1999.8.1(Sun)

長良川へGO

長良川にて 夏らしい最高の天気だ。午後1時、長良川へと出発した。
 途中、Licがやはりビーチパラソルが必要ではないかと言うので、近場のホームセンターで買うことにする。なんとこのホームセンターでは、昨日の店では売り切れだった『クラウド』シリーズ(青空に白い雲の描かれたやつ)のパラソルが、“最後の1品、展示品限り”で現物が残っていたのだ。速攻で買いである。同シリーズのベッドチェアも現品限りになってたので、買っていきたかったが現金不足により断念。明日まで残ってることを祈りつつ、店を出た。

 前回のポイントと同じ場所が、今日の目的地だ。川岸の道路には、先客のクルマが5〜6台止めてあった。クルマの窓からも、川辺にちらと若いカップルの水着姿が見えた。
 荷物のほとんどをLicが担ぎ、私はみこにゃんの手をひいて、岸辺へと降りる。川は、水量がやや多い感じ。今週は雨が多かったのでその影響だろう。岸辺では、30人ほどがすでに陣取っていた。少年達が、川で泳いでいる。みこにゃんは、しきりに「ぷーる!」って叫んでた。
 私の子供時代、家の近くにあった川は、製紙工場の廃液でたっぷりと汚れ、泳ぐなんて想像もできなかった。川で泳ぐには、もっと上流の山深い場所じゃないとダメだったのだ。あのときの深い深い碧い川の色は、今でも鮮やかに思い出すことができる。だから私にとって、川で泳ぐとは、イコール上流の渓谷っていうイメージが強い。こんな中流域で泳げるのは、さすが長良川ということだろう。
 川の流れは、どうどうと激しく、みこにゃんはたちまち流されていきそうだった。そこで、大きな石でみこにゃん用プールを作ってやることにした。まるで川で温泉にでも入る感じである。水はかなり冷たい。でも気温が高いので、心地いい。みこにゃんは、ちょっと水の冷たさにびびってたが、オモチャを浮かべてやったら、さっそく遊びはじめた。

 Licが、水中に小魚がたくさんいるのに気づいて、網を取りに戻った。私はその間、釣り竿の準備。私のほうは籠釣りの仕掛けを、Licの竿には、9号の針を。
 戻ってきたLicが、さっそく網で魚をすくい始める。みこにゃんも、当然マネする。二人でちゃぷちゃぷやってが、みこにゃんはLicがすくった魚のほうに興味が移ったらしい。コップで魚と遊び始めた。この魚、春にすくったやつとは、形も色も違う感じ。何の稚魚だろう。
 釣り糸を流れに投入してみたが、川の流れが強すぎて籠釣りの仕掛けは水圧を受けて今にも千切れそうである。渓流釣りのスタイルじゃないと無理っぽい。籠を外し、針だけにして餌をつけて再挑戦したが、人工餌では大きすぎて流れにもまれ、うまくいかない。今日は釣りはダメかなぁと、近くを探検してみたところ、すぐそばの茂みの向こうが、流れも穏やかで、水面から覗いてもたくさんの魚影が見えた。ここならいけそう。さっそく籠を付けなおし、こっちでトライ。ほんの2〜3分で、最初の1匹が針にかかった。金色の細身の魚。
 Licも、9号の針に人工餌をつけて、近くのポイントで釣り糸を垂れている。はたして9号の針にかかるような大物はいるのか!?

 みこにゃんは、Licのすくった小魚に、人工餌を食べさそうとしてる。「ちゅっちゅるー どうぞ!」なんて言いながら。この人工餌、長いヒモ状で、ミミズなんかの代わりに使えるらしい。昔にはなかった餌だ。Licもこの餌を適当な長さに千切って針につけてる。もちろん生き餌も買ってはきているのだが、Licは案の定、一人では付けられなかったらしい。
 釣りのほうは、まさに入れ食い状態だった。餌を籠につめて、針を沈めると、必ず1匹は釣れた。金色系のやつばかりだが、どうやら2種類いそう。

 しばし私は釣りに熱中していた。その間、Licのほうは音沙汰なしだったのだが、やがて「取って、取って」と Lic が戻ってきた。なんと、糸の先に魚がかかってるじゃないか。9号なんて針を飲み込んでるから、外すのに手間取った。釣れたのはカワムツ。体長7cmサイズ。Licの記憶によれば、産まれて初めて釣り上げた魚ということになるらしい。
 子供のころの私は、釣りはかなり下手だった。海釣り、川釣り、池釣り、いろいろ親父に連れられて釣りに出かけたが、釣り上げた記憶というのは、おそらく片手で足りるくらいしかない。たしか初めての獲物は、フナだった。しかも全長20cmクラスの、子供の私にしてみればでかい魚。ものすごい引きで、竿の先端が折れた。Licも、初めての獲物の感触を、堪能しただろうか。

 Licは、1匹釣れたら満足したらしい。みこにゃんも、お昼寝タイムなので、そろそろ撤収することにした。とにかく入れ食い状態なので、これ以上釣っても水槽で飼うには無理がある。
 強烈な真夏の直射は、心地よい疲れをもたらしてくれる。みこにゃんは、帰り道、熟睡モード。この夏、長良川にはあと数回は来るかもしれないな。

鈴鹿8耐

 夜、布団に寝転がってTVをつけてたら、鈴鹿8耐のダイジェストを放送してた。
 ついつい見込んでしまう。

 カワサキの走りが気になる。優勝したなら、社内で大々的に発表があったはずだが、そんなものはなかった。ということは、あまり芳しくなかったのか?
 ラストランが近づく。カワサキ現在3位。ものすごい追い上げである。こういう展開は、無条件に面白い。ついつい、『バリバリ伝説 鈴鹿篇』が脳裏に蘇る。ちなみに、Licは『二人鷹』を思い出したそうだ。

 最後の周回。2位との差は1秒ちょい。チェッカーが振られ、トップはラッキーストライクHONDA。カワサキの追い上げはどうだったろうか。しかし、2位で戻ってきたのは、カストロールHONDA。カワサキは3位。このクラスのライダーになってくると、コンマ何秒が勝敗を分ける。1秒の壁は厚かった。

 それにしても今回、SUZUKI と YAMAHA がいまひとつ影が薄かった気がするな。単に演出のせいかもしれないけど、個人的には YAMAHA を応援してたので、ちょっと残念。
 みこにゃんが、もう少し大きくなったら、生の鈴鹿8耐を一緒に見に行きたいものだ。


1999.8.2(Mon)

はじまりはじまり〜

 布団でころころしていると、みこにゃんが絵本を持ってやってきた。読んで欲しいのかな?と思ってたら、自分で絵本を開き、拍手拍手。「はじまりはじまり〜」と、うれしそうに宣言するみこにゃん。
 そしてなんと、絵本を読むではないか!ちゃんと開いたページの内容を、間違うことなく朗読している。うぉぉぉ!みこにゃん、字が読めるのか!?…と一瞬思ってしまったほどだ。

 みこにゃんは、絵と内容を暗記しているらしい。ぱらぱらと、別のページをめくって、さらに読み上げてくれる。
 そうやって2冊の絵本を自分で読んでしまったみこにゃんであった。恐るべし。食い物に関する記憶力がすごいのは、以前からうすうす気づいていたが、絵本を暗記してしまうとは。

 そういえば、最近みこにゃんは見慣れぬものがあると、必ず「なに これ??」と言う。みこにゃんにとっては、毎日が新鮮な発見と驚きの連続なのだろう。そろそろ図鑑を買ってやってもいいかもしれないな。

ゴキブリ出現

 座敷でみこにゃんと遊んでいたら、カサッとゴキブリが登場した。みこにゃんに教えてやったら、じぃっと見つめてから「むしむし!」と言った。
 さささっと紙袋の下に隠れるゴキブリ。みこにゃんに「むしむし何処行ったか見てきて」とお願いすると、おそるおそる調べに行ってくれた。が、しゅるるるる〜とゴキブリが這い出て来たとたん、大慌てで逃げ帰ってくる。やっぱり動くと怖いらしい。

 「ゴキブリ捕まえないかんね」とみこにゃんに言うと、「いそいでつかまえなかん!」と、さっそうとティッシュを取りに走ってくれた。
 ティッシュを1枚手に持ち、ゴキブリの隠れた付近に再びにじりよっていくみこにゃん。そのあとから、ティッシュ3枚重ねで私が続く。みこにゃんって、結構勇敢かもしれない。

 襖の角に、ゴキブリを追いつめた。いざっ!
 数度の空振りのあと、無事ゴキブリは捕獲。みこにゃんは、自分が捕まえたかったのにという表情で、やや不満そう。今度は、みこにゃんに本当に捕まえてもらおうかな〜。


1999.8.3(Tue)

恐怖の大王

 1999年7の月、あっさりと終わってしまったけれど、あれは太陰暦だから今月こそがヤバイとか、ユリウス歴なので8月15日までは気を抜けないとか、いろいろ情報が乱れ飛んでいる。いずれにしても季節が秋に向かうころには、ノストラダムスは過去の人になってるんだろう。

 ところで先頃ルナ・プロスペクターが月の極にペネトレータを打ち込んだ(訂正:ペネトレータを打ち込んだのではなく、ルナ・プロスペクター本体を月に落下させた)。氷の有無を確認する実験なんだけれど、一部の人に言わせると、これが“月人”に対する宣戦布告となり、戦争状態に突入するんだとか…。“月人”を信じる信じないはその人の勝手だけれど、“探査用の装置”と“兵器”の区別もつかない未開の民が、地球と戦争を始めるっていうのはかなり無理があると思うぞ。もっと知性溢れる神秘主義ってのに会いたいもんだ。

改名

 我が家の、もうじき2歳になるお嬢さんのことを、これまで“みこにゃん”と表記してきたが、近頃は“みこりん”と呼ぶことの方が多くなってきた。いつごろからシフトしたかといえば、たぶんみこりんがおしゃべりできるようになってからだと記憶している。いまでは、みこりん自身も、『わたしは“みこりん”なんだわ』と自覚しているらしく、自分のことを「みこりん」と表現するようになってきた。

 というわけで、今後このサイトでも現実を反映すべく、“みこりん”と書くことにする。正式名称“みこちゃん”、愛称“みこりん”という感じに使い分けることもあるが、娘が2人いるわけではないのであしからず。

お風呂

 みこりんとお風呂たいむ!最近シャボン玉に凝ってるみこりんは、今夜もシャンプーをシャボン玉液の代わりにして、遊んでる。
 Licが、台所で食器洗い乾燥機を作動させたらしい。ぐおんぐおん控えめな重低音が響いてくる。すたすたと廊下を歩いてくる気配。どうやら玄関から外に出たらしい。何か用事ができたのかな?………、突然の静寂と闇が訪れた。まさに最後のロウソクの炎が消えたかのように、あらゆる光が消滅し、みこりんがぽつりと言った。

 「あ、まっくら…」

 ブレーカーのメインスイッチが落ちてしまったらしい。食器洗い乾燥機の作動と、水槽用クーラーの作動、その他もろもろの電化製品の作動が重なって、リビングだけでなく、全体がオーバーロードしたようだ。
 Licは、なかなか戻ってこなかった。その間、鼻をつままれてもわからぬ暗闇のお風呂場で、みこりんと二人、じっと息を潜めていた。みこりんは、大騒ぎすることはなかったが、やはり警戒しているのか微動だにしない。時々、「でんきつけなかんねぇ」と呟いてる。

 星明かりも月明かりも、一切ない闇の中で風呂に浸かるというのは、なかなか妙なものだ。露天風呂だと、広大な星空を展望できる開放感があるが、今のこの状況はまるで宇宙創生のさらに前の段階にいるかのような、距離感の一切ない空間に漂っている気がする。しかもカラダは温かなお湯に包まれ、心地よい。なんだかどんどん現実感が希薄になっていく感じだ。
 みこりんがそれほど怖がってないのを幸いに、電源の復旧はLicが帰ってくるまでおいとくことにした。それよりも、しばしこの奇妙な感触を味わっていたい。

 どのくらいそうやっていたのだろう。時間感覚が麻痺してしまったようだ。水槽の音がないと、我が家はこんなにも静かだったのかと改めて驚く。
 ふいに、がちゃっと玄関で音がした。おそるおそるドアが開く気配。Licが戻ってきたのだろうか?それにしては、やたら慎重に入ってくるが?

