2009.1.14(Wed)

『屍姫 赫』“第12話 夜明け”

 アニメ版は、“赤(あか)”と“玄(くろ)”の2パートに分けて製作されるようなので(すでに玄の放送は始まってるが)、この第12話は“赤”パートのクライマックスとなる回。
 いつものようにバンダイチャンネルにて視聴。全画面表示にして、ヘッドフォン装着してと(眠りに付くみこりんが怖がって起きないように)。

 屍姫は、自分の契約僧が死ぬと、運命を共にする。もしもそうならなかった場合には、ただの屍と化し、別の屍姫によって処分されることになる。
 そういう前振りを踏まえたうえで、今回、マキナの契約僧である田神景世が絶命する。景世がどういった役回りの人物かといえば…、たとえば『マクロス』で言うところの一条光とロイ・フォッカーの関係における、フォッカーみたいな(例えが古っ)。一条光に相当する方が、例のしゃべりが残念な主人公君だ。

 でも今回、主人公君はどっちかというとあんまり重要ではない。注目すべきは、絶命しかかった景世が、マキナの笑顔を見たいというこの世の執着により屍化するのではないかというい状況で、屍化すれば景世は生きていられると思う気持ちと、屍にしてはいけないという気持ちと、相反する両方の葛藤に苛まれるマキナの心情であろう。
 結局、後者を選んだマキナだったが、その時の表情と、それを見て安らかに息を引き取る景世の表情が、あまりに美しくも哀しくて、画面に釘付け状態だった。

 演出も上手かった。台詞で語らせるのではなく、あえて音声をカットして、表情、動きだけで魅せ、見る側に想像させる作戦であった。素晴らしい。
 音楽もよかった。まさに音楽と動画という、アニメーションの特長を最大限駆使した演出だった。
 原作モノのアニメ化は、往々にして失敗作になることの方が多いものだが、これについては主人公君の声優が残念な点以外は、及第点をつけてもよいんじゃなかろうか。

 そろそろ原作買わねばなるまい。


2009.1.3(Sat)

『屍姫 赫』

 みこりんも寝静まった夜のこと。
 バンダイチャンネルに登録されている作品リストを眺めていると、『屍姫 赫』が今月末まで第1話〜第10話を無料配信しているのに気付き、見てみることにした。
 原作コミックは表紙しか知らず、話の概要すらわからない。ただ、アニメ版のヒロインのキャラクターデザインにはちょっと惹かれていたので、無料配信中に中身の方も確認しておこうという魂胆である。“屍”という文字から、あっち系の話なんだろうというのは想像できるので、自分には合っている可能性が高い。。

 見始めて思ったのは、主人公二人の声がなんか下手だな、ということだった。本職の声優を使ってない例のパターンかなと思いつつも、作画やらストーリーやら音楽やらはまったく問題ないレベル、むしろ上手い部類だったので、引き続き2話、3話、4話、5話……
 オープニングとエンディングを歌っているのが angela だというのはすぐにわかったが、特にオープニングの出来は音も映像も秀逸なんじゃなかろうか。哀しくも美しく、はじまりの赤い空がはまりすぎ。

 作画の方で、あの伝説のアニメーター、金田伊功(いまも現役なので伝説というと語弊があるかな)を思わせる箇所があって、とてもとても懐かしく感じた。今時の人なら“作画崩壊”と言ってしまうのかもしれないけれど、こうした特徴的な動きを描けるアニメーターは貴重だ。
 久しぶりに金田飛び(っぽいやつ)を見られただけでも、今回の挑戦は成功といえよう。

 ただ、主人公の少年の声が素人すぎる件については、10話を見終わった時点でも、気になった。同じく本職の声優ではないと思われる屍姫のマキナの声は、徐々に慣れてきた感じ。でも…、最初から声優使ってればよかったのにと思わずにはいられない。もったいなさすぎる。

 10話まで見終わったあと、原作はどうなんだろうなぁとWikiやらAmazonやらで情報収集。どうやら原作の方の屍は、より人の形態のままになっててグロさにおいてはアニメ版の比ではないらしい。でも自分的にはどっちかというと、あんまりグロいのを動画で見るのも飽きた頃なので、現在のアニメ版程度のモンスター形態で十分かなと思ったりもし。
 ともあれ、原作も一度読んでおきたいところだ。


2008.10.22(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 第19話“地球への道(前編)”』

