっそり取れるのが楽しい。そいつをぶっつけあって遊ぶのだ。みこりん的にもなかなかこれはヒットだったらしく、ついには茎を手折って家まで持って帰るという。なので三輪車に挿してやった。ますますツーリング中のバイクのようだ。私も北海道ではこんな感じに荷物の隙間に小旗などを挿して走っていた(十数年前の北海道では、小旗を挿してるバイクはけっこういたのだ)。

 帰り道。崖登りに挑戦するみこりん。今度のは場所が違うので、少し苦戦しているもよう。お尻を押してやって、なんとか制覇。両腕で体を押し上げるという動作に慣れていないのが原因のように思える。これもまた練習あるのみだ。登るのよりも、どっちかというと飛び降りるのが好きそうなみこりんであった。

まるごと2000

 先月に引き続き、SkyPerfecTV!のSuperChannelで『スタートレック/ヴォイジャー まるごと2000〜第2弾22時間』が始まった。今回は第76話から第97話まで。そしていよいよ来週からは第98話からレギュラー放送の再開となる。
 『まるごと』で放送されるものは、次にいつ再放送があるのかわからないので録り逃しはできない。緊張の瞬間だ。第76話、第77話、第78話。順調に話数を重ねる。ところが…
 第78話が終わり、次のテープに入れ替えようとしたときにそれは起きた。なんとデッキがテープを噛んでしまったのだ。取り出そうにも取り出せず、しかも次の放送まであと残り3分ほど。加速装置が欲しい。そう思う瞬間が人生では3度あるという。まさに今がその瞬間であった。
 すかさずLicに二階から別のビデオデッキを持ってくるように言う。あれはSの録画に難があるので使っていなかったのだが、この際贅沢はいってはおれまい。そして私はテープをなんとかして取り出そうと試みたが、どうにもならないので結局、ハサミで切断した。これはあとで修復すればなんとかなる。メカ部分にこれ以上ストレスをかけて損傷しては元も子もない。

 残り2分。デッキが到着。私はオーディオラックの背後に潜り込み、結線を外そうと試みていた。BSアンテナのねじ込みが予想外に手間取る。その他BS系の制御信号が多数、アンプへのライン、CSからのライン、LDからのライン、TVへのライン、すべて外す。そしてデッキを抜き、二階から降ろしてきたやつを突っ込み、再び結線。CSとTVだけを繋ぎ終わったときには、すでに時刻は3分オーバー。それでも心を落ち着け録画を始める。

 でも結局、この回は録画を中断した。結線を直していた時、誤って電源を抜いてしまったのもあるが、その後のチェックでやはりS-VHSでは異様に暗く録れてしまうしまうことがわかったからだ。これでは録画しておく意味がない。すべてをライブで見ておくしかないようだ。そう思ったときであった。Licがテープを噛んでたやつが、エラー表示しなくなったことを発見していた。さっき私が試したときには依然、エラーコードを点灯させてテープの受け付けを拒否していたというのに…。
 テープを試しに食わせてみると、何ごともなく作動する。取り出しも順調だった。私は再びデッキを元に戻す作業に取り掛かっていた。次の回が始まるまであと10分。犠牲は最小限に留めておかねば。

 *

 こうして最初こそトラブってしまったが、あとは怖いくらいに快調だった。私は座椅子に寝そべりヴォイジャーを堪能する。どのお話も、ほとんどハズレがない。プレデターもどきの設定に少々ベタさを感じたものの、うまくヴォイジャーの世界に取り込んでいたと思う。
 それにしてもセブン・オブ・ナインだ。何かにつけて艦長と対立するわけなのだが、その主張には理があることも多く、それゆえ艦長側の頑迷さが浮き彫りになったりするあたりがじつにどろどろしていて面白い。

 ところで連邦の3機に合体分離可能な戦艦、もっと分離シーケンスをはっきり見せて欲しかった。今後登場する機会は、なさそうな予感もするだけに、惜しまれる。でも分離後の形態美では、やはりウルトラホーク1号の勝ちだ。次の挑戦を期待する。


2000.11.5(Sun)

今日の園芸

 午前中は、引き続きヴォイジャーを堪能する。午後、録画にまかせて、活動開始。

 みこりんが小さなプランタに草を植え込んでいるのを見せてくれた。来春にはみこりん用に、寄せ植え鉢を1つ用意してやろうと思う。心の赴くままに、各種雑草を植え込んでくれるに違いない。

 花壇に目を転じてみると、まだまだ咲き誇るマリーゴールド“デルソル”があった。でもあんまり勢力が強すぎて、周囲のブルーサルビアなどが萎縮しつつある。このままではまずい。ばっさり刈り取ることを決意した。ついでに花壇の縁に並べていた野菜用のプランタも思い切って整理する。
 そうやって幅約30cmほどを取り除いてみると、予想外に庭が広く感じるので興味深い。やはり高さが問題なのだろう。来年の花壇レイアウトでは、高さ要素をもう少し考慮せねば。

 落葉も一段落しつつあるプラムと枝垂れ桜を剪定した。来年、たくさんの枝が伸びてきますように。今年よりもいっぱい実が成りますように。下枝も少々整理して、木々の足元を有効活用できるように開けてみた。今は苺が無数に株を増やしている。苺もみこりんが宝探しできるので捨てがたいのだが、明らかに三人家族には過ぎた量だ。毎年、ナメゴンに食われてしまう比率の方が高いのでは、なんだかもったいない。そこで、来年はもう少し毛色の違ったものも植えてみたい。それを何にするのかまだ決めていないのだが、何にしても“食べ物”系になることは間違いあるまい。

 夕方、お隣にミカンなどをお裾分けに持っていったら、鉢花1つに化けて帰ってきた。ウインターコスモス。その可憐な花は、我が家の物量作戦的花壇にはない清楚さを持っている。み、見習わねば…。

到着2品

 宅急便が届いた。みこりんは最近ようやく“宅急便屋さんは運んできてくれているだけで、本当の送り主は別にいる”ことを理解したらしい。今回は“じじばば”からだと教えてやったら、じつにうれしそうだった。
 箱には温州みかんと書かれてあった。そして表面には赤く“M”の刻印が。それを目ざとく見つけたみこりんが、「“まくどどなるど”の まーくやねー」と言う。さらに、“ABCの歌”をさらっと口ずさむことで、それがアルファベットの一部であることまでアピールするのであった。おそるべしみこりん。ひらがなも、ついに自分の名前を構成するものについては記憶したようである。書き言葉でコミニュケートできるのもそう遠くはあるまい。

 ところで箱の中身は、外観が示すとおり、温州みかんだった。うちの実家は、温州みかんの産地に位置する。ゆえに、冬はコタツでミカンの諺どおりに、こうやってミカンがどかっと届くのだ。一人あたりの平均消費量は一日10個。それ以上食べることも十分可能だが、それをやってしまうとあっというまになくなってしまうため、セーブしている。おそらく同県人ならば、一日50個くらいは食べた経験はあるに違いない。特に、ゴルフボールよりもちょこっと大きいくらいの、皮が1mm以下しかないタイプだ。あれは途方もなく美味い。ミカンの常識を覆すといっても過言ではあるまい。だが残念なことに、一般の流通に乗ってるのを当時から見たことはなかったので、地元を離れたとたんに口にすることがなくなってしまった。風の便りによれば、毎年それを売りに来ていた農家のおばちゃんが、高齢のため栽培をやめたのだという。もはや二度と食べることはできなくなったらしい。

 届いたミカンを検分していると、底の方にさらに小さな箱が埋もれているのを発見した。薄紫の包装紙は、見覚えのある菓子屋のものだ。ミカンを潰さないように注意しつつ引き上げ、びりびりと包みを破る。中から出てきた箱は、じつにシンプルな無地の箱だ。昔からそうだった。
 私は餡を使った菓子は、あまり得意ではない。でも、どうしたことか、この菓子屋の作るモナカだけは平気だった。いや、平気どころか実に相性がいいのだ。どんな高級和菓子よりもなによりも、この“柴田”のモナカさえあればいい。このモナカも、モナカの常識を覆す秘密兵器といえよう。もしどこかで見かけることがあったら、ぜひとも口にすることをお勧めする。


2000.11.6(Mon)

迷い迷って…

 帰り道、本屋に立ち寄ってみた。いろいろ新刊が出ているのを数日前にチェックしてあったのだが、今日はどれを買っていってやろう。懐具合が寂しいので、念入りに選ばねばならない。

 『獣たちの夜 Blood the last vampire』(著 押井守)に目が止まる。新刊だ。裏表紙の要約、帯、あとがきの順に目を通したあと、冒頭を読んでみた。んん…いかにも、な展開かなと思いつつ、お話の最後に一気にジャンプ。……いかん、こういう結びに私は弱い。つい買ってしまいそうになる。1800円という値段に救われた。こういう高額な本は一週間待ってみてそれでも衝動を抑え切れぬならば現金買い、もしも手持ちがなければ bol 等、カードの使えるオンライン書店でというのがいい。
 『新宿鮫 風化水脈』(著 大沢在昌)も気になるところ。シリーズ最初からの読者としては、デフォルトで買いに変わりはないのだが、なぜにハードカバーなのか。やはり1700円という値段が脚を引っ張っている。文庫に落ちるのを待った方がいいかもしれん。
 などと結局、小説には手が届かず、今日の所はコミック1冊に落ち着くことに決めた。今日がボーナス直後とかなら、違った展開もあっただろうが、残念ながらボーナスは年に2回しかない。

 『BIRTH 4巻』(作 山口譲司)そして『DESIRE 9巻』(作 小谷憲一)、どっちにするか迷った末、『BIRTH 4巻』にした。こちらのほうが残量が1だったから。

 帰宅後、Licに指摘されて初めて気がついた。私は『BIRTH 4巻』はすでに持っていたのだ。く、悔しすぎる。


2000.11.7(Tue)

