2002.9.1(Sun)

防災訓練

 防災訓練ということで、Licとみこりんは朝も早くから出掛けている。午前7時10分に集合というおよそ我が家では想像もつかない“早朝”のことだったのだが、Licは無事に目覚めたようである。みこりんは防災訓練がたぶんどんなものかわかっていないので、好奇心が勝ったのだろう。私は昨夜の夜更かしがたたって、爆睡中。ようやく起動できたのは、午前10時を回ってからのことだった。

 風が強い。音だけ聞いていると、木枯らしのように寒々しくなってくるが、日射しは異様に強かった。やがてLicから電話がかかった。出動要請である。防災訓練会場は最寄りの小学校で、大人の足でも徒歩30分はかかる。みこりんだともっとかかる。行きはよいよい、帰りは怖い。みこりんを引き取りにクルマを出した。訓練は家に帰り着くまでがそうらしいので、Licは引き続き炎天下歩くこととなった。

 みこりんの持ち帰ってきたリュックには、カンパンが詰め込まれていた。市が保有する備蓄物資の大放出があったのだろう。賞味期限が迫っているものばかりだ。これを消費し尽くすのはかなり困難なような気もするが、なんとかうまい調理法を探し出して食わねばなるまい。
 ところで今回の防災訓練は、ヘリまで出動しての大規模なものだったという。救急車両に消防車両も総動員したのだという。それゆえ、みこりんのテンションも極限まで高まっていたにちがいない。救出訓練の間中、みこりんはずぅっとしゃべりっぱなしだったということである。


2002.9.2(Mon)

識別番号とは

 名前があるのに何故番号をつけるのか、ということの意味が案外一般の人たちには理解がないというか知られていないのかも、と思うようになってきた。たしかにデータベースの仕組みだとか設計などというものは、仕事でやってる人以外には縁遠いものだろうし。

 それゆえに住基ネットの反対理由で、「番号をつけられるから」というのが「セキュリティに不安」と同程度あったりするのだろう。「番号をつけられるから」反対という人達が、現在の地方自治体レベルで管理されている既存の住民基本台帳にだってやっぱり固有の番号(地方自治体レベルで固有の番号)が住民一人一人に割り当てられているのだと知ったら、いったいどんな顔するのか見てみたいような気もする。電算化されている以上、個人を確実に識別するには番号に相当するものが必要なので(もしかすると本籍地と氏名、それに続柄といった複数の情報で個人の識別をしているシステムもあるのかもしれんが、通常はわざわざそんなシステムにするとは思えない)、「番号がつくのがイヤ」だと住基ネットの番号を突き返したところで、何を今更と思うのである。そもそも「番号がつけられるのがイヤ」なら、免許証から健康保険証から年金手帳から銀行のカードから通帳からなにからあらゆる番号のついたものを返上するのが“筋”でしょうに。

 さらに奇怪なのは国に一元管理されたら、いずれ名寄せが行われてあらゆる情報が筒抜けになってしまうと言ってる人たちの理屈だ。それぞれのデータベースには現在でもアクセス制限がなされていて、警察の犯罪履歴にアクセスできる人は限られているし、健康保険組合のデータベースにだってアクセスできる人は限られている。住基ネットからそれらデータベースにアクセス可能となったとしても、資格のない人間になんでもかんでも公開されてしまうなんてことにはなりえない。もしも公開されるようなことになったとしたら、それは住基ネットがあってもなくてもアクセス権が与えられることと等価なので、住基ネットの反対理由としては見当違いじゃなかろうか。
 それよりも不可思議なのは国による管理はダメで、地方自治体(現行の住民基本台帳制度)になら管理されてもいいという理屈である。もしかして国は悪で地方自治体は正義の味方なのか?ナンセンス。実際、住民基本台帳を覗き見してた職員の事例はひとしきり新聞紙面をにぎわしたではないか。

 そんなことよりも、セキュリティについてのみを論点にすべし。しかしながらセキュリティの甘さを詰めてゆくと、住基ネットだけでなく現行の住民基本台帳やら通帳やらクレジットカードやらあらゆるものについてのセキュリティを検証すべきことに気がつくはずなのだが、なぜか反対するのは住基ネットだけという矛盾。ようは政府のやることに反対したいだけなのだろうが、あいかわらず大部分のマスコミは偏向したままあっち方面にいったきりだし、それに乗せられる人は後をたたずでもうぐちゃぐちゃ。不毛すぎる。


2002.9.3(Tue)

増えた“にぃにぃ”

 手のひらサイズの仔猫、すなわち“にぃにぃ”が、我が家周辺に出没をはじめて数日が経過した。今夜は家の塀のところに、ちょこんとうずくまっていたのだという。思わずみこりんが「さわってもいい?」と口にしてしまうくらいの愛らしさであったらしい。にゃんちくんに触るのさへ、まだ一人ではできないみこりんをしてそう思わせるほどに、にぃにぃはちっこくて可愛いのだった。

 1匹だけでもころころしているというのに、今宵の観察では、なんとにぃにぃは2匹いることが判明している。(ころころ×2)どころの騒ぎではない。私が目撃した2匹のにぃにぃは、どれも同じ雉虎模様で耳が異様にでっかく、幼い足取りで転がるように駆けていった。あぁもうそのままの大きさでずっといてほしい…と、何度思ったことだろう。

 しかし、そんなうわっついた心をぐいっと現実に引き戻す場面に遭遇する。そう、あったのだ。ブツが。生物ならば出して当然のブツが、玄関脇の花壇にぽっこりと、残されていた。ブツの大きさからいって、にぃにぃのものであることはほぼ確実。いくらにぃにぃが可愛くても、ウン○はぜんぜん可愛くない。

 闘いの予兆だった。


2002.9.4(Wed)

かかしの変遷

 重そうに頭を垂れた金色の稲穂の図には、昔から“かかし”がアクセントとして描かれることが多かったのではなかろうか。そこに登場するかかしといえば、オズの魔法使いに出てくるような、藁の詰まった古びた布きれでこしらえらやつというイメージが強い。顔の部分には“へのへのもへじ”なんかが書いてあって、いかにものどかな田園風景を彷彿とさせる。

 ところがいつの頃からか、藁のかかしは、生首…、いやマネキンヘッドに代わったらしい。田んぼのそばを車で走ると、延々とリアルな首が立ち並んでいて、かなり不気味な眺めになってしまった。マネキンの肌色の鮮やかさが、いかにも人造物っぽくてミスマッチに拍車をかけている。かといって蝋人形ほどにリアルだったりしても、かえって怖いかもしれないが。

