2000.9.1(Fri)

キーボード

 先代のPCの時もそうだったのだが、やはり私の手にはストロークの深いキーボードは馴染まないようだ。いや、正確にはキーの反発力の強いタイプが、ということになるだろうか。指の打ち込み力よりも、キーの反発力のほうが勝ってしまって、入力した文字が受け付けられないことが頻繁にあり、いちいち修正するのも、思考がその都度中断されるのも、イライラする。時には、思いっきりキーボードを叩き折ってしまいたくなる破壊衝動にさえかられる始末。はやくキーボードを買い換えねば…。

 私が楽器以外の“キーボード”に初めて触れたのが、NECのPC-8001であった。ブラインドタッチを憶えたのも、その頃だ。とにかくPC-8001のキーボードは、私にとってじつに打ちやすい構造をしていたのだと、今でも思う。適度なストローク、軽めのタッチ、メカニカルっぽい触感などなど。もしあのときのキーボードが、今現在使ってるこのキーボードだったならば、今頃私は別の職業に就いていたかも知れない。それほどPC-8001のは打ちやすいものだった。
 そして同じくNEC製のワープロ文豪mini5シリーズに至っても、ストレスなく打てる快感は健在だった。なのにその後発売されたノートPCは酷いもので、おおいに落胆した。結局、サードパーティ製の小型キーボードを買うハメになってしまったほどだ。
 以後、なぜかキーボードには恵まれていない。ちゃんとしたやつを買わなくちゃと思いつつ、仕事以外にはなかなか資金をつぎ込むタイミングを逸してしまって現在に至る。でもそろそろ限界だ。
 買おう、打ちやすいキーボードを。


2000.9.2(Sat)

桃を食らう

 “おそらく食用の桃のようには熟さないはずなので、生で食べるには少々無理がある。”などと書いたばかりの我が家の花桃だが、今日も落下している実を拾っていたところ、たくさんの青い実に混じって、いかにも美味そうな薄桃色したやつが転がってるのを発見してしまった。うっすらと朱も入っていて、サイズは小さいながらも雰囲気は立派な桃の実だ。思わず手に取った瞬間、じわっと指がめり込む感触に、私は確信していた。こいつは食えるはずだ、と。
 さすがに落下していたのを口に入れるには少々勇気がいったので、まだ枝についてるやつでこれと同じくらいに熟しているのは残っていないかと探してみた。青いのばかりと思っていたが、ちらほらと恥ずかしげに白い肌が見え隠れしているのがわかった。その中でも一番柔らかそうなのを選び、もいでみる。触り具合はとても瑞々しい感じだった。洗うのも忘れて、さっそく皮を剥いでいると、みこりんがとことこと寄ってくるのだった。
 すっぽんぽんである。さっきまでホースで水遊びしていたのだ。私の手にあるものが、食い物だと悟ったみこりんは、さっそく「ちょうだい!」攻撃を繰り出してきた。まてまて、まだ美味いかどうかはわからないのだ。まずは父が味見をしてだな……。かぶりついた瞬間、思わず頬がゆるんでしまった。うまかった。まるで普通の桃である。いや、もぎたてな分、おいしさでは引けをとらないかもしれない。私の様子を見ていたみこりんが、きっとおいしかったのだと察知したらしく、さらに激しく手を伸ばしてきた。よしよし、みこりんにも食べさせてあげよう。手で果肉を千切って、その小さな口に入れてやると、みこりんもおいしい顔になった。こいつはいい。花桃の実は、十分生食用になるじゃないか。誰だ?“生で食べるには少々無理がある”なんて言ったヤツは。

 Licも呼んできた。家族そろって桃の樹の下で桃をむさぼり食う図は、そこはかとなくおかしい。みこりん素っ裸のままだし。
 その気になって探すと、熟した実はぞろぞろと見つかった。サイズがちょっと大きい梅の実ほどっていうのが難点だが、味は十分合格点だ。まだ固さの残る実も、キレイなものから順に少しばかり収穫しておいた。常温で保存しておけば、そのうち熟してくるだろう。枝につけたままだと落果の危険がある。
 来年は袋をかけておこう。それにしても、じつにうれしい誤算だった。こうなってくると、なぜ去年までは食べようと思わなかったのが、不思議に思えてくる。桃栗3年というが、この樹は植えてから6年目、そろそろ本領を発揮しはじめたのかもしれない。思い出してみるに、去年はこれほど甘い香りはしてなかったように記憶しているからだ。
 ほうき性なので直立して育ってくれるため場所もそれほど要らず、春には豪勢に咲いてくれるし、晩夏には実まで大量につけて、しかもおいしく食べられる花桃“照手”シリーズ。これはなかなかポイント高いかも。


2000.9.3(Sun)

種を採る

 空が、高い。すさまじく秋めいてる日曜の昼下がり、我が家の初夏の花壇を飾ってくれた“ゴッホのひまわり”を収穫した。
 すっかり干からび、まるでミイラのような花の残骸を切り取り、ウッドデッキに一並べ。たしか5〜6種類はミックスされてたはずだが、もはやどれがどの花のものかは確認のしようがない。まだ元気に咲いていたころ、「あぁこれは花の写真を名札代わりにぶらさげとかないと、種採るときに迷ってしまうな…」と思ったのだが、そのとおりになってしまったようだ。
 一番のお気に入りは、一重と八重の中間くらいで、外側の花びらが燃えるようにダイナミックに波打つタイプ。はたしてどれがそうなのだろう。じっくり花がらを見比べてみること数十秒。どうにかそれっぽいと思われるものを選び出した。まぁ違ってても、すべての種を取っておけば、間違いはあるまい。
 奥深くにびっしりと並んだ種の列。その1つを指でほじくり出してみて、我が目を疑った。すかすかだった。とてもヒマワリの種とは思えない薄っぺらさである。たしか春に種をまいたときには、もっと充実した種だったはずだ。これが正しい姿とは思えない。
 たまたまハズレを引いてしまったのではと、別の列からも抜き出してみたが、やはり同じく“へろへろ”だった。試しに殻をわってみると、がらんどうのよう。こいつは駄目だ。この花には十分な栄養が行き渡らなかったのかもしれない。そこで別の花がらを試してみた。たぶんこれは八重咲きのやつ。ほじくり出してみると、これもひょろひょろな薄っぺらい種しか入っていなかった。イヤな予感が頭をよぎる。

 さっきは左側の群れから花がらを取ってきたが、今度は右側のを試してみよう。こっちのほうがまだ緑色の部分が残っていてエネルギーがありそうな予感。
 予感は当たった。こちらの種は、まだマシだった。中央部分は使えないが、外周付近のものは十分厚みがあって、見慣れたヒマワリの種の姿をしている。“ゴッホのひまわり”は命をつなぐことに成功したようだ。
 お気に入りタイプをこちらからも選び出し、ひたすら種の抜き取り作業にとりかかる。最初、素手でやっていたのだけれど、鋭い棘に何度も指先を差し込まれてしまったので、ピンセットを使った。みこりんも毛抜きを操り、お手伝い。いい指先の運動になってるようす。
 無心で種を採った。保存用の袋が、はち切れんばかりに膨らんできたところで手を止める。ざっと200くらい?これだけあれば十分だろう。できれば全種類を確保したかったが、お気に入りが残っただけでもよしとする。
 来年、無事に芽を出してくれますように。


2000.9.4(Mon)

思わぬ収穫

 けっこう共感できる部分が多かったので、つい読み込んでしまったサイト。

 現代空手道研究会

 最初、私が風呂から上がったときには「子供の教育について」が開かれていて、ははぁLicがみこりんのお稽古ごとについて調べててたどり着いたのだなと思って、つらつらと読んだのが始まりだった。トップページに戻ると、なんと空手のサイトだったので驚いたけれど、その主張するところは空手道に留まらず、逞しくて好感が持てる。

 さてみこりんのお稽古ごとをどうするか、私もそろそろ決断せねば。


2000.9.5(Tue)