 やはりLicが戻ってきたらしい。家中の電気が消えていたので、驚いていたようだ。こうしてつかの間の静寂と闇に包まれた世界は、終わったのである。

松本零士作品2つ

 みこりんを早めに寝かせて、今夜は借りてきてたビデオ2作品を見ることにする。
 まずは『銀河鉄道999 − エターナル・ファンタジー −』から。評判が悪いのは知っていたが、このまえ『エメラルダス』を見て、謎に思うところが出てきたので、とりあえず最新の『999』でも見ておこうかというわけである。

 “999”のCG、下手すぎ。汚しが入ってないので、キレイすぎるのが主因。煙の表現も、大失敗してるし、車輌もぜんぜん立体感がない。うむむ、どうしてこうなるかなぁ。なんでわざわざ下手なCGを使うんだろう。ちゃんとした原画を書けるアニメーターがいなかったのか?でも、アルカディア号の砲雷撃戦のシーンは、なかなか重量感あってよかったから、単に手抜きということかもしれない。もはやCG使ってるのがウリになる時代じゃないんだから、話題性のためにCG使うのは卒業してほしいものだ。

 ところでメーテルの描き方、だいぶ変わったな〜。やや寄り目で、しかも目がでっかくなったので、どこやらの同人誌ヴァージョン可愛い系メーテルになった感じ。TV版のメーテルってば、鉄郎との対比で、ややおばさん入ってたのに比べると、えらい違いだ。メーテルには年齢不詳のどこか翳りがある女性っていうイメージ強いから、今回のメーテルはちょっと違うんでないの?という感じ。

 ストーリーは、うーん、なんと言ってよいのやら。中途半端もいいところ。いくら1999年に続編を作る予定だったからって、これはないだろう。伏線だらけで、ほんの触り部分なんだからなぁ…。映画館で公開する作品としては、反則技だと思う。続編の計画がポシャったのも当然だろう。
 物語的には、今後どうなるのか見てみたい気もするだけに、どうしてこんな形で公開してしまったのか残念である。

 2本目は『火星旅団 ダナサイト 999.9』。これまた松本作品である。
 ハーロックやらヤマトやらが出てくるっぽいあらすじに惹かれて借りてしまったのだが…。最後の最後で、ちょこっとヤマトの第三艦橋が横切っていっただけであった。アルカディア号は、しっかり戦闘場面で登場してたというのに、この違いは何だろう。
 ところで、ハーロックの声優さんが代わっているじゃないか。先の『999』の時にも違う人がやってたけど、たまたまそうなのかと思っていた。でも、こちらでもそうとなると、どうやら完全に交代しちゃったらしい。うーん、昔の『劇場版999』でのカッコイイ台詞が今でも頭に残ってるから、違和感ありまくりであった。

 物語は、昔“24時間テレビ”でやってた手塚作品に雰囲気似てると思った。だいぶスケールダウンしてはいるけど、荒廃した地球と、そこに芽生えた新たな進化生物というのが、なんとなく共通項に見える。
 で、これって続きは…?あったかな?なかったら、またもや頭抱えそう。


1999.8.4(Wed)

朝ご飯

 最近、朝は白ご飯に大根のキムチという組合せだ。最初、みこりんも大根キムチを欲しがったのだが、一度辛い思いをしてからは、二度と手を出さなくなった。よっぽど辛かったにちがいない。

 今朝も、大根キムチを食べていたら、みこりんが「あ、からーぃ」と指さして言う。「辛いよ〜」って辛そうな顔をしてやったら、「おみずのんでごらん」とコップを差し出してくれた。良く気がつくみこりんであった。

『アルマゲドン』

 ビデオを返しに行った時のこと、大量に入荷している『アルマゲドン』の棚をチェック。あ、戻ってきてる。しかもかなりの数だ。今日が平日だからかもしれないな。
 字幕スーパー版を、2泊3日でレンタルすることにした。だが、果たして平日の夜に、150分近くあるこの映画を、見ることができるだろうか。しかも、今日は水曜日。午後10時から SkyPerfecTV! で、『スタートレック・ヴォイジャー』の録画がある。明日はといえば、やはり午後9時から『新スタートレック』の録画が待ってるし、それになにより新型PCの到着日なのだ、セッティングに追われて映画鑑賞どころではない気がする。では金曜はどうかといえば、これまた『宇宙大作戦/スタートレック』の録画があるうえに、ISDNの工事が終わってるので新型PCとルータの動作確認に没頭しているはずだ。

 考えれば考えるほど、『アルマゲドン』を金曜の夜までに見終えるのは不可能に思えてくる。マズったかもしれない。


1999.8.5(Thr)

新型PC到着

 玄関開けたら、でっかい段ボール箱が鎮座していた。予定どおりの到着である。さっそくバラしてみたかったが、まずは腹ごしらえしてからだ。

 さて、夕食も終わり、段ボールを抱えてリビングへ。ミニタワーだからか、ヤケに軽い。みこりんが、瞳を輝かせてやってくる。こういう箱モノが大好きなのだ。
 テープを剥がし、新型PCとご対面。やはり、軽い。電源が高性能になったからかな。昔の98なんかより、ずっと軽い。
 モニターは、私が6年前に買って Gateway2000 のマシンで使ってきた MAG の17インチ・トリニトロンディスプレイを流用する。2階のPCデスクからケーブルを外して、リビングのPCラックに設置。最近、モニターを使ってなかったので壊れてないか心配だったが、無事スイッチオンで起動した。

 PCはHDDをまっさら状態で買ったため、OSをインストールせねばならない。というわけで、さっそくHDDのフォーマットを実行する。Linux でも遊んでみたいので、パーティションを2つ設定。6Gと2Gに分けてみた。
 さて、Windows95 のCDをセットして、起動ディスクでCDにアクセスできるようにしてから気が付いた。「setup.exeがない」

 このCDは随分以前に入手した Windows95 OSR2.1 なのだが、セットアップディスクが付属していたか、頼りない記憶をまさぐってみたものの、どうにも思い出せない。うーん、もしディスクがなければ、困ったことになる…。
 結局、この日、DOS で起動することだけ確認して、Windows95 のインストール作業は明日以降に延期となったのであった。


1999.8.6(Fri)

Windows95 インストール

 結局、セットアップディスクは発見できなかった。最初からついてこなかったのかもしれない。起動ディスクは一緒に入ってたが、それには setup.exe は入ってなかったし。
 仕方ないので、会社で使ってるマシンで Windows95 のインストールディスクがないか探してみたのだが、こちらもどこかにいってしまったらしい。まずい、たいへんまずい状態だ。HDD内部をあさってみたところ、oemsetup.exe を発見したので、いちおうコピーしておいた。だが、このマシンの Windows は OSR2.5 だ。微妙なリビジョンの違いで、インストーラが流用できない可能性は非常に高い。

 今日は午後3時で退社して、さっそくインストール作業を開始する。が、oemsetup.exeは、無情にも Win95 の CD-ROM が見つからないと言い張って、それ以上進めなかった。やはりダメであったか…

 そのうち、ISDN工事の確認をしに電話工事の人がやってきた。ルータはLicがすでに配線ずみなので、そこに電話をつないでチェックしている。どうやらOKみたい。
 ちょうどチェック中に、Licがみこりんを保育園から連れて戻ってきた。みこりん、見知らぬ人が家の中にいたので、警戒してるのかやけに静かである。
 そのうち、かすかに『かりかりかりかり…』と音がするのに気が付いた。ふっと、音のするほうを見たら、みこりんがイスに座って、独り静かに“かっぱえびせん”を囓っているのが見えた。ちっちゃなおちょぼ口で、かりかりかりと黙々と囓り続けるみこりんの姿に思わず大爆笑しそうになったが、工事の人がいる手前、馬鹿笑いもできず、とりあえず「おいしい?」なんて聞いてみたのであった。

 無事、ISDNも導入され、あとはOSさえインストールできれば万事OKなのだが…、setup.exe がないというのは、予想以上に作業を難航させた。外付けHDDに、私のノートPCの windows ディレクトリ以下ごっそりコピーしてみるなんてこともやってみたが、起動ロゴの表示のあと、DOSに戻ってしまう。windows3.1の時代は、これで起動できたのに…。結局、Licの仕事場で余ってる Win95 とセットアップディスクを来週持って帰ってくるということで、今日の作業を終了した。

『アルマゲドン』をようやく見る

 予想どおり、今日中にビデオを返却することは不可能であった。借り直すよりは、1日延長したほうが安上がりなので、『アルマゲドン』は、今夜じっくり見ることにしたのだ。
 みこりんを寝かしつけ、TVの真ん前にイスを持ってきて万全の体勢で再生開始。

 冒頭、流星群に襲われるアメリカ本土のシーン。なんか違和感あり。おそらく爆風の表現がほとんどないのが原因だろう。この流星による破壊のシーンは、後半、アジア大陸を直撃したやつなんかだと、しっかり爆風のすごさが表現されてるので、手抜きと思われる。この意図的手抜きは、他にもいろいろ使われている。例えば、ロシアの宇宙ステーション内部や、小惑星地表などの本来低重力な場所でありながら、1G程度の重力があるように見えるところだ。宇宙ステーションでは、回転によって重力を発生させている設定だったが、あれはやはり無重量空間での作業にしといたほうが自然っぽかったと思う。小惑星での1G表現は…うーん、やはりこの映画をSFとして見てはいかんということだろう。

 物語前半は、思わず途中あくびしてしまったくらい、間延びしていた。緊迫感がほとんど伝わってこず、下手といっていい演出・脚本。ようやく後半に入って、打ち上げのシーンあたりから、ごろっとテンポがよくなってくる。この落差は何事だろう。特に、離婚した妻が、TVで宇宙飛行士の中に元夫の姿を発見したとき、子供にちゃんと「パパよ」と言うシーンは、ぞくっとくるものがあった。こういう何気ない演出が、場を盛り上げる。どうしてこういったシーンが前半なかったのか、不思議に思えるくらいだ。物語の要である、A.Jと、娘とのからみがかなり失敗しているのは非常に残念。

 いよいよラスト、核爆弾の起爆スイッチを押すために一人残る場面。このような全体のために自分が犠牲になるというシーンは、苦労しなくても感動場面にしやすいが、もっとも作者の才能が活かせる場面でもある。私が個人的に、こういうシーンでの最高傑作と思っている作品は、ジェイムス・ティプトリーJrの『たった一つの冴えたやり方』である。はたして『アルマゲドン』は、どこまで私を泣かせることができるだろうか?

 期待が大きかった分、やや外した感じ。『たった1つの…』では、溢れる涙を止めることができなかったが、この作品はぜんぜん大丈夫であった。惜しい。じつに惜しい。こういうシーンは、もろにリアルタイムの別れを見せるよりは、あとからじわじわっと回想シーンあたりに絡めるとか、小惑星での作業そのものを隠したほうがいいのだ。『めぞん一刻』での、惣一郎さんが死んだ場面での響子さんと犬の惣一郎のシーンのように。

 前半に、『ライトスタッフ』並の登場人物達の描かれ方が欲しかった。それがあったなら、この作品はもっともっとよくなっただろう。下手にアクションシーンと、宇宙での特撮シーンに色気を出した分、ドラマ部分がおろそかになってしまっている。そのため、感情移入できるキャラが見つけにくいのだ。この素材ならば、もっとすごい作品になったはずだ。もったいない、、、、、ほんと、もったいないなぁ…。


1999.8.7(Sat)

南知多ビーチランドへGO

 真夏日である。日差しが痛いほど、突き刺さる。
 今日は午後から『南知多ビーチランド』にお出かけだ。この時期、夜9時までナイト営業をやっているうえ、午後8時からのイルカによるナイトショーも魅力的だ。

 高速道路に乗るまでが、ちょっと時間をくってしまったが、約2時間で到着できた。意外に近い。“ビーチランド”というだけあって、海岸にも出られるようになっている。先に海で遊ぶか、園内に入るか迷ったが、時計はすでに午後4時30分だったため、園内を先に探索しておくことにした。ここは、水族館と遊園地が同じ敷地内にある。まず遊園地のチェック。
 遊園地だけは午後5時で閉まってしまうらしい。あと30分しかない。ちょっと焦りつつ歩いてみると、さすがに廃止が噂されるだけあって一昔前の遊園地といった印象である。みこりんサイズのお子さま向けといった感じ。閑散とした園内では、それぞれの遊具を担当するお姉さんやお兄さんが、やや暇を持て余している様子で立っている。みこりんは、回転ボートと電動カート、そしてお約束の“ぱんぱんか”(メリーゴーランド)を堪能した。2歳以下は無料なので、じつに経済的に遊ぶことができる。

 そろそろ海岸に行こうと、遊園地を出かかったところで、みこりんは100円で動く乗り物に釘付けになってしまった。スペースシャトルに乗るという。なんだかヤケにリアルなスペースシャトルの遊具であった。後部エンジンノズルの作りなど、まるで精巧なプラモデルを彷彿とさせる。そのまま博物館あたりに置けそうなレベルだ。そうとう宇宙に思い入れのある作者の手によるものなのだろう。

 ようやくみこりんを遊園地から連れ出せたのが午後5時過ぎ。次は水族館の見学である。水族館の様子は“お魚日記”のほうに書いておこう。
 水族館を堪能したあとは、海岸で遊ぶことにする。園内から海岸に出るゲートは、すでに閉まっているので、再入場証をもらってメインゲートから海岸に出る。河口の堤防道路を歩くこと数分、やがて波打ち際が見えてきた。

波打ち際のみこりん “潮干狩り”の立て看板があちこちに立っている。どこも有料。いちおう熊手を持って来てはいたが、本格的に潮干狩りをする予定じゃなかったので、どこか遊び程度に掘れる無料の海岸はないのかと、ずっと歩いてみたのだが、結局なかった。しょうがないので、潮干狩りはパスして、海岸に降りる。滑らかな砂だ。ゴミもあまり打ち上げられていなかったが、アサリの貝殻が大量に散らばっていた。アサリが住むには、不適な場所なのかも。

 夕方ということもあってか、泳いでいるのは1組の野郎どもだけで、だだっぴろい海岸がほぼ貸し切り状態。さっそくサンダルを脱いで、素足で海に入ってみる。みこりんは、1ヶ月前は鳥羽の海で「こわいこわい」を連発していたが、今回ぜんぜん平気なようす。ちょうど引き潮にはいった波打ち際で、寄せては返す波と戯れる。
 さらさらの砂は、まるで上質の絨毯のような触感を与え、温かな海は、ゆったりと絡みつく命の滴のようで、足元から幸せのさざ波が押し寄せてくるようである。これで海の色が、エメラルドグリーンか、コバルトブルーならば、気分はすっかりトロピカルなのだが、残念、普通の海の色だった。でも、ゴミがほとんどないのはポイント高い。

 みこりん、すっかり海が気に入ったのか、一人で海に入って「きもちいい〜」と言っている。沈みかけた夕日をバックに、浜辺に立つみこりんの図は、なかなか絵になる情景である。

 午後7時、そろそろお腹もすいてきたことだし園内に戻る。入り口で、セイウチの着ぐるみと写真を撮ってもらった。撮るのは無料だが、あとで写真を気に入れば1000円で引き取れるというシステムのようだ。
 園内レストラン前では、ナイトコンサートが始まっていて、ギターサウンドがビートを刻む。セイウチの着ぐるみと、係りのお姉さんが一緒に踊ってる姿が、なんだかほのぼのしてて良い。