 やがて子供らの描く風景画には、マネキンヘッドのかかしが普通に登場するようになるのだろうか。いや、もうすでにそうなっているのかしれん。物心ついたときからマネキンヘッドならば、別に違和感もあるまいし。でも本当のところ、マネキンヘッドのかかしの効果は、いかほどのものなのだろうか。いくら人間に似せてあるとはいっても、動かないものにはいずれ鳥は慣れてしまうに違いない。……ということは、やがて風力か何かでカクカクと腕やら足やら首やらを動かしはじめるからくりかかしが登場するのも時間の問題か。ついでに目玉を剥いたり、かぱっと真っ赤な口を開いたりする芸があれば見ていて楽しい…、かもしれない。踊ってくれればなお最高。


2002.9.5(Thr)

つかみどり

 みこりんの遠足の日には、私の弁当も豪華になるのでちょっとうれしい。本日の行き先は川だったらしい。キャンプ場なども併設されているような場所で、川魚のつかみ取り&バーベキューという、かなりうらやましい内容である。
 つかみ取った川魚をさばく人間が必要と言うことで、Licもボランティアとして参加していたという。魚の数は園児一人あたり約1匹の、総数100匹。さばき隊の人数は約3名。単純計算で一人あたり約33匹の川魚をさばかなくてはいけないことになる。けっこう忙しそう。でも一人手練れのスーパー主婦の人がいたとかで、ずいぶん助かったのだという。それにしても魚100匹分の内臓はかなりのものになりそうだが、どうやって処理したんだろう。団子にして食べた…のかな?

 日頃水槽の魚達で慣れているかと思ったみこりんだが、結局、魚を生きたまま掴むことはできなかったらしい。魚に触るのは平気だったのでは?と不思議に思ったので聞いてみると、「じつはみこりん、さかなさわるのにがてなんだな」とか言うので、驚く。釣った魚には平気で触っていたのに…。もっともっともっと魚釣りに連れて行ってやらねばならないようだ。


2002.9.6(Fri)

恐竜に逢いに

 寝る前のひととき、リビングにみこりんのお昼寝用布団を敷いて、そこでころころとしていた時のこと。TVでちょうど恐竜のドキュメンタリーをやっていたので、二人して見入ってしまった。羽毛というよりも体毛の生えた恐竜が当たり前に登場する時代になったのだなぁと、しみじみ思うことしきり。私がまだみこりんサイズだった頃の図鑑には、ゴジラ体型なティラノザウルスやら、水中に没した巨大草食竜といった具合だったが、すっかり恐竜のイメージも一新してしまったようだ。おまけにこのリアルなCG。俊敏な動作で動き回る恐竜たちを見ていると、まるでホンモノであるかのような錯覚すら感じてしまいそうになる。

 その時、みこりんが言った。「かせきほってたら、なかからきょうりゅうでてきてみこりんたべられる?」画面ではちょうど発掘作業が行われているところだった。その映像と、さっきまでのCGで再現された恐竜の映像とがリンクしてしまったのだろうか。みこりんは今でも恐竜がどこかで生きていると、本気で思っているのかもしれない。みこりんに生映像と昨今のリアルなCGとの区別がつくとも思えないので、それも無理からぬことかもしれないが。
 ためしに「庭に恐竜連れてきてもいい?」と聞いてみたところ、「だめー!」と即答されてしまった。画面では、ティラノザウルスが獲物に襲いかかるシーンが流れている。たしかにこりゃコワイ。

 恐竜博、行ってみようかどうしようか、いまだ迷い中なのであった。みこりんに実物の化石標本を見せてやるのも悪くない。体長30メートル超のセイスモサウルスの復元標本は、きっとド迫力に違いあるまい。あぁしかし、千葉は、遠い…


2002.9.7(Sat)

揺れる“歯”

 毎晩のブラッシングが功を奏しているのか、みこりんには生まれてこの方“虫歯”が発生したことがない。定期的な歯医者でのチェックと、フッ素塗布もおおいに役立っているのだろう。
 ところが今夜もみこりんが一人で磨いた後、Licが仕上げ磨きに取りかかろうとしたときのことだった。「はがいたい」とみこりんが前歯の1つを指差したではないか。しかも「ぐらぐらする」らしい。試しにLicが触ってみると、「おぉぉぉ!」たしかに根元からぐらぐらと1ミリくらい動いている、ような感じがする。こ、こりゃぁ大変だ。

 なぜに歯がぐらついているのか。思い当たることが1つだけあった。ちょっとまえに、みこりんと二人で煎餅を囓ったのだ。瓦煎餅ほどではないが、前歯だけでは太刀打ちできないほどに硬質なヤツだった。もしやみこりんは煎餅で歯をやってしまったのかもしれん。私でもうっかり噛めば歯が折れるかと思うような煎餅なのだから、みこりんのちっこい乳歯ではダメージもさらに大きかろう。うかつだった。煎餅ごときでこれまでの努力が水疱に帰したとあっては、悔やんでも悔やみきれない。

 折れている雰囲気はなさそうだったけれど、わずかにぐらついているのは事実なので根元がどうにかなっているのは間違いあるまい。もしこれが原因で抜けてしまったりしたら、どうなってしまうのか。永久歯が生えてくるのはまだ当分先のことだろうし(あと1年くらいか)、それまで歯抜け状態になってしまったりして。あぁぁ、なんてこった。
 とにかく歯医者に連れて行かねば。


2002.9.8(Sun)

はじめての屋外

 ラジコンを初めて外で走らせてみることになった。いったん外に出せば、もう家の中では使えないよと、みこりんには念を押したのだが、どうしても屋外走行を体験してみたいらしい。ならばいこう。広大な大地へ。

 みこりんにとっての屋外とは、家の前の歩道のことだった。クルマと送信機のスイッチを入れ、おずおずとトリガを引き絞るみこりん。じつに慎重だ。モーターが、ぶぶぶぶぶぶぶぶと唸っている。
 あてどなく、そろ〜、そろ〜と動かしているみこりんのために、私はコースを設定してやることにした。コースといっても、パイロンがわりの空き缶を歩道に立てるだけという簡単なものだったが、これで目標が定まった。みこりんは明確な意志を持って、突進する。そう、空き缶目がけて。

 がちゃ

 と、空き缶は倒れた。
 「これにぶつけたらかちね」みこりんは、にこやかに言った。

 私の意図とはちょっと違う展開になったが、まぁこういうのもよかろうと思い、交互に操縦しては「がちゃ」「どかっ」と空き缶やら追加で持ってきたミニ植木鉢などにぶつけはじめた。いや、正確に言うならば狙ったわけではなく、私はパイロンを避けようと思っているのに、なぜかサイレンの女神に誘われるがごとく、ラジコンはパイロン目がけて進んでいってしまうのだった。奇怪な。