重い、最近…

 総務から先月くらいに、こんな通達があった。「昼休みや定時以降の社内LANが異様に重くなっているので、業務に必要のないインターネットへのアクセスは控えるように。」悪質な場合は、アクセスログを上司に提出するとかなんとか。たしかに昼休みに入ったとたん、週末のテレホタイムなど目じゃないくらいに、ぴくりとも動かなくなってしまうことが頻繁にあったなと思い出す。1.5Mbpsで接続されているはずなのだが、いったいどれほどの負荷がかかっているのか。だいたい昼休み入ってすぐなど、みんな社員食堂に直行するんじゃないのか普通(うちの会社の場合)。早く食いに行かないと最後の方は飯が冷え冷えになるし、2種類しか選べない定食がマズイ方だけになってるし、下手すりゃまったく残ってなくて、売店でパンを買わねばならないはめになるっていうのに、どうしてみんなこんな時間にアクセスできるんだ。まさかみんな弁当持参なんてことはあるまい。社員食堂は、味は最悪だが安いのだ。もしかすると、これは社内だけの現象ではなく、日本国内に平均して見られることなのかもしれん。
 ところがここ数日は、昼休みでもないのに異常にインターネットのレスポンスが悪い。昼休みに集中していたものが、分散してまんべんなく広がったような印象さえある。10M超のファイルをダウンロードしようと思ったら半日仕事だ。以前ならば、ものの数分、いや調子が良ければ数十秒で終わっていたというのに。

 明らかに何かがおかしくなっている。
 もしやフィルタリングソフトか何か、余計なものを導入したのかもしれない。しかも汎用品ではなく、わざわざ特注で作らせたようなやつを。社内に導入されるソフトウェアは、ことごとくタコな仕様なのだから(たとえばこのシステムとか)、十分可能性としてはある。すでにメールサーバでは、そういう“よけいなもの”が去年から稼働中だし。どのくらい“余計”かというと、メールの送信先を事前に登録していないと送信できないようなフィルタなのだけど、無数に存在する Webメールの類はフリーパスなのだった。玄関がしっかり二重ロックに指紋チェックまで装備したけど、勝手口がガラ空きっていう、まさに頭隠して尻隠さず(うむ、諺の適用対象がちと違うような気もするな)。つまり悪意を持った誰かが、重要な機密事項を電子化してどこかに大量にメールすることは相変わらず可能なままで、正規のメールアドレスでは宛先をいちいち部長経由で紙の書類を提出しないと使えないという、タコさ加減なのであった。
 なんか…数年後に会社が存続してるかどうかちょっと心配(いや、かなり心配)。


2000.9.6(Wed)

うまそうな桃を見つけたら

 みこりんを保育園に送っていって帰り道、クルマをガレージに入れようと減速したところ、花桃の木の下に桃の実が数個落ちているのを見つけた。毎日のことなので、落果してるのは慣れっこだったのだけど、転がってる桃の実のうち、一番手前のやつはいつもとは違っていた。黒いアスファルトに、まばゆいくらい輝く薄紅色の艶やかな肌。甘い香りが車内にも漂ってきそうだった。思わず「ごくり」と喉が鳴る。美味いに違いあるまい。
 出がけにはまだ落ちていなかったので、今、拾えばまだ食べられるはず。よぉしクルマを入れたら、速攻でゲットじゃ。

 ガレージにクルマを停め、ドアを開ける。
 「あ……」
 うまそうな桃の実は、べったりとアスファルトに食い込んでいたのだった。覆水盆に返らず。うまそうな桃を見つけたら、なにはなくとも即拾うべしという、重要な教訓を今朝、私は得たのである。


2000.9.7(Thr)

ありふれた木

 夏の終わりから初秋にかけて、この季節になるとふいに思い出す果物がある。それは無花果。無花果と書いて“イチジク”と読む。イチジクと聞いて、つい例の腸内洗浄系の薬剤を思い出してしまうのが実に悔しい。たしかに形態は似ているが、何もそのものズバリな名称をつけなくてもいいじゃないか。
 まぁそれはいいとして、無花果の実はうまい。ぐすぐすに熟したヤツなど、とてつもなく甘く、口中がとろけるかと想うほどだ。あのぷちぷちした小さな種も食感が良い。子供の頃、田舎のお祖母ちゃんちに遊びに行くたび、庭で採れたやつを食わせてもらったものだ。
 無花果の木は、当時、当たり前に庭先に生えている木だった。田舎に限らず、うちの実家の近くでも、古い道沿いを歩けば、たいてい無花果の木が大きな葉っぱを広げていた。ところが岐阜のこのあたりでは、無花果の木をほとんど見たことがないのである。意識して思い出そうとしても、まったく記憶に浮かばないところをみると、こちらに来て一度も無花果の木と遭遇していない可能性もある。

 調べてみると、無花果はどうやら寒さに弱いらしいことがわかった。気温10度を下回る環境では、うまく生育できないようだ。なるほどこれでは無理か。このあたりは冬には下手すりゃ氷点下の日もある。…でも、ほんとうにそうなのだろうか。ありふれた、どこにでもある木。そういう記憶は、なかなか消えそうにない。


2000.9.8(Fri)

黒い円

 保育園に行く途中、ちょっとした交差点がある。上に行けばゴルフ場という、田舎にありがちな交通量の少ない交差点だ。もちろん信号機などもない。その交差点のど真ん中に、数日前、ソレが出現した。
 黒い線で描かれた円である。線の幅は約5〜10cm。円の直径は3mから4m。そういうのが数個、ダブるように黒々とあった。

 マックスターンの痕と思われる。マックスターンをご存じだろうか。映画『マッドマックス』でアウトローどもがバイクでたむろしてるシーンに登場した技だ。バイクの前輪をブレーキロックさせ、後輪をホイールスピンさせつつ、前輪を中心に円を描くようにバイクを回転させるのである。映画の名前をとって、その後、この技は“マックスターン”と呼ばれるようになった(と記憶している)。
 交差点の真ん中は、マックスターンする場所では、もちろんない。こういう手合いにバイクを持たせちゃいかん。走る凶器、いや狂気はバイク乗りにとっても大迷惑だ。


2000.9.9(Sat)

今日の園芸

 晴れ間を狙い、庭で植物観察などしていると、ついに私は遭遇してしまったのだった。本物の“白ズッキーニ”の実に。
 これまで、花のカタチになる白ズッキーニの実は、どれもこれも直径5cmくらいで収穫しないと、あとはへなへなに腐ってゆくのみだったのに、なんとこいつはそれを耐え抜き、ついに直径10cmにまで育っていたのだった。直径にして倍、異様な迫力がある。
 このサイズだと、種もしっかり詰まっていそうだ。カボチャの種と同じくらいのものが入ってるはずなので、この大きさが普通なのだと思われる。はたしてこいつを食べることはできるのだろうか。今まで収穫していたのは幼ない実で、とても柔らかかったが、こいつは少し手強そうだ。味も変わっているに違いない。でも、ざざっと調べたところ、これほど大きくなっているのは他には見あたらない。1つは種採り用に確保しておかねばならないので、次が大きくなるのを気長に待つしかないか。
 雌花を人工授粉させたのは、思い出してみても3度しかない。その結果なのかどうか、ラベルも付けてなかったので確かめる術もないが、このサイズにまで育ったのが1つきりということは、なかなか授粉も容易には成功しないということなのだろうか。来年は、こういうデカイ実がぞろぞろできるようにしたいものだ。

でかいズッキーニの実

今朝見つけた大きな白ズッキーニの実

これまで食べてたサイズはこれ

これまで食べてたのはこんなサイズ

 さて、午後は保育園から戻ってきたみこりんと一緒に、ホーム玉葱の球根を植えた。春に収穫したやつは苗を育てたが、今回は球根だ。ビー玉サイズやらピンポン玉サイズの可愛いヤツ。これがすくすくと育って大玉になるらしい。20個ほど入って350円なので、スーパーで完成品を買ってくるよりは、これでも安上がりなのだった。苗だと、さらに単価は下がるのだけど。ちなみに春に収穫した玉葱は、まだガレージに在庫がぶら下がっている。一夏は自家製で過ごせたわけだ。さすがに、今回植えたやつが育つまでは持ちそうにないが…。でも、うまくすれば玉葱は完全自給が可能な野菜の筆頭になるだろう。