既視感

 本日は休養日。平日のゆったりした時間の流れを満喫しながら、ふと思う。久しぶりに PTON! のCDでも聴いてみよう、と。

PTON!
 1991年にデビューした男女5人の混成バンド。Vocal:森岡純と、Guitar:朝三憲一の二人がほとんどの楽曲を手がけていた。
 アルバムを2枚(『STEP』,『OPEN SESAMI!!』)リリースしたのち、グループを解散。

 なぜか私はPTON!のアルバムは2枚持っている。当時、解散したばかりのREBECCAを、かなり意識したプロモーションが行われていたように記憶している。バンドのマーク(?)も、REBECCAのソレにそっくりだったし。
 ヴォーカルが、みょうにキンキンした歌い方だったのが印象に残っている。REBECCAとの関連性はほとんど感じられなかった。歌も取り立てて上手いわけでもない。でも、なぜだかその未完成な部分に惹かれていたらしい。2枚目のアルバムを買ったあと、音沙汰がなくなったのでどうなったのかと思っていたら…解散していたとは。
 で、今日改めて調べてみたら、ヴォーカルの彼女は、GITANE で歌ってることが判明した。
 GITANE か。このバンドについては、1999年9月14日の日記で、少しだけ触れている。その時の記述によれば、歌は下手、でもヴォーカルの女には小悪魔的魅力を感じたとある。この二人が同一人物だったとは…。そういうことなら、ちょっとだけCDを借りてきてもいいかなと思ってみたり。

 ところでどうして急に PTON! を聴こうなどと思ったかというと、1つ気になっていたことがあったからだった。PTON!のヴォーカルの彼女と、今絶好調の矢井田瞳のメジャーデビュー前の曲『How?』の歌い方とが、じつはかなり似ているんじゃないかという事の確認のためだ。最初、『How?』を聴いたとき、既視感(既聴感?)を覚えたのが発端だった。誰に似てるのか思い出そうとしても思い出せず、悶々とした日を過ごすうち、ようやくふっとひらめいたのが PTON! だったという。

 今こうしてPTON!の2枚のアルバムを聴いてみて、はっきりわかった。まったく私の勘違いであったことを。似てるどころか、まったく違う。声質からして段違いだ。私の感じた既視感は、もっと別なところにあるらしい。
 いったいそれが何なのか、またしばらく悩んでしまいそうである。


2000.11.8(Wed)

酸素とマイナスイオン

 部屋の中でタバコを吸うと、燃焼で酸素を消費してしまうので酸素発生装置を買ったという人が、TVにちらと映っていた。かけた金額約80万超。……よほど金が余っているのだろうか。窓を開けて換気すれば済むように思うが。というかそんなに健康に気をつかうなら、まずやるべきことは禁煙ではなかろうか。
 それにしてもマイナスイオン発生器も購入しているのに、“煙にマイナスイオンをもってかれるから買ったのだ”という模範解答がなかったのは、なんか気になる。こういう取材にはあらかじめ段取りが決められているように思うのだが。TV局的には、きっと煙とマイナスイオンの関係についてのコメントを期待していたに違いない。そして準備段階ではそのようなやりとりが決められていたものと推測する。わざわざそのお宅まで出かけての取材なのだ。ところがオンエアされたのは、「たばこが燃えると酸素がなくなるから」というあやふやなコメントだった。な、なんじゃこりゃ。
 もしや誰も取材の目的を把握していなかったんじゃ…。


2000.11.9(Thr)

その言葉

 みこりんが時々口にする言葉に、「たべなせ」というのがある。漢字で書くとこうだ。「食べなせ」。何かを食べなさいという意味で用いる言葉だと思われる。
 記憶によれば、『めぞん一刻』の五代君のおばあちゃんがこの言葉を使っていたような気もするのだが、定かではない。いずれにしても、私は語尾に「〜せ」というのがくっつくと、無条件に“おばあちゃん言葉”を連想するようになってるらしい。だからみこりんが「たべなせ」というたびに、そのギャップにくらくらしてしまうのだった。

 いったいみこりんはこの言葉を誰から教わったのだろう。少なくとも我々家族周辺で、この言葉を使う人物はいない(はず)。みこりんの交友関係からいえば、保育園というのがもっともあやしい。
 今夜もみこりんに聞いてみた。その言葉は誰に教えてもらったのか、と。いつもはごにょごにょ恥ずかしそうにはぐらかすみこりんだったが、ついにはっきりと固有名詞を聞き取ることができた。そして愕然とする。
 なんとその言葉を使っていたのは、保育園でもっとも可愛いとされる先生だったのだ。自分のイメージでは“おばあちゃん言葉”というのが確立していたので、あまりの乖離にどうしてもその先生が「食べなせ」と言ってる状況を想像できない。もしやこの辺りではこの言葉はごく自然に使われるものなのかもしれん。また新たな発見があった。みこりんの持ち帰ってくるネタは、いつも驚きに満ちている。


2000.11.10(Fri)

エントリーCD

 仕事帰り、Licとスーパーで買い物。一回りしてレジに並んだとき、目の前の棚にずらっと並んでいたブルボン“The Audition”に目が止まる。オーディションにエントリーした女の子達の歌が、それぞれ2人分記録されたCDが内蔵されているというアレだ。全部で5種類10人分、それぞれ味付けが異なるという芸の細かさ。約300円という値段設定に、つい怖いモノ見たさの好奇心が勝ってしまった。ちょっとだけ迷って“カカオクレープ”を1箱カゴにつっこむ。

 風呂上がりに、さっそくCDをかけてみたのだが…。二人分しか聞いていないので他がどうとは言えないけれど、これで“選べ”というのか本気か彼らはと、案の定な結果に脱力する。いずれにしても10人のうちから3人、ハガキの応募で多かった順に選ばれるというのだが、CDケースの片隅に、虫眼鏡が必要なくらい小さなフォントで書かれた“デビューに関しては必ずしも得票に応じたヴォーカリストが選出されない場合もありますので、予めご了承ください。”という注意書きがあった。すでに3人は裏では決定しているのかもしれない。

 CDでエントリー曲を聴いて投票っていう企画に、私が最初に遭遇したのは今から13年くらい昔のこと。それ以前にもあったのかどうかはわからないが、その時にはレンタルCD屋のレジのところに無料レンタル可のCDとして並べてあった。“無料”というので借りてみたのだが、これはなかなか自分にはアタリだった。録音した楽曲は、今でもテープに残っていて、たまに聴くことさえあるくらいだ。…今、ちょっとテープを探してみたらすぐに見つかったのでラインナップを書いてみると…

  • “雨の匂い”西 司
  • “Watch out for summer love”DEL
  • “HOME TOWN”三輪禎大
  • “SAYA TIDAK LUPA PADAMU”PARO子
  • “I remember そういえば”UTACO

 今現在も名前を聞くのは西司くらいかな?他の人たちも案外、思わぬところで活動しているかもしれないけど。


2000.11.11(Sat)

儀式

七五三詣

 三才、五才、七才の子供が氏神様に詣り、その成長の段階によって御礼参りをして今後の成長を祈ります。
 三才を髪置(男子・女子)、五才を袴着(男子)、七才を帯解(女子)と称します。四才で紐落としの祝いを行う地域もあります。これは帯解と同意義です。

人生儀礼の祭り”より

 みこりんは今年三歳、“髪置”に該当する。ところで“髪置”とは何だろうか。調べてみると、“日本髪結全史”に日本の髪結の歴史を一望することができたのだった。それによればこういうことらしい。

 三歳の一一月一五日(陰陽道による)まで髪を伸ばさない。髪置まで剃る事によって、髪が濃くなると信じられていた。中流以下の子供は、享保頃は六,七歳まで剃髪。それ以後は10歳を越えても剃髪していた。丁稚を方言でボンサンというのは、このため。

日本髪結全史”より

 すでにみこりんの黒髪(やや茶髪混じり)は腰のあたりまであるのだが、時代も代われば風習も伝統も変化するということで。今日がみこりんの“髪置”の日だ。

 その長い髪をお隣の奥さんにキレイにまとめてもらい、髪飾りなどもつけ、さらには真っ赤な口紅で化けたみこりん。じじばばから贈られた着物を着るまでは、なんとも妙なアンバランスさ加減だったのだが、着付けを終えると……いつものいたずらっこはどこへやら。立ち居振る舞いまでおしとやかになっていた。ド派手な振り袖タイプではなく、日本昔話に登場するようなアンティーク調であることも影響しているだろう。じつに“子ども”らしくて良い。
 でも慣れてくるに従い、手にした巾着袋をぶんぶん回してたりして、はちきれんばかりのエネルギーを持て余していたようだが。それでも普段からは想像できないしっとりおっとりなみこりんであった。

 さて、今日の勇姿を記録するアイテムとして私が選んだものは、永き眠りからようやく覚ますことが出来た Canon AE-1 だ。私が中学、高校と愛用した一眼レフ。電池を入れ替え、シャッターを押すと、心地よいメカニカルな響きが手に染みた。
 だが経年劣化は隠しようがなく、レンズから入射した映像をファインダーへと導くミラーのところに使われているスポンジが、ぼろぼろだった。スポンジが完全になくなってしまうと、ミラーがシャッター作動のたびに、筐体に直撃しそうな雰囲気である。今日一日、なんとかもたせなければ。

 今日のために来てくれたLic方のじじばばと共に、氏神へ詣る。すでに境内には似たような家族連れでにぎわっていた。やはり女の子が多い。いや、ほとんどかもしれない。男の子は片手で足りるほどしか確認できなかった。美しく着飾るという点においては、女の子のほうに圧倒的に分があると思われるので、この結果も当然といえば当然かもしれないが。
 ところで親の方の衣装はどうかというと、ほとんが洋装であった。和装なのはLicだけかと思われたが、もう一人、和服なお母さんが登場した。やはり“社”には和服が似合う。いずれ私も和装な正装に挑戦してみたいものである。