 …私もラジコンの練習したほうが良さそうだ。いやその前に、専用のラジコン買った方がいいかもしれん。Licも欲しがっていたし、3台揃えて競争する日も近い、かもしれない。

秋野菜達

 「おでんがたべたい」というみこりんが選んでくれたのは、その名も『おでん大根』の種。昨日ホームセンターで、チューリップ等の球根と共に買ってきた、秋野菜の種だ。
 さっそくおでん大根の種は、みこりんと一緒に菜園1号に播くことにした。秋の1日は春の10日と言うように、この季節、播き時を逃すのは致命的だ。今日を逃しては完全に手遅れになってしまう。

 発芽しなかったニンジンの種も改めてまき直し、残りの野菜の種はプラグトレイを使うことにした。白菜、レタスにホウレンソウ、それにレッドキャベツとネギだ。みこりんも上手にお手伝いできるようになっていた。爪楊枝を使って、小さな種を1つ1つ土にめり込ませてくれている。レタスは浅く、白菜はちょっと深めに。そんな違いまでも、みこりんは余裕でこなすようになっていた。もう5歳だものな、としみじみ思う。

 午後、例によって市民農園へと向かう。昨日降った雨の影響は、まだしっかりと残っていた。あいかわらず水はけが悪い。このままでは西瓜がダメになりそうな予感がしたので、3つとも収穫することにした。大きさはハンドボールサイズからみこりんの頭くらいのまで様々だったが、完成形にはまだまだぜんぜん足りない。でも、ツルが枯れ込み始めているのでたぶん中身は熟れているにちがいなかった。

 夜、夕食後、さっそく西瓜を食べてみることにした。とりあえず一番小さいヤツから。包丁を、さくっと立てると、ぴしっという激しい音とともに、亀裂はあっというまに広がった。包丁を動かすまでもなく、西瓜は真っ二つとなったのである。おそるべき内圧。ほんとうに熟れているのだろうか。いまいち西瓜の匂いがしないのが気になるが…

 皆で一斉にかぶりつく。………、それほど甘くはない。だが、とてつもなくまずくもない。じつに微妙な味加減だった。一番小さな西瓜だったので、こんなものなのかもしれない。残り2つ。明日から西瓜三昧である。


2002.9.9(Mon)

久々の発熱

 朝、なんだかみこりんが熱いのに気がついた。体温計でぴぴっとやったら、やはり微熱がある。こうした子供の病気の場合、一日ですんなりおさまることはじつに希で、たいてい数日を要してしまう。つまり私かLicのいずれかが、看病のため仕事を連続で休まねばならないのだった。
 ところで今朝調子が悪いのはみこりんだけではなかった。私もなんだか体が重い。全身に蓄積する倦怠感、そして軽い頭痛…。今日の仕事のスケジュールを思い出してみても、特に重要なものはなさそうな予感がしたので、私が今日一日みこりんの看病をすることにした(ところがじつは1つ重要なイベントがあったのだが、そのことを思い出したのは日付をまたいだころのことであった…)。

 Licを仕事場まで送っていったあと、みこりんをかかりつけの小児科へと運び込む。予約して臨んだのだが、あいかわらず忙しそうで、約40分待ち。この辺りはまだまだ子供の数は多いのかもしれない。
 みこりんの喉を見た先生が「真っ赤だ」とおっしゃる。やはり風邪なのか。体温記録シートと薬をもらい、病院を後に。帰宅したころ、ちょうど正午のチャイムが団地に鳴り響くのだった。

 昼食を作っていると、みこりんが眠りながらもがいているのに気がついた。額に触れてみると、「あつっ!」。体温計は39度付近を示していた。本格的にきてしまったらしい。苦しそうなので坐薬を使った。いつもは坐薬を嫌がるみこりんが、今回は抵抗しない。よほどしんどいのだろう。

 ひたすら眠るみこりん。ところが今日は歯医者にも予約を入れてある。例のぐらぐらする前歯を診て貰わねばならないからだ。こちらも手遅れになってからでは遅い。
 はたしてみこりんを動かすことは可能だろうか。約束の時間が迫る。熱はだいぶ下がっているようだが、「みこりん」と名を呼んでみても、一向に目覚める気配がない。熟睡だ。起こすのは忍びなかったが、歯のことはもっと気になるので、眠ったままのみこりんを抱えてクルマに乗せた。

 歯医者はクルマで約6分のところにある。その中間付近にみこりんが通う保育園があり、あとはひらすら田園風景。みこりんは途中で目覚めていた。無言で窓の外を眺めている。なぜにここにいるのかが把握できていないのかもしれない。
 歯のレントゲン写真を撮ってもらったところ、なんと乳歯の根元には、すでに永久歯の先端が接しつつあるのがわかった。みこりんの歯茎の奥では、オトナの歯が出番を今か今かと待ちかまえていたのだ。
 下の歯の方から先に永久歯に抜け替わるらしく、「ほらこんな具合に」と下の前歯をゆすってみてくれる先生。そ、そうだったのか。この時期、子供の歯が少々動くのは普通のことだったんだな。で、先生の見解によれば、根元が不安定になりつつあったところに硬いものを噛んだので、根元付近が“打ち身”のようになったのではないか、とのことだった。骨にも異常はなく、特に心配はいらないらしい。

 それにしても永久歯がすでに明確なカタチを伴って準備されていることに、私はかなり衝撃を受けていた。頭では“永久歯”への生え替わりを知っていても、実際に映像でその状況を見たのは初めてだったので、骨の奥から“歯”が発芽してくるという事実に、久しぶりの知識の興奮を覚えたのだ。みこりんのちょうど鼻のあたりに今、永久歯が埋まっていることになる。ちょっとコワイような気もするが、みこりんの成長を喜びたい。

 夜、みこりんの熱は再び39度を越えた。しかし今度はみこりん本人が坐薬を拒否したので、様子をみることにした。40度を越えるような熱でなければ、無理に下げることもない。
 そして真夜中。すやすやと眠るみこりんの熱は、平常に戻っていたのだった。みこりんの免疫機構は、外敵の侵入を阻止することに成功したようだ。しかしまだまだ油断はできない。この状態を維持できるかが問題だ。…やがて私も眠りに落ちる。朝方の不調は、もはや体内のどこにも残ってはいないようだった。


2002.9.10(Tue)

打ち上げ

 H-IIAロケット3号機の打ち上げを、NASDAのサイトで見守っている。会社からの社外Webサイトのアクセスは監視下にあるので、ストリーミング映像を確認することはできない。それがじつにもどかしい。

 午後5時20分。リフトオフ。その後の情報更新がしばらく途絶える。はたして成功したのか。じりじりと時間だけが過ぎてゆく。

 各ニュースサイトで“打ち上げ成功”の文字が登場するようになった。ちょっとしたミスでも“成功”とは言わないマスコミのことなので、おそらく文句なしに打ち上げは成功したのに違いあるまい。