 そうこうするうち、風がどんどん強くなってきた。台風が登場するのだという。ならば花桃を収穫しよう。すべて。風で落果してしまうまえに。もったいない思いを二度と味あわないために。採ろう。桃を。
 手の届かない高いところは、脚立を動員して収穫した。でも、庭側はそれでもOKだったが、問題は道路側である。上り坂のため、普通の脚立では太刀打ちできない。手を伸ばしたその先に、美味そうに熟した美白の柔肌。いくら手を伸ばしても届かぬ現実。もはや諦めるしかないのか…。ぎりぎりと奥歯を噛みしめたその時、ふいにひらめいたのであった。みこりんを使おう、と。
 みこりんを抱き上げ、高い高いしてやった。私の両手の先より、さらに高い位置に、みこりんの紅葉のような手が届く。みこりんも心得ていて、私の望んだ通りの仕事をこなしてくれた。熟れた桃は、ついに手中に収まったのである。
 このように収穫した中には熟したやつもあれば、まだまだ未成熟な青い果実も多数混じっている。でも落果するよりはましというので、もいでみた。そのうちの青い果実はLicが果実酒に漬け込んでくれた。果実酒の本には桃のお酒の作り方は載ってなかったらしく、比較的似ているプラム酒を参考にしたようだ。果たして花桃の未熟果で作ったお酒は、どんな味わいになるのだろう。結果がわかるのはクリスマスごろ。まだまだ先は長い。

 *

 真夜中、ふと思い立って“きんぴらごぼう”の調理にとりかかった。今日は菜園2号からゴボウを1本収穫していたのだ。葉っぱがすっかり萎れてしまっていて、地中の様子がとても心配になってきたので、試しに1本掘ってみたというわけである。幸い、食用になりそうな部分は長さにして二握りほどできていた。まぁ初めてにしては食用に供せるものができただけ良しとせねば。
 ところで私は“きんぴらごぼう”を作るのは、今夜が始めてだった。Licの料理本からレシピを探し当て、なんとかそれっぽい材料を揃えて炒め始めたまではよかったのだが……。
 みりん、酒、醤油を加えたあたりから、いやなムードが漂い始める。液体を煮詰めるごとに、まるで綿菓子が生成されるがごとく黒いカラメル状の物体が、あとからあとから湧いてくる!い、いけない、このままでは真っ黒焦げだ。そう思ったときには、遅かった。鍋の中は、色彩が消え失せていたのである。
 “きんぴらごぼう”は、まるで消し炭のように黒々と、焦げ臭い鼻につく匂いを発して皿に盛られている。なんとか食えないか箸でつまんで寸前まで口に持っていくのだが、どうにもそこから先に進めない。まるっきり不味そうなのだ。どう見ても、どう匂いを嗅いでも美味しそうではなかった。
 大失敗だ。これほどまでに完璧に失敗したことなど、ここ二十年ほどなかったような気がする。“きんぴらごぼう”侮り難し。


2000.9.10(Sun)

雨のお散歩

 日曜日にしては早起きだったので、“今日やっておかねばならないこと”は、午前中のうちにほぼ終わっていた。いいペースで時間が使えたことに満足し、午後は何をして過ごそうかと思いを馳せていた時のこと。みこりんが「おさんぽしよう」と誘ってきた。ベビーカーを自力で運び出し、準備万端のようである。なるほど散歩か。いいかもしれない。団地の麓の川で、先日行われていた草刈りの結果を見てくるもの悪くないな。
 ところが外に出てみて、雲行きが怪しいのが気になった。いまにも降りそうな気配濃厚。重そうな鉛色の雲が、西の方から低く広がりつつある。とりあえず傘を二人分持っていくことにした。ベビーカーには日除けも付いているので、少なくともみこりんがずぶ濡れになることはないだろう。

 へんに静まり返った団地の様子が、いっそう雨を予感させる。でもみこりんは、ご機嫌なようす。窮屈そうなベビーカーも平気らしい。
 ところが、あと少しで団地から出られるという時、ついに“ぱらぱら”ときてしまった。川まであと200〜300m。ここで引き返すには、もったいない距離である。さらに進むことにした。
 20歩いったところで、どしゃぶりになった。傘を開く。ベビーカーに乗ったみこりんも、自分用の小さな傘を開いている。傘の2段重ね状態だ。

 あと100mで川。しかし、空からは滝壺の中心に入ったかのような落水が、さらに激しさを増しつつあった。これ以上進むのは私はともかくみこりんには耐えられまい。いくら傘をさしてはいても、すさまじい水圧で傘を直立させるだけでも一苦労だ。川を目前にして、我々は引き返すことを決意した。
 雨の音以外聞こえない状況で、時々、くぐもった唸り声が響いてくるのは雷鳴なのだろう。雷が接近してくるまえに、帰らねば。団地の急な上り坂を急ぐ。行きはよいよい帰りはこわい…。ついそんなフレーズが頭に響いた。

 さっきから頭のてっぺんやら、首筋やらに水滴が落ちてくる。なぜだ?と傘を見上げてみると、思いっきり浸水していた。真新しい傘なのに……。それだけ雨の勢いがすごいということなのだろう。みこりんは大丈夫だろうか。みこりんの傘が、さきほどから右にかくんと傾いたままなのが気になるが…。ベビーカーの前に回り込んでみると、みこりんの目は“あっちの世界”に行きつ戻りつしている真っ最中。雨音が子守歌になってしまったのかもしれない。

 ずぶ濡れになりながらも、ようやく家に到着。Licがクルマで捜索に出てくれていたのだが、あいにく我々は裏道を帰ってきていたので発見されなかったらしい。
 家についた途端、雨は小降りになっていた。空の気まぐれ。でも、ありがちなタイミングのような気も、少し。

 みこりんを寝かし付けるために布団に転がっていたら、いつのまにかうとうとしていたようだ。起きなきゃ…。そう思ったとき、体が動かなくなっているのに気が付いた。
 金縛りなど、何年ぶりだろう。面白いくらいに、ぴくりとも体を動かすことができなかった。それなのに視界はやけに薄明るい。常夜灯どころか、蛍光灯を明々とつけているかのよう。これもまた、私の金縛りの特徴だった。

 最近、寝不足気味だったからなぁ……。金縛りの原因究明にも飽きたころ、意識がぼやけてきたのを感じた。幻覚なのか夢なのか、どうもはっきりと覚えていないのだが、とにかく私はある情景を“見て”いた。たぶんここは大学構内。しかも私の母校のはずだ。
 女の子が一人、たたずんでいた。その顔に、特に心当たりはない。でも、夢の中では何度か会ったことのあるような…。犬が傍らにいた。白い犬だ。女の子の犬らしい。そして私は彼女と何か話をしたような気がする。何を言ったのかは覚えていない。ただ、この直後に目覚めたようで、金縛りも同時に解けていた。常夜灯のほの暗い、いつもの寝室。みこりんの向こうで寝入っていたLicが、起きあがった気配。
 そしてLicは私に話しかけてきた。Licも“犬をつれた女の子”を夢に見ていたというのだ。混乱する私。同じ夢なのだろうか。白い犬。女の子。秋のキャンパス。落ち葉。ひび割れたメッセージボード……

 はっと気が付いた時、Licは眠っていた。みこりんも平和な寝息を静かにたてて微動だにせず。なんだか頭がぼぅっとする。ヘンな時間に寝入ったからだ。まだ時計の針は、夜の10時に入ったあたりを示している。ゆっくりと私は起きあがった。

 夢の中の夢。たぶんそうだったのだろう。小さい頃から、“秋”という季節には、不思議な夢を見ることが多い。


2000.9.11(Mon)

嵐の予感

 定時を回った頃、社内放送で大雨で電車が止まったことを知った。台風の時にはよくあることだが、今回台風はまだまだ南の彼方。珍しいこともあるもんだと思っていたら、続いて帰宅するようにとの連絡が。でも、こんな土砂降りの中、Licに運転してきてもらう方がよっぽど危ない。予定通り7時までやっていくとしよう。他の人たちも、同様に仕事に戻る。電車が止まってしまえば、帰りたくても帰れない人の方が多い。しばらく様子を見て雨がおさまるのを待つのは、悪い選択ではない。