 さて、拝殿で受付を済ました後は、順番が回ってくるまでみこりんを撮りまくっていた。久々のAE-1だったが、少年の頃に覚えた動きは身体が記憶しているのだろう。考えるより先に、手が勝手に動く感じだ。一応デジカメも併用したのだが、やっぱりAE-1が一番しっくりくる。ずしっと響く重量感がたまらない。

 *

 いよいよ順番が回ってきた。みこりんと共に拝殿へ。10家族分ほどを一度にやってしまおうというローテーションらしい。御子達を前列に、親が後列に。整列して着席すると、儀式が始まった。

 祝詞、お祓い、玉串献上。
 最後に千歳飴をもらっておしまい。拝殿から降りてくるなり千歳飴の袋をびりびり破くみこりんであった。やっぱり食い気には勝てんか。

 帰りに近くの写真館で“ちゃんとした”写真を撮ってもらって、本日の作戦は無事終了した。
 家に帰り着いてから“動画”でも残しておこうとビデオカメラを手に迫ってみたら、すでにみこりんもLicも着物を脱ぎにかかっていた。そんなに焦らなくてもいいじゃないか……


2000.11.12(Sun)

飛行機とゴーカート

 今日は朝から“かかみがはら航空宇宙博物館”に出かけた。
 館内の展示は前回とそれほど変わったところはなかったのだが、最近“ものごころ”つきまくっているみこりんにとっては、いろいろ探検したくなるようなアイテムがあったらしい。STOL実験機“飛鳥”に率先して入っていったり、幼児向けに開放されてたセスナ機に乗り込んでみたり、忙しそう。ただ、シミュレータ関連にはほとんどが身長制限&年齢制限があって、試せたのはノーマルなシミュレータだけだった。私の膝の上に乗っけて一緒に操縦してみたのだが、みこりんには少し地味過ぎたかもしれない。

 やっぱり屋外の遊具がいいらしい。以前は滑り台とかアスレチックに興味を示していたみこりんだが、今日はシーソーな気分だったようだ。でも体重の軽いみこりんと私では、どうにもこうにもバランスが良くない。やや満たされぬものを感じたのであろう。みこりんはふらふらと、向こうに見えるゴーカートに導かれていくのであった。
 二人乗りはあいにくすべてが使用中だ。残るは一人乗りのF1タイプ。子供用とはいえけっこうスピードが出るようで、これにみこりんを乗せても大丈夫かと一瞬迷ったが、私がハンドル操作をしてやればなんとかなりそうに思ったので、100円玉を投入した。
 もちろん一人乗り用なので、私が一緒に乗っかるわけにはいかない。横を伴走するのだ。ところがいざ走り始めると、ハンドルの位置は予想以上に低く、かなり腰をかがめなければならず、なおかつ左手で操作、さらにあろうことか右回りの周回と、条件最悪。そして恐るべきことに、みこりんはアクセル全開!決死のコーナーリングを続けなければならなかった。他に走行中のカートがなかったからいいようなものの、時間切れで停車するまで、狂喜するみこりんのそばで、私は異様な緊張感に終始包まれていたのであった。みこりん、けっこうスピード狂かもしれない。
 Licは以前みこりんを単独でカートに乗せたと言っていたが、このスピードで自力操舵できたのだろうか。三輪車よりも速いのに…。でも案外じょうずに走るのかもしれないなぁ…。

イティ

 『イティハーサ 7巻』(作 水樹和佳子 早川文庫版)を読む。
 なんという穏やかで命溢れる物語であろうか。八百万の神、人を支配しない神、そうした神々と人間とのつながり合いは、もし自分が別の信仰を持っていればとうてい受け入れられなかったと思う。そういう意味において、私は幸運だった。この物語を心から楽しむことができたのだから。
 それにしてもこれだけの作品が当時打ち切りなったってのが不思議すぎる。まぁおかげで早川文庫で出ることになったのだから、結果的に良かったわけだけど。


2000.11.13(Mon)

繰り返される失敗

 ここ数年というものインフルエンザの予防接種は受けてこなかったのだが、今年は久しぶりにやってみようかという気になっていた。毎年会社で無料接種が行われるため、金銭的にはまったく問題ない。そして今日がその接種日である。
 じつは第一回目の接種日は、すでに終わっている。でも今日は第二回目ではない。第一回目の追加なのだった。なんと前回希望者が多すぎて(あるいは見積もりが甘かったか)、途中でワクチンが足りなくなり、急遽追加が組まれたという次第。それほどまでにワクチンが逼迫しているのかと思うと、ついつい受けてみようかという気になってくるから不思議。たしか去年はインフルエンザで人死にが出たんだった。だから今年は集中したのかもしれないなぁ。
 と思ったのは私だけではなかったようで。なんと今回もワクチン切れになってしまったのであった。私も含めて希望者は、第二回目のやつを優先的に受けられるよう予約扱いということになった。過去に接種を受けた人ならば、一回だけでも効果アリとか。

 それにしてもこれほどまでにワクチンが足りないとは、よほど見積もりが下手だったのか、あるいは去年のようにワクチン製造能力限界を超えてしまったので割り当てが少なかったのか、いずれであろうか。去年はワクチン不足が大きく報じられるほど問題になっていたので、まさか今年も去年と同じ生産量だったなんてことは考えにくいのだが…。まぁ希望者に接種するという会社の方針はいいとして、その募集の仕方に難ありといえなくもない。業務扱いになるイベントなのだから、希望者には事前に予約させれば、ワクチン数をかなり正確に把握できただろうに。当日、集まってくるまで希望人数がわからないというシステムでは、こういう事態が起きる可能性はかなり高い。特に去年の全国的なワクチン不足を覚えていれば、対策を打ってしかるべきだった。

 たかが社内予防接種の見積もりとはいえ、このような基本的な業務の不適切さは、たぶんあらゆる部署にはびこってるのではないかと思われる。特に今回の失態のポイントである2回も同じ過ちをしでかしたというのは、根が深刻だ。いつまでたっても赤字体質で、同じ失敗を繰り返している部門が結構あったりするから、これはもう“社風”といってもいいかもしれない。実際、そういう“声”はいろんな場面で聞こえてくる。そして結論はおおむね“どこかの自動車会社のように黒船ショックが必要では”ということになっているのだった。

晩秋の園芸

 秋から初冬に向かう今日この頃。すっかり彩りを欠いた我が花壇に、冬物を少し買ってきた。

  • ガーデンシクラメン・フェアリーミニ“タイタニア”(ディープローズ) [380円] ×1
    (去年は雪に埋もれて枯れてしまったが、今年こそは地植えで越冬だ)
  • プリムラ・ポリアンサ [98円] ×2
    (白花にうっすら紅色の縁取りが涼しげでよい)
  • ビオラ“ペニーオレンジ” [98円] ×1
    (すっきりと混じりけのないオレンジ色なので)
  • キンギョソウ 黄花&赤花 [100円] 各1
    (色彩的に欲しかった)
  • スイートピー“スイートメモリーピンク”&“スイートメモリーローズ” [100円] 各1
    (スイートピーは基本的に好きなので)
  • 原種チューリップ“リニフォリア”[298円] 一袋(5球)
    (門の脇に移植した花桃の足元が寂しげだから)
  • 玉ねぎ苗 [398円] 一束(100本)
    (やっぱり来年も玉ねぎは自家製でいきたいから)

 去年と違って少しおとなし目なセレクトになった。花壇に空きスペースが残ってるような植え方もたまにはいいかなということで、あえて抑え気味にしてみたのだが、どんなふうに育っていくのか見守っていこうと思う。


2000.11.14(Tue)

くり、どんぐり、まつぼっくり

 帰宅してみると、コタツの上に“栗”があった。我が家のウニ坊やくらいの小ささで(直径2cmほど)、色は極端に明るい。こいつは模造栗だ。
 でもどうしてこんなものがうちにあるのだろう。模造栗なんてスーパーの飾りなどでは見たことがあるけれど、普通には売ってそうにないのだが。

 結局聞きそびれたまま、模造栗を前にしてみこりんとしばし団欒。みこりんは“木の実が大好きだ”という主張を展開しはじめてくれた。それによれば、“栗”“ドングリ”“松ぼっくり”が三大木の実ということらしい。すると赤いピラカンサの実は、木の実の範疇ではないようだ。どれに分類されるのかというのも興味深いが、今はこの三大木の実のうち、みこりんはどれが一番好きなのだろうかというのが知りたいと思う。
 みこりんは間髪入れずに教えてくれた。「くり」なのだという。理由はもちろん「おいしいから」だ。じゃぁ「ドングリはだめなのかぃ?」と問えば、「たべられないから」という。そこで私は教えてやった。ドングリの中にも食べられるヤツがあるのだと。

 みこりんの目が“きらりん”と光った(気がした)。「おいしい?」と聞くので、芳ばしくて美味いのだと、ドングリを食べる真似を交えて解説してやる。みこりんは「ほんとう!?」となにやら納得しているようす。次回“お散歩”に出かけたら、食べられるドングリを拾うつもりかもしれない。でもそのためには団地内では無理っぽい。いつかみこりんを本格的な秋の山に連れ出してやらねばなぁ……ってもはや季節は初冬っぽいのだが。
 来年こそは忘れないようにしなければ。


2000.11.15(Wed)

都合のいい“良心”

 たしか私が中学生くらいのころの社会科の授業の時のことだ。授業担当は教育実習で来ていた学生で、テーマは当時問題になっていたイルカ漁のことなど自然保護関係だった。
 二十年近く昔、日本のイルカ漁に激しく抗議する外国人団体がいて(今もいるようだが)、網に捕まえられていたイルカ達を、その網を勝手に切断して逃がしてしまった事件があった。そのことに関する問いを、教育実習の学生は行ったのだ。彼は我々生徒達に挙手を求めた。「(網を切った)外国人の行動に共感するか、否か」と。
 私の席はかなり後ろのほうにあったので、大部分が「否」と手を挙げるのを見て、いちいち挙手するのも面倒くさいので放っておいた(第一印象の良くない相手に対しては、徹底的に冷淡に振る舞う癖があったのだ)。むろん私の答えも「否」である。