 夜、ようやくニュースで打ち上げの映像を見る。あぁこれを肉眼で見ることができたなら…。

 祝!H-IIAロケット3号機打ち上げ成功。

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 宇宙関係の情報ならば、『宇宙作家クラブ ニュース掲示板』も要チェック。


2002.9.11(Wed)

検査前

 午後9時を迎えたのは、みこりんと一緒にゆでだこ状態になっていた頃のことだった。ついにきた。この時が。
 これから明日朝、検査を終えるまで絶食、絶飲。水さへも飲んではいけない。果たして耐えることができるのか。

 勤務先では定期的に健康診断を実施しているのだが、ある年齢に達するとその検査内容のバリエーションがぐぐっと広がる。私の場合がちょうど今年からだった。つまり、明日、初めての“胃”検診があるのだ。

 何も食べてはいけない、何も飲んではいけない、となると、かえって無性に喉が乾くし腹も減る…ような気がする。おまけに私はバリウムがかなり苦手だ。まだ私が高校生だったころ、生まれて初めての胃検診を受けることになったのだが、あの時は結局バリウムをまったく飲めず、検査にならなかった。その当時の記憶が、今、立ちこめる暗雲のように意識のほとんどを覆い尽くそうとしていた。

 バリウム飲まなくても、胃カメラ飲まなくても、体の悪いところが一瞬(かつ無痛)で検出できるようなマシンの研究してくれるなら、税金今より3000円アップしてもいい。そんな便利なものができるのは、たぶんみこりんの世代よりも後のことなんだろうけれど。


2002.9.12(Thr)

検査当日

 朝の8時台に出社するなど何ヶ月ぶりのことだろう。気分は比較的落ち着いている。空腹感も思ったほどにはない。なんとなく今日は大丈夫そうな予感がする。バリウムでも何でも飲みこなせそうな、ずぶとい神経が1本、体の芯に入ったかのようだ。
 検査会場は社内のとある広場。そこにバスが2台留まっていて、それぞれが検査車になっているらしい。入り口を覆ったカーテンをまくり、中へと入る。L字型の椅子があって、先客が2名ほど待っていた。私も端っこに座る。小刻みな振動が全身へと伝わってくる。そう、このバスはエンジンをかけたままだった。たぶん検査機器に電力を供給せねばならないためだろうが、じつは私はバスにも弱い。だめだ、酔ってしまいそう…。振動が空腹の胃を刺激して、なんとなくヤバイ雰囲気になりそうな予感。待ち時間が異様に長く感じられる。

 しかし限界点を越える前に、ようやく自分の順番が巡ってきた。手渡された発泡剤をぐぐっと飲み干し、続けざまにバリウムを流し込む。たぶん一気にいかなければダメだ。途中でつかえたら二度と口をつける気にはならないはず。それにしてもこのいかにも化学物質が入ってますというようなプラスティック容器は何だ。いくら飲みやすくしたところで、こんながさつな入れ物じゃ飲む気も失せる。せめて使い捨てのプラコップに移し替えればいいのに。ぶつぶつぶつぶつ。と極力バリウムの味のことについて考えないようにしつつ、ぐいぐいと飲んだ。が、なかなか減らない。200ccよりも多かったかもしれない。とても一息では無理だった。思わず口を離した時、容器の底には1cmほどバリウムが残った状態。
 発泡剤で膨れあがる胃の中で、重たいバリウムがずきずきと痛みを伴って荒れ狂う。だめだ、もうこれ以上は飲めない。3度ほど口をつけたが、結局、すべてを飲み干すには至らなかった。

 それでも検査はできるらしい。マシンの中に収まって、ぐるんぐるん指示通りに体の向きを変えてゆく。なんだか頭がぼぅっとしてきた。変な汗まで出てきたような気がする。だんだん耳も遠くなり、スピーカーからの指示が聞こえにくくなってきた。「左に回転」と言われて、左ってどっちだったっけ?と迷う始末だ。

 検査は終わった。とにかく無事に終了した。私は勝ったのだ(まだ検査結果出てないけど)。口の中が、なんだかざらざらしたが、手渡された緩下剤を飲み干すときに、その違和感も消えた。

 検査が終わったことに、よほど私は安堵していたのか、やるべきことをすっかり忘れていた。その事に気付いたのは、夜、帰宅してからのことだった。
 出ないのだ。バリウムが。緩下剤を飲んだあと、まったくもよおさなかったかといえば嘘になるのだが、それはさざ波程度の軽いもので、すぐに沈静化してしまった。おまけにちょうどその時トイレが満室で、入れなかったのも災いした。

 遅ればせながら、再度、緩下剤を飲んだが、やはり効果なし。冷たい水をがぶがぶと飲み、乾燥プルーンを食べ、一生懸命がんばったが、出てこない。ぴくりとも動いていない雰囲気が、なんだかコワイ。まさか腸の中でバリウムが固まってしまったのでは…。“今日中に出ないと大変なことになる”そんな言葉をLicがWebから探し出してきていた。出ないとどんな大変なことになるのだ。やはりかっちかちに固まってしまって、腹を切らねば出てこないとか?…ま、まさか。たしか検査のあとにもらった注意書きにも“2〜3日しても出ないときには医者に行け”と書いてあったな。おぉぉ……。

 ぽんぽんの腹を抱えたまま、時間切れとなり、眠りにつくのであった。


2002.9.13(Fri)

検査後

 いつになく早い目覚め。しばし「ぼーーーー」としていると、「む!」それは突然にやってきた。素早くトイレに駆け込み………。よかった。“大変なこと”は起きなかった。一日遅れても全然大丈夫だった。こうしてバリウムは、体外へと排出されていったのだった。


2002.9.14(Sat)

この花なぁに

 木イチゴの絡んだラティスの下に、他の雑草とは一風変わった葉っぱを持つものが生えつつあるのに気付いたのは、まだ初夏の頃のことだった。もちろんそんなところに種を播いた記憶はなかったし、誰かが苗を植えたわけでもなく、正体は不明のままだった。端正な唇のように美しいカタチをした葉と、茎の赤さ加減に、きっと珍しい花が咲くに違いあるまいと期待しつつ、生長を見守ってきた。…あれから季節は巡り、秋を迎えて今、ようやくその正体がわかったような気がする。

 いつのまにか花が咲いていた。連なった小さな白い花には、野趣溢れる素朴な魅力がある。でも、庭植えにするには少々質素すぎた。しかしそんなことよりも私が注目したのは、花の付き方だった。まるで葡萄の房のように、連なっているのだ。
 そう、葡萄の房のように。葡萄……、このキーワードで記憶は一気に蘇ったのだった。