 さらに一時間後。とつぜん辺りが真っ暗闇になってしまった。停電したのだ。非常灯まで消えていた。ノートPCのバッテリーがあるうちに続きを保存しておかねばと、マウスに触れてスクリーンセーバーを解除したとたん、液晶画面はふっつりと暗転。お亡くなりになってしまった。バッテリーが相当弱っていたらしい。それにしても早すぎやしないか。保存もできなかったじゃないか。
 停電は、10分ほど続いた。静かだ。静かすぎる。ここにいたって、ようやく帰り支度を始める人がぱらぱらと出始めた。停電で気を削がれてしまったのだろう。私もそうだ。でも、消えてしまった1時間分のソースコードは、記憶が鮮明なうちに打ち直しておかねばならない。やはり予定通り、今日は7時上がりとしよう。
 停電が復旧してからは、打って打って打ちまくった。激しく。鬼神のごとく。折れよ指先、壊れよキィボード!ひたすら記憶をトレースして、停電前の状態に戻してゆく。
 打ち直すついでに2、3のバグなども修正し終わった頃、ちょうど午後7時となった。では帰ろうか。幸い、雨もいつのまにか小康状態。やはり様子を見ていて正解だった。いつぞやの台風の時には、暴風雨のまっただ中、会社を強制退社させられ酷い目にあってしまったが、今回は私の勝ちだ。

 帰り道、トンネルを抜けたあたりで土砂崩れを発見。この雨、ハンパじゃないかもしれん。


2000.9.12(Tue)

雨雨雨

 昨夜はわりと早くに寝たので、この東海地方で雨がどれほどの猛威を奮っていたのか、知らずにいた。いつものように起き出してきた後、ニュースをつけてみて驚いた。「川が氾濫している。」
 台風の直撃でも、これほどの水害は記憶にない。イヤな予感がしつつも、ちょっと早めに家を出た。昨日、土砂崩れのあった方面は通行止めになってしまっていた。田舎道ゆえ、迂回路は非常に限定される。びっしりと並んだクルマの列は、まるでお盆休みの高速道路なみの渋滞だった。刻々と迫る出勤時間。フレックスとはいえ、コアタイムを越えてはいけない。しかしどうみてもこれは間に合いそうになかった。

 焦って先を急ぐのはよくないだろう。ここはすっぱり午後出勤ということで。
 それにしてもこれだけ雨雲を搾り取ったら、あと数ヶ月は雨が一滴も落ちなかったりは……。どうなってしまうことやら。


2000.9.13(Wed)

とある学会

 幸い、空の様子は復活の気配。傘の心配もしなくて済みそうだ。これで心おきなく出張に行けるというもの。
 今日は某学会の学術講演会がある。比較的近場のため前泊なし。その代わり、早起きを余儀なくされる。
 すべてローカル線を使って約2時間半、あとは会場となる某大学まで直行のバスに乗り込めばいい。最初の講演が始まるまで、あと数分。ぎりぎり間に合わないかもしれない。

 思えば“大学”の敷地内に入るのは、十数年ぶりだ。これまで参加してきた講演会やらセミナーやらは、どちらかといえばソフトウェアがらみが多くて、あまり大学を中心とした活動にはなっていなかったから。今回は、ソフトウェアがあまり表に出ない学会への初参加となる。
 だだっ広いキャンパス内に、学生の姿はほとんどなかった。授業中とはいっても、あまりに閑散としすぎているような…。いやいや、専門課程ばかりならばこんなものかな、などと思いつつ目的の建物まで看板に沿って進み、目当ての講演が行われている教室の前までたどり着く。時間は8分ほど過ぎていたが、思い切ってドアを開けた。鉄のドアは、思いも寄らぬけたたましい軋みを発し、ぎくりとする。脱走防止のトラップかと思ってしまうほどに、激しい音だった。これ以上ないくらいに丁寧にドアを閉め、さささっと着席したあとは、すぱっと頭を切り換え“勉強モード”に入る。それにしても冷房がきつい。冷蔵庫の中にいるみたいだ。

 お昼。Licの作ってくれたお弁当を広げる場所を求めて、キャンパス内をぶらついてみた。昼時とあって、学生の姿も朝よりは多く見かけるようになっていたが、それでも構内が異様に広いからか、人口密度は極端に少ないように思う。母校の古びた狭い学内と、つい比較してしまうのだった。でも、とある壁際にずらっと並んだサークルの連絡ボードの殴り書きなんかを発見し、どこでも一緒なのだなぁと、妙に安心してしまうところもあり。

 午後、講演会のあとは討論会。こちらのほうが生々しい話が聞けて面白かった。一人の先生が「これからはソフトウェアが重要になってくる」と話されていたが、寄って立つ場所が違えばソフトウェアに対する距離感もこれほど違ってくるのだなぁと、少し感慨深い思いで聞いてしまった。たしかに講演会の各発表の中身も、ソフトウェアの世界では一般的な手法になってることを、もしかすると知らないのではないだろうかと思われる箇所が散見された。これは我々の課題でもある。内に閉じこもりすぎてやしないか、との彼らの反省は、どこの学会にも当てはまることなのかもしれない。

 *

 帰り道。みこりんのために何かお土産でも買っていこうかと思ったら、軒並み売店は閉まってしまってた。ローカル線だからなぁ。。。


2000.9.14(Thr)

ずっと見る

 世界最大のB2B地球画像サイト 地表の画像計12テラバイト提供

 なぜか連想してしまったこと。地表面の特定ポイントを定期的に(できればリアルタイムが望ましい)観測できればよいなぁ。もちろん特定ポイントとは、UMAが出現しやすい場所である。もっとも、別に宇宙から見てなくても気球とか飛行船とか、そういうのでもいいのだけれど。
 気球/飛行船というのなら、すでに誰かがやってそうな気もするな…。できれば年単位で観測したいところ。でもそんなデータがあったとして、今度はそれを漏らさずチェックするのが大変そう…。あんまり意味ないかもしれん。


2000.9.15(Fri)

お散歩

 朝から心地よい秋空だった。みこりんが玄関から私を呼んでいる。お散歩に行きたいらしい。しかもベビーカーではなく、自ら“徒歩”を所望していた。よい心がけである。前回、途中で土砂降りに会ってしまって“川”に到達できなかったリベンジといこう。水筒だけもって、いざ出発。
 みこりんの手を引いて団地の下り坂を、ひたすら歩く。この道をみこりんと歩くのは、これが初めてかもしれない。いつもベビーカーだったから、並んで歩くというのはとても新鮮に思える。みこりんの足には、真新しい黄色いスニーカー。運動会が近いので、Licが買ってやったものだ。なるほど、これで歩きたくて“徒歩”なのだろう。

 公民館を過ぎ、いよいよ川へと迫っていく。雨は、どこからもやってきそうにはない。今日は、我々の勝ちだ。みこりんが脇を流れる用水路が見たいというので、抱っこしてやった。茶色の苔がびっしりと生えている。あまり美しい光景ではなかった。なのにこれが注ぎ込む川は、鮎が遡上するようになった。浄化能力の著しい回復…何故か…。そんなことを思いながら、ふと顔を上げると、唐突に“どんぐり”と目が合ってしまった。覆い被さるようにして枝を茂らせていたのは、ドングリの木だった。枝々に、まだ黄緑色したドングリがくっついている。落ちてる茶色のドングリを拾うのも楽しいが、こうして枝についたままの若いドングリというのも、初秋の雰囲気がほわほわ漂ってるようで、面白い。みこりんにも1つ採ってやったら、帰りにたくさん採るのだと意気込んでいる。よしよし、覚えていたらまたこの下を通ろう。