 前回の第18話“ファーム”は、タイトル通り、なかなかグロかった。まさに産む機械扱いなところが、ギーガーの描くバイオメカノイドを彷彿とさせて、ちょっと懐かしかったりもしたが…。
 サイロン(♂)×ヒト(♀)の受胎には成功していないのに、サイロン(♀)×ヒト(♂)がOKなのには、やはり何か理由があるのだろう。いまだにその子供の姿がどんなものなのかが意図的に明らかになっていないところが、結構怖かったりもするのだけれど。
 そしてラスト、“ブーマー”の死体を見て泣き崩れているアダマ司令官が、坂上二郎さんに見えた事も、忘れないように記しておこうと思う。自分を撃った“ブーマー”、サイロンだった“ブーマー”、でも2年間、ギャラクティカのクルーとして信頼していた“ブーマー”、アダマ司令官の脳裏にはそうした様々な思いがぶわっと渦巻き、感極まったのであろう。でも二郎さんに見えてしまったのでせっかくのしんみりした場面が、いろいろ台無し orz...(二郎さんが悪いわけじゃないだけに、ちょっと悔しい)

 そして今回、第19話“地球への道(前編)”。大統領側とギャラクティカ側に分かれた船団の、それぞれの事情。個人的には数話前に大統領を牢屋にぶちこんだあたりから、アダマ司令官の判断にしっくりこない何か違和感のようなものを持っていたのだが、あれは大統領と神話を結びつけるための製作側による前振りだったような気もしてきた。違和感は、そこに至る必然性が、あまり感じられなかったからだと思う。もうちょっとうまいシナリオを用意すればよかったのに、少々残念な気もする。

 しかしまぁ、最後にアダマ司令官が元に戻ったのが救い。アダマ司令官ほどの人物でも、時には判断を誤り、苦悩するのだというのを見せたかったのだろうなと、良い方向に解釈しておく。


2008.10.15(Wed)

『マクロスF』第25話“アナタノオト”

あれは恋の歌よ
バジュラが何万年、いいえ何億年かに一度
他の銀河に住む群れと出会い、交配するために呼びかける
恋の歌よ
アイモ アイモ
あなた あなた、って…

ランシェ・メイが幼いランカに語り聞かせたこと

 初代マクロスTV版、劇場版『愛・おぼえていますか』、『プラス』、『ゼロ』あたりを通しで見てきた世代には、まさに“なにもかもみな懐かしい”シーンが満載。でも、最終話に詰め込みすぎた感はある。ところどころ説明口調なのが、もったいないと思ったが、まぁそんなことはささいなことだ。結局、今夜だけで3回繰り返し見た。時間があったら、夜通し見たかもしれないくらい、はまった。明日が平日なのがじつに悔やまれるところだ。

 人差し指から薬指までを揃えてぴんと伸ばし、親指と小指をきゅっと左右に広げて“ひこーき”を形作るのは、『プラス』を見て以来なぜか自然と体が覚えてしまって、みこりんが小さかった頃から、その“ゆびひこーき”でよく遊んだものだ。だから、アルトが自分のVF-25を呼び寄せるべく遠隔操作するシーンにその“ゆびひこーき”が使われていたことには、感動すら覚えた。やはり空に憧れる男なら、それやらなくちゃね。

 バトル・ギャラクシーへの連携攻撃もなかなか。もともとデストロイド・モンスターはお気に入りのメカデザインなので、今作のケーニッヒ・モンスターが最後に見せ場を作ってくれたのはうれしい限り。敵機体上に胴体着陸しつつ砲撃というパターンは、『愛・おぼえていますか』ラストで見せたブリタイ艦の、あのシーンを思い出さずにはいられない。あれより若干スケールダウンしているとはいっても、好きなパターンだ。
 ただ、マクロス・クォーター程度の大きさならまだ目立たないものの、バトル級のどでかいCGモデルは、ちょっと形状が単純すぎな点が残念なところ。昔の手描きだったら、職人技がいかんなく発揮されて恐ろしいまでの迫力があったと思われるのだが…。
 それに加えて無人機ゴースト同士の戦闘シーンは、もうちょっと見せて欲しかった……。リミッター解除状態のルカのゴーストと、ギャラクシー搭載のゴーストは、果たしてどっちが強いのか。じつに興味深いテーマだったのに。