 あれは去年のことだ。季節は秋。今よりも、もっと深い秋の頃。みこりんと散歩に行き、山際の道々で木の実を摘んで帰ってきた。その中に、この実があったのだ。ヤマブドウのように赤紫色した房の実を、みこりんはたいそう気に入り、からっからに干涸らびるまで自分の部屋に置いていたものである。そのあと、私はそれらを束ねてこの場所へとやってきて、剪定バサミで細かく切って土に帰した…、はずだった。
 種はしぶとく生き残っていたらしい。

 ところでみこりんは、この花が何なのかまだ思い出せていないようである。私とLicが気付いているとわかると、よけい知りたがったが、すぐに教えてしまっては面白くない。そこで、みこりんと一緒にどんな実がなるのか観察することにした。すでにみこりんには、テーブルの上に置いたコルチカムの球根からどんな花が咲くのかを調査する任務を与えていたが、観察対象にバリエーションがあった方が飽きも来ないだろう。
 さて、みこりん、いつ気が付くかな。私はみこりんのリアクションを観察しようと思うのだった。


2002.9.15(Sun)

公園にて

 みこりんと虫取に行く約束をしていたのだが、みこりんのタモ網をクルマのトランクに積んだままであることに、家を出る直前になって気が付いてしまった。クルマはLicが使っていて、今はない。おまけに捕虫網は保育園だ。顔を見合わせるみこりんと私。さぁどうする。最悪、私の釣り道具のタモ網を使うしかないかと思っていたところ、みこりんの口から思いがけず「じゃあ、“こうえん”でいい」とのお言葉が。いやに物わかりがよすぎて、ちょっと怖い。罠か?

 夕暮れ一歩手前の公園では、数人の子供らが遊んでいるだけで、どこか閑散としていた。みこりんはお決まりの鉄棒、棒登り、滑り台、そして自転車と、嬉々としてこなしはじめる。私は傍らの石造りのベンチに座り、みこりんを眺めていた。
 と、そこへ、どこからやってきたのか、突然10人ほどの子供らが登場。あっというまに遊具は埋まってしまった。皆、みこりんサイズ。しかも金髪ありプラチナプロンドあり、茶色ありの、多彩な髪色。新しく登場した子供らは、みんな異国出身だったのだ。その中の二人に、みこりんは見覚えがあったらしい。去年まで、一緒の保育園にいた子なのだという。そういわれてみれば、そんなような気もしてきた。とすると、彼(彼女)らはカナダ人か。

 いったい何家族分の子供が遊びに来ているのだろう…、なんて思っていたところに、“とっとっとっとっ”と犬がやって来たではないか。薄汚れた毛並み、時折みせる不審な挙動…、どう見ても野良である。人間を警戒している様子はびしびしと伝わってくるのだが、それでも人間から離れがたい部分もあるようで、気に入った人のところには自主的に寄っていったりしている。どうやら捨て犬らしい。
 「あ」と思った時には、目が合っていた。犬は、顔をやや傾けて私を見つめている。その目になんとなく“笑み”が浮かんだような気がした。
 犬は、“とっとっとっと”と寄ってきた。撫でて欲しいらしい。よしよしと、頭と首に触れてやる。ふむ、温かい。そばにいたみこりんは、意外にもあまり犬を怖がっていないように思えた。他の子供らが犬を触りまくっているからかもしれないが、それでも自分から進んで手を触れようとはしないあたり、内心ではちょっとドキドキしていたのかもしれない。でも、野良にはあまり触らない方がいいんだが…。
 もしもこの犬が、体長50cm以下の愛くるしい形態をしていたならば、ひょっとしたらアイフルのCMのように、私の視線も釘付けになっていたかもしれない。が、幸い、犬の図体は大きかった。我が家に犬がやってくる日は、まだまだ訪れそうにない。


2002.9.16(Mon)

潜む危険

 そろそろ秋の花でも買ってこようと、みこりんと二人、園芸店を訪れてみた。いつものホームセンターではなく、園芸専門店だ。さすがに品揃えは豊富である。
 みこりんが私に何円の花を買えばよいのかと聞いてきた。自分でも選んでみたいらしい。そこで「50円」と指示したところ、1つ1つ値札を確かめては「ちがう」「これもちがう」と奮闘してくれている。その間に、私はコスモスを中心に4種類ほどの花苗をカゴに収めていた。
 結局、みこりんにはいまひとつピンとくるものがなかったらしい。私の選んだ4種だけで、会計を済ませ、家路へと。空模様が、なんだか妖しい。いまにもポツリとやってきそうだ。

 買ってきた花を、鉢に1つ植え、続いて残りを花壇に植えるために、枯れ枝を整理して剪定バサミでじょきじょきやっていたときのこと。ざく、と音がしたような気がした。「え?」と視線を落とす。親指だ。しかも右手の。ハサミの根元側で指の先付近をえぐってしまっていた。じんと重い感触があり、みるみる血が盛り上がってくる。おぉぉ、こいつはいかん。
 泥だらけの手を、ざざっと水で洗い、消毒薬で消毒消毒。幸い、肉片はまだ指にくっついたままだったので、そのまま元に戻し、上から塗り薬で覆っておく。うまくすればくっつくだろう。仕上げにカットバンを巻いてみたのだが、傷は思ったよりも深く、もっとしっかりと固定しなければすぐに“ぱっくり”と開いてしまいそう。結局、Licに包帯をぐるぐる巻きにしてもらい、かなりきつく固定した。指の太さが2倍くらいになってちょっと不便だが、こうでもしておかなければ力仕事もままならなかった。

 痛みはぜんぜんたいしたことはなかったが、包帯を巻いたことで、手を水にさらすことができなくなり、えらく困った。土いじりにしろ、動物の世話にしろ、手を洗う必要が日々の生活の中では結構ある。思わぬところで、怪我の不便さを味わってしまったのであった。そして思う。剪定バサミを使うときには、ちゃんと滑り止め付きの軍手をしよう、と。


2002.9.17(Tue)

豹変

 これまで頑として拉致にしろ不審船にしろ、「やってない」と言い張っていた彼国が、こうもあっさりと「やってました、ごめんなさい」とは…。なんだか子供の言い訳を聞いてるようだが、ようするにそういうことなんだろう。我が侭放題やってきて、収拾がつかなくなったので、開き直ったか。
 ボスが自白してしまったとあっては、社民党も共産党も朝鮮総連その他諸々も、「拉致などあり得ない」とは、よもや言い続けられまい。