 川は、先日の大雨で姿を一変させていた。両岸が激しく削れ、川底も真っ平らになっており、上流から流れてきたらしいごつごつした砂利が一面に敷き詰められていた。でも、流れはすっかり元通りのせせらぎに戻っている。水の透明度も、高いように思った。
 河原へと降りる急な斜面は、すっかり草刈りが終わって見晴らしがよくなっていた。今なら、階段がなくとも降りられるだろう。みこりんも察していて、川に入りたくてうずうずしている気配。誘うように水の中から魚が跳ねた。みこりんを抱き、慎重に斜面を降りていった。草の刈り残しが竹槍のごとく土からにょきにょき伸びていて、サンダルで来てしまったことを少しだけ後悔した。滑らないように滑らないように。
 以前ブラックバスらしき魚影を見た場所だった。でも今は、淀みもなく、高速に泳ぐ魚ばかりが目に付いた。長く尻ビレが伸展し、体側の模様も確認できる。オイカワの群れ、でも、カワムツも混じっているようだ。コンクリートの打たれた浅瀬で、“流れ”とは異なる波が立っている。きっと魚がいるに違いない。水面の反射を透かして水中に焦点を合わせると、ずんぐりした体型の魚の群が、一生懸命昇ってきているのがわかった。たぶんフナだろう。背中も露わに、流れに抗っている。フナと対面したのも、ずいぶん久しぶりだ。いよいよこの場所での釣りが楽しみになってきた。
 みこりんは、さきほどから川の中に足を入れたくてしょうがない様子。でも、おにゅぅのスニーカーだというのをみこりんもわかっていて、濡らすか濡らすまいか、葛藤しているらしい。サンダル履いてないので入れない、自分に言い聞かせるように何度も呟いていた。スニーカーを濡らすのは別に構わないのだが、流れが少しみこりんには急なように思ったので、場所を変えることにする。

 100mほど川上へと移動したところ、川の中で遊んでいる小学生達に遭遇した。海パン一丁で、ばしゃばしゃやってる。これを見て、ますますみこりんの川遊び中枢は刺激されたようだ。でも、ここもまだ深すぎる。みこりんが入っても大丈夫な場所を求めて、さらに50m。急に水量が減ってきた。すぐそばに堰があって、そこで流れも水も、大部分が遮られてしまうようだ。みこりんの遊び場としては申し分ない。ここで川に入ろう。
 堰から上には鯉の滝昇りでなければ突破不可能。そのためか魚の姿がまったくない。ずぶずぶとおにゅぅのスニーカーで水の中に入ってゆくみこりんの手を引き、何か生き物はいないかと水底を探ってみたところ…。なにやら細長いモノが漂っているのを発見した。川底が土砂で埋め尽くされていたので発見できたようなものだが、そいつはドジョウだった。普段は、この辺りは泥底のはず。住処を失って途方に暮れているのだろうか。あまり元気そうには見えなかった。みこりんにさっそくドジョウを教えてやり、指でツンツンしてみたところ、急いでいる風もなくのんびりと泳ぎ去っていったのだった。それにして野生のドジョウを見たのも数年ぶりだ。しかも前回は田んぼの小汚い畦で、泥まみれになってるやつだった。こうして清浄な川の中にいることが、なんだか幻のようにも思えてしまう。
 みこりんと共に、川の中を行ったり来たりすること十数分。2匹目のドジョウも発見したが、川底には意外に多くのビンのかけらが落ちているのが分かったので、上がることにした。スニーカーとはいえ、みこりんの足首など地上5cmくらいしかない。油断はできなかった。

 帰り道、田んぼの脇で大きな白い傘を広げたキノコを発見。5〜6本はあったが、食用なのか毒なのか不明なので、観察するだけにしておく。みこりんは何度教えても「きなこ?」というので面白い。
 ドングリの木のことも忘れていなかった。高い高いしてやって3つほど採ったら満足したらしい。これで忘れ物はない。あとは坂を上って帰るだけ。ところがみこりんがここに来て急に足取りが重くなってしまった。聞けば、「おうち、なかなかつかん…」と答える。はっきりと口には出さないが、これは“抱っこ”もしくは“おんぶ”のサイン。たぶん眠いのだろう。抱っこして坂道を上る。明日、もし晴れていたら釣りに来よう。晴れていれば…。


2000.9.17(Sun)

放浪の男子

 待望の晴。でも、昨日あれだけ降ったのだから、川遊びに釣りというわけにもいくまい。でも、みこりんは今日もお散歩を希望した。よろしい、雨上がりの川がどうなってしまうか見せてあげよう。何事も体験するのが吉。
 金曜と同じ具合に坂道を下っていると、公民館を過ぎたあたりで、前方にみこりんサイズの男の子が現れた。キックボードを駆っている。こんな小さな子が団地内とはいえ一人でうろつくなど?と思っていたら、なんと我々を先導するカタチに川までやってきてしまった。男の子の目的地は、さらに向こうにあったようで、私たちが川を見つめている間に見失ってしまった。

 川は、思ったほどには激しくなかった。斜面では、彼岸花が燃えるように咲いていた。一昨日来たときには、まったく気が付かなかったが、あの時もすでに咲いていたのだろう。満開だった。今年も彼岸花巡りしなきゃなぁ、などと思っていたところ、急ブレーキの嫌な音が響いて、顔を上げた。
 急停車したらしいクルマの前を、さきほどの男の子が横切っていた。川沿いの道の向こうにはこの辺りでは唯一のコンビニがあって、男の子はそこに向かっているらしい。この道は、団地内の道路とは違って交通量もそこそこある。でもラッキーなことに、今はそれ以上クルマは走っていなかったので、男の子は無事コンビニへと到着した。コンビニが遊び場になっているのだろうか。男の子はそのままドアの向こうへと消えていってしまった。

 再び川面の観察をみこりんと続けていると、またもやコンビニ方面が騒がしくなってきた。見れば、男の子が手にお菓子の箱を持って出てきたところ。道を横断しようとするのを、ミニバイクのおばさんが慌ててサポートに入っている。どうやら顔見知りの子だったらしい。でも、男の子の方は、我関せずとマイペースに道路を渡り終え、もと来た道を団地方面へ引き返し始めたのだった。気が気でないのはミニバイクのおばさん。片足のサンダルが無いことも引っかかるらしい。家の人に連絡してくるからと男の子に言い残して、去っていった。じっとしているように言われた男の子だったが、言いつけを守っていたのは数分のこと。やがて歩みを再開する。
 私も露骨に手助けしようとは思わなかったが、いちおう危険が迫ればなんとかしようと、そばによっていったところ…みこりんが突然、小さくその子の名前を呼んだのだった。
 「え?」と聞き返す私に、みこりんはなんだかとても恥ずかしそうに、その名を繰り返してくれた。同じクラスのお友達らしい。そう言われてみれば、その名前には聞き覚えがある。みこりんの話の中に出てくるお友達に一人、そういう子がいたはずだ。なんとなく顔も見たような気がしてくる。
 みこりんは、つかず離れず男の子の後ろを歩いていた。私もみこりんに手を引かれて同行する。お友達ということになれば、なおさら放ってもいけまい。それにしても、なんという行動力。3歳にして、団地の外まで出てしまうとは。おそらく今回が初めてではないだろう。自力で往復できる程度にはなじんでいるようすだし。でも、やっぱり団地の外は危なすぎる。
 やがてこの子の母親と思われる人がクルマで到着した。たしかにその顔には、覚えがあった。みこりんのお友達に間違いなかったようである。ところでみこりん、ずっと男の子には話しかけようとはしなかった。いつになく照れくさそうにしてた。保育園以外で出会ったことが、特別な感情を起こさせるのだろうか。男の子のほうも、なにやらみこりんを見てもじもじしてたけど。
 それよりも気になっていたことが1つ。コンビニから出てきた男の子が片手にお菓子の箱を持ってたけれど、あれは、自分で買ったんだろうか…それとも……。

読書の秋

 思い立って、本棚にしまい込んだままだった『ピニュエルの振り子』を読み始めた。怖いくらいサクサク読める。私はどちらかといえば遅読だ。けして早くはない。Licがいつも、小一時間で文庫を読み終えるのを驚嘆して見てしまうクチである。その私が、なんと2時間ほどで読めてしまった。後戻りせずとも、すぅっと脳裡に状況が再現されるため、さらさらっとページをめくれたのが主たる要因と思われる。
 ラスト付近は、ついTNG(StarTrek The Next Generation)のパイロット放送分を思い出してしまった。生物つながりというだけで、理由は特にないのだけれど。そして、ほっとする読後感。次のシリーズも買おうと思う。