 夕闇が覆い、噴水が色とりどりにライトアップされ、ビーチランドは夜ヴァージョン“トワイライト・ファンタジー”へと姿を変える。これからイルカのナイトショーがあるため、お客さんの入りは、昼間よりも多いくらいだ。これでキャンプファイヤーでもあれば、言うこと無しなんだが…。

 午後8時までのあいだ、売店でうろうろする。お約束のTシャツをチェックしてみたが、1枚5000円という値段に圧倒。Tシャツはやめておいて、ビーチランドオリジナルのトランプを買った。すべての札に、違う魚の絵が描いてあるらしい。
 Licはクラゲを象ったキーホルダー、みこりんは、なんと自分で髪飾りを選んで買った。やはり女の子である。ピンクのイルカの飾りがついたやつを、ちゃんと2つ手に握ってた。

 午後8時まであとわずか。イルカプールに急ぐ。すでに客席はほぼ満員。なんとか場所を確保して座り、開演をじっと待つ。プールは水中ライトでぼぅっとライトアップされてて、幻想的雰囲気を漂わせていた。
 いよいよ時間である。スポットライトがステージを照らし、登場してきたのはお姉さんとアシカ!?先にアシカショーがあるらしい。
 ショーの内容は、他の水族館などでありがちな曲芸主体のものではなく、ストーリー仕立ての寸劇タイプだった。たぶんシナリオなども、トレーナーの人による自作自演と思われた。ゴールデンボールのネタ振りがあった時点で、オチが読めていたが、これ、お子さまにはオチがわからなかったんでは…?でも、なかなかテンポよく進み、こういうステージ劇につきものの、お客さんからの参加もあり、どこか懐かしい気持ちにさせてくれるショーだった。みこりんも真剣に見てたし、夜のステージという特殊空間というのも評価が高い。

夜のイルカショー さていよいよイルカショーである。イルカがジャンプするたび、瞬間的にライトが点灯するのだが、これがじつに効果的だ。昼間見るイルカショーだと当たり前のジャンプでも、こうしてライトアップの演出が加わるだけで、なんだかぐっと芸術性が高まる感じ。照明を落とし、発光するリングをイルカがキャッチしていくシーンも、かなり美しい。夏の夜というシチュエーションに、ぴたりとはまる素晴らしい効果だ。
 トレーナーのお兄さんの動きが、やたらしゃきしゃきしてたのも、視覚的によい印象を与えてくれる。イルカへの指示の与え方が、これまで見たイルカショーのどれとも違っている感じだ。

 みこりんは、睡魔に負けたか途中で熟睡モードに入ってしまってた。みこりん的には、前半のアシカショーのほうが面白かったかもしれない。
 それにしてもこのナイトショーは、なかなかのものであった。これだけのために南知多ビーチランドに来てもいいかなと思わせるだけの内容と演出だ。遊園地部と水族館部が、地味なのとは大違い。もしつぶれたとしても、このナイトショーだけはどこかに買収されて存続してくれるといいんだけどな。
 遊園地部分などが小さい子供向けなためか、お客さんもみこりんサイズの子供を連れた若い夫婦が圧倒的に多かった。だが、夜の部だけならもっと若者にも受け入れられるだろう。採算悪化が取りざたされているが、宣伝をうまくすればもっと客を呼べそうな気がする。

 思いがけない拾いモノをした気分で、満足して帰路につく。午後11時には家に帰れる予定だったのだが、途中どういうわけか道に迷ってしまった。見知らぬ街の、住宅街に彷徨い込んでしまったのだ。どこをどう走ったか、まるでフィクションのようだが、迷い込んだ道まで戻ってきていて事なきを得た。夏の夜のことだ。何かの“あやかし”があったとしても不思議じゃない。


1999.8.8(Sun)

マーゴへGO

 今日はマーゴに“おじゃ魔女どれみ”がやってくるらしい。昨日、アシカショーをみこりんが堪能していたようなので、今日はマーゴにお出かけである。
 店内特設広場は、30分前にはすでにちびっ子でびっしり埋まっていた。かろうじて後ろのテーブルが空いてたので、そこに陣取り始まるのを待った。人混みで、クーラーも役に立たず、めちゃめちゃ蒸し暑い。

 さぁいよいよ始まり始まり。みこりんより、ちょっと大きいサイズの子供達は、おっきい声で「どれみちゃーん!!」って叫んでる。みこりんは、“おじゃ魔女どれみ”を欠かさず見てるわけじゃないので、きょとんとしてた。どれみちゃんが登場しても、みこりんいまいち反応がない。やはりアシカほどのインパクトはないのか。みこりんに「ハンバーグ食べる??」と聞いてみたら「はんばーぐ たべる〜」と言うので、どんどんヒートアップして暑さがむんむんの会場をあとにした。

 軽く食事したあと、2階の遊具コーナーで遊ぶことにする。みこりんは、ここに来たら欠かせないメリーゴーランドを楽しんでいるようす。私は、クレーンゲームの1つに、怪傑ズバット人形があるのに気づいて挑戦してみたが、あえなく失敗。Licは、別のクレーンゲームで“けろけろけろっぴ”をゲットしてた。
 みこりんがひととおり満足したら、店内を見て回る。アウトドアコーナーで、防滴ラジオを500円で売ってたので買った。風呂に入りながらラジオを聴くのが、じつはひそかな夢だったのだ。

 オモチャ売場で、ふと見つけたすごいもの。トミカのセットモデルだ。3種類ほどあったのだが、その中に『サーキットの狼』モデルがあった。とっさに中身を確認すると、そこには忘れられないスーパーカー達が並んでいたのである。ロータス・ヨーロッパスペシャル、ポルシェ930ターボ、トヨタ2000GTにランボルギーニ・カウンタックLP500S、ランチアストラトスにランボルギーニ・ミウラ。6台セットで2400円弱。『サーキットの狼』でスーパーカーにどっぷりはまった私としては、これを買わずに何を買うのかと思わせる品であった。一番キレイそうなやつを選んで、手に取った。あぁなんて今日はついてるんだろう。

サーキットの狼シリーズ フロントビュー

サーキットの狼シリーズ リアビュー

 さらに、プラモデル売場ではタミヤ製の『ロータス・ヨーロッパスペシャル』まで発見してしまった。1500円。プラモデルということもあり、ちょっと悩んだが結局買うことにした。プラモデル、もうずいぶん作っていない。小学・中学・高校と、多趣味だった私がもっとも入れ込んでいた趣味の1つが、プラモデル作りだった。主にアメリカの現役戦闘機シリーズと、第2次大戦中のドイツミリタリーモデルがお気に入りで、たくさん集めたものだ。設計図通りに作るのに飽きたらず、自分でプラ板を加工してオリジナル仕様にしたり、電飾入れたりするのが面白かった。あれから14年、再びこのロータス・ヨーロッパでプラモデル作り復活といこうか。視線の先には、この春発売されたガンプラHGシリーズの第一段『ガンキャノン』がある。ロータスの次は、これにしよう。

 たっぷり買い物を堪能した一日だった。家について、ミニカーセットを開けていると、さっそくみこりんが「みこりんのっ!!」と宣言して、ミニカーで遊び始めた。6台、色とりどりのちっちゃいクルマっていうのが、みこりんを刺激しまくるらしい。妙にハイテンションで遊んでる。よしよし、その調子でスーパーカー大好き少女になってくれれば、私も将来ロータスを買いやすくなる…、ふっふっふ。
 このミニカーセット、『ロータスの狼』と冠してあるだけあって、コミックで登場したとおりの色になっている。特にロータスは、ちゃんと赤いラインに黒の星マークまで再現されてて、ウイングもついてる凝りようだ。私が幼稚園に行ってたころ、やはりミニカーのロータス・ヨーロッパを持っていた。そんな小さいころ『サーキットの狼』なんて存在してなかったから、偶然ロータスを買って貰ったのだが、そのスポーツカーらしいフォルムが大好きで、お気に入りだった。その時のモデルも、エンジンルームが開けられるようになってたが、金属製で、可動部分もちゃんとしてた記憶がある。今日買ってきたモデルでは、そこがプラスティック製だった。ウイングを取り付けるために、変更されたらしい。それにしてもミニカーとはいえ、並べてみるとなかなか壮観である。ロータス以外は、実車を手に入れるのはほとんど不可能だから、せいぜいこれで空想を膨らませることにしよう。

ロータス・ヨーロッパ スペシャル


1999.8.9(Mon)

インストール終了

 Licが持ち帰ってきた Win95 の CD-ROM には、setup.exe が入っているタイプだったので、今度こそ何の問題もなくインストール作業は終了した。普段会社で使ってるマシンの倍近いクロックである、やはり起動/終了もサクサクと進む。ま、すぐ慣れちゃうんだろうけど。

 続いてサウンドカードとビデオカードのドライバをインストール。6年前のモニタとはいえ、当時としては高性能な品だったのが幸いし、1280×1024 の解像度でも問題ない。考えてみれば、このモニター本体価格より、今回購入したPCのほうが安いのだ。適正な競争原理が働く市場のよい例だろう。PC98が(事実上)消滅してくれて、ほんとうによかったと思う。

 残る作業は、LANカードを挿してドライバをインストールするだけだ。これも問題なく終了。あとはプロバイダの接続種別をデジタル回線に変更すればOKのはずだ。いちおうリモートルータの設定も終わっているので、長らく我が家の通信環境を支えてくれた144Kモデムともお別れである。プロバイダの登録変更が終了すれば、押入の“PC墓場”で安らかに眠ってもらうことにしよう。

 “PC墓場”には、現在 NEC PC98FA が1台、NEC PC98RA が1台、それぞれのモニター2台、ばかでかいレーザープリンタ1台という具合に収まっている。98は、内蔵のタイマーをユーザープログラムで利用しやすいので、制御用には今でも利用価値は残っている。各種拡張ボードを挿してやって、水槽の水質管理の自動化をやらせてみてもいいかなと思っているのだが、センサ類が意外に高価なので未だ実現していない。他の活用方法として、みこりんのためのプログラミング学習用マシンという案も考えている。アセンブラやCで、ごりごり制御系プログラムを教えてやるのも、そうとう楽しそうだ。みこりんには、アプリケーションソフトを使うだけじゃなく、プログラミングの楽しさも教えてやりたいと思う。私は中学のときPC-8001でアセンブラに目覚め、Licも同じ頃、MSXにはまっていたのだ。みこりんに、その血が流れていないはずがない。ま、ぜんぜん興味ないコに育つ可能性もゼロじゃないけど、人間は周囲の環境で相当に左右される生物なのだ。いまから鍛えておけば、きっと大丈夫。


1999.8.10(Tue)

国旗・国歌

 国旗・国歌法案が、成立した。今朝の朝日新聞社説は、もはやなりふりかまっていられぬのだろう、哀れとしかいいようのない幼稚さであった。

 『長いものに巻かれやすい』『お上の威光に弱い』などなど、これほどまで国民を侮辱した社説も珍しい。朝日新聞を筆頭に、サヨクさんお得意の、自分達以外を貶めることで、自分達がいかに高尚な存在かを示す手段なのだが、あいかわらずケチなやり方だ。

 “強制”が心配だとおっしゃるが、では逆に問おう。広島などの中学・高校ではサヨク教師たちの反日の丸&反君が代運動により、日の丸&君が代で入学式を迎えたい、卒業したいという生徒達にまで、反日の丸&反君が代を“強制”しているではないか。これはいいのか?自分達の主義主張は生徒に“強制”してもいいが、法律で決まったことを“強制”してはいけないなど、とうてい法治国家では認められない行為である。

 日の丸&君が代を気に入らない、というのは個人の自由だ。それはいい。だが、それを組織をあげて学校教育の現場で“強制”するのは、それこそ管理教育・思想統制の極みではないか。主義主張の不当な押しつけである。それを反省することなしに、法律で制定された事を、『強制だ!』などと言い立てるのは正気の沙汰ではない。法律とは、守らねばならないものなのだ。自分が気に入らないからと言って、“強制”はいけないなどと言うべき存在ではないのである。問題があるのならば、改正すればよい。日本にはそのためのシステムは備わっている。
 衆参両院でそれぞれ“3/4以上の賛成”によって可決されたという事実を、もっと重く受け止めなければならない。

ホイホイ

 今年はムカデザウルスの出現率が、どういうわけだか低い。代わりに、ゴキブリが大発生しているらしい。みこりんも、最近では『ゴキブリ』という固有名詞を覚えてしまったほどだ。
 殺虫剤を使えないため(ペットを部屋で飼ってるから)、我が家のゴキブリ退治の主役は“ごきぶりホイホイ”である。この待ち伏せ型の器具は、罠を仕掛けて獲物を待つ独特のスリルがあって、子供のころから大好きだった。どこに仕掛ければたくさんかかるか、あれこれ工夫しながら設置していくのはじつに楽しい作業である。

 今夜は、新しく3基のホイホイを仕掛けることにした。箱から出して組み立てていると、みこりんがさっそくやってくる。「ごきぶりのおうち!」と指さすので、1つ組み立てて持たしてやった。あとの2つは、私とLicがそれぞれ担当することにした。誰のホイホイが一番ゴキブリをたくさん獲れるか競争するのである。
 期限は3日。みこりんも、何か心当たりがあるらしい。私にイスを持ってきてと言う。ついた先は、みこりんの遊び場でもある座敷だった。天井を指さしている。さすがに天井に貼り付けるわけにもいかないので、壁際の高い位置にある窪みで勘弁してもらうことにした。
 みこりんは、イスにのぼってちゃんと自分で位置を決めながら、ホイホイを設置してくれた。はたして誰のホイホイが優勝するだろう。三日後を、こうご期待!