 あるいは朝日やらTBS/毎日やらの彼国に近しいマスコミの反応にも、何か変化は現れるだろうか。彼国の犯罪行為の責任を、日本政府に転嫁しかねないので油断禁物だ。たしかに救出に及び腰だった国家の責任は重いが、それを放置した我々の責任もまた重い。そのマスコミが正義の味方面して棚の上からしたり顔で批判を始めたりするのは、虫唾が走る。

 ところで、鈴木、田中、辻元といった彼国寄りの議員が失脚していった頃から、今日の筋書きは、じつはすでに出来上がっていたのかもしれない。彼国との関係に変化が起きそうだという予想は、実際、Webを漁れば当時、少なからず見掛けたものだ。たぶん変革はまだまだ序の口なのだろう。次のステージは、彼国の民衆自らによる蜂起、を期待したい。まだ当分無理かなと思いつつも、案外偶像が崩れ落ちるのはあっという間かもしれない。


2002.9.18(Wed)

“怖い”もの

 みこりんには怖いものがある。もちろん幼児らしくお化けの類とか、奇怪で素早い動きにも弱いみこりんだったが、最近発覚した怖いものは、少々私の意表を突いていた。
 それは……、

 “おんぶしているオンブバッタ”

 である。

 オンブバッタが単独でいる場合には平気なみこりんだったが、ひとたび彼と彼女がライドオンした時、状況は一変する。おんぶしたオンブバッタがいるというだけで、その半径1m以内に近寄れなくなってしまうのだった。私の脳裏に、『ブレーメンの音楽隊』のラストシーンが浮かんだことは言うまでもない。

 季節は秋。我が家の庭で一大勢力を築いているオンブバッタ達は、そこかしこで“おんぶ”しまくっている。ただ幸いなことに、彼等の保護色は、みこりんにもかなり有効なのである。気付かなければ、それは“居ない”も一緒。かくしてみこりんの平和は、まだそれほど脅かされてはいないのだった。
 しかし、オンブバッタには色調の異なるものがいる。緑色をしたやつと、枯葉色をしたやつだ。庭はまだ緑が優勢を占めているため、枯葉色のやつは極端に目立ってしまう。これにはみこりんもさすがに気付いてしまうため、油断できない。

 じつはオンブバッタのあの習性は、敵を驚かせるために編み出されたものだったりして。


2002.9.19(Thr)

夜更かしの元

 数日前からようやく“幻想水滸伝III”にとりかかっている。今回は全2作と違って、複数の主人公の視点からそれぞれシナリオを進めることができるのだが、やはりまんべんなく各主人公ごとの進行状況を合わせておいた方がよさそうなので、そうしているところだ。
 まだ1章のため、このゲーム・シリーズの特徴である108人の仲間集めは始まったばかり。今はただシナリオに従ってイベントが進むことの方が多いが、うっかり夜明けまで続けてしまいそうな魅力を感じる。

 当初、ポリゴンで表現されたキャラと、設定画等で描き込まれたイラスト調の人物図とのギャップに苦しめられたが、いつのまにか慣れてしまっていた。イメージとのギャップは、脳内で自然と補完されるようになったらしい。3Dでビジュアル表現されていても、人間の想像力はそんなことにおかまいなく、独自のビジュアルをリアルタイムに作り上げ、没入感を深めてくれるもののようだ。なんと便利なものだろう。

 秋の夜長、また夜更かしの元を抱え込んでしまった。


2002.9.20(Fri)

音感

 これまでみこりんは、楽譜か、音階を文字で示したものがなければピアノ(我が家にあるのはキーボードだが)を弾いてはくれなかったのだが、今夜は何かが違っていた。「これであってる?」と言いつつみこりんが奏でているのは、たしか“ねずみーらんど”に関係した音楽だったような…。なかなか題名を思い出せない私に、みこりんが「みっきーさん」とヒントをくれた。そうそう、それそれ“ミッキーマウスマーチ”だ。

 もちろん楽譜も何もない状態で、みこりんは弾いている。弾いているとはいっても、1音1音確かめるように、慎重な指使いだ。耳で聞いて覚えた曲を、ピアノで再現しようとしているらしい。これまでのみこりんには見られなかった行動である。
 でも、最初の2小節付近でどうしても先に進めないようで、何度も同じところを繰り返していた。今度は私がヒントを与える番だ。続きを弾いてやると、みこりんは音階を紙に書いて欲しいと言う。いずれ五線譜で書いてやらねばと思いつつ、今回も文字による伝達である。それを見ながら、みこりんは続きを弾き始めた。

 と、そこへLic登場。「今のミッキーマウスマーチ?」と言いつつ、歌の本をぱらぱらとめくっている。そうか、その本には楽譜が載っていたな。どれどれ…、と覗き込んでみる。む、なんか音程が違っているような。みこりんが再現した音階と、楽譜とでは、4音ほど楽譜の方が低い。しかし全然違和感がなかった。私の記憶もかなりいい加減らしい。

 みこりんが絶対音感を会得するのは、いつの日か。


2002.9.21(Sat)

土と戯れる

 Licとみこりんが音楽教室に行っている間、私は市民農園でひたすら土いじり。ナスは、皆、小振りの実ばかりで、小さいうちから裂果してしまうようになった。もうナスも終わりかもしれない。
 キュウリとトマトは、葉っぱの黄変、ひからびつつある茎と、もはやどう見ても新たな収穫は見込めず、撤去することにした。こうして空いた2つの畝は、新たに石灰を播き、耕しておく。プラグトレイでは白菜の苗が20本ほど順調に生長を続けており、いずれこの場所に植え付けることになる。それまでにしっかりと土を整えておく必要があった。

 秋とは思えぬ日射しに灼かれ、汗がとめどなく噴き出してくる。なまった体では、クワをふるうリズムも乱れがちだ。わずか2つの畝を耕し終わるのに、小一時間もかかってしまった。
 そろそろ切り上げないと、音楽教室が終わってしまう。急いで別の畝に追加のホウレンソウの種を播き、大根を間引いて、撤収。農園を後にする。

 *

 自宅に戻ってからは、菜園2号の方でゴボウを収穫することにした。そろそろこの場所も空けねば、秋冬野菜のための場所がない。
 地中40cmまではわりと簡単に掘れた。このあたりは菜園を作ったときに耕してあったので、土もまだ軟らかい。しかし、ゴボウはさらにその先へと大地に深く穴を穿っている。まるで岩に刺さったエクスカリバーのよう。掴んでひっぱってもびくともしない。おそらくゴボウの全長は1m近くはあるのだろう。地中40cm地点でも、太さがほとんど変化していないあたりに、その片鱗がうかがえる。
 だがここより下は、固すぎた。片手持ちのスコップでは、ミリ単位にしか削ることができない。しかも穴の底に腕をつっこんでいるので、姿勢がじつに不安定になってしまう。力をかけようとすれば、今にも穴を崩してしまいそうだった。