 1冊読んでしまうと、次から次へと読みたくなってしまい、やはり仕舞ったままだった『キマイラ』の13巻〜15巻を引っぱり出してきた。12巻を読んでから数年が経っているので、ストーリーをつなぐのに苦労したが、やがて引き込まれるように物語に没頭する。すさまじい。なんという背景描写だろう。いや、背景というのは不正確か。歴史と言ってよいかもしれない。どの登場人物とってみても、主役をはれそうな濃厚な舞台設定。それを軽く内包してしまう大陸の広大さ。あぁ、続きを早く読みたい。このフラストレーションを抑えるには、未読の神林長平作品がいいかもしれない。この機会に、本棚在庫一掃してしまおう。


2000.9.18(Mon)

美味いモノ

 たまに、甘いモノがどうしても食べたくなってしまう時期がある。この場合、甘いモノとは、和菓子系だ。栗饅頭なぞあれば言うことなしだが、ここいらで手に入る栗饅頭は、栗が丸のまま入っていないのでいけない。栗饅頭といいながら、栗の形状を模しただけで栗がどこにも入っていないのもあり、油断できない。
 そこで、栗饅頭を諦め、栗羊羹を買ってきたのが先週のこと。スティックタイプの1本50円なんかで駄菓子屋に並んでそうな羊羹だった。このミニ羊羹も、なかなか気に入っている。
 秋はやっぱり栗がいいのぅ……と全身で歓びを表現しつつ羊羹をむさぼり食っていると、Licが「味覚がじじぃになってきている」などと言う。だからLicにも羊羹を食べさせてあげた。「おいしい」とLicが言う。栗羊羹は美味いのだ。じじぃでなくとも、美味いのだ。…でも、食い過ぎはよくない。1日、1本。このくらいが、いい。


2000.9.19(Tue)

その名は…

 ヤマハが2001年モデルとして発表した3機種のうち、私の視線を釘付けにしたヤツがいる。その名を、FZS1000“フェーザー”という。“FZ”とついてるうえに、だめ押しの“フェーザー”の名称は、ついにあの YAMAHA FZ250 PHAZER の系統が復活したのかと思わせる。いったいどんなマシンなのか知りたい。見てみたい。本当に“PHAZER”なのか!?
 新車発表の場となったインターモト・ミュンヘン2000の中に、目的のページはあった。これがその新型マシン“FZS1000 FAZER”の勇姿。って、あれ?“FAZER”?……どうやら“フェーザー”とは、“PHAZER”ではなく“FAZER”と綴るらしい。するとこいつは FZ250 PHAZER とは特に関係ないのかもしれない。似たような“名称”を持つ2台のバイク、メーカーでどのような設計思想のもとに生まれてきたのかは知る由もないが、ハーフカウルの装いというのが気になってしょうがない。角張っている分、FZ250 ではなく、SUZUKI GF250 をつい連想してしまった。当時、FZ250とGF250、どちらを買うか、私も少しだけ迷った記憶がある。結局、より流線型っぽい YAMAHA の FZ250 にしたのだけれど。GF250 を連想するとは皮肉なものだ。
 リッターバイクとなれば、もはや資金的に無理なのはわかっているのだけれど、“FAZER”という響きには怖いくらいの吸引力がある。いずれ実物を拝んでみたいものだ。


2000.9.20(Wed)

ペット用クーラー

 近頃、あかねちゃん(ドワーフハムスター“ロボロフスキー種”推定2歳 メス……でも、なんだか股間に○○があるような…)が異様に元気だ。先月、同種のダンが天へと召された時には、あかねちゃんもけっこうグロッキー気味で、ひそかに心配していたのだけれど、この調子ならば大丈夫なように思えてくる。
 やはり気候が影響しているのだろう。ここ最近は、すっかり秋めいてきており、とろけるような気温の上昇はなくなった。逆に朝晩の冷え込みに気を付けないといけないほどだ。冬場の保温はわりと手軽に出来てしまうので、おそらく問題はない。小型の電気毛布などがあれば怖いモノなしだ。それに比べて夏場の冷却装置はどうして大がかりなものばかりしかないのだろう。小型のペット用クーラーとか、あってもよさそうに思うのだが。ケージ1つ程度を涼しくできるくらいの容量の、消費電力50Wくらいのやつ。ペットに限らず、夏場暑がる植物などにも使えるから需要はありそうなのだがなぁ(探し方が悪いだけなのかもしれないけど)。


2000.9.21(Thr)

待ってくれていたモノ

 仕事を終え、いつものように迎えのクルマで我が家へと戻る。みこりんが話してくれる保育園での出来事などに耳を傾けつつ、しばし酷使した瞳を休ませておく。眼精疲労は頭痛に直結するタチなので、用心せねば。
 ところで今夜はガレージに私を待ってるモノがあった。Licが「ぜひ会ってあげて」というので暗闇に目を凝らしてみると……。庭へと続く三段ほどの階段の中程に、なにやら“小さい”物体が鎮座しているのがわかった。ピンポン玉サイズの、丸いもの。最初、石ころかと思ったのだが、違うようだ。自然物ではなく、人工物らしい。Licが勧めるところをみると、これはみこりんが私のために用意してくれたものだろう。以前、みこりんは小石を大事に持ち帰ってくることがあった。みこりんの場合、“小さい”ことと、赤や黒など“色”がちょっと変わってることがポイントになっていたようだが、最近は、小石よりも面白いモノが見つかったらしい。
 階段の上で私を待ってくれていたモノは、みこりんお手製の“土団子”だった。

 どうやって作ってくるのか謎だが、出来上がりはかなり乾燥していて、そこそこ丈夫にできているようだ。保育園から持って帰ってくることが多いので、きっと遊び場のどこかに細工に適した土があるのだろう。数日前にはお友だちが作ってくれたとかいって、土で出来た“うん○”を大事そうに袋詰めにして持って帰ってきていたし。きっとみこりんクラスで流行ってるに違いない。
 まだ我が家に小麦粘土が健在だった1年前、みこりんが得意だったのは“ヘビ”だったが、こうして球体を形作れるまでに手先も器用になったということだろう。小麦粘土は密封を忘れるとすぐにカッチカチになってしまったが(だから今は残ってない)、そろそろ放置しても大丈夫な粘土を与えてやる時期かもしれない。

推論

 家族揃って遅めの夕食をとっていると、みこりんがいきなり「かいつぶりの卵?」と聞いてきた。“かいつぶり”…、なぜに“かいつぶり”なのか。思わず箸が止まる。
 たぶんみこりんの言うカイツブリとは、小形の水鳥の仲間のことだろう(それ以外で“カイツブリ”と称するものがあるかどうかは知らない)。私の想記によれば、以前みこりんに絵本を読んでやったときに“カイツブリ”が一瞬だけ登場したようである
 みこりんが“カイツブリの卵?”と疑問に思っている物体は、大豆だった。“ひじきと大豆の煮物”に入ってたものだ。たしかに卵形といえなくもないが…。それがどうして“カイツブリ”に結びついたのだろう。同じ連想するなら、セキセイインコの“ぴーちゃん”とか、カナヘビ君とか、もっとそれっぽいのがいろいろあるだろうに。みこりんの脳内で、どのようにシナプスの発火が連鎖していったのか、3次元映像で再生してみたいところである。
 疑問は尽きないけれど、カイツブリが卵を産むと知ってるらしいことも意外に重要なポイントかもしれない。

  • カイツブリは鳥の仲間
  • 鳥は卵を産む
  • ゆえに、カイツブリも卵を産む

 教科書に載ってるような典型的な推論パターンを、いつのまにやら習得したみこりんであった。


2000.9.22(Fri)