 どうやらクラスメートは全員(私を除いて)「否」と手を挙げたらしい。私が挙手していないのを見つけだした彼は、妙ににこやかな顔で近づいてきて、私に理由を求めたのだった。もちろん彼は私が「共感する」から挙手しなかったのだと思っている。その雰囲気から彼の思想は「共感する」なのであろうと推測できた。
 こうなっては仕方がないので、うっかり手を挙げ損なったのだと答えておいた。もちろん「否」の理由も添えてだ。明らかに彼は動揺していた。自分の賛同者がただの一人もいなかったことにショックを受けたからだろうか。その後、彼はひとしきりイルカを逃がした外国人の弁明に一生懸命だったように記憶している。その内容がどんなだったかは、もはや覚えていないのだが。

 それにしてもだ。中学生が“自分の主義主張を通すためには、他人のモノを勝手に破壊すること”を善しとすると、彼は本気で考えていたのだろうか。そうした独善こそが、あらゆる戦争などの原因になっていることを、社会科で教育実習を受けようかという学生ならば当然知っていなければならないはずだろうに。
 動物保護の観点からはどうかといえば、たしかに私も小さいころから動物や生き物は大好きで、それは今も変わってはいないが、絶滅危惧種でもなく、また保護対象でもない生物を、食べるために捕獲することにはまったく違和感はなかった。我々が生きるためには他の生物を食らわねばならない。それは正当化も否定もできない自然現象というべきものだから。逆に、彼らイルカ/クジラ保護論者のいう「知能が高いから云々」の論法には、言いしれぬ傲慢さを奥底で感じていた。では知能の低い生物はどうでもいいのか、と。より正確に言うならば、私が飼っていた犬や小鳥や魚達の観察を通して、彼ら生き物にもかなり繊細な“心”があると感じていたからこそ、知能の高低という切り分けには納得できなかったのだ。そして今でも私は“知能”と“心”は同義ではないと信じている。“知能が遅れているから”その生物は食ってもよくて、“知能が進んでいるから”保護すべきなのか?
 イルカの網を切ったのと同じように、彼らが牛や豚、七面鳥などの養殖場にも侵入し、同様な破壊工作を行っていたとしたら、過激ではあるが“動物愛”の心意気くらいは認めてもいい。しかしそうではないところが曲者である。彼らの言う“知能”を境界条件にするにしても、イルカがダメで犬はいいことの理由が不明瞭だ。猿も然り。その判定基準には、なにか後ろ暗いものを感じてしまう。

 なぜこんな話を思い出したかといえば、今夜のSuperChannelで放送された『ヴォイジャー』がきっかけだった。
 第100話“寄生生命体の恐怖”(以下、ネタバレなので地上波で見ている人は要注意。結末を今知りたくなければ読まないほうがいい)

 瀕死のヒューマノイドタイプではない生命体をヴォイジャーに保護したことから物語は始まる。生命体は、クルーの一人に突然取り憑き、身体機能を横取りする。船のドクターではこのタイプの生命体に関する知見が不足しているため有効な処置がとれず、このままでは両方が衰弱死する危険があった。そこでデータバンクから、一人の有能な科学者を“再生(生物学的にではなく、ソフトウェアによるもの)”することで対処することになる。彼は非ヒューマノイドタイプ生命体の権威であった。
 ところが再生した科学者は昔、戦時下で非道な人体実験を行っていたことが発覚する。彼の知識・業績には、そのような人体実験の成果から得られたものも含まれるのだ。その力を借りるということは、結果的に人体実験を肯定することになりはしないか。いや、現実に今、死に瀕しているクルーを救うことこそが重要なのだ。士官達の対立は深まるも、艦長の権限により治療は続行、クルーと生命体は助けられた。
 再生された科学者をどうすべきか。艦長はドクターに一任する。ドクターは、結局その科学者の全データを削除することに決めたのだった…。

 消される直前に科学者の言った台詞が重い。ドクターが、良心に照らして人体実験の成果は使えないと告げたことへの返答である。すでに人体実験の成果、つまり自分の手を借りてクルーの命を助けたことを指摘し、以下のように言う。

「ベラナが死にかけていたとき、君の良心はどこにあったんだ?
 倫理、道徳、良心、都合のいいときには(“悪いときには”のほうがいいような?)エアロックの向こうに飛んでいってしまうものらしいな。」

『ヴォイジャー』第100話“寄生生命体の恐怖”より

 もし今後、同じような場面でクルーが死に瀕したとき、その時にはいったいどうするのだろうか。たしかに科学者の指摘には一理ある。科学者の所業が認められないならば、人体実験の過去が発覚した時点で削除すべきであった。あとから“良心”を持ち出すくらいならば、最初からそうしておくべきだった。
 この場合、削除の理由として“良心”を挙げているのが、日記の前半で書いたような“後ろ暗さ”と似たものを感じる理由だった。一貫していない良心ほどタチの悪いものはない。とはいえ、そうした“表と裏”“本音と建て前”“それはそれこれはこれ”なんて場面は現実にはけっこう多いのもまた事実。ただ、無意識に“都合の悪さ”を忘却する愚は避けたいものである。


2000.11.16(Thr)

すこしうれしい朝の時間

 朝、みこりんを保育園に連れていく。いつもより早く出たので、保育園でも少しばかり余裕があった。
 みこりんの教室の前に着くと、保育園で一、二を争う美形な先生が立っていて、じっくりと挨拶を交わしてくれたのだった。おぉ、なんという和やかさであろう。まっすぐにこちらの目を見る姿勢も心地よい。その存在だけで人を幸福にさせることができるというのは、究極の才能かもしれない。もちろんそれが相対的なものだというのはわかっているのだが。

 明日もちょっとだけ早起きしよう。できれば来年、みこりんの担任になってくれますように……。


2000.11.17(Fri)

慣れの怖さ

 金曜になったばかりの真夜中のこと。
 寝静まった家の中で、私は一人くつろいでいた。そろそろハムスターに餌でもやろうかと立ち上がりかけたとき、廊下から何やら異音が…。
 滑るような摩擦音だった。摩擦係数はかなり低い、軽快な滑りを連想する音だ。そういえばさっきまでコタツ布団で丸まっていたにゃんちくんの姿が見えない。にゃんちくんが何かで遊んでいるにしても、そんな音を発するモノを即座には連想できなかった。いつもはみこりんの仕舞い忘れた“おままごとセット”のプラスティックで出来た果物とか野菜なんかで遊んでることが多いのだが…。

 好奇心に誘われるまま廊下へと続く扉を、そろぉっと開ける。……闇の向こうから足元を滑るように出現したものがあった。暗い金属色のもの。「こ、これは…!?」
 スカイラインGTR、R34だった。そのあとを追っかけてきたにゃんちくんが、はっしと片手でマシンを停めた。そして、じっとこちらを見上げる。「遊んでてもいい?」そう問われたような気がしたので、承諾の意をこめてうなずいてやると、にゃんちくんは今度は反対向きにスカイラインをかっ飛ばし始めたのだった。

 真夜中、ミニカーで楽しげに遊ぶ猫。なんか、語呂がいいな…と思っていると、暗がりの向こうから激しい水音がした。直後、にゃんちくんが大慌てで舞い戻ってきたので、もしやと思い触ってみると、案の定、お腹側がびっしょり濡れてる。どうやら遊びに夢中になってるうちに、水槽に落ちてしまったらしい。白いザリガニを飼ってる水槽が、ちょうど廊下に置いてあって、いつもはガラス蓋をしているのだけど、先月からちょっと別のところで使うために蓋をとっぱらっていたのだった。
 猫でもこんな失敗をしてしまうとは。慣れとは恐ろしいものである。

新製品2つ

 先日の日記“紙検索”で「できないだろうか」と書いたのだが、現実にはすでにその芽ができつつあるらしい(参考記事:『紙に書いた字がそのままパソコンに』)。
 Anoto(スウェーデンのC Technologiesの子会社)とEricssonが開発した、ペン型の無線入力装置を使えば、紙に書いたものがそのままコンピュータに転送することが可能になるようだ。紙は“特殊なインク”で“特殊なパターン”が描かれたデジタル・ペーパーを使用とある。この場合は入力文字のパターン検索などに使うらしいので、そのまま“紙検索”というわけではないのだが、入力文字がそっくりそのままコンピュータにも転送されるとなれば、検索など思いのままだ。紙のいいところ(書き易さ、持ち運び易さ等)と電子媒体のいいところ(検索の容易さなど)を、同時に利用できるとは心憎い。
 もっとも、ミミズの這ったような“象形文字”まで正確に文字コードに置き換えようとすれば、かなりたいへんそうな予感はする。でも、期待できそう。

 そしてこちらの製品も個人的にはおおいに気になるところ。
 HDDとDVD-RAMの相互に録画可能っていうのが、現在の理想的エアチェック作業にすんなりとハマる(参考記事:『東芝が世界初のHD、DVD-RAMダブルビデオレコーダー』“RD-2000”)。
 東芝のサイトにあるプレスリリースによれば、MPEG2(9.8Mbps)でHDDに約6時間、DVD-RAMに約1時間録画可能。SPモード(4.6Mbps)ならHDDに約12時間、DVD-RAMに約2時間可能。さすがに高画質を狙えば“まるごと24時間”とはいかないものの、真夜中、睡眠を削ってビデオの番をしてなくていいのはうれしいかも。
 デジタル放送チューナーがアナログ接続だけ可なのは残念だけど、いずれ個人認証システムが安価に出回るようになるまでは我慢か。で、値段は27万円。初代βプロが23万くらいしてたのを考えれば、それほど高額という印象ではない。それにHDDなどこの先もどんどん安くなっていくのは必然だし。たぶん一年後くらいには十分購入対象になってそうな予感がする。それまで今のデッキをもたさねば(ところでDVD-RAMの規格はまとまったのだろうか)。
 でも理想は映像バンクみたいなところに、古今東西有償無償問わず、あらゆる映像作品が蓄積されていて、必要とあればそこからいつでも視聴可みたいなサービスだなぁ。廃盤を心配しなくてもいいし、なにより狭い家の中にいちいちストックしておく必要もないし。こっちは5年後でも実現しそうにないけど…。