 それはともかく、アイランド1への攻撃を庇って散ってゆく虫達の姿は、何度見てもぐっと来る。個々と言う概念がなく、集合意識で結ばれた生命体。なんとなくスタートレック・シリーズにおけるボーグのような存在を思わせる虫達。その頂点に位置する(グレイスによって乗っ取られた)クイーンの意識に反する行動をとったのは、ランカやシェリルのフォールド波を放つ歌の影響も、もちろんあるのだろうけれど、ひょっとすると虫達には個々の意識があるのではないかという気がしてしまう。そのあたりの話は、今後予定されている映画版で何か語られたりはするんだろうか。

 ところで前回、“フォールドの波は因果律と時を超える”と言っていたゼントラーディの爺さん、あの手の中にあった写真は、たぶんリン・ミンメイ。するとこの爺さんは、いったい何者。ブリタイだったりは………、と思ったものの、それにしては歳とり過ぎてるような気もする。うーん。謎だ。謎が残りすぎ。でもシェリルが無事だったので、すべてよし。

 『マクロスF』、期待以上だった。


2008.10.8(Wed)

『マクロスF』第24話“ラスト・フロンティア”

これでいい
もう思い残すことはない
あとは燃え尽きるだけ
今あるのは 音楽と そして あたし
だから…… あたしの歌を聴けぇーーーーー!

第24話“ラスト・フロンティア”より、シェリルの決意の台詞

 明らかになってくるランカの過去。グレイスの野望。あとがないフロンティア船団の、決死の降下作戦。いよいよ大詰めな雰囲気が伝わってくる、良作だった。

 生身でも宇宙空間で生きられる虫達なのに、彼らの母星が、なぜ人類の生存に最適なタイプの惑星なのか。ちらっと見えた虫達の女王が、どうみても虫ではなさそうな外観をしているところとか。第117調査船団・団長がマオ・ノームであることとか。鳥の人(というかプロトカルチャー)が何か関係してそうなところとか。“フォールドの波は因果律と時を超える”という台詞がすごく気になるところとか(彼が逢いたがっているのは、もしかして……)。虫達のために歌うランカの“愛・おぼえていますか”が、異様に怖くて、それでいて美しすぎるところとか。
 そんなことより、機体に直撃を食らって爆散するアルト機をモニター越しに見つめるシェリルの悲壮な声と表情が健気すぎる件とか。

 秘孔つかれまくりである。

 プロトカルチャーの時代から、人の営みは時代を超えて変わらないというあたり、『愛・おぼえていますか』世代には懐かしすぎるシチュエーションだった。

 ところで、虫達の航跡(光跡)が、青と赤の2種類いるのには何か理由がありそうに思うのだけれど、そのあたりも気になるところ。そして過去のマクロスシリーズでは通常、青い光跡で描かれていた統合軍のバルキリーの噴射炎が赤になってる(?ような気がした)ところもなにやら意味深(記憶違いかもしれないけれど)。それに対してSMSのVF-25は青だったような…。

 それはそれとして…、バルキリー乗りに「そこかっー!」とか「ちぃっ!」とか言わすのは、止めて。ガンダム系はもうお腹一杯。


2008.10.6(Mon)

“いっぺん死んでみる?”

 みこりんお気に入りの声優さん、愛生ちゃんつながりで、みこりんがすっかりはまってしまっているアニメーションは、『ウミショー』の他にもう1つあって、それは『しゅごキャラ!』。日曜早朝から始まる放送は、欠かさず見ている徹底振りだ。平日もこの早起きを継続してくれたらと思わずにはいられない。

 その『しゅごキャラ!』のコミック版が連載されている雑誌を、みこりんは今日、買ってきていた。そろそろ『小学五年生』は卒業か…
 で、その雑誌には、『地獄少女』も連載されているので、ちょっと驚く。
 私は第1期目のアニメ版しか見たことはないのだけれど、けっこう怖い(というかシリアスで生々しい)シーンもあったような。

 ぱらぱらとページをめくっていたみこりんが、「“いっぺん死んでみる?”って、『地獄少女』?」と言った。
 いかにもそうだと私は答え、どういうシーンで使われるのかを説明してやった。……それにしても、なぜみこりんがそんな台詞を気にするのだろう?