 みこりんも軍手を装着し、小さなスコップを手に参戦してくれようとしたのだが、深さ40cmともなれば、みこりんの腕の長さではとうてい届かず、そのまますぽっとはまりこんでしまいそう。あえなくみこりんは応援に回った。
 でも結局ゴボウの全容をすべて明らかにすることは叶わず、40cm地点で折れてしまったのだった。残りの60cmは、このまま大地の栄養となってしまうのだろう。かなりもったいないような気もするが、この場所ではどうにもならない。
 やはりゴボウ専用の縦長プランタを自作すべきか。板きれを組み合わせて縦1mくらいのを作れば、すぽっと全体を掘り出すことは可能かもしれない。そんなに長いのが一気に抜けたら、さぞや痛快だろう…。
 来年の課題が、また1つできてしまった。


2002.9.22(Sun)

ゴーヤの怪

 我が家の庭ではゴーヤが2本育っている。いずれも庭の堆肥置き場で自発的に発芽していたのを、移植したものだ。つまり、食用に買ってきたゴーヤの調理屑の種が、芽吹いたというわけである。このサイクルが確立されれば、ゴーヤの自給自足体制は万全である。

 ところでゴーヤの実は、収穫時期を逸してしまうと黄色くなってしまう。黄色くなった実は、なんだかぶよぶよになり、そしてある日突然……

破裂したゴーヤの実

 こんな風になってしまうのだった。

 エイリアンが中から食い破ってきたかと思うような破裂痕。そして中を覗き込んだみこりんが、思わず「ち?」と口走ってしまうほどに、血糊のように赤い色に染まった種が詰まっている。
 なぜにこんなにも赤いのか。なんだか薄気味が悪いが、この種を来年土に埋めておけば、再びゴーヤが生えてくる。取りこぼさないように確保しておかねばなるまい。

 *

コルチカムの花 ところで、みこりんに観察させておいたコルチカムは、今では立派に花が咲いている。水もなく、土もない状況のため、球根はすっかりしなしなだが、花はじつに美しい。

偽ヤマブドウの実 そしてもう1つ。例の偽ヤマブドウである。花も終わり、全体的に実が膨らみ始めている。この姿を見ても、みこりんはまだこれがなんだか思い出せなかったが、「ほら、去年お散歩に行ったときに採ってきたやつ」という最大級のヒントにより、ようやく「あぁ!あのぶどうみたいなの?」と気付いてくれた。そうそう、それだよみこりん。そうと気付くとみこりんは、早く色づかないかと待ちきれない様子である。またそこら中を紫色に染めて遊んでくれることだろう。


2002.9.23(Mon)

黒い紐

 青空が抜けるように高い。遙か上空をゆったりと漂っていく白い雲とのコントラストは、身震いするほどに美しかった。こんな日は、布団干しには最高だ。そして、バーベキューにもうってつけ。みこりんは一昨日からこんな日が来るのを待っていたのだった。

 新しい炭を焚き火台にくべ、下に敷いた焚き付け用の枯れ枝に着火する。みこりんも手伝いたがったが、軍手の中に何かが入っていたらしく、残念そうに見守る側に回るのだった。
 着火確認。しばしもくもくと白い煙が立ち上っていったが、やがて炭に火がつくと、煙はぴたりと収まり、赤々と静かに燃えはじめた。今回の炭は“かけら”のようなものが多いので、ド派手に炎は上がらないが、じわじわとじっくりとろ火焼きには向いているかもしれない。

 縁台を庭に運び入れ、すべての準備が整った。さて、焼こう。
 肉、貝、キノコにナス、そして庭でこっそり実っていたシシトウなどを順次金網の上で焼いてゆく。とろ火だけあって、肉が焦げない。こういうゆったりしたのも、いいもんだ。乗せてすぐ救い出さないと黒こげになってしまう超スピーディーなのは、せかせかした真夏にはいいかもしれないが、なにごともゆったりと過ぎてゆく秋には少々似合わない。

 *

 たらふく食ったあと、縁台にごろりと仰向けに寝ころんでみる。目の前を、ちらちらと細かな紐状の黒いモノが無数に這っていた。この症状は、どうやら一生治らないのかもしれない。不便なものよ。


2002.9.24(Tue)

献血

 およそ10年振りぐらいで献血をすることになった。職場で割当があって、今年は私に順番が巡ってきたというわけだ。じつは前回(10年前)が献血初体験で、しかも献血直後から急に寒気がし始め、翌日から数日、熱出して寝込むという、なんだか嫌な思い出があるため、今回も少々気乗りがしなかった。献血=発熱という妙なリンクが、私の意識の中に出来上がってしまっているらしい。
 妙なリンクといえば、小学生の頃、初めて焼き芋をして食べた時にも、その夜から高熱を出して寝込んでしまい、いまだに焼き芋は得意じゃない。初めてのときのシチュエーションというのは、後々に多大な影響を及ぼすものらしい。

 さて、献血時間は午後イチだった。昼休み明けに、指定された場所へと向かう。やがて献血車と、白いテントが見えてきた。じわじわと高まる緊張。
 おまけに受付の場所がよくわからない。6つほど並んだ折り畳みテーブルには、白衣の人たちがそれぞれに付いているのだが、どれもそれっぽくて本物の受け付けがどこなのか、最後まで迷ってしまった。仕方がないので、手近な一人に話しかけてみたところ、どうやらそこが受付らしい。問診票のようなカードをささっと出して、唐突に聞かれた。

 「三日間、お薬は飲んでませんね?」

 ………え?
 飲んどるがな。そういう重要な注意事項はちゃんと招待状に書いておいてくれないと〜。と思いつつも、これで献血しないで済んだということに、ちょびっとばかり「ほっ」としたのも事実である。でも、そんな表情は微塵も見せずに、いかにも残念そうにその場を後にするのであった。
 献血=発熱という妙なリンクを断ち切れる日は、はたして訪れるのだろうか。


2002.9.25(Wed)

夢の中

 真夜中に、突如轟き渡る、みこりんの叫び声。顔面くしゃくしゃにして、寝床から起きあがったみこりんは、何事かを訴えている。が、一体何を言っているのか理解できず。でも、怖い(あるいは悲しい)夢を見たのだろう、という予想はついた。

 「お化け出た?」「お菓子とられた?」「オモチャとられた?」等々、思いつくみこりんにとっての怖い&悲しい状況を1つ1つリストアップして質問してゆくが、なかなかヒットしない。その間も、みこりんは延々と訴えかけるのをやめなかった。よほど怖い(悲しい)出来事だったようだ。