神棚の中

 真新しいリビングで、初めて迎える夕暮れ。なぜかカーテンのない大きな窓の向こうには、4車線ほどの道路があって、クルマの流れが絶えることなく続いている。それなのに部屋の中は、しんと静まり返って、針の落ちる音でも聞き分けられそうだった。
 みこりんが急に部屋を抜けて廊下へと走り出していった。なだらかな下り勾配のついた廊下は、やがて左へと急に折れ曲がる。その途中に格子戸のついた部屋があって、みこりんはそこで立ち止まっていた。私が近づいてみると、すっとドアが開いた。自動ドアのようだが、メカニカルな駆動音とは無縁なところがひっかかる。ドアが開ききると同時に、部屋の奥で間接照明の弱い灯りが灯った。トイレに違いないと、勝手に思っている私。
 みこりんが再び駆けていったので追いかける。廊下の向こうに、大きな襖のついた部屋が出現。開けてみると、座敷だった。かなり広い。やはりここも襖が開くと同時に、奥のほうで灯りがともった。神棚が置いてあるのが見える。一般家庭にあるようなタイプではなく、神社などに設置する大がかりなものだ。気になったので部屋に足を踏み入れていた。神棚に、何かが立てられているのが見える。文字が判別できるほと近づいたところで、これが死んだ人の名前を記すものであることを思い出していた。
 名前の書かれた紙の様子からみて、つい最近のものだとわかった。日にやけたあともなく、黒々とした墨が生々しい。名前、記憶にない名前。いったい誰が死んだのだろう。名前の脇に、没年と病名なども書いてあるが、それらを読んでも心当たりはなかった。
 いつのまにかみこりんがいなくなっている。私はこの部屋をあとにして、先へと進んだ。まっすぐいったつきあたりに、やはり同じような座敷があるのが見えた。襖が開いていて、その真ん中に“御輿”のようなものが鎮座している。初めての場所にしては、この心の落ち着き具合はどうだ。まるで私はここを以前から知っているかのような…。

 ここで目が覚めていた。おだやかな朝の気配。窓の外から、まばゆい陽光が差込んできている。夢の中では夕暮れだったので、時間感覚にまだズレが生じているようだ。これから仕事だというのがにわかには信じられない。
 それにしても、あの神棚…。なにかしら意味のあることのように思えてならない。おそらく私があの家の夢を見たのは、今朝がはじめてではないはずだった。既視感がある。
 気になる。“死”の描写は、もしかするとその正反対のメッセージを秘めているのかもしれないのだが、いずれにしても大きな変化が起きるのかもしれない。それが何なのか、確かめなければ。


2000.9.23(Sat)

読書の日

 雨の一日。神林長平『ライトジーンの遺産 上・下』をひたすら読む。
 先週は夢枕獏に浸っていたので、違いすぎる文体がはじめのうちは気になっていたのだけれど、第ニ話にさしかかるころにはすっかり神林節にはまってしまっていたのだった。
 読み終えたのは、すっかり明日になった明け方付近。すごい傑作とは思わなかったが、妙にあとを引くお話だった。次はぜひ“MJ”を主人公にしたやつを希望。


2000.9.24(Sun)

来年用の球根など

 明け方の天気予報によれば、今日も荒れ模様らしい。なので安心しきって眠りこけていたら、昨日の雨が嘘のような晴天になっていた。時既に遅し。起き上がったときには、お昼過ぎ。とてもとてももったいないことをしてしまったようだ。
 遅れを取り戻すべく庭の植物観察などをしていたら、来週にはもう10月なのだという当たり前なことに今更ながら思い至ってしまった。まずい、まだ来年用のチューリップの球根買ってない…。
 こういう季節モノは時期を逸したら哀しい思いをすることになるので、迷わず買いに出ることにしたのだった。狙いは今年も“揃い咲き”シリーズ。多数の品種が揃って咲く図は、圧巻である。ぜひとも来年も揃えたい。
 ところが店頭に並んでいたのは“同系色シリーズ”もしくは高価な詰め合せセットばかり。普通種の球根もまるでジャガイモか何かのように箱で売られていたが、目指す“揃い咲き”シリーズは見当たらないのだった。いやな予感がする。これは売り切れてしまったのではあるまいか……。何度も何度も確認したが見落としはない。みこりんは箱の普通種の球根を「これ?」と持ってきてくれるのだが、みこりん用にそれを2〜3個買ってやることも思い至らず、なんとか“揃い咲き”の代りになるようなものはないかと、私は目標変更を決意していた。

 で、結局…

『ピンクフラワーコレクション』 880円 アイリスオーヤマ株式会社

  • チューリップ“クリスマスマーベル”7球
  • チオノドクサ“ピンクジャイアント”8球(これが狙い!)
  • アリウム“ローゼアム”10球

 以上3種の詰め合せを1袋。

 さらに、『バレリーナ ユリ咲きチューリップ』7球398円“ZaboPlant”を買った。

 去年買ったチオノドクサの青はたいへん美麗だったので、今年はぜひともピンク色を揃えようと思っていたのだ。ユリ咲きチューリップは色が鮮やかなオレンジということと、芳香性なところがポイント。欲をいえば、これにレモンイエローと白単色の花を合わせたかったが、揃い咲く可能性は低く、止めておいた。バラバラに咲くチューリップは、春なのにそこはかとなく物悲しいし。開花期の長い水仙あたりで、何か変わったのを買ってみようと思う。
 あとはこの球根を植える場所が、問題……。チューリップ用のテラコッタは、まだトマト“レモンボーイ”とバジルが元気に育ってるし、これを抜くのはなかなか勇気が要る。ここはやはり、球根を別の場所で育てておいて、テラコッタが空いてから移植するしかないか。根っこ折りそうで怖いけど。

オリジナル・リュック

 Licがみこりん用のリュックを縫っている。お弁当を入れるには小さくなってしまったので新調することになったのだが、既製品だと大きすぎて、ちょうどいいのがないということらしい。ところがミシンの調子が絶不調。なかなか進まないようだ。
 ちょっと縫ってはやり直し、というのが先ほどから続いている。たぶんミシンが問題なければ今夜中にも完成したのであろう。だが、いいミシンは高い。慎重な購入計画が必要だ。
 今回のリュックには、自作らしくLicオリジナルのキャラクタが使用されていた。一番目立つ表側には、クマが。側面には……私には同じくクマに見え、みこりんは「ねこさん!」と認識されるところの動物がいた。その正体をLicは“ライオン”というのだが、ちょっとタテガミが大きすぎるような…。ま、まぁいい、ライオンでもネコでもクマでも、みこりんが楽しんでくれればそれでよし。
 水曜日の遠足までには間に合いますように。


2000.9.25(Mon)

夜泣きの怪

 真夜中、遠くからもの悲しい音が聞こえてくる。意識を耳に集中させると、それがチャルメラのメロディーだとわかる。ゆっくりと、象の歩みのごとくゆっくりと、近づいてきているようだった。
 今夜あたり買ってみようか…なんて思ってだんだん大きくなってくるチャルメラの音を聞いていたのだが、重大なことに気が付き、私は階段を急いで、しかし音もなく駆け上っていくのだった。寝室ではいま、みこりんが一人で眠っている。泣くんじゃないだろうか。いいや泣くに決まってる。
 みこりんは“夜泣きラーメン”のチャルメラの音が、とてもとても怖いらしい。家の前を通り過ぎてゆくときにはかなりの音量になるし、いつも夜の10時を過ぎたら“お化け”が外を彷徨いているのだと話して聞かせてやっているので、“チャルメラの音”と“お化け”とがしっかり結びついてしまったのかもしれない。このときのみこりんの泣き声は、どこか押し殺したような哀しげなものが多く、お化けに見つかるまいとする恐れのようなものを感じていた。
 さて、そろぉっと襖を開けると、窓の外からはまさにチャルメラの大音量が流れ込んでいる真っ最中。みこりんが寝ていると思われる辺りからは、まだ泣き声の気配はない。いまのうちに背中ぽんぽんして、安堵させておかねば。一人じゃないとわかれば泣くことはないはずだった。
 横に潜り込んで、うつぶせに寝ているみこりんの背を軽く叩いてやっていると、時々“びくっ”と震えが走るのがわかった。はっきりと起きているのではなさそうだが…、半分意識が戻りつつあるのかもしれない。それほどの音量ということなのだが、夜中の10時を過ぎてからの住宅地内なんだから、ラーメン屋ももっと安眠ってものを考えてほしいものだ。
 今回はサポートに入ったのが早かったためか、みこりんは完全に起きてしまうことはなかった。だが、まだまだ油断はできない。チャルメラは3往復することもあるのだ。夜のチャルメラとの闘いは、来年、春まで続く…。まぁそのころには、みこりんも夜中一人で起きても泣かないようになってるかもしれないけれど。