 謎に思っていると、みこりんが言う事には、愛生ちゃんのブログに、その台詞が題名になってるエントリーがあって、ずっと不思議に思っていたのだそうな。いったいこの言葉の意味は何?って感じで。
 どうやら愛生ちゃんは、『地獄少女 三鼎』にゲストキャラで声を当てた回があるらしい。その時のエントリーに、“いっぺん死んでみる”が使われていたようだ。

 そんなわけで、『地獄少女』にも興味が出てきたらしいみこりんであった。


2008.9.23(Tue)

『マクロスF』第22話“ノーザン・クロス”

 注文しておいたCD『ライオン』が届いていた。『マクロスF』のサントラ第2弾の予約注文と一緒に発送を選択していたのだけれど、それの発売がまだ1ヶ月くらい先ということもあって、店側が分割発送にしたのだろう。

 “生き残りたい”というフレーズが印象的な新オープニング曲『ライオン』だが、今週のバンダイ・チャンネルで配信中の第22話“ノーザン・クロス”で、その言葉の意味がよりいっそう心に響く。
 病魔に冒され死の運命から逃れることはできない(と思われる)シェリルの、心情。静かな夜の和装と相まって、じつに美しい。今週は、もうここのシーンだけで生きていけそうなくらいだ。

 虫達の故郷を目指して旅立ったランカ。
 軍に併合されることをよしとせず、独自の道を行くべくマクロス・クォーターでフロンティアから離れたSMSの面々。そして、フロンティアで、残された時を生きる道を選んだシェリル。シェリルを護る道を選んだアルト。
 これで全24話とかだったら、とても収束しそうにないのだが…。最終話が、とても気になる今日この頃。

 ちなみにシェリルの歌声を担当しているMay'nさんの公式サイトは、こちら


2008.9.21(Sun)

声優さん

 “ウミショー”、つまり正式名称『ケンコー全裸系水泳部ウミショー』のアニメ版第1話を、みこりんがYouTubeで見ていたので驚く。
 逆に、みこりんは、私が“ウミショー”という言葉の意味を知っていた事に、驚いているようだった。そういえば、昨日の夜、「“バーディー”って知ってる?」と聞かれて、「あぁ“鉄腕バーディー”?」と答えたら、それにも驚かれたような…。

 近頃みこりんには、お気に入りの声優さんがいる。その人の名は、豊崎愛生ちゃん。みこりんは、偶然、彼女が出ているネットラジオを聴いて、虜になってしまったらしい。以降、彼女のブログやら出演作品のチェックに余念がない。ネットラジオは、自分の携帯音楽プレーヤーに録音して、放送の無い日にも繰り返し聴き直しているほどである。
 もちろん“ウミショー”にも彼女は出ていて、それゆえに、みこりんはYouTubeで探し出してきた、というわけだった。…ん、ということはアニメ版“バーディー”にも、彼女は出てるということだろうか。確認しておかねば。

 そういえば、みこりんがMMORPGの“アークロード”を始めたのも、ネットラジオでそのゲームのコーナーがあって、愛生ちゃんをはじめとしたパーソナリティの面々が、キャラを作っていたことによる。そのゲーム世界に行けば、生でチャットできてしまうのだから、愛生ちゃんファンのみこりんがやらないわけはなかったのであった。

 どうやらみこりんは、最初、彼女の声質に惹かれたらしい。耳が良いみこりんゆえ、何かが琴線に触れたのかもしれない。
 作品ごとに声質が変化していることにも興味を示していた。違うキャラを演じているのだから、それは当たり前のことではあったが、それは同時に“声優”という職業に興味を持ったという事でもあろう。

 このあとみこりんが、どんな方向に行くのか、私はちょっとどきどきしながら見守るとしよう。


2008.9.17(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 第14話“船団崩壊”』

 いよいよ待望の『BATTLESTAR GALACTICA』第2シーズンが、Super! drama TVで放送開始。
 第14話“船団崩壊”というタイトル通り、惑星コボル軌道上に新たに出現したサイロン母艦から逃れるため、一斉にジャンプで退避した残存人類の船団だったが、座標計算のパラメータ更新の不備で、ギャラクティカだけが本来の退避座標にたどり着く。他に船影なし。

 漆黒の宇宙空間に、ギャラクティカ1隻だけしかいないという孤独感。船体の色が、旧作の明るいグレーとは正反対の、黒に近いダークグレーというのも、じつに効果的に作用している。あまりに静かで、寂しげで。それでも、両舷の発艦ポートを展開している姿は、戦闘艦らしい“牙”が感じられてぞくぞくした。

 他の船団の転移座標を算出するためには、元の位置まで戻らねばならない。しかし、そこにはサイロンの母艦がいて、しかも座標計算には12時間もかかるのだという。いったいどれだけ複雑な計算なのか。
 とはいっても船団を見つけなければならないわけで、戻らざるを得ない。そのためには、座標計算の時間を短縮するしかない。そこでゲータに閃きが訪れる。