2000.11.18(Sat)

ちょっと背伸び

 ちょっとした掃除のつもりが、本格的な大掃除へと発展してしまった土曜の午前中。何を掃除しているかといえば、にゃんちくんのケージである。小さな格子1つ1つを雑巾で磨き上げ、長年の汚れを落としてゆく。年末には少々早いが、いい機会なので徹底掃除だ。
 ケージの中ではにゃんちくんが、ゆらゆら動く雑巾目がけて猫パンチを繰り出している。その仕草の節々に“寒さ”を感じてしまったので、ペットヒーターをつけてやることにした。一足早い冬支度。

 ところでさきほどからみこりんが洗面台に向かって、何かをやっているようす。不思議なのは水音も聞こえてくることだ。イスに乗っても蛇口には届かないはずなのだが?
 と、そちらを見やると、気配を察知したらしいみこりんが、鏡の向こうからうれしそうに報告してくれた。手が届くようになったのだという。レバー式の蛇口のため、かろうじて指先がかかる程度でも大丈夫だったのが幸いしたらしい。流れ出る水をすくって、みこりんは自らの髪を洗っていた。前髪だけだけど。

 この少し前、みこりんはシャンプーをブラシにまぶして髪をすいていた。私が毎朝やってるムースで整髪の真似ごとらしかった。でもこのままでは辺り一面がシャンプーまみれになりそうだったので、あとでちゃんとムースしてあげるのと引き替えに待ってもらっていたのだ。まずそのシャンプーを洗い落とさなければ、ムースは付けられないよと言いつけて。
 ところがケージ掃除に予想外に手間取っているうちに、みこりんは自分で挑戦したくなってしまったらしい。自分で洗う分には、顔に水がかかっても平気なみこりんであった。

 さて、いよいよケージ掃除も佳境を迎え、トイレに新しい砂を敷いたらおしまいだ。待ちかねたようにみこりんがまとわりついてくる。どれどれ、と前髪の感触を確かめてみると、思ったよりも上手に洗えていることがわかった。これならば洗い直すこともあるまい。ムースを手に取り、ぶしゅぅぅぅとブラシにのっける。残り少ないので、ふんわり感は微塵もないが、みこりんは納得しているようす。
 そのまま前髪を適度に斜め後方へとなでつけにかかる。だがすぐにみこりんの手にブラシは渡っていた。何でも自分でやりたい年頃なのだ。見よう見まねでかぱかぱやっていたみこりんだったが、「みて!」と振り向いたときにはなんとまぁ、見事な七三分け(ただし前髪のみ)の出来上がり。意外にブラシ使いは巧いかも。

 少し前髪が長いようだ。切ってやらねば。


2000.11.19(Sun)

玉葱100本

 さて先週買ってきてそのまま玄関の片隅に寝かせて置いた“玉葱苗100本”を、植え付ける時が来た。この玉葱はもちろん早生ではない。来年一年間の我が家の玉葱自給に備えて、保存に適したタイプを買っておいた。昨年は思いつきで買ったものだから植え場所には苦労したが、今年は違う。もう植える場所は決まっていた。

 いつ木枯らしが吹いてもおかしくない冷たい大気に満たされた庭で、私は最後の収穫をする。寒さに悴んでいるかのように小さな長茄子、すっかり色づいた伏見甘長、かろうじて熟れた黄色いトマト…。これから撤去する野菜たちだ。この場所を空けて、玉葱を植える。ハーブコーナーの横、去年初めて玉葱を植えた場所と、もう1つ、菜園1号&2号の一部分。それだけ使えば100本の苗でも大丈夫のはず。玉葱は使いでがあるので、無駄に痩せた土地で小さく育てるよりも、たっぷりの土の恵みで健康に太らせたほうが面白い(いや、どの野菜でも健康に育てるのが一番に決まってるんだけど、限りある狭い庭では自ずと優先順位ってものが出来てくるのだ)。

 まずはばっさりと植わってるものを抜く。そして敷き詰めていた雑草の亡骸とか落ち葉も一緒に土を軽く耕しておいて、昨日買ってきておいた有機石灰をふりかける。小さなスコップでグラニュー糖をまぶすようにやるのが面白かったのか、さっそくみこりんがお手伝いしてくれた。砂遊びセットのスコップくらいが丁度良い。それがおわったら鶏糞少々、堆肥も少々。昨年のような大改造にはしない。
 それらをまんべんなく混ぜこねつつ耕して耕して、大地の更新終了。みこりんも軽い方のクワ持ってやってくれたのは言うまでもない。

 畝をぺたぺたスコップで立てて、いよいよ苗の植え込みである。腐ってる部分とか枯れたところをむしりつつ、1本1本植えてゆく。これ1つが大玉1個になるかと思えば、自然と手つきも慎重になってくる。ところでいつもならこの作業を一番楽しげに手伝ってくれるはずのみこりんだったが、今日はどういうわけか先ほどまでの勢いが嘘のようにおとなしい。もしやこの“匂い”がダメなのかな?
 苗はハーブコーナーと菜園とで、それぞれ折半するカタチに分配した。ハーブコーナーへの植え付けが終了すると、次は菜園。こちらの土も、同様に小規模な資材の追加に留めておいた。空いた箇所には抜いた野菜たちを刻んで刻んですき込んで。土中バクテリアに餌をやるのも忘れずに。
 菜園で残ったものはといえば、すくすく苗が育っているニンジン、大根、早生玉葱、そして唯一の現役であるゴボウたち。大きく広がっていたトマトやら茄子やらを撤去したあとは、やけに広々と感じる。さっそくみこりんが「はいってもいい?」と柔らかな土を堪能していた。

 柔らかな土とはいえ、何度もクワをふるっているうち、背中や腰などに少々“凝り”を感じていた。空は急速に明るさを失い、あっというまに薄闇が迫ってきている。日没も近い。みこりんが「かぶ〜!」と楽しげに拍子をつけて言いながら、コールラビを引っこ抜いていた。どうも“おおきなかぶ”の真似をしてるらしい。正しい名前を教えてやったのだが、「かぶ」が「らび!」になっただけであまり代わり映えはしなかった。まぁ似たような味だし、食べてもあんまり違いはわからないかもしれないけど。

 今日一日の収穫物を、私が料理することで締めとなる。サヤインゲンの大きく成りすぎた豆などもあったので、コンソメで味付けした野菜スープに仕上げてみた。野菜だけでは少々物足りないかもしれないので、マロニーに皮なしウインナなども入れ。本当は肉団子などがあれば申し分なかったのだが、思いつきの料理なのでよしとする。伏見甘長はいつもどおり油で炒めて醤油ぶっかけ。この味も今年は今夜がおそらく最後、心して味わうとしよう。
 サヤインゲンの莢から取り出した大きな豆は、意外にこれが美味かった。食い応えがあるというか、なんとなく黒豆っぽいような感じ。今日、みこりんとたくさん種用にも採ってあるので、来年は一段とサヤインゲンが増殖しそうな予感がする。

タイミングの悪いことに

 歯磨きを終えたみこりんが、台所方面のLicに向かって歩いていたときのこと。
 なにげにTVを見上げたみこりんの動きがそのまま固まってしまっていた。29インチのブラウン管には、まさに今、悪魔憑き少女リーガンが、階段を蜘蛛歩きしている真っ最中。まるで悪魔に魅入られたかのように動けないみこりん…
 CMが終わり、はっと我に返ったように振り返ったみこりんの首が、そのままくるぅりと360度回転…したらかなり怖いが、幸いそういうこともなく、ただ沈黙が流れるのみ。やがてみこりんは、ようやく自分が何をすべきなのか思い出したらしい。顔をゆがめながら怖さをアッピールしつつ、私の元へと戻ってきた。寝る前には少し刺激が強すぎたかな。

 私が『エクソシスト』を初めて見たのが中学生のころ。日曜の昼間、TVの洋画劇場かなにかで見たんだったと思う。あの当時は他にも『オーメン』とか『サスペリア』とか、似たようなのがけっこうあって、怖いシーンの記憶などはもはやどれがどの映画のものだったか曖昧ですらある。ただ、『エクソシスト』の音楽だけは、今でも耳の奥に棲み憑いたままだ。不気味なんだけれども、もの悲しい旋律とリフレインがどうにもこうにも離れ難くて、たしかテープにも録ってたような。

 みこりんが今夜、怖い夢を見ませんように…。


2000.11.20(Mon)

寒い一日の始まり

 起き抜けに押入をさぐり、収納ケースを引っぱり出して中からセーターを発掘する私がいた。この寒さはなんとしたことだ。まるで冬じゃないか。体の芯から凍えるように寒い。はやくあったかな服が着たい。いまはただ、そのことだけに全神経を集中させてセーターを探る。ところが朝の弱い光は、厚いカーテンに遮断され、しかも己の背中が壁となり、押入に向かう手元はまるで輪郭がぼやけていた。ただの闇よりもたちが悪い。まったく見えないのなら諦めもつくが、あとちょっとというところで輪郭がにじんでいるのだ。じれったいったりゃありゃしない。
 それでもどうにかセーターを見つけだすことに成功した。これで安心だ。穏やかな寝息をたててるみこりんとLicを起こさないように、私は部屋を抜け出した。

 そして職場にて。私は着膨れていた。もちろん冬仕様のセーターの上には、作業服まで着込んでいる。他のみんなも分厚いジャンバーなどを羽織っていて、景色は一気に寒々しいことになっていた。どうしたことか、エアコンがみんな故障してしまったらしい。都合6台設置されている大がかりな空調設備は、死んだように沈黙したままだ。

 寒い…。寒すぎる。セーター着てきて、ほんとうによかった。


2000.11.21(Tue)