太刀魚の怪

 今夜のおかずは“太刀魚”である。太刀魚といえば、やはり焼いて食べるに限る。だが、私の知っている太刀魚は、名前どおり“太刀”のごとき薄さが玉に瑕であった。

 ところが今夜の太刀魚は、ちょっと変わっていた。分厚いのだ。まるまると太った身は、とても太刀魚には見えない。が、独特の鈍い銀光りの肌は、それが太刀魚以外のどんな魚でもないことを、静かに語っていた。
 いやまて、太刀魚以外にも、こんな色をしてて長細い魚がいるじゃないか。Licはだませても、この私はひっかからないぞ。おまえは太刀魚じゃない。そんな太った太刀魚がいるわけない。そう、おまえは…『リュウグウノツカイ』にちがいないっ!!

 神魔の名前を言い当てた美夕のように、私は満ち足りた気分でそのニセ太刀魚を食べ始めた。それにしてもこのリュウグウノツカイは、味も太刀魚そっくりである。これほど旨い魚だったとは意外だ。リュウグウノツカイ恐るべし!…、Licのじと目が背中に突き刺さるので、このへんでやめておこう。


1999.8.11(Wed)

朝のひととき

 今朝も起きたら9時10分。毎度毎度、あわただしい朝の始まりである。
 フレックスのコアタイムは午前10時から。ぎりぎり間に合う微妙な時間。
 作業服を着て、デイパックをしょってたら、みこりんがおっきな瞳でこちらを見つめながらこう言った。「おとーさん かいしゃいくの?」

 “かいしゃ”の具体的イメージがみこりんにあるとは思えない。だが、“毎朝お父さんはどこに行ってるのか?”という疑問に対する自分なりの答えが、“かいしゃ”という抽象的イメージなのだろう。

 私の親父は、小学校の教員だった。なので、親父の仕事場やどんな仕事をやってるのかという事は、子供の私にもすんなり理解できたものだ。
 さて、みこりんはどうだろう。小学校に入ったら、今でも『はたらくおじさん』(これ、タイトル変わったんだったかな?)を見るのだろうか?でも、あれに出てくる“労働者”は、特殊技能職が多かった気がする。俗に言う『ホワイトカラー』は、いったいどんな紹介のされ方をしているのだろうか。

 TVドラマなどで登場するのは、ほとんど文系の職場だから、みこりんが理系技術職について知ることは、もしかすると一生ないのかもしれないな。どういうわけか文系の方々の理系に対する認識は、極端に偏ってるし…。
 まぁいい、みこりんが小学校に入る頃、望遠鏡を買ってやろう。そして宇宙空間に浮かぶ、巨大な宇宙ステーションを捉え、教えてやるのだ。「あれは父さんが造ったんだよ」と(たとえJEMの制御ソフトウェアの一部を設計しただけであっても、そんな細かいことは気にしない)。

『エメラルダス』

 みこりん用に借りてきていた歌のビデオを返しに行ったついでに、OVA版『クイーン・エメラルダス Vol.3』を借りてきた。前作は、作画にかなり難があったが、今回のはどうだろうか?

 みこりんが寝ている間に見てしまおうとしたが、はじまって3分ほどでみこりんがひょっこり起きてしまったため、ビデオデッキを急遽2階の寝室に運んでいって、寝転がりながらの鑑賞となった。画面が小さいのがちょっと残念だが、水槽の騒音がないぶん、台詞が聞き取りやすいという利点もある。

 彩色指定が大幅に変更されたか、かなり見やすくなった。あの安っぽい色がなくなるだけで、ぐっと引き締まって見える。あとは宇宙空間に、やたら派手な色を散らさないでくれればもっとよくなると思うのだが…。

 物語のほうは、やや説明口調なシーンが気になった。登場人物による語りでストーリーを説明すると、作品世界から一歩引いて見てしまうようになるので、あまり好きじゃないんだが。でも、やっぱり一番気になったのは、殺人者に勝ったのが、単にコスモ・ドラグーンの性能が優れていたからという点だ。相手よりも強力な火器で勝利しても、当たり前すぎてつまらない。あそこはやはり、コスモ・ドラグーンでも歯が立たず(奪われたという設定でもいいが)、苦戦した末、やっとのことで敵の装甲内部に銃口をねじこみ倒すとか、そういった決闘が見たかったな。

 ところでエメラルダスの声、以前記憶していたのよりだいぶ“おばさん”声になってしまった気がするなぁ…。


1999.8.12(Thr)

本屋さん

 『エメラルダス』を返しに、本屋兼レンタルビデオ屋に行った。本当は、会社帰りに寄れるはずだったのだが、信じられないミステイクにより、いったん帰宅してからの再出撃である(さて問題です。そのミステイクとは、いったい何でしょうか?当選者には、みこりんの超絶悶絶プリティ画像をプレゼント!)

 ビデオを返したあと、本屋を散策してみる。昨日もこうして本屋をうろついているが、本屋を満足するまで楽しむには時間がいくらあっても足りないくらいだ。昨日、途中まで読みかけで中断していた、熱帯魚関係の雑誌に目を通していると、遠くからみこりんの「やったー!!」という歓声が聞こえた。たしかそっちの方向は、絵本が置いてあったはず。よほど楽しい絵本と遭遇したにちがいあるまい。

 熱帯魚雑誌を2冊ほど読み終えると、小説の新刊コーナーを舐めるようにチェックする。どうしたわけか、この本屋ではランダムに作家が並べてあるので、探しにくいことこの上ない。
 そうした中に、ふっと懐かしい名前を発見して、思わず手にした本がある。“平野 文”、その昔、『うる星やつら』にハンパじゃなく入れ込んでいた私にとって、その名前はもはやDNAに刻まれた消去不能な記憶といっても過言ではない。最近のお子さまには、『ノンタン』のナレーションの人というほうが通じやすい彼女が、結婚したと聞いたのが数年前。すでに『うる星やつら』を知らない世代のほうが、一般的になりつつあった頃だ。こうして彼女の書いた本と出会い、まるで古い友人と再会したかのような懐かしい気持ちになる。

 平野文が書いた小説を初めて読んだのは、大学の頃だった。ラブストーリーだったように思うが、もはや内容がどんなだったかは覚えていない。当時、『うる星やつら』の小説本などを手がけていた“金春智子”の影響を、かなり受けていた印象だけは残っている。

 今回手にした本は、築地市場の女将として暮らす彼女の、魚を中心としたエッセイらしい。ぱらぱらページをめくってみると、カンパチやメバルという具合に章が分けられ、それぞれ数ページごとの文章が載っている。魚のおいしい食べ方とか、いい魚の見分け方とか、もしやこれは実用書なのではないか?と思うような内容だったが、結局本屋を出るとき、私の手にはこの本がしっかりと握られていたのであった。平野文の女将さんぶりを、堪能することとしよう。

結果発表

 さて、各自セットした“ごきぶりホイホイ”の戦果確認である。

 まずはみこりんから。…!!

 1匹、黒光りする立派なゴキブリがかかっている!

 次に私の分。…ぶっぶーーーー。ゼロ匹。

 Licの分。…ひょろりろらん〜。ゼロ。

 この勝負、みこりんの優勝ぅ〜!!
 ハンターみこりんの誕生である。


1999.8.13(Fri)

 7月は、なんだか雨が多くて寒い日が続いたが、8月は一転、灼熱の夏である。
 どどん!と地平線から立ち上がる巨大な入道雲の力強さが、日々の些細な悩みなど吹き飛ばすようで心地よい。
 明日からお盆休みである。9連休。学生時代に比べたら、わずかな休暇だが、7月後半の電力休暇と併せて、夏期休暇の多さは友人どもにうらやましがられて久しい。とはいえ、所帯持ち、しかも子持ちとくれば、義務のごとく双方の実家詣でをせねばならないので、9連休まるまる自由時間というわけにいかないのが、悩ましいところだ。

 休みが明けたら、はや秋の気配をそこここに感じるようになるのだろう。今朝、クマゼミの声を聴いた。来年の夏も、同じように蝉時雨は聞こえるだろうか。

工事終了

 先週の金曜から、サンルーム&ウッドデッキの取り付け工事が進められていたが、本日ようやく完成した。
 ウッドデッキの真新しい木の香りが、気持ちいい。
 サービスで付けてくれたデッキチェアに寝そべると、涼しい夜風を堪能できる。高かったけど、やはり付けてよかったサンルーム&ウッドデッキ。
 クワズイモかセロームの大きな鉢植えでも置いてみたいような…。

 ウッドデッキごしに夜の庭を眺めてみると、荒れた雑草まみれの庭でも、それなりにおしゃれに見えるから不思議だ。

かっこいい生き方

 とても印象に残っている映画のシーンがある。『荒野の7人』に、その場面が登場する。最初、村を盗賊から守ってもらうために用心棒を雇った村人達。が、最後まで抵抗する道よりも、盗賊の支配を受け入れる道を選んでしまう。村を追い出された用心棒7人は、自分の意志で引き返し、盗賊どもの掃討を開始する。村の子供が、言った。「父さん達は卑怯者だ」

 ここからである。用心棒が、その子供に言う言葉。「父さん達は、卑怯者じゃない。おまえ達を守るために、そうしたんだ。」家族を養い、平凡に土を耕して生きる、そんな生き方のほうが、俺達よりもよっぽど勇気がいるのだと、そう用心棒は言った。

 現代の日本ではどうか。平凡に真面目に、黙々と働き、子供を立派に育て、ひっそりと、しかしささやかな幸せに満ちた生きざまを、誰が“自立した市民”ではないなどと言えるだろうか。デモ行進したり、市民運動に参加しなければ、“自立した市民”ではないかのごとき論調が、最近目立つ。自分が好きで市民運動をするのは勝手だが、違う生き方をする人々を不当に貶める言動は、とうてい“自立した大人”のすることじゃないな。


1999.8.14(Sat)

夏休み第一日目

 目覚めたのは、すでに太陽が南中目前の頃。昨日の夕方から、熱帯低気圧の影響で崩れがちな天気である。蒸し暑い。

 朝食兼昼食を済ませると、さっそく今日は庭掃除にとりかかる。サンルーム&ウッドデッキにふさわしい庭にしないと、もったいない。昨夜の雨で庭土はゆるんでいるので、うっそうと生い茂った雑草も、さくさくと抜けた。
 マシーンと化して、ひたすら雑草を抜いていると、みこりんがウッドデッキからこちらをじっと観察しているのがわかった。ちょっと前まで、一緒に草引きを手伝ってくれていたのだが、飽きてしまったのかな?

 時々「あそんで」と言うのだが、もう少しで雑草を殲滅できそうだったので、「待っててね」と言いつつ、スパートをかける。みこりんは、そろそろ我慢の限界っぽい。そこで、桜の木の下に生えていた“ねこじゃらしの草”を摘んで手に持たせ、「にゃんきちくんと遊んでおいで」と言ってみた。みこりん、ぱっと顔を輝かせると、さっそうとにゃんきちくんのいる廊下に向かう。そのスキに、猛然と残りの草をがばがばむしって、ようやく終了。うるさいくらい密生していた雑草は、すっきりさっぱりなくなった。いつもこういう庭でありたいものだ。

 雨がいつ降ってもおかしくない空模様。まるで熱帯ジャングルの中で作業したかのように、全身から汗が噴き出し、着ている服もびっしょりである。シャワーを浴びようと、風呂場に行ったら、Licがちょうど風呂掃除をしていたので、しばし待つ。ふと、にゃんきちくんのケージを見たら、さっきみこりんに渡した“ねこじゃらしの草”が落ちているのが見えた。ちょいちょいと、にゃんきちくんが猫ぱんちを繰り出している。みこりんは、Licの掃除を隙あらば手伝ってやろうと虎視眈々と狙っているようす。なんでもないような休日の午後の光景、だが、私はきっとこの瞬間を忘れることはない。

『るろうに剣心 追憶編 第一幕』

 漫画雑誌を買う習慣はないし、立ち読みも滅多にしないので、『るろうに剣心』を知ったのはTV放映を見てからだ。剣客モノは好きなので、興味半分で見ていたが、いつのまにか見忘れても平気になっていた。そんなある日、偶然見かけた“志々雄真実編(と勝手に分類している)”にハマってしまったのであった。現実にはあり得ない技なのは百も承知だが、昔からこういう必殺技系剣技の応酬にはとことん弱いのだ。
 しかし“志々雄編”が終わったあとのTVオリジナルは、もはや私にとって何の魅力もないものだったので、二度とTVで『るろうに剣心』を見ることはなかった。

 さて今回ビデオで借りてきた『追憶編』だが、原作でも触れられていた人斬りの頃の物語となる。キャラデザが、やや能面系なのが気になるが、原作の絵よりはこっちのほうが私好みなので、許可である。また、お笑い系表現が一切排除されている点も、良い。じりじりと内圧が高まるように、人斬りにのめり込んでゆくさまを描くには、ちゃらちゃらしていない音楽も効果的だ。

 回想シーンが何度も入るが、その切り替えがちょっと分かりにくい印象を持った。季節感をごろっと変えるとか、ひねりが欲しかった点だ。
 人斬りのシーンでは、まるで大根を両断するかのごとく人間がすぱすぱ切断されたが、重量感に欠ける演出のマズさである。何かの技を繰り出したならば、見栄ということで納得できるのだが…。

 とはいえ、物語全体を通して声のトーンを落とし、動きよりも見せ方で進む展開は、好ましい。30分の作品というのが幸いしているのか、密度の濃い、ダレ場の見あたらない緊張したストーリーを維持している。久しぶりに、続きをすぐ見たい衝動に駆られた。

お出かけ

 夕飯は、外食することにした。夏休みだから、ちょっと贅沢してみたい気分なのだ。
 みこりんは、家を出るまえから“あんぱんまん”のエプロンを着用して、「ばんごはん、たべる〜!」と、食い気満々。会社近くに、去年新装オープンしたイタリア料理屋っぽいレストラン、そこが今回のターゲットである。