 「艦内のコンピュータをネットワーク接続して、並列計算させればいいじゃん」

 サイロンはマシンだけに、電子戦に長けている。ゆえに、ギャラクティカのコンピュータは、すべてスタンドアロンである。これらを接続し、並列計算させれば、座標計算時間は、驚きの10分にまで短縮できるらしい。
 しかしネットワーク構成にすれば、サイロンの攻撃コードが侵入してくる。閉じたネットワークにも外部から侵入できるのかという疑問は、この際置いておくとして、ゲータは入念に幾重にもファイアウォールを噛ませて防壁を築く。

 元の座標に戻り、戦闘開始。
 さっそくサイロンの攻撃コードが、ギャラクティカのファイアウォールへの侵食を開始する。赤い色で示されるサイロンの攻撃コード。緑色の防壁。徐々に赤が優勢となってゆく様は、日本の有名な某アニメーションのワンシーンを彷彿とさせる。

 防壁を突破されるぎりぎりで計算完了。ネットワークを遮断。そしてジャンプ。

 転移先には、人類の船団がいた。
 宇宙に残された、4万ちょっとのヒトという種族。それでも、どこかほっとする瞬間であった。


2008.9.8(Mon)

『マクロスF』第20話“ダイアモンド・クレバス”

 さて今週のバンダイ・チャンネルで配信中の『マクロスF』は、第20話“ダイアモンド・クレバス”。
 以前からちらちらと描かれていたフロンティア船団内部の虫達の卵が、ついに孵化。わらわらと大群で襲ってくる様は、まさに『ナウシカ』のようだ。

 戦闘の最中、ミハエルに告白するクランが超絶可愛いが、こ、これはもろに死亡フラグのような。いや、告られた方が。というわけで、負傷したまま宇宙に吸い出されていったミハエルの今後が気になるところ。
 それにしても、戦闘種族であるゼントラーディのクランが、ゼントラーディ化の途中で、まさに手も足も出せないまま、目の前でミハエルが自分を守るために闘い、傷つき、消えていくのを見つめる瞳の演出が絶妙だった。ある意味、反則なくらいに美しすぎた。

 でもやはり今回の一番は、シェルター内で傷ついた人々に向けて、あるいは己にも向けて、再び歌うシェリル・ノームであろう。あの切なくも美しい“ダイアモンド・クレバス”のアカペラ・バージョンは、ぜひとも次回のサントラに収録して欲しいものである。


2008.9.6(Sat)

『グーグーだって猫である』

 公開初日の今日、先着100名に、メイキング映像収録の特典DVDを配布してくれるというので、みこりんが見に行きたがっていた映画『グーグーだって猫である』を、見に出かけた。なぜ『グーグー』を、みこりんが見に行きたがっているかといえば、最近はまっている女優さん、上野樹里が出ているから(だと思う)。
 朝イチの上映が10時15分だったため、余裕をみて9時25分に家を出た。映画館までは10分足らずで着いてしまうので、40分の時間がある。さすがにこの時間だと、駐車場もがら空きで、好きな場所に停め放題。チケット売り場でも、座席の位置指定し放題。

 この映画館は、大小様々なホールを備えているのだが、『グーグー』に割り当てられていたのは、収容人員100名ちょっとの小さいやつ。みこりんお気に入りの、ゆったり座れるペアシートは残念ながら装備されていなかったが、中央前寄りの、ベストポジションを確保した。

 無事、特典DVDをゲットしたみこりんと、時間までエントランスでポップコーンなどつまみながら待つ。朝ということもあり、人の姿もまばらで、映画館というよりは、どこかの美術館か博物館のような雰囲気。
 10分前に指定のホールに入ってみると、観客数は10名にも満たず、静寂がちょっと怖い。ポップコーンを齧る音にも、気を遣ってしまうほどだ。

 そして上映開始。

 猫はヒトの4倍の速さで生きる。
 “同じ刻を生きられない”というフレーズに、思わず『トップをねらえ!』で描かれていた光速やブラックホールによる時間の流れの違いで生じる、近しい人との別離の悲哀など思い起こし、しみじみと感じ入る。

 時の流れといえば、主演の小泉今日子にも年齢の積み重ねを感じた。みこりんは「えー!まだ若く見えるよ」と言っていたが、20数年前のアイドル時代、はちきれんばかりの若さに溢れていた頃の記憶を持つ私の目で見ると、そうした時の流れは、否が応でも見えてしまう。もちろんそれは悪いことばかりではなく、年相応の深みが増した分、より魅力的にも見えるわけなのだが。