なぜか集団感染

 朝、みこりんの足にぽつっと赤い発疹ができているのをLicが見つけていた。そんな部位に?と少しだけいぶかしんだものの、とりあえずいつも通りに保育園へと連れていったのだが…。
 どうやらみこりん、手足口病になったらしい。保育園から連絡があって、Licが早々に迎えに行ったという。それにしても普通梅雨時期に流行るものらしいのだが、みこりんのクラスでは、すでに6人が手足口病で休んだのだという。いったいなぜ…と考えて思い当たることが。たしか先週だったかにみこりんたちは、保育園で温水プールに泳ぎに行ったのだった。そのとき移ったのではあるまいか。集団で感染するルートといえば、この季節、そのくらいしかなさそうだ。

 で、手足口病には、有効な治療法がないらしいので、発疹が治るまでしばらくお休みということになる。熱が出るわけでなし、ただ足の裏にできてしまったので歩き辛そうだが、みこりんはいたって元気なのだけれども。

やはりこのニュースから

 最近忙しさにかまけてニュースのチェックもおろそかになっていたのだが、さすがにこいつだけは見逃すわけにはいかないだろう(それでも一日遅れになってしまったけど)。
 「ASIMO」。ホンダの新型二足歩行ロボット。歩いてるところの動画があるとかいうので、さっそく落としてみたところ……あまりのことに、それがリアルな現実であることを一瞬だが疑ってしまった。P3のときよりも、はるかに滑らかに歩いている。まるでSF映画のワンシーンであるかのように。これは未来からの映像じゃないのか。そう思ってしまうほどに。背後に立ち尽くす“旧型”P3が、歴史の重みを感じさせた。

 もはや平坦地においては、十分実用域に突入しているような印象さえもってしまいそうだ。しかも簡易なコントローラで操縦可能なまでに命令系統が単純化されているらしいことから、二足歩行ロボットのプラットフォームたる資格は備わっていそう。というか、ホンダはそれを狙ってるんだろうけれども。“アトム”というよりも、こいつは汎用ヒト型機械のプロトタイプに違いあるまい。どっちかといえば、“レイバー”への道を歩みそうな予感(だいたいアトムは人工知能あってこそのものだし)。


2000.11.22(Wed)

立て続けに

 今度はソニーか。「SDR-3X」。ホンダのあとにもってくる周到さ。AIBOやロボカップでの共通プラットフォーム提供など、着実に“ロボット”分野での定着をはかっているソニーらしい。
 SDR-3Xの形状だけみていると、Pinoになんとなく似ている。コンセプトも似たような感じだし。でも完成度はこちらが上かな、という印象。

 ところで等身大のヒト型二足歩行ロボットの代名詞が“アトム”っていうのが、やはり私にはどうにもイメージがわかない。保育園のころ、白黒TVで“アトム”の放送を見た記憶はあるのだけれど…。記憶はかなり曖昧だ。それよりも同じく手塚作品の『火の鳥2772』に登場した育児ロボット“オルガ”の方に意識が向きやすい。まぁいずれにしてもアトムやオルガから連想するものは“二足歩行”などではなく、その優れた“知能”にある。それが違和感の根元らしい。ホンダのにしろ、ソニーのにしろ、“知能”はまだ搭載されていないのだから。しかもそれは限りなく難しい。

 でもいずれこの違和感も消え去る日が来るのだろう。2000年という年が、いずれロボットの歴史において重要な節目として記述されるのかもしれないな、と思ってみたり。


2000.11.23(Thr)

ロボットあれこれ

 湯船に浸かりつつ、みこりんに聞いてみた。どんなロボットが好きなのか、と。
 質問してから気がついた。みこりんは“ロボット”が何なのかわかってるのだろうか?不安になったので、考えモードに入っていたみこりんに確認してみる。すると、手首を鎌首のようにもたげて教えてくれた。「こーんなの」……あいかわらずジェスチャーゲームでもやってるようだ。でも、仮面ライダーとかタイムレンジャーに出てくるそうなので、そう外したものでもないようだ。
 で、肝心の答えだが。
 「ちいさいのがいぃ」そうである。大きいのはダメかと問えば、「こわい」んだそう。しかも動くのはもっと怖いらしい。小さいロボットならば、動いても大丈夫だとか。そうこうするうち、なんとみこりんの部屋にもロボットがいるのだと言い始めた。そいつは“口”のようなカタチをしているらしい。カタカナの“ロ”ではない。“口(くち)”だ。
 “口”のようなロボットとはこれ如何に。目玉のようなっていうのならわからなくもないのだが、口?みこりんが超人バロムワンを知ってるとは思えないし(あれには“クチビルゲ”というどでかい唇を頭部にもった怪人が登場した。子供心に結構インパクトを受けたことを憶えている)、はたしてそいつの正体は何であろうか。大きさは小さいらしいのだが、どうにも心当たりがない。もしかして、みこりんにだけしか見えない物体では……。
 気を取り直して、どんなロボットが欲しい?と聞いてみると、やっぱり「ちいさいの」がいいという。しかも「かわいい」のがいいらしい。格好いいのはいらないそうだ。
 じつはそろそろみこりんにロボットを買ってやろうかと考えていたりする。自分でプログラミング可能な動くタイプだ。すべて自作というのも検討したが、それはさすがにまだ早いだろうというLicの指摘により、最初は既製品にしようかなと。最近は既製品でもいろいろ高度なヤツが出てきているので、選択肢はかなりある。なのでリサーチを試みているのだった。
 “ちいさく”て“かわいい”やつか。どれも該当してしまうなぁ…。

ヴォイジャーの謎

 水曜に録画しておいたヴォイジャー『第101話 過去を救いに来た男』を見る。
 例によってネタバレありなので、地上波を楽しみにしている人はこれ以降読まないほうがいい。

 最後に艦長が「タイムパラドックスの解決法」について「考えないこと」と、さらっと答えたのもすごかったが、私にはどうしてもわからないことがある。それは、あのスリップストリームなんたらいう新型エンジンが、始動から17秒後(14秒後だったかな?)に必ず変調を起こしてしまうのならば、16秒間だけ使っては停止、ってのを繰り返せなかったのか?ということだ。なにしろ17秒間だけでも通常のワープで進む10年分の移動距離を稼げるのだ。6回ほど繰り返せば、地球に帰り着けそうに思うのだが…。なにか重要な設定を聞き逃しているのかもしれない。このエンジンは1回きりしか使えないとか(いかにもありそう)。


2000.11.24(Fri)

ROBODEX2000

 午前5時、そろそろコタツから抜け出し準備を始める。横浜方面まで出張のため、午前6時過ぎには家を出なければならないのだ。この時間に間に合わせようと思えば、徹夜するのが確実だった。うっかり寝入ってしまうと、日頃の習慣に従い、目覚めるのは午前8時を過ぎてからになってしまうだろうことは、いかにもありそうな展開だったから。
 午前6時10分、Licに駅まで送ってもらう。眠ったままのみこりんは、毛布でぐるぐるまきにしてシートに寝かせ、ベルトで固定した。フロントガラスには、うっすらと霜が貼り付いている。もし去年のようにカーポートがないままだったとしたら、もっと酷い状況になっていただろう。道路は一面が霜に覆われ、白っぽくなっていた。

 新横浜駅に着いたのが午前9時半過ぎ。さらにローカル線に揺られること十数分で、目的の駅にたどり着く。駅前には、すぐそれとわかるように看板を掲げたコスプレ兄ちゃん(あとでわかったのだが、その衣装は正式なユニフォームだったようだ)が立っていたので、その矢印が示す方向に歩いていけば迷わずに済みそうだった。たしか徒歩12分とか案内には書いてあったので、わざわざバスを使うまでもない。歩いていこう。この動く歩道に乗って。

 歩道はそのままランドマークタワーにぶちあたり、午前10時の閑散としたエントランスへと導かれてしまった。ビル内の行き先表示を頼りに歩みを再開すると、やがてどこかで見たような光景に遭遇する。巨大な回廊に点在するオブジェの数々、ずらっと並んだおしゃれ系ショップ…。神戸のハーバーランド一帯が、ちょうどこんな感じだった。同じ港町、新規開発物件ということで、コンセプトが似てしまうのだろうか。…などと観察しつつ歩いていると、ようやく空の開けた場所に出た。目的地に到着したようだ。
 “パシフィコ横浜”。ここで今日から3日間、ROBODEX2000が開催される。産業用以外の用途で開発されたロボットたちの博覧会だ。もちろん今週立て続けに発表された二足歩行ロボット達も出展される。

 学術的な展示会ではないため、じつに気が楽だった。私の使命は“動いている”ロボット達をビデオに収めて帰ること。水曜日、突然決まった出張だった。この目で二足歩行を見るチャンスを(しかも交通費会社持ちで)見逃す手はない。たとえ来週早々期限の仕事があろうとも、だ。
 10時始まりだったため、私が入った時にはまだ人混みもそれほどではなく、ゆっくりと見回ることもできたのだが、11時からの“A・SO・BOTパレード”が始まる頃には、とてつもない人だかりになっていた。かろうじて撮影場所は確保できたものの、無数の人の頭が壁となり、思うようなアングルで撮れない。液晶ビューを開いて高く頭上に突き上げるという“運動会モード”でなんとかしのぐも、腕が疲れて長くはもたず。これは場所取りを慎重にせねばと改めて思うのだった。