2000.9.26(Tue)

『月光』

 最近妙に気になる歌がある。今回は題名も何もわからないというのではなく、PVで見て聴いてはまってしまったものなので、悶々とすることもない。その分、ストレートにがつんとはまってしまった感じ。
 その歌とは、鬼束ちひろの『月光』だ。どうやら私はこういう曲調に弱いらしい。そしてイメージをどんどん膨らませていける歌詞。これもいい。
 先頃番組が終了した『TRICK(トリック)』の最終回では、いつものエンディング映像じゃなくて本物の鬼束ちひろが出てきて歌ってたのも、記憶に新しい。PVの顔と、その時の顔が、えらくかけ離れて見えて、不思議だった。病的なぎすぎす感みたいなものが、あった。薄幸そうな憂いのある陰も、なにもかもが歌詞にぴたりとはまってた。PVの顔も捨てがたいのだけど、『TRICK(トリック)』最終回での表情が一番この歌には似合ってると思う。
 いままで『TRICK(トリック)』のエンディングにどうしてこの歌が使われてるんだろうと思っていたけれど、最終回を見て納得。冒頭、夜の婚礼の儀、その背景に流れる『月光』…。真夜中見てて、思わず鳥肌が立つほどだった。他のシーンはともかく、あそこの『月光』の使われ方は最高だ。いいものを見せてもらった。

間に合った

 Licの夜なべは報われた。今夜、みこりん用のリュックが完成した。
 この調子で“お弁当入れ”“水筒ケース”などなど、自作への道をどんどん突き進んで欲しいものである。そのまえにミシンをなんとかしないといけないが…。


2000.9.27(Wed)

ロボットいろいろ

 急な出張で東京ビッグサイトまで。しかも日帰り。電車乗ってる時間のほうが長いという、なんだかもったいないような一日の使い方だった。
 国際新技術フェア2000に特別企画として開催されてる『ロボットテクノフェア』ならびに『エンターテイメントロボットフォーラム2000』が目的だった。ホンダの出展でもあれば、もっと燃えたのだが…。
 出展数も少なく、あまりぱっとしないなぁと思って見ていたのだが、千葉大の例の地雷探知ロボットがいたので、話しなどを聞いてみたり。地雷探知用の地中レーダーが装備されていたことに注目したが、胴体下部のあの位置では合成開口レーダーとしては使えなさそうな気がする(合成開口アルゴリズムを適用するには、正確な位置と探査エリアのかなり密な計測が欠かせないため)。合成開口なしで、ノイズに埋もれた中から直径5cmほどの対人地雷の反射波を探知するのは至難の技じゃなかろうか。
 フォーラムのほうはエンターテイメントロボットに的を絞ったものだったので、いつになく新鮮な気分で聞く事が出来た。学術的な場では、玩具メーカーが登場することは滅多にないことだし。それにしてもソニーは盤石に足元を固めつつある。共通プラットフォームをRoboCupに提供する場として、1つのリーグを主催してしまうのだから。競うのはソフトウェアの優秀性。モノを作ってナンボのロボット関連業界にあって、こういう選択肢が出てきていることは何か変化を予感させるに十分だ。


2000.9.28(Thr)

『Year of Hell− 時空侵略戦争(前編)』

 今日は地上波でスタートレック・ヴォイジャーの放送がある。丑三つ時なのでそうそう毎週見ることもできないのだが、起きていれば見るようにしている。ビデオで録画予約しないのは何故かといえば、CSのSkyPerfecTV!でレギュラー放送をやってるからだった。ただ地上波のほうが先行してるので、ついつい見てしまうという次第。でもCSでは毎週2話放送なので、来週には追い越してしまうだろう。……あ、来週は、というか来月は恒例の“まるごとスタートレック30時間”があるので、レギュラー放送がないのだった。30時間分は、今年前期放送分を一気放送なので話数は変化なし。ということで、まだしばらくは地上波のほうが先に放送されることになる。
 さて、今夜のお話は、第76話『Year of Hell− 時空侵略戦争(前編)』だった。導入部からして“ぞくっ”ときたので、本腰入れて見てやろうとTVの真ん前に椅子をセットし、リクライニングを調整して微妙に見上げる位置に寝そべり、耳にはヘッドフォン装備で没入する。

 シールドを突破してくる敵魚雷。遭遇戦のたびにズタボロになってゆくヴォイジャー。敵魚雷を防ぐ方法を発見するセブン・オブ・ナインが、まるでTNGのデータのように見えてくる。さらなる敵の出現に、脱出を余儀なくされるクルー達。残った上級士官と半壊状態のヴォイジャーは、如何にして危機を乗り越えるだろう。
 こういう悲壮感溢れるお話は、私のツボにえぐり込むように突き刺さる。素晴らしい。次回は来週火曜日深夜に放送日が変更だ。忘れないようにしなければ。


2000.9.29(Fri)

バッタ

 今夜はみこりんと二人で晩ご飯。Licが作っておいてくれた“おでん”をつつき、腹一杯になったところで寝転がると、猛烈な睡魔に襲われてしまった。みこりんは遊び足りないようで、さきほどから何度も私に「あそぼ」と誘いにくるのだが、どうにも起きあがることができず、ついには爆睡……。
 はっと目を覚ますと、30分ほど時間が進んでいた。みこりんは?と探すと、隣の部屋で発見した。おとなしく遊んでいるなぁと思ったら、こっそりカゴの中には大量の綿棒が詰め込まれていたりして油断できない。
 そんなみこりんだが、今日は保育園でバッタを捕まえてきていた。小さなプラケースの中には、つっかえるかと思うほど大きなショウリョウバッタが1匹、そしてオンブバッタが3匹ほど入っている。ついにみこりんも昆虫を飼うという遊びに目覚めてしまったらしい。でも、オーソドックスにバッタから手始めに飼い始めたのは、意外だった。ついこの間までバッタが足にとまったといっては大泣きしていたというのに。だからアリとか、ダンゴムシとか、はいずり系が好きなのだと思っていた。
 さてこのバッタ達、ちゃんと飼うにはもっと大きなプラケースに収容して、箱庭風に草を植えてやるのがいい。でも、いきなりそんな高度な技をみこりんに披露してしまうのも、なんだか手順をすっとばしてるような気もして落ち着かないので、どうしたものかと思案中。まぁとりあえず、この小さなプラケでは観察もままならないので、よく見えるようにということで、大きなプラケに移してやるところから始めよう。そして次はコオロギやらキリギリスやらも仲間に入れて、と。
 “虫を飼う”。親のほうがはまってしまいかねない、楽しい遊びだ。


2000.9.30(Sat)

歯医者

 治療目的で初めてみこりんが歯医者に行った。毎日の歯磨きで少し気になる箇所があったからだが、はたしてみこりんは高速回転ドリルに耐えられるだろうか。日ごろ、歯医者は大好きと豪語するみこりんだが、あの治療機具を体験したことはない。怖がりのみこりんだけに、ちょこっとだけ心配もあり。
 夕方になり、Licに連れられてみこりんが戻ってきた。少しだけ削ったのだという。まだ虫歯というには早すぎる段階で、C1にも達していない状態だったようだ。治療も、わずかに削って痕を埋め、磨いておしまいという簡単なもの。みこりんは全然平気にしていたという。痛みもなく、前歯というのも幸いしたようだ。
 毎日磨いていても防ぎきれない虫歯の脅威。みこりんの歯は、まだまだ未来があるけれど、私の歯は、だましだまし使ってあと数十年…。敏感すぎる口内のため、歯医者を大の苦手とする私にとっては、歯医者大好きなみこりんがうらやましくもある。気軽にがりがり治療できればどれだけラクなことだろう。ひとたび治療ともなれば、全身麻酔で入院などという大事になってしまうのは必至なだけに、この次、歯医者のお世話になる頃には歯はもうズタボロになっていたりして。あぁサメになりたい。虫歯の心配を一生しなくていいサメに…。


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