 個人的にかなりツボに入ったのは、上野樹里演じるナオミの少女時代、小泉今日子演じる漫画家“小島麻子”の作品を読んで、感極まって泣いていたシーン。
 その感情、すごくよくわかる。

 *

 映画が終わり、家に帰り着くと、にゃんちくんが足元に擦り寄ってくる。足先でこちょこちょすると、ころんと横になって長々と伸び。
 にゃんちくんも、もう11歳。みこりんとほぼ同じ年齢だが、ヒトに換算した年齢だと、みこりんよりもずっと年上。たぶん、私よりも年上になってしまっているのだろう。いつのまにか、追い越されてしまっている。そして、きっと私はにゃんちくんの死を見届けることになるのだろう。これはヒトとネコの定め。

 そんなにゃんちくんだが、今でも私の膝の上で、前脚を使って踏み踏みする。猫の踏み踏みは、仔猫の頃、母猫にそうやっていた頃の名残といわれているが、こういう仕草を見ていると、とても私よりも年上とは思えなかったりもする。だから、映画の中で、死んでしまった高齢の猫が擬人化されて出てきた時に、若い娘の姿をとっていたのは、とても納得してしまうのだった。

 いろいろと深い映画だった。


2008.8.24(Sun)

上野樹里

 夕方の地上波再放送枠で、『のだめカンタービレ』をやっているのをみこりんが見ていたらしく、すっかり“のだめ”役の上野樹里にはまってしまった模様。インターネットで、いろいろと彼女について調べているようだ。そのうち、何かメモし始めたなと思っていると、みこりんはメモを手にして「おとーさん、DVD借りに行きたい」と言ったのだった。

 どうやらメモには、上野樹里の出演作品がリストアップされているらしい。レンタルDVD屋に着くなり、メモと現物とを見比べながら、おおいに迷っていた。
 今日はレンタル半額の日というわけでもないため、とても全作品を借りると言うわけにはいかない。それはみこりんもわかっているので、どれを借りるべきか悩んでいるのだった。

 新作の『奈緒子』は、レンタル期間が短いので除外。旧作の中では、『亀は意外と速く泳ぐ』が、あいにく全部貸し出し中らしい。『笑う大天使』は、以前私がSkyPerfecTV!でやってたのをDVDに保存していたので、すでに昨夜のうちに観たばかり。だから、これはいいとして…
 結局、みこりんが最終的に手に取ったのは、『スウィングガールズ』と、『のだめカンタービレ 新春スペシャル in ヨーロッパ vol.1』だった。意識してそうなったのかどうかはわからないが、音楽系というジャンルに落ち着いたのが、みこりんらしいなと思う。

 *

 帰宅後、さっそく『スウィングガールズ』を鑑賞。タイトル通り、ジャズバンドをやることになった女子高生達のお話。
 上野樹里、若っ。
 各楽器の演奏は、出演者本人達が実際にやってるというので、驚く。素で、音楽系だったのか。どうりで『のだめ』がしっくりくると思った。

 可笑しかったのが、エンディングのスタッフロールを見ていたみこりんが、“竹中直人”の文字を見つけて、「え!みるふぃ出てたの?」とびっくりしていたこと。あの濃い顔はそうそう見逃すとは思えないのだが、どうやらみこりんの目は上野樹里に釘付けだったのだろう。
 まぁ、その気持ち、わからなくもない。たしかに彼女は輝いていた。


2008.8.21(Thr)

『マクロスF 第17話“グッバイ・シスター”』

 インターネットで無料配信されている、バンダイチャンネルの『マクロスF(フロンティア)第17話“グッバイ・シスター”を見た。
 今週はオズマ・リーのターンらしい。バサラの曲がBGMとして何気に使われているのが、懐かしくてよい。『マクロス7』も、すでに今から14年前の作品なのだなぁと、しみじみ思う。

 反応弾の猛烈な熱の中で脱皮して再生する虫とか、虫の直撃を受けても撃墜されないアーマードパック付きバルキリーの頑丈さとか、印象的なシーンが多かったが、やはり今回はアレだろう。

 オズマ、死す。

 あぁこれは初代TV版マクロスのフォッカーのアレだな、と思わせておいて、じつは死んでませんでした、というのも、フロンティアらしくて良かったと思う。あとでもっと壮絶な死が待ってたりするのかもしれないけれど。