 パレードの進行はテムザック・コミュニケーション・テクノロジーの“テムザックIV号”が務めていた。唯一の女性型(?)というのも影響してそう。あとは順に綜合警備保障の“ガードロボ”−屋内仕様だと簡単なセンサでいいからうらやましい…−、ATR知能映像通信研究所の“ロボビー(Robovie)”−愛嬌で勝負!触覚センサは、顎の下とか耳の後ろとかにも配置すべし(耳はなかったけど)−ときて、ソニーの“AIBO(ERS-110) & AIBO 2nd GENERATION(ERS-210)”多数がわらわらと。コンパニオンのお姉さん達に抱かれてる姿が、じつに自然なところが恐ろしい…いや、素晴らしい。研究室などで生まれるロボット達が、機能に不要なパーツを省かれていかにも“不細工”なのとはあまりに対照的なその姿。うちで開発中のも、外観にはほとんど気を配っていない。量産品ではないのだから(しかも予算も限られているし)と思うのは研究者的にはOKなのだが、プレゼンの効果を考えれば外観というのは機能と同じくらい重要な要素になるのだなぁと、改めて思う。その点、最初から洗練ボディでプロトタイプを発表してきたホンダのやり方は、これまでの伝統的ロボット系な現場の常識をぶち破るものだったのではなかろうか。
 そして最後はホンダの“P3”。“生”で見るのは初めてだった。すでに旧タイプになったとはいえ、その二足歩行には無条件に感動してしまう。液晶ビューごしに見るのと、実際に目で見るのとでは、明らかに“迫力”が違った。等身大の白いやつが、すたすたと歩く−ビデオを通しては、その大きさはどうしてもリアルには伝わらないのかもしれない。

 その後、正午から行われた“ASIMO”のパフォーマンスを見て、各部関節の滑らかな動きに圧倒された。膝もかなりまっすぐのばせるようになっているし、直立二足歩行へ一段と進化した感じだ。でもそんなことより、“当たり前”のように歩いてることのほうが、すごい。

 次のソニーのパフォーマンスまで、まだかなり時間がある。間をもたせるためか、東工大のおなじみのロボット達がちょろちょろ出てきて、ちょっとだけ動いてみせていた。しかし、P3だのASIMOだのを見たあとでは……。かえって哀れみを感じてしまうほど、プレゼン(というか見せ方)の下手さ加減が目に付いた。せっかくの無線操縦なのだから、野郎どもがわざわざ表に出る必要はないのだ。送信機を持ってすぐそばにいたんでは、“操縦してます”ってのが必要以上にクローズアップされてしまって、ただのありふれた“ラジコン”玩具に見えてしまう。もうちょっと“芸”を見せなきゃ。

 ようやくソニーの“SDR-3X”によるダンシング・パフォーマンスが始まった。この場所を確保するのに一時間は粘った。だというのに、肝心の実物はソニー・ブースのままだった。メインストリートには巨大ビジョンが3枚あって、そこに生中継画像が流されたのだが、やはり生で見たかった(いちおうサッカーボールを蹴るところは生で見たけれど…)。それにしてもアクチュエータの応答速度(動くだけでなく、ちゃんと停止する)には驚かされる。ロボットの軽さがあってこそなんだろうけど、現在の(産業用ではない)ロボットにもっとも欠けているのが専用アクチュエータって言われるくらい、ここは重要な点だ。量産(予定)品の底力を感じる。

 これであらかた動いてるやつの収集は終わった。テープの残りも10分少々になってきたことだし、業務終了としよう。あとは自由に見て回るだけ。
 バンダイのワンダー・ボーグが“ここだけ”先行発売で1万2000円!ワンダースワンを足しても1万3000円!よっぽど買おうかと思ったけど、財布の中身が心許なかったので諦めることに…。定価1万6000円ってのをこのとき知ってれば、たぶん買ってたかもしれない。みこりんも小さくて可愛いロボットは好きだと言ってたことだし。おまけにここのブースのコンパニオンのお姉さんの衣装も気に入ってしまったし。私はシースルーにはことごとく弱いのである。

 ところでこの会場には、いったん入ると再入場は再びチケットを買わねばならない。だからせっかくお弁当を持参していたのに、食べることができなかった。空腹すぎて、ヘンに意識が研ぎ澄まされていくような気がする。徹夜明けのハイテンションさに輪をかけたような感じ。それとこの数千人という喧噪は、イヤでも気分を高揚させる。……そろそろ限界だ。出よう。時刻は午後3時にあと少しというところ。私は会場出口から、抜け出した。
 と、そこに思わぬ伏兵が!
 “T-5 プロトタイプ・ゼロ”が鎮座していたのである(画像はこちら)。テムザックの新製品だった。IV型と同じく遠隔操縦タイプなのだが、違うのはその大きさだ。こいつは全高2.5m、全幅1.8m、奥行きは4.9mもある。白塗りのボディに黒い文字で“Prototype 00”とあった。開発チームに熱心なパトレイバーファンがいることは間違いあるまい(とあるニュースサイトではこれを評して“ガンタンクのよう”と書いてあったが…)。しまい込んだビデオカメラを引っぱり出して、録画した。あいにくデモの時刻を過ぎていたので動いてるところは残せなかったが、こういう建設機械系なロボットは要チェックだ。

 それも終わって、いよいよ外に出てみると、ものすごい人の列。何事かと思えば、入場待ちになってるらしい。しかも3時間待ちという。朝一番に入場していて、ほんとうによかった…。


2000.11.25(Sat)

“Pino”

 Robocupのポスターでも登場している北野共生プロジェクトで開発中のヒューマノイド型ロボット“Pino”が、どうしてROBODEX2000の展示では動いていなかったのかということが謎だった。あまりに寂しい展示内容に少々違和感を禁じ得ない。直立展示だけのスペースにしては、やけに広い場所が割り当てられていたのも妙だ。たしか4m四方はあった。その中央に、ちっこい“Pino”がぽつねんと立ち尽くし…。もっとも、夏の『エンターテイメントロボットフォーラム2000』でソニーの発表者がRobocupがらみの展開で話してくれたことによれば、まだ“Pino”は満足に二足歩行はできてはいないとか。でも同時に見せてもらったビデオでは、そこそこ苦労してはいるものの、いちおう歩いてはいたようだったのだが。

 じつは、何らかのデモンストレーションは計画されていたのかもしれない。ただ、直前になって突発的なアクシデントに見舞われてしまい、動かせなくなってしまった…とか。あるいはソニーの“SDR-3X”の発表を受けて、急遽中止になってしまった…とか。
 Robocupのヒューマノイド型ロボットによるリーグ戦が、四つ足同様、ソニーのが共通プラットフォームに選ばれたり…すると、主催者でもある北野先生の“Pino”の立場がどうなってしまうのか、じつに興味深いことである。

みこりん、ヴォイジャーにはまる

 ヴォイジャーを見ていると、みこりんも一緒になって集中していることがある。その甲斐あって、いまでは主要登場人物も憶えてしまったらしい。キャサリン・ジェインウェイ艦長のことは「ぼりじゃのおばさん」と言ってるし、キムもニーリックスもトゥボックもパリスも、ひととおり顔と名前は一致しているらしい。中でもお気に入りは、チャコティ副長。誰が一番好きなのか?と聞くと、たいてい彼の名前が出てくるのだ。みこりんは、ああいう渋いおじさまが好みなのかもしれない。

 で、今日、昼間Licとスーパーで買い物していたみこりん。ずぅっとこのフレーズを連呼していたのだという。そのフレーズとはこうだ。

 「ぼじゃ ちゃこてぃ!」

 チャコティ副長の、何がそんなにみこりんを惹きつけるのか。ぜひともみこりんに聞いてみなくては。


2000.11.26(Sun)

チューリップ発芽

 休日の習慣に従い、庭の植物観察をしていたときのこと。この秋、みこりんと植えたチューリップに、小さな緑色の芽を発見した。鉢植えの球根はどれも浅植えにしてあったので、少しの変化も見て取れるのだ。さっそくみこりんに教えてやると、歓声を上げて喜んでくれた。これから春まで、みこりんも観察の楽しみができたわけだ。
 でもみこりんにとってはチューリップ以上に気になるのが、ドングリらしい。今朝もドングリを植えた場所の前にしゃがみ込んで、何ごとか呟いていたようだったし。すぐにもドングリの実がなるように思っているのかもしれないなぁ。

 というわけで、午後からドングリを拾いにお散歩に出かけた。幸い、“食べられる”ドングリという指定はなかったので、いつものコースを下っていく。でも、以前なら歩道にたくさんこぼれていたドングリは、もはやほとんどが踏み砕かれて、満足な形状を保ったものが見あたらない。やっとみつけた1つを、大事そうに私のポケットの中にしまい込んで帰路に着く。みこりんは大事なものはなんでも私のポケットに入れる癖があるのだ。
 家まであと十数メートルという位置まで帰り着いたとき、私はそいつを見つけていた。真ん丸で小さかったが、紛れもなくドングリの実だ。こんな近所に、なぜドングリが…?と思い、頭上に立ち上がっている木をよーく観察してみたところ、なんとそれはドングリの木なのだった。葉っぱは異様につやつやで、しかもまだ青々して落葉の気配もない。それまで山際で見つけていたドングリの木が、どれも細長いタイプの実をつけるのに対して、このご近所の木は真ん丸な実をつけている。真ん丸とはいっても、クヌギなどのように大きな実ではないので、うっかり見過ごしてしまうところだった。こんなに近くにありながら、今日まで気がついていなかったとは…。みこりんとお散歩するようになって、身近な自然に以前よりも意識が向くようになったらしい。まだまだ面白いものが近くに潜んでいそうな予感。