 道路に面した駐車場は、がらがらだった。看板には、“コーヒーとお食事”と書いてある。なんだか軽食が出てきそうなイメージに、若干躊躇したが、何事もチャレンジしてみなければ真実はわからない。意を決してクルマを降りる。
 エントランスは、石畳とロックガーデンの、落ち着いた雰囲気である。入り口は、かなり奥まったところにあった。道路に面した部分は、オープンウインドウのカフェっぽいイメージだが、奥にある真の入り口は、専門店っぽい落ち着きがある。しかも、その奥には相当に広い駐車場まである。この店は、道路沿いから見る印象とは、まったく違う顔を持っているようだ。この落差は、私が思うに、だいぶ損をしているはずだ。

 店内は、かなり広い。この界隈で、これだけの店舗面積を有するレストランは、あまりない。だが、店内は、がらんと無人のテーブルが寂しそうである。時計はすでに午後7時を回っている。こんなに客がいなくて大丈夫なんだろうか?ちょっと心配になる。
 メニューは、パスタ、オムレツ、ピザ、グラタン、ピラフなどなど、それぞれに十数種類ずつを選べるようになっていて、かなり迷う。結局、Licと二人でペアのセットを注文した。2000円で、二人分のピザとパスタ、それにサラダと飲み物がついている。みこりんには、我々のを分けてあげる予定。飲み物だけは、バナナジュースを別に注文しておいた。

 やがて出てきたサラダだが、モヤシの髭を切ってないのはマイナスポイント。だが、ドレッシングが、かなりスパイシーで野菜に合っていたのでマル。
 パスタは、和風のスープで仕上げてあった。おそらく乾し椎茸のスープだろう。青紫蘇の千切りと、大根下ろしが絶妙の風味を醸し出している。シーチキンがそのまま乗っていたのは、ビンボーくさくて減点だが、味は旨かったので平均点以上の評価である。ピザとのセットなので、ややボリューム不足なのは致し方あるまい。大盛り選択コースがあれば、文句なし。
 ピザが苦手な私でも、今日のピザは食べることができた。ピザ生地を薄くしてあるので、構えることなく食べられるのが好印象である。味付けに、もう少しスパイスが欲しかったが、チーズも嫌味にならない程度に薄味だったので、良かった。

 みこりんのバナナジュースは、まるで卵の黄身を入れているのではないかと思わせるほど、滑らかな舌触りで、まろやかに甘く、なかなかのものであった。もう少し冷えていれば、さらにおいしくなるのではないかと思った。ジュースと一緒に、パウンドケーキも出てきたが、これはみこりん用のサービスだろう。なかなか気の利いたことをしてくれる。
 私とLicは、レモンティをオーダーしてあったのだが、それぞれにティーポットで運ばれてきた。カップも、温めてあったし、こだわりを感じる。肝心の紅茶の味は、可もなく不可もなくといった感じで、やや残念。コーヒーの味がどんなものなのか、興味が湧いた。

 みこりんは、Licのパスタのほとんどを食べてしまうほど食欲を見せてくれた。さすが、準備万端でやってきただけのことはある。つまみで出てきたピーナッツを、食べては吐き出すことさえなければ、今日はじつにおりこうさんなみこりんであった。
 私たちが食べている間に、店内には他の客が3組ほどやってきた。が、それでも広い店内なので、少しも繁盛しているように見えない。値段設定は、かなり安いので、ほんとうに採算取れているのか、こっちが心配してしまう。次回は、オムレツの逸品を味わってみることにしよう。


1999.8.15(Sun)

夏休み第二日目

 昨夜は、深夜遅くまでLicと二人で『るろうに剣心 追憶編』の第二幕と第三幕を見た。これから佳境というところで続くになってしまったので、なんだか落ち着かない。結局、寝たのは7時過ぎ。もはや“朝”である。

 幼児にしては遅寝のみこりんが起床したのが、朝の9時。爆睡する私とLicを、なんとか起こそうとしてたらしい。夢うつつで、みこりんの声を聞いていた。そのうち、みこりんが「ぱんぱんかっ!!」とうれしそうに宣言したかと思うと、いきなり腹の上に飛び乗ってきた。思わず目を開く。それを目ざとくみこりんは見つけ、「おとーさん、したいこ」と手を引っ張られてしまう。こうなっては、私にできることは、ただ1つ。起きるしかない。今日も元気なみこりんであることを感謝しつつ、私はみこりんを抱っこして階段を下りたのである。

 今日で夏休み二日目。でも、熱帯低気圧はいまだ居座っているのであった。


1999.8.16(Mon)

今日から帰省

 お盆休みの定例行事、“帰省”の初日である。ニュースなどでは、先週末あたりがUターンラッシュと報じていた。これからお盆休みを迎える我が家は、幸いなことに“渋滞”とは無縁でいられそうである。“渋滞”がないのならば、クルマでの帰省は勝ったも同然といえよう。JRで帰ったならば、二人分の運賃が必要だが、クルマならば1台分の費用で済む。しかも渋滞がなければ、かかる時間もJRと比べて遜色ない。良いことだらけではないか。

 鉢植え、砂ネズミ、お魚、にゃんきちくん。留守の間、大丈夫なように万全の仕掛けを施していく。あとは鍵をしっかりかけて、出発である。ドライバーはLic。この日のために、先月から鳥羽・名古屋港・南知多とロングドライブ&高速道路の訓練をしてきたのである。抜かりはない。
 東海北陸自動車道が開通したため、地元から高速に乗れるようになった。以前ならば、岐阜羽島か大垣あたりまでR21を走らねばならなかった。格段の便利さである。便利になったのはいいが、果たして建設費に見合う利用客があるのか?という素朴な疑問は、ないといえば嘘になるのだが。

 運転はLicに任せて、私とみこりんはお昼を川島SAでとってから、夢の世界へGO。あぁ、自分で運転せずとも帰省できるのが、こんなにラクだったとは(Licは大変だったろうが)。
 途中、ふと目を覚ましてみるとなぜかクルマが止まってる。渋滞はないはずだが?と思ってLicに聞いてみると、どうやら“事故渋滞”らしい。原因を知ったら安心して、再び眠ってしまったのだが、この渋滞、“停滞”と言ったほうが正しいくらい動かなかったらしい。その間、私はほとんど寝ていたので実感はないのだが、到着時刻が予定では4時間のところ、5時間になってしまうほど影響したのであった。わずか数キロが1時間。渋滞ほど無駄なものはないと、つくづく思う。事故渋滞の原因を作った運転手には、遅延時間1分あたり1000円の罰金っていうやつを、後続車輌の1人づつが請求できるっていうふうに法律を改正すれば、バカな運転するやつも多少は減るんじゃないかな?

 渋滞で多少遅れたが、無事神戸に到着。4月以来のじじばばとの対面を、みこりんは難なく突破した。人見知りは、だいぶなくなってきたようである。


1999.8.17(Tue)

王子動物園

 双方の実家に2泊3日というスケジュールのため、神戸で丸々1日遊べるのは今日だけである。みこりんが遊べる場所ということで、王子動物園にみんなで出かけることになった。世間一般では、すでにお盆休みも終わっているため、苦手な人混みがないのが助かる。

 この動物園には、山羊とウサギ、それにモルモットと遊べる空間がある。さっそくみこりんを連れていってみたのだが、どうやら山羊が怖いらしい。山羊のほうは、遊ばれ慣れしているらしく、周囲を幼児が囲んでいてもまったく意に介してない様子だったのだが、みこりんは怖がって近寄らない。「大丈夫だよ」と、私が山羊のそばで座り込み、ごわごわした毛並みを撫でてやってると、ようやく好奇心が勝ったかみこりんがこわごわ触りに来た。でも、触るマネはするけど、結局じかに触ることなく山羊さんとの対面時間は終了となったのである。

 王子動物園は、敷地面積はさほど広くない。そのため収容されている動物の種類も、いたってシンプルなものである。でも、キリンやゾウといった定番動物は、ちゃんと飼育されているので問題ない。みこりんに、フェネックギツネだのセンザンコウといった動物はマニアックすぎる。ただ、今日は真夏日、東海・関東地方を襲った熱帯低気圧の影響は、ここ神戸には微塵もない。焼け付く日差しは、サバンナ原産の動物にも堪えるらしく、ほとんどが休息部屋にひっこんでしまっていたのだった。そのため、みこりんの好きなキリンは、窓ごしにチラッと首の一部が見えただけであった。

 ゾウさんは、休息部屋も大きく開放されていたのでたっぷり姿を見ることができたが、匂いの強烈さに目頭がくらくらした。まぁこうした匂いとかの記憶も、みこりんにとっては貴重な体験にはなるだろう。まさしく動物が生きている証なのだから。

 一回りしてきたあとは、売店チェック。いろんな動物のぬいぐるみが売っている。オリジナル商品に弱いLicは、店のおばちゃんお薦めの“ホワイト・オリックス”のぬいぐるみを買った。このぬいぐるみは王子動物園オリジナルなんだそうだ。みこりんは、どういうわけかミキサー車のオモチャを買っていた。動物園の売店に、なんでそんなものを売ってるのか?という疑問もあるのだが、こういう売店には、たいがいそういうチープなオモチャがつきもの。子供にとっては、そういうチープさがいいのかもしれないなぁ…。

 ライオンを見ていないことに気が付いたのは、動物園を出たあとのことであった。来年は忘れないようにしなければ。


1999.8.18(Wed)

移動

 早くも今日は神戸を発たねばならない。次の目的地は、愛媛。明石海峡大橋が開通したので、それを使うことにする。
 瀬戸大橋と同様、巨大な吊り橋は圧巻である。しかし、クルマで走ればあっという間に橋など渡り終えてしまう。たったこれだけではあるのだが、橋ができたことの影響はとてつもない。それまで四国から本州に渡るには、連絡船かフェリーぐらいしか選択肢がなかったのだから。

 連絡船は、高松(香川)−宇野(岡山)を結んでいたので宇高連絡船と呼ばれていた。高松駅の近くに波止場があったのだが、小さいころ連絡船に乗るのはものすごい“旅”を予感させるに十分な迫力があった。なにしろ瀬戸内海とはいえ、背の届かない大海原を突っ切ってゆくのである。沈んだらどうしよう…、などと、救命胴衣の装着の仕方などを懸命に暗記したものだ。それに比べて、橋の開通した現在、いとも簡単に海を渡ってしまえることよ。なんだかあまりに簡単すぎて、「こんなんでいいのか?」という気さえしてしまう。

 徳島の鳴門から“徳島道”を使えば、愛媛まで1時間弱で到着する。四国四県も、狭くなったものだ。
 徳島道を下りれば、ガキのころ、チャリでかっとんでいた懐かしい道が迎えてくれる。記憶にある街並みは、もはやその面影をほとんど感じることはできないが、ところどころ目印となる建物は健在で、迷うことなく実家へとたどり着くことができた。
 今、改めて思うが、団地の道は、子供のころ、こんなに狭くなかったはずだ。クルマ1台がやっと通れるかどうかっていう幅しかないじゃないか。…だが、間違いなく道路は昔から、その幅だったにちがいないのだ。でなけりゃ、この団地は夜な夜な地球侵略をたくらむ宇宙人によって、改造されているに違いあるまい。

 今日を、愛媛への移動の日に選んだのには理由がある。母方の祖母が、本家からやってくる日なのだ。父方の祖父祖母はすでになく、母方の祖父も数年前他界したため、私にとっては最後のおばあちゃんである。みこりんにとっては、曾ばあちゃん。じつは、みこりんが曾ばあちゃんに対面するのは、今年が初めてではない。去年の夏、本家に墓参りに行ったときに会っている。でも、その時みこりんはまだ1歳になるかならないかという時期であった。はたしてみこりんは、曾ばあちゃんのことを覚えているだろうか?

 祖母は、現在89歳。みこりんの周囲にいる人で、これほどの高齢者はいない。普段老人を見慣れないためだろうか、みこりんは曾ばあちゃんを怖がっているようだった。抱っこされようとすると、「ひぃ」なんて言って逃げようとするし。あと2日のあいだに、みこりんが慣れてくれるといいんだが。
 曾ばあちゃんのことは怖がったみこりんだが、実家で飼ってる犬の“ちゃちゃ”は一目で気に入ったらしい。「ちゃちゃ!」って呼びながら、触ろうとしてる。でも、手をべろんと舐められたら、やっぱり怖かったらしく、大泣きしてた。それで“ちゃちゃ”を嫌いになったか?というと、そんなこともなくて、なにかにつけて“ちゃちゃ”に触ろうとしていたのであった。
 ところで、今日もLicが運転手をやってくれた。ありがたいこと、このうえない。


1999.8.19(Thr)

海水浴

 朝から強烈な日差しで、まさに海水浴日よりである。みこりんでも安心して海で遊べる場所ということで、香川の一ノ宮海岸へ行くことにした。そこは、私が子供の頃にも2〜3回泳ぎに行ったことがあるのだが、遠浅で、真っ白な二枚貝がたくさん採れたものだ。

 お盆を過ぎているので、海水浴場の人影もまばらだった。昔は、海の家があったように記憶しているが、シーズンオフなのかどこにもそれらしき小屋は見あたらない。みこりんは、クルマの中でお昼寝タイムに突入してしまい、しばらく起きそうになかった。そこで、保養所のような冷房完備の休憩所を借りたのであった。うーむ、ビーチパラソル持ってくりゃよかったなぁ。

 みこりんをじじばばに任せて、Licと二人で海岸に下りてみることにする。遠浅の海岸なので、海水も熱せられやすいのだろうか、まるでお風呂のような温水だった。おそらく40度はあるにちがいない。そんな中でも、足先をかすめるようにしてハゼの稚魚やら、ボラ子なんかが泳いでいる。よく茹だらないものだと感心する。
 浅い水深なので、波の下でサカサカはっているヤドカリの姿がよく見えた。足先で、砂を掘ってみたのだが、昔のような白い二枚貝はいないようだった。
 そろそろみこりんを起こしてこなければ、夕方まで起きないだろう。Licが保養所に引き返してゆく。私はババッと海パン一丁になると、ざぶんと海につかってみた。まさに風呂だ。どうやら潮は満ちてきているらしい。