 個人的には、シェリル・ノームの今後に、期待。“死”を運命付けられていた彼女が、予定調和から外れて生き残ったこと。そして、ノームという姓を持つのは、たぶん伊達ではないはず。


2008.6.25(Wed)

『マクロスF』

 地上波は滅多に見ないのだが、今春から放送が開始された『マクロスF』には、私も興味を惹かれていたので、毎週見ている。といっても、地上波ではなく、本放送後に、1週間単位で1話分をインターネットで無料視聴が可能な、バンダイ・チャンネルのサービスを利用している。
 NGNという基盤も整備されてゆくことだし、地上波デジタル放送なんかやめて、すべてIP送信にしてしまえばいいのに(ケーブルの引けないところは、衛星放送でカバーすれば無問題)。

 PCの液晶モニタで最大化表示すると、やや粗が出てしまうが、視聴に耐えないほどのひどいレベルではない。高速回線が普及したおかげだろう。ただ、もう少しビットレートを上げた映像でも大丈夫だとは思うのだけれど、無料なのであまり贅沢は言うまい。

 あいかわらず菅野よう子の音楽は、じつに心地よい。ストーリーも、水準以上の出来で、安心して見ていられる。バルキリーも『マクロス7』の時のように、変なデザインじゃないところがいい。映像的には、『マクロス・ゼロ』を踏襲しているような雰囲気だ。CGで縦横無尽に変形、機動を行うバルキリーは、爽快感を覚える。海外では、『マクロス』の実写版を作るとかなんとか言ってるらしいが、そんなものはいらん。マクロスは、アニメーションだからいいのだ。

 ゼロといえば、今回の第10話は、いきなり『マクロス・ゼロ』のシーンから始まったので驚いた。劇中劇というやつだ。そういえば、初代マクロスの時にも、リン・ミンメイが映画に出るエピソードがあったな…
 『マクロス・ゼロ』の音楽は菅野よう子ではないのだが、もしも菅野よう子が担当してたらこんな感じだったろうなぁ、という点でも、興味深いものだった。ランカ・りーの歌う“アイモ〜鳥のひと”は、震えが来るほどの絶品だ。これはぜひともサントラを買わねばなるまい。

 本編のエンディングに入るちょっと手前で、ランカ・リーが『マクロス・ゼロ』のマオと関連があるかのような台詞が入ったが…、今後の展開に要注目。


2008.6.8(Sun)

梅雨の晴れ間

 SkyPerfecTV!Super! drama TVで放送中の『バトルスター・ギャラクティカ』は、6月に入ってセカンドシーズンとはならず、再び“序章”からのリピートになった。同じく放送中の『宇宙空母ギャラクティカ』は、いよいよ大詰め、今月で最終話を迎える。だがしかし、21話本放送の先日の木曜日にすっかりそのことを忘れて、録画し忘れてしまったので、今朝6時からのリピート放送分がラストチャンス。
 さすがに二晩続けての徹夜は厳しく、かなり睡魔に全身を侵食されつつも、どうにかそのミッションを完遂した私は、そのまま倒れこみ、今度こそ、深い眠りにつくのだった(うちにあるキャプチャソフトは、録画予約ができないので、手動で録画開始を選択しなければならない…orz)。

 *

 夢の中で、みこりんが学校へ出かける準備をしているような気配を感じ、ふっと意識が覚醒する。
 今日がもうすでに月曜日なのではないかという、恐ろしい予感に襲われつつ起きてみると、幸いなことに、今朝はまだ日曜日のままだった。みこりんは、単に明日の準備をしていただけだった模様。
 ほっと安心すると共に、2時間くらいしか寝ていないことに気付く。…が、起きてしまったものはしょうがない。日曜日の活動を始めることにする。

 みこりんが『小学五年生』の7月号を買いに行きたいというので、本屋に向かった。向かった先は、このまえ支店が閉鎖となった本屋の本店である。ポイントカードは引き継がれるため、リアル本屋ならここで買うのが一番お得。
 店内では、みこりんと私、それぞれ気になる棚を求めて、自由行動。
 この店は、以前は局所的に結構マニアックな品揃えな箇所があり、穴場的な雰囲気があったのだが、今はこざっぱりとしてしまって、いわゆる売れ筋メインの普通の本屋になってしまっていた。というわけで、私の探検は早々に終了。でも、みこりんはいろいろ興味を引かれているらしく、棚から棚へと何度も往復を繰り返していた。何か買いたい本が複数あるのだけれど、どうしようか迷っているといった雰囲気が濃厚である。