 なかなか落ち着かないみこりんに、もしやどこか痛いのでは…、と思い始めた頃、Licがついに言い当てることに成功した。みこりんは“跳び箱の順番をとばされた事”が悔しかったのだ。
 運動会の練習も兼ねてか、ここのところ跳び箱の練習に余念がないらしい。保育園でも、特にみこりんは熱心に跳び箱に挑戦しているとか先生も言っていたという。4段跳べたと、うれしそうに私に話してくれたこともあった。だから夢の中でも、跳び箱が出てくるのかもしれない。

 言いたいことが伝わって安心したのか、みこりんはやがてぷつっとスイッチが切り替わったように、ころんと横たわり、寝たのであった。


2002.9.26(Thr)

カマキリの食事

 いつものように仕事帰りのお迎えのクルマの中で、みこりんが「かまきりが“が”をたべていた」と教えてくれた。そうか、ついにみこりんもカマキリが獲物を捕食しているところを目撃したのだな、となんだか安心したものだ。

 家に到着し、カマキリがいるという玄関前まで来てみると……、たしかにカマキリが黙々と何かを食べているのが見えた。だが、常夜灯のさびれた灯りに照らされたその光景から、獲物が“蛾”などではないことはすぐにわかった。特徴ある茶色の羽、長い触角、トゲトゲの脚……、“ゴキブリ”に違いあるまい。
 みこりんも、「あ」とか言いながらじぃっと顔を近づけている。己の誤りに気が付いたのだろう。

 あぁそれにしても、ゴキブリを食べるというシチュエーションは、なんだかぞわぞわしてしまう。いや、食べてくれておおいに助かるのだが、なんというかその、ゴキブリに触れたカマキリには、なんだか触りたくないような、うーん。


2002.9.27(Fri)

残った羽、それを食べるのは

 朝、みんなそろって出掛けるのが我が家の常である。がちゃりと玄関ドアを開け、一歩を踏み出すと、昨夜カマキリが食事していたあたりに落ちていたものがあった。

 羽だ。ゴキブリの2枚の羽が、ぽつんと落ちていたのだった。さすがのカマキリも、羽はまずかったらしい。しかしそれ以外はじつにキレイさっぱりと食べたものである。

 *

 そして夜、帰宅した私が再度玄関前で、その羽を見たとき、そこにいたのはダンゴムシだった。ダンゴムシはゴキブリの羽でも食べてしまうらしい。まさに自然は循環しているのだと、妙に感心した夜であった。


2002.9.28(Sat)

記憶を揺さぶる曲

 金曜から土曜日へと移り変わる丑三つ時、布団に寝ころびながらなかなか寝付かれず、ついTVのリモコンを作動させる。
 ぶん、という低い音とともに、足側に位置する14インチのブラウン管が鈍い発光を始めると、若かりし日の藤竜也&草刈正雄コンビのドラマが始まっていた。

 たしか先週も、そのまた先週も、さらにその先週も、こんな光景が繰り返されたような気がする。いつも途中から見始めて、エンディングまできっちり見終わるのが常だった。たぶん今夜もそうなるのだろう。70年代後半か80年代初頭にかけての作品に違いないと思いつつ(リトラクタブルライトのRX-7が印象的)、なぜかそれよりも5年ばかり時代を下った自分の大学時代の記憶とオーバーラップさせながら、懐かしい雰囲気を楽しむのだ。

 そしてエンディング。これがまた記憶の奥底を強烈に揺さぶる曲だった。たしかに自分はこの曲を知っている、けれど、誰のなんていう曲なのか思い出せないもどかしさに、毎週悶々としてしまう。つい、ぐっすり眠り込んでいるLicを揺さぶり起こして、「これ聴いたことある?」と問いかけずにはいられないほどに。そこまで気になるならビデオにでも録画してテロップを確認すればいいのにと、心のどこかで思いつつも、布団の誘惑に勝てず起きあがることが出来ないのだった。

 “うかれとぶ まちに むーんらいと…”

 あぁ思い出せない。ちょびっと、SHOGUNの『男達のメロディー』を彷彿とさせる雰囲気が、なんともいえず格好良く、気になって仕方がない今日この頃。


2002.9.29(Sun)

家庭菜園な一日

 プラグトレイで日々生長を続けている白菜、レタスにホウレンソウの苗達を、いよいよ広大な大地へと移してやることにする。が、白菜20株のために用意するはずだった場所は、スケジュールが2週遅れで間に合わない。仕方なく、白菜だけはポリポットへの仮植えを間に挟むことになった。あまり移植には強くない、らしいので出来れば2段構えの移植は避けたかったが、こうなっては極力根っこをいじらないように、そぉっとそぉっと…。

 作業の間中、周囲をびょんびょん飛び交うオンブバッタ。中にはトノサマバッタの巨体まで混じっていたりする。そういやキチキチ音をたてるショウリョウバッタを最近見ないな、などと思いつつ、このバッタ天国の庭で、このポット苗たちが無事に過ごせるかどうか、かなり心配。

 ホウレンソウとレタス苗は、予定通り菜園1号へと移植する。直播きの種が2種類とも発芽しなかったことに、少々不安を感じつつの作業となった。おそらくレタスの種はアリさん達に運ばれていってしまったのだろう。土から半ば姿を現すようにして播いていたから、格好の餌となった可能性は高い。ホウレンソウは、もしかすると土壌のpH調整に失敗したのかもしれない。もしもそうなら、こうして苗を植えても、生育不良になるのでは。…賭である。土の準備には最低でも2週間はかかる。やり直しは難しい。

 そして夕方、ニンニクの植え付けがまだだったことを思い出す。6片ニンニクが2個で、12個の球根片に分割しつつ、下仁田ネギの隣に深々と埋めていった。でも、なんだかぎゅうぎゅう詰めだ。幅20cm、長さ50cmほどの場所しか空いてないのに、そこへ12個も並べようというのがそもそも間違っていたのかも知れない。やはり球根は1個で充分だったか。思わず脳内を「1個で充分ですよ、わかってくださいよ」と訴えかけるソバ屋のおやじがよぎっていったことは、言うまでもない。


2002.9.30(Mon)

判明

 あんまり「気になる気になる」と言っていたからか、Licが新聞のTV欄を持ち帰ってきてくれた(我が家では紙媒体の新聞はとっていない)。もちろん金曜日の分が載ったやつだ。ふむふむ、ほぅ!『プロハンター』というのがドラマのタイトルか。ここまでわかれば、もうエンディングなぞ判明したも同然。さくっとサーチエンジンにお伺いをたててみる。

 “ロンリーハート”by クリエーション

 そうか、そうだったのか。そう言われてみれば、記憶のはしっこにそんな名前がひっかかっているようないないような。いやいやしかしこれですきっと気分爽快だ。
 で、このCDって今でも入手可能なんだろうか………
 また調べてみなくては。


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