 どんどん沖のほうまで歩いてみたのだが、腰より上に海水がこない。波打ち際からすでに50m。さらに進んでみるが、いっこうに深くなる気配がない。このまま歩いて、はるか彼方の島まで行けそうだった。立ち止まり、仰向けに浮かんでみることにする。そうやって、波に揺られるのが子供のころから好きだった。閉じた瞼の向こうで、強烈な太陽が輝いているのがわかる。
 波をたっぷり楽しんでから、砂浜にあがって寝そべってみる。海水という遮蔽物がないと、今日の太陽は痛いくらい突き刺さる。頬がじりじり音をたててるみたいだ。波の音を聞いているうちに、いつのまにかうとうとしていたらしい。ふいにみこりんの「おとーさん!」という声で、気が付いた。みこりん登場である。

 みこりん用の浮き輪には、抜け落ちないように足を通す穴が開いている。そこにみこりんを装着して、海に連れ出してやった。前回の南知多と同じように、みこりんはもう海を怖がることはなかった。

チューちゃん

 海からの帰り、ホームセンターに立ち寄ってみた。ここは、ペットコーナーが充実しているのだ。
 あいかわらず齧歯類の品揃えは良い。やはり専門のペットショップが担当しているだけのことはある。
 1つ1つケージを確認していたら、見つけてしまったつぶらな瞳!ロボロフスキーのちっちゃな黒い瞳。

 おそらくこの世でもっとも愛らしい齧歯類だ。値段は2480円。安い。
 オスとメスを1匹づつ、買った。移動用のプラケも一緒に。ケージは、ジジとキキが使ってたのがあるから大丈夫。みこりんは、今度のロボちゃんとも仲良くなってくれるだろうか。おそらく大丈夫。みこりんは、チューちゃん大好きなのだから。

木星

 うちの実家は、なぜかやたらとベランダが広い。我が家の6畳間くらいなら、余裕で2間入るくらいスペースがある。部屋を増やすだけの資金がなかったのが真相だろうが、子供のころは、小鳥をたくさん飼うことができたので重宝したものだ。それと天体観測にも、役に立った。今でも当時買って貰った屈折型経緯台式望遠鏡は残っている。

 ちょうどベランダで洗濯物を干していたLicに、東の空で輝く黄色い星を指さして「たぶんあれが木星」と言ってみたところ、望遠鏡で見たいと言う。去年はたしか土星を望遠鏡で見ることができた。写真じゃなく、生で惑星の姿を見るのはぞくぞくするような興奮がある。
 望遠鏡をセットし、スコープの十字線の中央にくるように調整してから、レンズをのぞくと、まさしく木星の姿がぽっかりと瞳に飛び込んできた。大気のゆらぎで輪郭がちろちろ動くのがリアルだ。
 Licに替わった。じっとのぞき込んでいる。縞模様が見えると言った。プリズムレンズが使えないため、接眼レンズを覗くにはかなり無理な体勢になるのが辛い。

 木星を眺め倒したあと、Licは南の天頂付近にある明るい星を見たいと言った。たぶん恒星だから点にしか見えないよといいつつ、セッティングする。やはり遙か彼方の恒星であった。めらめらと輝くように燃えさかる姿は、神々しく、あまりに美しい。
 夜空をかすかに覆っていた薄雲が晴れていくと、Licが見たいと言った恒星が、夏の大三角形を構成していたことがわかった。よくよく目を凝らしてみれば、天の川も確認できる。岐阜ではほとんど見ることのできない夜空が、そこにあった。

 ふっと星が動いた気がした。流星だ。ペルセウス座流星群の名残だろうか。横でLicが悔しげに流星を探している。ところで、流れ星が消えるまでに願い事を3回言えた人って、いるんだろうか?ふとそんなことを思ってしまった夏の夜であった。


1999.8.20(Fri)

お誕生日

 保育園で覚えてくるのだろう、みこりんは最近よく「おたんじょうび〜!!」と節をつけて歌う。保育園では毎月お誕生会がある。8月生まれのみこりんも、来週お誕生会でお祝いしてもらえる予定だ。

 今日はみこりん、2歳の誕生日である。1年前のみこりんの写真を見ると、まだ赤ちゃんの面影が強いが、2歳になった今、どこからみてもお嬢ちゃんである。これからますます可愛くなって、さらに美しく育ち、『無限に広がる大宇宙…』とナレーションがどこからか聞こえてきそうなくらいみこりんの未来は限りない。若さとは、まさに究極の財産である。

 神戸では、Licの妹達がみこりんの誕生日プレゼントを持ってきてくれた。ありがたいことである。うちの弟連中はどうだろう??と思っていたら、どうやらみこりんの誕生日が今日であることを知らなかったようだ。夏ごろっていうのは覚えていたようなのだが。
 自分の子供時代でも、おばちゃんは何やかやとオモチャなどを買ってくれたが、おじちゃんは…、うーん、宴会とかでよく笑わせてもらったのは覚えているかな。
 私にも姪や甥が欲しいなぁと思う今日この頃であった。

帰還

 帰りは瀬戸大橋を使った。途中、与島SAを散策。フィッシャーマンズ・ワーフってどんなところかずっと気になっていたが、ようやく謎が解けてすっきりした。ここのおみやげ屋さんで、Licは念願の『母恵夢』を発見して勝ち誇っている。私のおみやげは『一六タルト』。最近は、柚子餡をウリにした別メーカーのタルトも売ってるようだが、やはり柚子風味ならば『一六タルト』が一番だと思う。

 与島SAを出たあとも、いろいろSAに停まったので、岐阜に帰り着いたのは約10時間後のことであった。すでに時計の針は、翌日に入ってしまっていた。
 4日ぶりの我が家。やはり家が一番ほっとする。留守のあいだ、にゃんきちくん達は元気にしていただろうか。玄関を開けて、暗闇をすかしてにゃんきちくんのケージを見やる。「!?」

 気配がない。いつもの場所に、それらしい姿が見えないのである。「にゃんきち?」と電気をつけてみたら、爪研ぎの上で、じっとこっちを見上げていた。いつもなら甘えてすり寄ってくるのに、今日はなんだかよそよそしい。調子が悪いのだろうか?とりあえず、餌と水を換えてやる。あまり餌は食べていなかった。お腹具合が悪いのかな…?
 でも、そうやってしばらくにゃんきちの相手をしていたら、だんだんいつもどおりに戻ってきた。どうやらひとりぼっちで寂しかったらしい。

 にゃんきちの世話が終わると、各水槽チェック。クラゲ水槽がなんだかヤバイことになっている。うーん…。サンルームを見てきたLicが、観葉植物がご臨終と言った。確認してみると、モンステラとリーガス・ベゴニア、ジャックと豆の木が枯れていた。最高最低温度計の記録によれば、サンルーム内は気温50度超になったらしい。そら枯れる。セントポーリアをリビングに避難させておいて正解だった。でも、トックリラン・ノリナは平気だったらしい。さすがは砂漠でも生きられる植物だけある。

 虫の声が聞こえていた。気温はまだまだ高いが、夜風は確実に涼しさを含んでいる。もう、夏も終わりだなと、ふいに気づいた夜であった。


1999.8.21(Sat)

雨雨雨

 土砂降りである。サンルームの天井には、大粒の雨がばらばら当たって砕けている。みこりんが、それを見上げて「おおきぃー」となにやら感慨深そうに言った。

 デッキチェアに寝そべりながら、帰省前に買っておいたコミック『砂の薔薇』を11巻まで通しで読みふけっている。明日も休日というのがうれしくてしょうがない。
 雨は夕方まで降り続いたが、やがて空のバケツも底をついたか小降りになった。頃合いはよし。買い物に出撃である。

 昨日がみこりんの2歳の誕生日ということもあり、今夜は外食することにした。今回は和食レストランで食べたい気分。以前から気になっていた店を訪れる。
 回転寿司の系列店らしい。値段も高くもなく安くもなくといった感じで、メニューを選ぶのにも困ることはない。握り寿司と天麩羅のセットものを注文した。値段の割には、ボリュームがある。質より量といった感じだ。あのLicが食べきるのに苦労しているのだから。

 たらふく食ったあとは、いつものイトーヨーカ堂巡りである。帰省前に冷蔵庫を空っぽにしていったので、今日はいつもより買う量が多い。レジを済ませると、ばら売りの花火を物色。しゅぼわ〜っと、高く吹き上げるタイプを4つほど買った。あとは路上で回転するやつと、ヘリコプターのように垂直に回転しながら上昇するやつ。子供のころ、よくこれで遊んだものだ。Licは、みこりん用にと手持ち式のを数種類選んでいた。

 さて、帰宅するとまっさきに花火である。しゅぼわ〜っのタイプから着火する。しゅぽぽぽぽぽぽ〜。最初のやつは、説明書には4mの高さで半径3mに広がりますなどと書いてあったが、どうみても高さ1mくらいしか吹かなかった。うーんだまされた。残りのは、いちおう3mくらいは吹いたのだが、一番綺麗だったのは値段がもっとも安かった昔ながらのタイプだった。花火は外見にだまされて買ってはいけない。

 Licの買ってきた手持ち式のなかに、やたら明るい炎を吐くやつがあった。まぶしくて炎を直視できない。まるでマグネシウムを酸素で燃やしたように明るい。こいつはすごい。花火の新しいジャンルだ。
 肝心のみこりんだが、なぜか花火を怖がってしまった。それまでは手持ち式なら平気で持ってたというのに。明日は花火平気に戻ってるといいんだけど…。


1999.8.22(Sun)

快晴

 昨日とうってかわって、今日はすさまじいまでに晴れである。朝起きて、サンルームを開けにいったらすでに気温は40度超。セントポーリアの葉っぱが、なにやらへにょへにょになりつつあった。やばい。水をたっぷりやっておく。

 ピーコの鳥かごを掃除することにした。みこりんがさっそくお手伝いしてくれる。続いて砂ネズミのチャッピーとクロの小屋も掃除する。みこりんは飽きたのか、途中で家の中に戻っていった。
 その後は玄関前の草引きである。百日紅の葉っぱが、はや落葉しつつあった。秋が来るのもあっという間だ。

 一仕事終えても、まだ午後2時。冷えたビールをぐいっとやりながら、お決まりのデッキチェアで寝そべりつつ、コミック『裁かれざる者』を読む。絵は趣味じゃないが、ストーリーは気に入った。こういうハードなやつは、夏にこそ似合う。

お買い物

 午後はマーゴで買い物である。みこりんの誕生日プレゼントを買うのが目的なのだが、オモチャ売場ではみこりん何にでも興味を示してコレという決め手がない。何が一番ふさわしいだろうかと悩むうちに、つい自分の趣味に走ってしまってガンプラHGシリーズ第一段『ガンキャノン』を買ってしまっていた。まだ『ロータスヨーロッパスペシャル』にも手を付けてないのだが、残り1つになっていたので不安になったのだ。

 結局、みこりんのプレゼントはオモチャオモチャしたものより、別のがいいんじゃないかということで、ウクレレを買ってやることにした。一昨日、とあるSAでウクレレのオモチャに興味津々だったみこりんの姿を思い出したのである。
 一応ホンモノのウクレレも見ておこうということで、楽器屋に向かう。最初に入った店では、1本しか置いてなく、値段も約5000円してたので、もう1件の楽器屋もチェックしてみることにした。こちらはギターに混じって、3種類ほど置いてあった。2種類は万の値が付く本格派で、残る1種類が4000円。値段的には、当初予算に収まってるのでこれでもいいのだが、なんだか立派すぎてみこりん用にするにはかなり勇気がいった。悩んだあげく、やはりオモチャのウクレレでいいやということになる。みこりんがもうちょっと大きくなれば、本物の迫力を教えてやってもいいけれど…。

 結局、イトーヨーカ堂にテナントとして入ってるオモチャ屋さんで買ってやることにした。みこりんにギターとどっちがいい?と選ばせようとしたら、ギターを選びそうだったのでドキドキしたが、結局ウクレレをしっかと握ってくれたので、一安心。高木ブーのウクレレ教室でも見せてやれば、はまること間違いなしである。

 さて、あとは食糧調達して終わりだ。みこりんは、食品売場に来ると、すったかたったーと、消えてゆく。追いかけっこを楽しんでいるらしい。時折、こちらを振り返りながら、幼児独特の走りでちょこまかと動く。背後に迫っても、わざと捕まえずに追跡してやると、非常に喜んでくれる。でも、野菜を選んでるスキに走り去られると、マジに見失いそうだ。みこりんは、いまだ迷子になったことはないが、そろそろ迷子札をつけといたほうがいいかもしれない。

 買い物を終えて、出口に向かっているとLicが急に「私の顔って濃い?」と言う。なんで?と聞いたら、さっき買い物してたら南米系外国人グループの1人に「Are you Japanese?」と聞かれたんだそうな。濃いといえば濃いかなぁ??うーん、どうだろう、アンケートでもとってみるかな?