発進

 数年前、TV番組でロボットを使ってハガキをポストに投函するっていうのをやっていた。その時はたしか、操縦者はコントローラ片手にすぐ後ろをついて歩いていたような覚えがある。ロボットはどこかの大学で作ったものだった。ヘビ型だったか、百足型だったか、とにかく細長いやつだった。
 あれから月日は流れ、ロボットの世界も、大学関係より産業界のほうが活気溢れる時代となった。ロボットという学問分野においては、産と学の間にほとんど交流がない。大学も企業も、それぞれ独自に技術を蓄積するというのがこれまでの流れである。学会がうまく機能していないのではないかという反省の弁が聞かれたのも、今年のロボット学会でのことだった。
 今夜、遠隔操縦ロボットをつかって買い物をするというTV番組があった。登場したのは先頃のROBODEX2000でも進行役を務めるなど、最近いろいろ出番の多いテムザックIV型、例のPHSを用いた“超”遠隔操縦と銘打ったロボットである。もちろん開発元のテムザックでは、このような試験は行っているはずで、だから人混みにもロボット単独で出せたのだと思うが、じつに楽しい企画であった。いずれロボットと人とが共生する時代には、こういう風景も日常茶飯事となるのだろうが、今この時代においては、ロボットが一人でお使いにやってくる光景っていうのはシュールである。中学時代、ラジコンに宇宙人のハリボテかぶせて外を走らせてみようかと思ったことを、つい思い出してしまう。
 ところでエレベータに乗り込んだらPHSの圏外になってしまうっていうのは、メーカーにとっても意外な盲点だったのではなかろうか。まぁすべて思惑通りの演出っていう可能性もあるけれど。リアルタイムな画像伝送が、やっぱりネックだなぁっていう点は身につまされるところがあるので、笑ってばかりはいられないんだけども…。


2000.11.27(Mon)

ザクの将来

 着々とザクの量産開発は進んでいるようである。来年夏、5万円…か。買ってしまいそうな予感。
 二足歩行技術は独自のものらしいけれど、この記事『2足歩行ロボット? やっぱりザクでしょ』などを読むにつけ、ソニーのOPEN-R(SDR-3XやAIBOで使われてるやつ)を採用したタイプも登場しそうな気配。で、“マスターグレード”とか冠して“ノーマルよりもリアルな動き!”って売り込むに違いあるまい。うぅっ、猛烈に欲しいぞ。
 量産されればいかに専用アクチュエータといえども、どんどん値段は下がるだろう。するとますますOPEN-Rを採用するメーカーは増え、もはや二足歩行は“買えばOK”な当たり前の機能モジュールの1つとなってしまうことが予想される。

 以前の日記から、さらに飛躍してみると、いずれ日本でもお行儀の良いRoboConだけでなく、海外で流行ってるのと同じような、ロボット同士の格闘戦があちらこちらで繰り広げられるようになるのだろうという予想が立つ。人型ではないロボットにはあまり興味を示さなくても、こと人型二足歩行ロボットとなると目の色が変わる御仁はけっこういそうだ。しかもOPEN-Rのような共通アーキテクチャが普及すれば、それこそ外観はオプションパーツ扱いで自由自在に変更できる。ATでもHMでもMHでもMSでもRVでも、もちろん着ぐるみもアリだからあらゆる怪獣、超獣、宇宙人、光の国の巨人達をも動かせてしまう。夕映えのジオラマセット内で、メトロン星人とセブンとの一騎打ちに堪能するもよし、バトルアリーナでAT同士を闘わせてもよし。…そうなってくると、必然的に操縦システムが進化していき、高速ネットワークで接続された遠隔操縦なんてのも当たり前になってくるのだろう。そうしたイメージを脳裏に描くとき、思い出すのはコミック作品『BREAK-AGE(ブレイクエイジ)』(馬頭ちーめい+STUDIOねむ)のこと。

 この作品では、仮想空間内でのコンピュータゲームとして描かれた世界が、現実世界では実際のロボット同士の対戦というカタチで実現するかもしれない。なにしろソニーが発端なのだから、ゲームという方向にいかないはずがない。

 ゲームといえば、RoboCupではヒューマノイドタイプの二足歩行ロボットを使ったリーグが設けられ、2002年にはそれらロボットを使ってサッカーの試合が行われる予定になっている。今年の夏の段階では、ほんとうにそんなことが可能なのかと思っていたけれど、SDR-3Xがあれだけの動きを見せた今となっては、もはや可能/不可能を議論する段階は通り越したようだ。
 ちなみにRoboCupというのは、ロボットにサッカーをやらせることで、知的なロボット研究に“はりあい”を持たせようという国際組織である(現在はサッカーだけでなく、災害現場でのレスキューを想定したり、次代を担う子ども達の教育の場としても機能している)。
 このRoboCupの最終目標には50年後にサッカーの世界チャンピオンチームに試合で勝つことが掲げられていたりする。もちろんヒューマノイドタイプのロボットで勝たねばならない。ソフトウェアのほうはともかく、ロボット本体のほうは早いうちに完成するんじゃないかと思ってしまう今日この頃だ。

 それにしても1986年から研究をスタートさせていたホンダはともかくとして、ソニーはいったいいつから二足歩行の研究を始めたのだろう。SDR-3Xというくらいだから、2Xや1Xあるいは0Xなんてのもあるのだろうが、そこいらへんの経緯がぜひ知りたいところ。なんだか、いとも簡単にやっちゃってしまったような錯覚を覚えて怖いのだが。

 ところで海外ではどんな風に“ASIMO”や“SDR-3X”が話題になってるのだろうと、いろいろロボット関係なところを探っていると、こんな記事を発見してしまった。

 Monkey's brain is wired to control robotic arm

 うーん、これもかなりキテるなぁ。


2000.11.28(Tue)

ウェットウェア

 昨日は“猿の脳”につないだ電極によってロボットアームを動かした記事(『Monkey's brain is wired to control robotic arm』)を見つけたが、今日は今日で、こんなのを発見してしまった。

 『Fish-brained robot at Science Museum

 ヤツメウナギの脳に電極挿して、小型ロボットを制御とある。ヤツメウナギは光を避ける習性をもつため、ロボットからの入力信号である“明るさ情報”に応じて、回避シーケンスを“脳”がスケジューリングし、その出力でロボットを操作したのだそうな。

 同記事には、後半には例の猿の脳での実験にも触れていて、その実験ではインターネット経由で離れた場所に設置したロボットアームを操作したのだということが更にわかったり、ネズミの脳にも電極挿して、脳で制御可能な水飲み器で実験したことまで書いてある。ネズミは訓練の結果、脳で水飲み器を思うように動かせたそうだ。

 案外、サイボーグ技術もそう遠くない将来、急速に現実のものになったりするのかもしれないなぁ。


2000.11.29(Wed)

ポーズのタイミング

 七五三詣の時に撮った“ちゃんとした”写真が出来上がってきていた。きちんと台紙に収められた大判と、“年賀状用”とかいって撮ってくれた通常サイズが数枚ほど。映り具合をさっそくチェック。

 一枚、二枚……“年賀状用”というには、少々みこりんの表情がどれもこれも固いのが気になった。妙に顔面がひきつってるような気がする。ちょっと前まで、みこりんは写真に撮られるのがじつにうまかったのだが、ここ最近はシャッターを切ったあとで“いい顔”になることが多い。その悪い癖が如実に出てしまっているようである。
 たぶんヘンに意識してしまうと、タイミングを逸してしまうんじゃないかと想像している。1歳とか2歳のころは、ただ単に条件反射でポーズとってたのが効を奏していたのだろう。3歳を過ぎ、いろいろ考えることの多くなったみこりんは、リアルタイムな応答速度が得られるほどには至っていないのかもしれない。

 せっかくの“年賀状用”だったが、これならば私が撮ってやった写真の方がまだいいような気がする。来年こそは正月に届くよう早めに準備しようと思っているのだが、肝心の写真選びに時間を食ってしまいそうな予感。写真ではなく、久しぶりに“絵”で勝負という気もなくはないけど、面倒なのできっとやらないと思う。


2000.11.30(Thr)

“夢”というもの

 ふっと目を開けると、すでに目覚ましの時刻をとうに過ぎていることに気がついた。どうも最近寝起きがよくない気がする。あんまり太陽を浴びてないからなぁ…
 私が目覚めたのと同時に、みこりんも起動したもよう。その速度は惚れ惚れするほど高速だ。そしてくるっとこちらに向き直ると、突然“海で遊んでいた”のだと報告を始めてくれたのだった。

 掛け布団を少し持ち上げてやると、みこりんがそのまま潜り込んでくる。さらに報告は続いた。
 たぶん夢を見ていたのだろう。ベースとなっているのは登場人物などから、どうやら去年の夏のことのように思われた。でも、ところどころ“海”での出来事と、“川”でのことが、ごっちゃになっていたりもする。そういう夢だったのか、あるいは夢とリアルな記憶が混ざっているのかはわからない。たぶんみこりんにも区別などついていないように思われた。というか“夢”っていうのを、みこりんはまだわかっていないかもしれない。

 “夢”という現象を、どうやってみこりんに説明すればいいだろう。いくつか方法は考えているのだが、いつもみこりんが“夢”を報告してくれるのが平日で、しかも時間ぎりぎりな事が多いため、果たせずにいる。みこりんが自力で“夢”の謎に迫ってしまう前に、なんとかせねば。

中国の二足歩行ロボット

 2000年も残すところあとわずかとなった今日この頃、めでたくも中国で人型二足歩行ロボット“Pioneer”が発表された…(元記事はこれ

 身長1.4m、体重20kg、簡単な言語能力を持ち、歩行速度は毎秒2歩。
 ニューラルネットワーク、生体眼球システムなど搭載…
 らしいのだが、そんなことよりもなによりも、その“お姿”だ。そのデザインセンスにはもうある種の“突き抜け感”すら憶える。最初こそ勤務中にも関わらず悶絶死するかと思うほどの笑い衝動にかられたが(ロボットの調査をやっててたまたま発見したので)、じっくり見れば見るほどこいつは“怖い”。こんなロボットがあり得るとしたら、それはもう怪奇映画の中がもっとも相応しいのではあるまいか。蜘蛛のようなひょろ長い手足で、かくかく揺れながら重量感まったくなく“さかさかさかさか”と滑るように近付いてきたら、みこりんなら間違いなく泣く。いや、ちびるであろう。

 動いてるのをニュースで見た人の報告によれば、やっぱりというか案の定というか、かなり眉唾モノらしい。いくら東方の島国が素晴らしい二足歩行ロボットを次々に発表したからって、その対抗馬が“彼”ってのではあまりに面白すぎる。どんどんやりたまえ。次はそうだな、T5に倣って巨大ロボを作ってほしいなぁ。


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