2004.5.14(Fri)

祖母のお見舞い

 帰省しなければならない、そう決心したのは昨夜のことである。母方の祖母が入院しているという情報は、今月のはじめに実家からの電話で知っていたが、その容態が悪化しつつあるということを、昨夜遅くの電話で告げられたのだ。来週になってからでは、間に合わないかもしれない。祖母が生きているうちに、もう一度会うためには、どうしても今日でなければならなかった。

 夕方、Licとみこりんと共に、最寄りの駅から電車に乗った。切符はすでに買ってある。3人分だ。春から小学生になったみこりんの分が増えた。みこりんは、おばあちゃんに会えるというので、うきうきした表情をしている。が、「ひいばあちゃんのお見舞い」という本来の目的については、いまひとつよくわかっていないところがあるようだ。無理もあるまい。みこりんが祖母と対面した記憶は、指折り数えても片手で足りるほどしかないのだから。
 だからこそ、小学生になったみこりんを、祖母に見せておかねばという強い思いが私にはあった。

 電車の窓の向こうが暗黒に塗り込まれ、山の中を走っているのか、海の上を走っているのか、まったく定かではない状況がひたすら続き、ようやく目的地へと到着した。片道5時間弱、みこりんはかなりグロッキー気味。駅まで迎えに来ていた父の姿が、なんだか一回り小さくなったような気がして、少し戸惑う。

 母は、今日も祖母のお見舞いに行っていたのだという。自発呼吸はあるものの、食事を自力でとれないため、鼻からチューブを挿入された状態で、ときおり薄目を開けはするものの、意識は曖昧とした状況らしい。94歳。これといった病気があるわけではなく、高齢による衰弱とのことだった。

 *

 明日、弟家族と共に、祖母のお見舞いに行く段取りである。祖母が入院している病院は、母方の実家(つまり祖母の家)に近い。私の実家から、そこまでは、車でも1時間半はかかる距離があった。

 23時をだいぶ回った頃、外で鳥の鳴き声がけたたましく響いた。カラスであろう。リビングに居合わせた皆が、“不吉”という言葉を思い浮かべたに違いあるまい。そして私の視線の先には、この家の主みたいに堂々とソファで寝そべる黒猫の姿があった。宵烏に黒猫…、、、出来すぎたこの状況が、不安を押しのけ苦笑の感情を呼び起こした。

 そして24時を15分ばかり過ぎた時、母のケータイが静寂を破り、呼び出し音を響かせる。電話に出た母が「…まにあわなかった」と言ったのが、心に強く焼き付いた。祖母は、帰らぬ人となった。奇しくも、カラスが騒いだ頃のことである。

 *

 母は、てきぱきと必要なところに電話をかけ始めた。ところが末の弟のところに、どうしても電話が通じないのである。つねに話し中。ケータイは電源が入っていない模様。いまどきダイアルアップ接続でインターネットな環境なのかもしれない、ということで、実家のPCを起動し、末の弟宛にメールを送った。5分ごとに受信チェックしたが、こちらも応答なし。3時まで待ってみたが、どうにも埒があかないので、私は軽く眠ることにした。祖母の死、というものが、まだ実感として湧いてこない。昨年はあんなに元気そうだったのに、と、当時の記憶が延々とループする。眠れそうになかったが、いつのまにか睡魔はやってきて、私の意識はそこで途切れた。


2004.5.15(Sat)

お通夜

 こんなこともあろうかと、ということになってはいけないからどうしたもんかと悩んだ末に、結局、いずれは必要になるから実家に置いておこうということで、全員の喪服は持参してきていた。まさか本当にこれを今日、使うことになろうとは…

 昨夜、まったく連絡のとれなかった末の弟からは、朝になって電話が入った。私が出したメールを、やっとこさ読んでくれたらしい。どうやら本当にダイアルアップ接続でインターネットな環境だったようだ。しかも接続したまま、本人は寝てしまっていたのだそうな。母が明け方まで電話をかけ続けても、これでは繋がらないわけだ。

 朝食を、近所に住む真ん中の弟家族も含めて、いただく。1歳5ヶ月になる姪が、私を見てちょっと逃げ腰だったのが、少々ショック。でもみこりんには無難に抱っこされていた。やはり子供同士、女の子同士という強みなのか。

 *

 弟の運転で、母方の実家に向かう。カーナビのマップに示される現在位置が、刻一刻と祖母のもとへと近づいていることを示していた。

 到着。ここにくるのも随分と久しぶりだ。みこりんが生まれた翌年に、祖母に見せにやってきて以来である。
 私が子供の頃、お盆や正月に遊びに来たとき、いつも布団を敷いてくれていた座敷で、祖母は寝かされていた。その枕元の壁の上には、先代の遺影があり、10年前に亡くなった祖父の写真も、あった。
 祖母に合掌。昨年の記憶とは、あまりに変わり果てた姿に、感情が激しく揺さぶられる。90歳を越えて、さらさらと色鉛筆でプチトマトが皿に盛られた様子をスケッチし、あまつさへ“Petit tomato”と書き添えることができるほどの祖母であった。しかし、その唇は今は枯れ果て、二度と動くことはない。みこりんに「ひいばあちゃん、しんでしまったんだよ」と言ったが、みこりんはじっと見ただけで、特に感想はなかった。6歳では、まだ“人の死”というものの実感がないのであろう。というか、みこりんにとっては、ほとんど知らない人なのだから、これもいたしかたあるまい。