1999.8.23(Mon)

ビオトープ

 午前中、思わぬ休暇になってしまった。まぁいい、のんびりするのも悪くない。みこりんを保育園に送っていったあと、昨日ホームセンターで買ってきてた水生植物を植え込むことにした。

 最初は睡蓮鉢がいいかなと思ったのだが、架台にのっけてみるとなんだか合わない。やはり洋風の鉢のほうが架台にはしっくりくる。そこでプラスティック製の、鉢穴に栓ができるテラコッタタイプの鉢を買ったのだった。

 まず水生植物の土を3リットル入れ、ポットから株を抜いて植え付ける。高低差を考えながら、自然な雰囲気になるように気を付ける。あとは水を入れて、ホテイアオイを浮かべたら完成。メダカでも飼ってみたら面白いかもしれない。
 ビオトープ・シリーズとかで、今年ホームセンターにできた水生植物のコーナー。はたして来年も存続してるかな。

ふと思い立って

 真夜中、時計はすでに午前1時を指している。Licとみこりんの寝息が聞こえるが、私は少しも眠くならない。暑いのでシャーベットでも食おうとリビングへ。

 ふと目に留まった文庫本1冊。『死国』である。読みかけのまま、ずっと起きっぱなしにしてた。涼しくなるにはもってこいである。さっそく手にとって、ごろんとフローリングに横になる。前の続きを探して読み始めた。

 私が四国で生まれ育ったこともあり、なんだか石鎚山やらお遍路さんという言葉が、やけにリアルに届いてくる。新宿在住の人は、『新宿鮫』シリーズを読むとき、こんな感じにいつも読んでいるのかな、なんて考えてしまう。

 はっと時計を見ると、はや午前3時。そろそろ寝よう。明日も仕事だ。


1999.8.24(Tue)

値段

 『あなたの価値を鑑定します』というサイトがある。こういう遊びは大好きなので、さっそくやってみた。さて、鑑定の結果は!!

 うーん、高いのか低いのかよくわからないが、2億なんて人にくらべると、ごくごく普通らしい。まぁ、自分の価値なんて、こうやって遊びでやってる分には楽しいもんだが、マジに『自分は世のため人のため、こんなに尽くしているんだ!』とか言い出すやつが出てくると、とたんに胡散臭くなる。でも、世の中にはそういう奴らがけっこううじゃうじゃいるってのが薄気味悪い。


1999.8.25(Wed)

『死国』

 昨夜もなかなか寝付けなかったので、またもやリビングでこっそり『死国』を読み始めた。物語はそろそろ佳境、石鎚山が荒れている。四国と死国がつながって、再び地上に死人が溢れだす情景。アメリカ映画あたりの派手な演出を彷彿とさせる天変地異を描写しているのだが、私の受けた印象では大失敗としか思えない。少しも凄そうに感じなかったのだ。それでいて死人の現れ方があまりに静かでローカルで、自然のパニック描写に比べておとなしい。両者の乖離が激しいため、嘘臭さが目立つのだ。天変地異などなくてもよかった。ただ静かに死人が蘇り、ひたひたと迫る怖さを淡々と読ませて欲しかった。

 結局のところ、一人の男を奪い合う2人の女という、ありがちなパターンだったのだが、それにしては男の描写が足りなすぎる。後半に突入するまで、脇役としか思えない扱いだったのだ。こいつがすべてのキーでしたと最後で言われても、違和感ありまくりである。
 四国を守っているらしい修験者の存在は、よいアクセントになってはいたが、面白そうな設定を予感させながらも不発に終わってしまった。もったいなさすぎである。死人が大量に蘇るというのに、妙なところで現実主義にこだわってるなと思う。修験者が、多少なりとも霊的能力を駆使したならば、物語にも躍動感が加わったことだろう。石鎚山を守るために、頂上を右回りにひたすら回るだけっていうのは、あまりに地味で味気ない。

 それと一番分からないのが、莎代里の親父がなぜ植物人間になってんのかってことだ。親父の執筆した本の内容が、このお話の重要な案内役になっているのだが、肝心の生身の親父は、ラストでいきなりタフガイ風味で登場し、娘をお仕置きして四国は救われる…。うーん、あまりに支離滅裂である。植物人間である必要性がどこにもないじゃないか。しかもいきなり復活するし。
 最初、この本を読み始めたときは、面白くなりそうな予感にわくわくした。いったいどんな怖い話が展開するのだろうと期待した。作者は日常の情景描写は非常にうまい。生活感がぷんぷん匂ってくるほどリアルで重い。だが、物語を維持するだけの世界観・心理描写・謎・伏線などを語るだけの力量に不足している。初心者がよく陥る、設定だけはものすごいが、それで力尽きてしまい、肝心の本編がすっからかんっていうパターンと似たものを感じてしょうがない。まぁ莎代里の霊が、男にくっついて石鎚山頂に登ってゆくシーンの描写は、なかなかぞくぞくしたけれど、怖かったのはそこだけだったなぁ…。

メダカ

 玄関先に設置した我が家のビオトープ、水も澄んできていい感じになってきた。水の中にはメダカが5匹。昨日Licが買ってきたのだ。もちろんヒメダカである。1匹15円。

 メダカがレッドデータブックに載るようになって久しいが、この辺りでも野生のメダカは発見することは難しいようだ。子供の頃、まるでイワシ漁のごとく大量に網でメダカをすくえていたのは、完全に過去の出来事になってしまったらしい。
 農薬汚染、ブラックバスなどの大量放流などなど、理由はいろいろあるのだろうが、それにしてもメダカほど増えやすい魚が、これほどまで激減するとはなんだか魔法のようでさえある。メダカという種だけ、ねらい打ちしたかのようなこの現象。たしかにメダカ以外にも絶滅に瀕した川魚はいるが、それらは大抵清流でなければならないとか、いろいろ生存条件が厳しいのが常だ。どうしてメダカがいなくなってしまったのか、じつはとんでもない理由があったりするのではないか…、漠然とした怖さを禁じ得ない。


1999.8.26(Thr)

頭からジャー

 お風呂でみこりんの髪を洗う。シャンプーをつけてがしがし泡立ててる時は平気なのだが、いざ泡を洗い流そうとすると、毎回大泣きされていた。大きな洗面器にお湯をはり、仰向けに寝かした姿勢で抱っこしつつ、後頭部を湯につけながら洗い流す。1回では泡を落としきれないので、新しい湯に換えて2回繰り返す。狭い風呂場なので、暴れるみこりんを抱えながらの作業はなかなか大変である。

 ところで最近みこりんは、機嫌がいいときは自分から肩まで湯船につかったり、顔を洗ったり、髪をつけたりするようになった。そこで昨日は髪の泡を洗い流すとき、思い切って立たせたままで、シャワーしてみたのだが…、なんと大丈夫だったのである。顔にお湯が流れたりしたら、泣きはするのだが自分でお湯を手でぬぐうだけの余裕がある。やはり保育園で毎日プール遊びをしている成果かもしれない。なんと保育園のプール遊びで、ワニさん歩きと顔を水につけるという技をマスターするらしいのだ。私の時代とは大違いである。

 今夜は洗面器で、ざばーっといってみるかな。

『ぶっとび!!CPU』

 昨日は、会社帰りに古本屋に寄ってみた。『砂の薔薇』の12巻以降と『クレオパトラD.C.』6巻以降は、あいかわらず発見できず。かわりにLicが見つけだしてきた新谷かおるのコミック『ぶっとび!!CPU』1〜3巻を買った。

 登場する女性型コンピュータのスペックが、なかなか微笑ましい。ハードディスクがテラバイトオーダー、搭載メモリがギガバイトオーダーと、これが書かれた当時としては凄かったであろう数値を示す一方で、動作クロックが250MHzと控えめである。第3巻が単行本になったのが1997年12月、続巻は出ていないようだが、もはやこのスペックでは1999年現在、未来からのオーバーテクノロジーと言うには無理がありすぎる。

 ギャグ漫画にそんなツッコミは無粋なのかもしれないが、数値で性能が示されるとどうしても現実のテクノロジーと比較してしまう。72時間ごとの細胞注入という設定が楽しすぎるだけに、ROMだのRAMだのという既存タームがかえって邪魔になっている。新谷かおるの作品でなければ、おそらくどうということはないんだと思う。私が彼の作品に初めて出会ったのが『エリア88』であり、その戦闘描写の迫力に圧倒された記憶が生々しく残っているがゆえに、『ぶっとび』で描かれるコンピュータ関連の設定の安易さが信じられないのだ。なんか無理してるなーと思わずにいられない。

 無理してるといえば、あ、そうだ谷甲州の『ヴァレリアファイル改訂版』早く読まないとな…。

安くなった?

 かねて噂されていたNTTの定額インターネット接続サービスが、どうやら11月から試験運用されるようだ。電話代が高いという最大の問題をクリアすることで、インターネット関連ビジネスの拡大を狙っているようだが、肝心の定額料金は月々1万円らしい。うーん、マジですかぃ。
 1万といや、一般家庭の電気代よりも高いのだ。平気でそんな値段設定できるのは、やはり競合会社がないためだろう。…あるいは、あえてNTTが高い値段設定をすることで、この分野への民間参入を促そうという隠れた狙いがあったり…、すると少しは見直すんだがなぁ。

車検

 Licのスターレットが、初めての車検から戻ってきたのが昨日。バッテリー交換やらオイル交換を含めて、約13万の費用である。年間あたりに換算すると、4.3万。これからは2年ごとの車検だから、一年あたりの出費はさらに増大する。クルマは走る凶器だから、その走行安全性確保が必要というのは分かるが、普段から整備点検しているオーナーにとってみれば、無駄以外のなにものでもない。
 が、先のGPS問題の時にもあれだけ注意喚起されていたにもかかわらず、ぜんぜん聞いちゃいねぇでメーカーに苦情の電話をかけたやつらがかなりいるってのが、この国の現状だ。そんなやつらは、きっとタイヤのスリップサインにも無頓着に、雨の日ぶっとばしてるにちがいあるまい。車検制度がなくなれば、たしかに怖い。しかしせめて、ユーザーレベルに応じた段階的適用というふうにならないものだろうか。日頃から定期点検に抜かりないやつは10年に1回とかね。そのかわり整備不良で事故れば、罰則は通常の10倍になる。なんでもかんでも平等にってのが、じつはとてつもない悪平等ってことはよくある話だ。でもそろそろ悪しき平等主義には退場願いたいね。


1999.8.27(Fri)

日除けの上にあったもの

 昨夜の雨が嘘のように、からっと晴れた朝である。サンルームのガラス戸を開け、日除けシートを繰り出しておく。この日除けシートは、サンルームの天井に、外側から付けられているのだが、その先端部分に何か小さな物体が乗っているのに気が付いた。
 下からじっと見上げてみるが、日除けの素材は網戸よりも透過率が悪いため、いったい何が乗っているのか判別不能であった。ぼんやり見える輪郭から判断するに、長さ10cmほど、細長く、赤っぽい色をしていることだけは分かる。

 “赤”という色で、ふいに思い出した過去の出来事。それは私がまだ中学生の頃である。当時、実家のベランダでは鳥かごをたくさん並べて、文鳥やら十姉妹やらを飼っていた。朝起きたら、それら鳥かごを鳥小屋から出してベランダに並べておくのが日課だったのだが…。ベランダの真ん中に、それは落ちていた。赤い色。柔らかそうな肉色。信じられないことだが、鶏の首が鎮座していたのである。立派なトサカが、生気を失って垂れているのが痛々しい。おそらくは、うちの小鳥を狙ってちょくちょくやってきてたネコの仕業だろう。ネコは獲物を弄ぶ。そして、飽きたらポイだ。鶏の生首、無念げに閉じた目がひどく哀しく見えた。

 この日除けの上に落ちているものが、まさか鶏の生首とは思えないが、不定型なさまはどこか生物を連想させて、不安になる。Licに教えてやると、怖々確認しているようす。でも正体はやはりわからない。

 私がトイレにいってる間に、Licがベランダに出て見てきたらしい。いったい何が落ちていたのだろうか?生き物の死体?それとも…。
 “みこりんの靴下”が正解だった。


1999.8.28(Sat)

テラコッタ

 サンルーム&ウッドデッキの代金を支払いに、エクステリアのお店に出撃。分厚い万札の握り心地は、たとえようもないほど甘美である。いよいよ支払いという、その直前まで、たっぷり撫でて撫でたおす。
 無事、支払いを済ませ、店を出ると、みこりんが展示してある木製のブランコに興味を惹かれたようす。乗りたそうな仕草を見せるが、なぜか躊躇している。そういえば、こうしてブランコに興味を示しているみこりんっていうのは、初めて見るような気がする。公園でも、滑り台でばかり遊んでいたような…。

 抱っこしてブランコに座らせてから、鎖をゆっくり揺らしてみる。ゆーらゆーら。振幅30cmくらいの実におとなしい揺れ方だが、みこりんは楽しそうである。みこりんが楽しいと、私も楽しい。思わず庭にブランコ作ろうかな、などと考えてしまう。
 先にクルマのほうに行ってたはずのLicが呼びに来た。オマケでガーデニング用品の中から、好きなものを持って行っていいらしい。さっそく売場をチェックしに行く。

 やはりこういう場合は、普段買いたくても買えないようなやつを選ぶのがよかろう。置物なんかだと、あとで飽きがきそうだし。というわけで、私の狙いはテラコッタに絞られた。以前から寄せ植え用に、1つ大きなやつが欲しかったのだ。
 やがて色、カタチ、模様とも、なかなか惹かれるものを見つけだすことに成功した。値札をちらと見ると、なんと“10000円!”。こんな高い品でもいいかな?と店の人に聞いてみると、OKらしい。なんて太っ腹な。ありがたく頂戴しておくことにしよう。観葉植物の寄せ植えがいいかな、それとも秋植え球根をたっぷりと…。楽しみがまた1つ増えた。

『ガイア』

 『ウルトラマン・ガイア』がそろそろ最終回らしい。欠かさず見てた熱心なファンではないが、やはりラストはしっかり生の感動を味わっておきたいものだ。『ティガ』から始まった平成ウルトラシリーズも、『ガイア』で一区切りということらしいし。

 ガイアの赤と、アグルの青が、絶妙のコントラストである。30代の旧ウルトラマン世代が、セブンとメトロン星人の回における“赤”を強烈に焼き付けているのと同じく、現代の子供らは、この赤と青、二人のウルトラマンの映像を、忘れることはないのだろう。

 をを、地球の怪獣達が宇宙からの脅威“破滅招来体”と闘っている。守るべき地球。Mother Planet “The earth”。いいね、こういうのはとてもいい。「負けると分かっていても、闘わねばならないときがある」と、ハーロックの語りでも聞こえてきそうだ。

 ガイアとアグルは、復活できるのか!?え??来週最終回?そうだった、東海地方は1週遅れで放送されてるんだった。密度の濃い25分だったなぁ。

『ガメラ3』

 夜、『がんばっていきまっしょい』を借りにレンタルビデオ屋に行ったが、あいにく借りられていたので『ガメラ3』を見ることにした。『がんばって…』は、お気に入りの田中麗奈ちゃんが出ているうえに、劇中に登場する高校が松山東高がモデルになってて、松山やら愛媛の光景がばんばん登場する。愛媛出身で、大学時代を松山で過ごした私にとっては、ぜひとも見ておきたい1本なのである。
 が、今夜は『ガメラ3』だ。平成のガメラ・シリーズは、じつは1本も見たことがない。旧ガメラシリーズも、ギャオスのやつしか記憶にない。それがどうして今回いきなり『3』を借りようと思ったかといえば、学生時代の仲間達が『3』を熱く語ってたのを思い出したからだ。どうしようもない駄作ならば、議論の対象にもならないが、どこか光る部分があれば、それをネタに延々と語ってしまえるのがSFモノの生態である。はたして『ガメラ3』は、どれほどのものであろうか。少しばかりの期待を込めて、再生ボタンを押した。

 今夜も布団に寝ころびながらの鑑賞である。だが、渋谷駅壊滅のシーンを終わって、後悔した。14インチの画面では小さすぎる!ガメラが青白い炎を激しく吹きながら地上に接近し、着地。小さい画面で見る限り、えらくマニアックな甲羅などの変形があったようだ。なるほど確かに特撮はもの凄いらしい。
 ガメラといえば、ついゴジラと比べてしまうのだが、怪獣モノにしてこの空中戦のスピード感は、素晴らしい。地上での肉弾戦も、大胆な動きである。まるでアニメーションにおける巨大ロボットモノのように。

 庵野秀明を筆頭に、過去の特撮モノの手法をアニメーションに取り込んで来たのは有名である。しかし、この『ガメラ3』では、逆にアニメーションの手法を特撮で再現しているようだ。同じ特撮でもハリウッドのソレとは、どこか違う。大胆なデフォルメや、古くは“金田走り”などと呼ばれた独特の動きは、まさに日本オリジナルの表現手法といえよう。

 で、肝心のストーリーなのだが、山崎千里扮する巫女と男のペアが、余分に思えた。個人的には、中山忍とかガメラと意志疎通できる女も、不要にすら感じた。前田愛と、男の子だけでイリスのどう猛さを見せつけつつガメラへの激しい憎悪と、破壊だけでも十分面白くなったんではないだろうか。前作の絡みがあるのはわかるが、あえて視点をずらすべきだったように思う。

 最後に一言、「怪獣と精神融合して取り込まれた時は、すっぽんぽんでなきゃ!」


1999.8.29(Sun)

太陽光発電

 ついに我が家でも導入することになった。以前から太陽光発電に興味を持っていたが、値段の高さがネックだった。しかしながら、うちの電気代は2m水槽を新調してからというもの、一般家庭の3倍、多い月で4〜5倍というありさまで、このまま死ぬまでこんな電気代を払うよりも、太陽光発電にしたほうが結果的に得になる、そうだ太陽光発電にしよう!ということになったのだった。

 Webでいろいろ調べていたのが先々月あたり。各社にカタログ請求などしていたのだが、そのうちの1社は営業さんを派遣してきたのである。太陽電池の性能が、もっとも重要になるのだが、なかなか良さそうだったので結局、その業者に見積もりを依頼することになったのが先月のこと。ローンの支払いが、思ったより手頃だったので、めでたく本日、契約となったのである。
 太陽光発電装置には、国の補助金が出る。3.6kWの設備で、だいたい110万円ほど。この優遇措置が、どうやら2000年を目処に見直されそうだ、というのも今年契約した理由の1つになる。それに、ローンの支払いが増えるとはいっても、太陽光発電によって、従来必要だった電気代が8千円ほど浮くため、それほど負担にはならないはずである。しかも業者が用意しているローンの金利は、労働金庫などの格安金利より低い。この機会を逃すことはあるまい。

 我が家の屋根面積は、ちょっと狭かったらしい。3.6kW分の太陽電池を設置するのに、通常1方向で収めるところを、東と西も使って3方向に貼り付ける。さらに“精電器”という装置も併用する。こいつの原理を説明してもらったのだが、電気代ってそういう原理で課金されていたのかと唖然とした。うちの場合、1つの部屋だけで集中的に電気を消費しているわけなのだが、これはものすごくもったいないというわけだ。分電盤にて適切に割り振ったならば、原理的に半分の電気代で済むのである。うーむ、もっと早くにその情報を知っていれば…。まぁいい、太陽光発電と併せて来年からは電気代激減である。

昼下がり

 週末の恒例をなった感のある草引き仕事を終えると、今日は花桃の剪定をやることにした。春に一度剪定してすっきりさせていたのだが、夏の間に新芽が伸びて、枝葉がこんがらがるほど密生してしまっているのだった。このまま台風にでも来られたら、風の抵抗をもろに受けて倒れるかもしれない。そうなる前に、カットしなければ。

 どの枝を切ればいいか、いつも迷う。植木の本には、最初からちまちま切るのではなく、メインとなる枝を見極めて大胆にやるのがよいと書いてあるのだが、なかなかに難しい。木というものは、その状態が最終形態ではなく、日に日に生長してゆくものである。そのため、数ヶ月、数年先の姿を頭の中でシミュレーションさせながら、枝ぶりを決めなければならない。高いところにある葉っぱを見やりながら、慎重にハサミをふるう。

 枝のそこここに、カナヘビがたたずんでいるのに気が付いた。こんな枝の上でなにをしているのか?と思っていると、1匹が葉っぱにとまってたキリギリスの仲間をもぐもぐやってるのが見えた。なるほど、餌場だったのか。数年前は、秋の虫に葉っぱを丸坊主にされたこともあったが、最近そんなこともなくなっていたのはこういう理由があったらしい。生態系のバランス感覚に感心する。

 脚立を持ち出し、上のほうを切る。10cmほどの苗木で植えて、今年で4年。今では、2階の窓の真ん中あたりまで届いている。そろそろ頂上を摘めた方がいいのかもしれないな。

真夜中

 なかなか寝付けずに、布団をごろごろ。ようやくうとうと眠れるかなと思ったら、けたたましいネコの喧嘩が始まった。うちの庭でやってるらしい。窓から見下ろしてみると、でかいネコ2匹が、激しく追いかけ合ってるのが見えた。うちのガレージは、庭より1mほど低い位置にあるのだが、サンルームを組み立ててくれた業者の人が、サービスで階段を取り付けてくれたため、みこりんでも庭からガレージに下りられるようになった。便利になった反面、こうしてネコどもも簡単にガレージ側の道路から庭まで走り込んでくるようになってしまったのだ。

 追い払おうか迷っているすきに、2匹のネコはどこかへと姿を消した。…ふぅ。
 目が冴えてしまったではないか。。。。
 寝よう。明日は仕事だ。…再び、うとうとし始めた時、今度はサンルームに吊っておいたピーコの、尋常ではない羽音に起こされた。とっさに「ネコだ!」とわかった。飛び起きると、大急ぎで階段を下り、リビングへと向かう。窓ガラスを開け、サンルームへ。ピーコは、カゴにへばりつくようにして荒い呼吸。暗がりの中、目を凝らして庭をサーチして発見した。やはりネコがいる。じっとこちらを見つめているのがわかる。

 庭に飛び降りて、小石を拾う。ネコは猛然と逃げ出した。その後ろ姿に向けて、石を投げる。当たればラッキーだが、それは無理、せいぜい威嚇になればという投石だ。甘い顔を見せれば、たちまちネコはつけあがる。恐れさせねばならない。
 それにしても最近、うちの周囲にはネコの姿が多すぎる。そんなに野良猫が生きていけるほど、団地には餌場はない。誰かがこっそり餌をやっているのだ。野良猫が、どれほど迷惑をかけているかも想像できずに。


1999.8.30(Mon)

秋の気配

 園芸屋さんで、花を物色する。夏の原色系はそろそろ終わり、秋にむけて清楚で可憐な花が目立つようになった。そうした中に、その花を見つけた。白い花が、サルビアのように四方についている。名札には“ねこのひげ”とあった。こういう花が、風にゆられる姿は、秋にぴったりに思えた。買おう。

 “ねこのひげ”は背が高い。株もとに、アクセントが欲しいと思った。ふと目に付いたのが矮性の桔梗。水色の花が風流である。買おう。

 ルリマツリの白花と水色花。なぜにそんなに可憐なのだ。買おう。

 Licは、蚊蓮草2鉢とステビアを買っていた。思えばこの蚊蓮草、蚊を寄せ付けないと大々的に宣伝されてた当初は、1株2000円とか平気でしてた。今では200円もあればポット苗が買える。流行廃りは、どこの業界でも避けがたい宿命らしい。

 秋植え球根の季節でもある。みこりんが、春になれば「さーいーたー さーいーたー」と歌えるように、チューリップの球根も買った。『揃い咲き』と銘打ったこの品は、4色12個のユリ咲きチューリップの球根セットだ。チューリップを植えて、何が哀しいといえば、種類によって咲く時期がバラバラなことに尽きるだろう。せっかく配色を考えて植えていても、バラバラに咲いては色のアレンジも無駄になる。それが4色すべて“揃い咲き”するとあっては、買わねばなるまい。園芸ブームのおかげで、こういった新しいコンセプトの商品が手に入るようになったのはうれしいことだ。

 ところで前々から疑問だったのだが、リコリスの球根は売っているのに、日本に昔からある曼珠沙華の球根は、なぜ売っていないのだろう。赤に白のラインが入った曼珠沙華の美しさは、リコリスの比ではないと思うのだが…。球根に毒性があるため?それとも死者の華という言い伝えのため?モロヘイヤを売ってるくらいだから毒性というのは考えにくい。やはり曼珠沙華の日本における特殊な位置づけが、一般流通を拒絶するのかもしれない。

ネコ缶

 最近、「晩ご飯何がいい?」とみこりんに聞くと、「ねこ、たべるぅ」と言ってくれる。ネコ、おいしいのだろうか。

 さて今日は、にゃんきちくんの餌を買わねばならない。ドライフードは、やや食いが悪いため、奮発して最近はネコ缶をやっているのだ。今週分をキープしておかねば。
 それにしてもネコ缶の種類は、どうしてこんなに多いのか。軽く100種は超えてそうだ。とはいえネコが食うものといえば、肉か魚。あとは混ぜモノで差別化をはかるしか残されていないため、各社トッピングにしのぎを削る。シラスやササミなんてのは当たり前で、ターキーだの舌平目だの、DHA配合なんてのもある。人間様でもそのまま食えそうな感じだ。

 今でこそ犬猫にはペットフードってのが常識になっているが、いったいいつ頃からネコはネコまんまではなくなってきたのだろう。やはりバブル期、高価なネコを飼う人々が増えてきてからだろうか。コンビニがネコ缶を常備するようになったのも、その時期ではなかったか。そして犬猫にも成人病が指摘されるようになり、ネコ缶もぐっとヘルシーさを売りにしたものが多くなった。日本人が、魚をあまり食べなくなったので、ネコ缶が必要になったというのも思いついたが、真相は如何に。


1999.8.31(Tue)

なぜか不機嫌

 昨日の夜あたりから、みこりんのご機嫌が凄まじく悪い。何を言っても「だめっ!」と却下される始末。結局、今日は一日みこりんを抱っこすることができなかったのである。

 これが噂に聞く『第一次反抗期』というやつだろうか。前触れもなく始まると、びっくりするじゃないか。
 みこりんを“ぎゅぅっ”できないと、なんだか落ち着かないものだ。夜、すやすやと眠っているみこりんの背中を、しっかりさすっておいた。

 私がみこりんサイズな頃、どうも『第一次反抗期』はなかったらしい。その代わりかどうか、思春期の頃の『第二次反抗期』は、かなり激しかった記憶がある。特に中学1年のときの数学の教師には、とことん反抗した。不条理な教育方針が、当時の私には許せなかったのだ。もともと勉強は好きで、テストなんかもまるでゲームか何かのように楽しんでいたのだが、数学だけは落ちる一方であった。だが、2年に進級して、数学教師が代わったとたん、理科についで得意な科目となったのである。じつに単純であった。

 今ならば、教師が気にくわなければ、逆にめちゃくちゃ勉強するだろう。あんたの手は借りないという意思表示だ。そのほうが何百倍もかっこいいのに、どうして当時はそれができなかったかといえば、やはり『ガキだったから』としか言いようがない。何者かに反抗心を利用されなかっただけでもマシである。
 みこりんは、反抗することでどんな成長を見せてくれるだろうか。不安8割、楽しみ2割。さてさて。


Profile

about

Written by U.

Home

Since 1997.11.14

Index

2009年

  • 7月
  • 8月
  • 9月
  • 10月
  • 11月
  • 12月

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

  • 7月
  • 8月
  • 9月
  • 10月
  • 11月
  • 12月

2003年

2002年

2001年

2000年

1999年

1998年

1997年

  • 1月
  • 2月
  • 3月
  • 4月
  • 5月
  • 6月

RSS feed

RSS1.0RSS

[VALID RSS!]

お勧め

『メイン☆ストリート』(アーティスト:May’n)

『付喪堂骨董店〈5〉―“不思議”取り扱います』(著:御堂 彰彦)

オンライン書店 boople.com(ブープル)

ユーブック

賛同企画

中国によるチベット人殺害と武力弾圧に抗議する!
チベットにおける中国の武力弾圧に反対します

中国製品不買運動

2月22日は竹島の日。竹島は日本固有の領土である。韓国の侵略を許さない。

提供:natsuka.net

gooホーム PROJECT

国際サンゴ礁年2008
国際サンゴ礁年2008

田中律子のTalk&Life