 やがて葬儀社の人がやってきて、いくつかの儀式をこなしたあと、祖母を棺の中に移し、斎場へと移動となった。祖母の家は、かなり広いので、自宅ですべてを執り行うことも可能なのだが……

 *

 仏式でのお通夜。続々と集まってくる親族達。小さかった頃の記憶と、現在の顔の印象の違い、永い年月の経過を思い知らされる。私も年をとった。あの頃の自分と同じ立場に、今のみこりんがいるのだろう。

 読経が終わると、ぽつりぽつりと親族達が帰ってゆく。告別式は明日の午後。夜通し御鈴を鳴らし、線香を絶やさないようにするのは、結局、祖母の娘家族だけとなった。つまり、私の母家族と、その妹家族である。喪主一家は、早々に自宅へと引き上げていった。祖父亡きあと、祖母が本当に幸せだったのかどうか……、いまとなっては誰にも分からない。

 みこりんを斎場でゴロ寝させるわけにもいかないので、叔母がお見舞い用に予約してあったホテルに、Licと向かわせた。母の妹家族とは、頻繁に付き合いがあるが、やはり最後はこうした繋がりが残るのだろうな、と思う。従弟妹達と交互に御鈴を鳴らし、線香を足し、近況報告などしあい、たまに夜食をつまんでビールを飲んで、そしてときおり棺の顔の部分を開け、祖母の顔をじっと見つめる。明日にはこの姿も焼かれ、二度と見ることはできなくなるのだと思うと、切ないというか、なんというか、なんとも虚しい気持ちになる。元気だった頃の祖母の記憶と、目の前の“死”という現実とのギャップの大きさに、打ちのめされる。

 あぁ、もう祖母はいないのだ、と徐々に実感として納得してゆく自分がいた。


2004.5.16(Sun)

告別式

 告別式が始まる15分前、生前の写真スライドがBGM付きでスクリーンに投影される。やはり娘家族と一緒のものが多い。喪主一家は同居していたというのに、わずか1枚だけ。むぅ……

 式が始まった。ゆったりと流れてゆく読経の声。僧侶が5人も登場する派手なものであった。

 一時間ほどで式が終わり、霊柩車へと棺を運び入れる。このあと、焼き場での最後のお別れ、そして初七日法要と続くのだが、私達家族は、明日それぞれに学校や仕事があるため、ここで帰らねばならない。私にとっての、最後のお別れである。去り行漆黒の霊柩車に合掌する。外は雨。昨夜から降り続く雨は、絶え間なく辺りを濡らす。

 さようなら、おばあちゃん。


2004.5.22(Sat)

STAGEA ELS-01

 この5月から、みこりんの音楽教室のグレードが上がった。通常なら2年かけて習う範囲を、1年でやってしまうクラスに入ったのだ。果たしてみこりんはついていけるだろうか。ちょっと不安もあるが、先生の推薦でそう決まったのだから、きっと大丈夫なのだろう。実際、最近のみこりんは複雑な伴奏付きの楽曲でも、わりとさらさらと弾けているようだ。

 というわけで、我が家のエレクトーンも、グレードアップすることになった。これまで使っていたものを下取りに出しての特別価格。それでもかなり懐には痛いが、それだけ長く使えるので、よしとする。

 朝、トラックで運び込まれてきたのは、STAGEA ELS-01(ヤマハ製)、シルバーの外観もスマートな本格派。この機種は、直接インターネットに接続できてしまうという特長も併せ持っており、このへん、私やLicの感性をかなり刺激したもよう。

 さっそく試し弾きしているLic。鍵盤をぐっと押すことで、音色(音量?)が変化する機能が、特にお気に入りらしい。
 続いてみこりん。スイッチを入れると、中央のカラーLCDにヤマハのロゴが現れ、トップメニューが表示される。何気なくそこにみこりんの指が触れた途端、次のページへジャンプする。そう、これはタッチパネルになっているのだ。みこりんもそれに気付いたか、いろいろと押してみて遊んでいる。インターネットに接続した時には、ここがブラウザになるようだ。なかなか面白い。みこりんも面白がっている。

 みこりんの試し弾き。みこりん的には、5月から始まった足鍵盤の操作が楽しいらしい。まだ背が届かないので、椅子に座らず、立ったままぐぃっぐぃっとベース音を響かせていた。

 4月まで教えてくれていた先生が、結婚のため教室を離れてしまうということもあり、みこりんがかなり動揺するのでは、と心配もしていたのだが、いざ新しい先生になってみると、けっこうすんなり馴染んでくれたようで、ほっとしているところだ。3歳の頃から同じ教室に通っているお友達も、一緒にグレードアップしたというのも大きく影響してそうだが、みこりんは「こうこうせいくらいになったら、せんせいにあいにいく」と意気込んでいるので、内心ではかなり残念がっているのかもしれない。まぁ、高校生といわず、メールでならいつでも先生とお話できるので、そのうちアドレスを教えてやってもいいかな、とか思っているのであった。


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