 やがて「おとーさん、これ…」と言って、持ってきたのは『マリと子犬の物語』。映画版をコミカライズしたもののようだ。
 やはり、みこりんはこういう系統の話が大好きらしい。そんなわけで、これも買い。年間購読している『たくさんのふしぎ』も、支店の店員さんがちゃんと引継ぎしてくれていたようで、こちらに無事届いていたため、それも買い。

 本屋をあとにして、灼熱地獄と化したクルマに乗り込んだところで、みこりんがDVDレンタルも見てみたいという。このまえ見逃した『ナウシカ』でも借りるのかなと思って、帰りに寄ってみた。
 私が古本コーナーを物色している間、みこりんはいわゆる日本製のドラマのコーナーを熱心にチェックしていたようだ。頃合を見計らって、みこりんのいる棚まで行ってみると、最上段に置いてある『動物のお医者さん』を取って欲しいと言う。そういえば、最近みこりんは、うちにあるこれの原作コミックを読んでいたような…。

 『動物のお医者さん』ドラマ版は、本放送当時、ちょっとだけ見た覚えがあるのだが、原作のイメージが壊れるとの思いから、見るのを止めた記憶が。でもまぁみこりんは違う感想を持つかもしれないので、とりあえず1巻だけ借りることにした。

 *

 そして夜、ドラマ版『動物のお医者さん』、鑑賞中…

 2話まで見た時点で、みこりんに感想を聞いてみたところ、やはりキャスティングに難ありとの答えが返ってきた。みこりんは特に菱沼さんに思い入れが強いみたいで、あの“変さ加減”がうまく表現されていないことが、一番の不満らしい。
 …なるほど。たしかにそれはあるかも。


2008.4.23(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 第12話,第13話“コボル上陸作戦(前後編)”』

 『BATTLESTAR GALACTICA』、先々週に前編が放送され、この時にはちょうどみこりんが地上波の仰天ニュース系の番組を見たいというので、私の方はPCに録画するだけにしておいた。そして先週の水曜日、その録画しておいた前編を見、番組後のテロップで後編の放送は1週延びて今日であることを知り…。

 そして本日、いよいよ“コボル上陸作戦(後編)”。
 人類発祥の地とされる、惑星コボル。しかし軌道上にはサイロンの母艦が1隻。
 ギャラクティカ側のラプター3機で編成された上陸部隊は、結局、1機のみ半壊しつつも地上に到達。なにやらストーンヘンジっぽい遺跡のようなものが。あるいはギリシア神話系な石造りの建物っぽいものもあり。No.6に導かれるままに進むバルター博士の目には、時間を遡って遺跡が生きていた頃の光景が広がり、その神殿と思しき建物の奥に、ゆりかごが1つ。「私たちの娘」と、No.6は言った。

 一方、惑星カプリカでは、シャロン・バレリーの胎内に、もう1つの新たな生命の兆し。やはり前編のあれは、お約束中のお約束だったようだ。いよいよ新人類の誕生なのか。人間型サイロンがつくられた背景には、どうも“神”の存在があるようだが…。“神”って、誰、というか何。とても気になる。
 以前、“スターバック”が自分のものと思われる小さな神の像に祈っていた場面では、ヒンズー系な“神々”のような姿かたちをしていたようだが、単なる宗教上の“神”というより、実在の“何か”という気もする。
 大統領に命ぜられて“スターバック”がカプリカに取りに戻ったアポロの矢。古代の遺物が、実際の何かの役に立つっぽい設定が、かなりそそられる。“スターバック”の機体が、奪取してきたあのサイロン戦闘機で固定になるのかというあたりも、要注目。

 そして今回初めて内部が明らかとなった、サイロンの母艦。雰囲気的に、1作目の『エイリアン』を思い出してしまった。なんというか生物的な構造材。いまにも粘液がしたたってきそうなぬるぬる感。ひょっとして母艦そのものも、サイロン戦闘機などと同様、半生物な仕様になってたりすると実に面白いのだが。でかいし。爆散する瞬間、“でかるちゃー!”と叫び声が聞こえてきそうなところも、なかなか。
 そのサイロンの母艦を核ミサイルで破壊したシャロン・“ブーマー”・バレリーは、ついに自分がサイロンであることを自覚した…。って、めっちゃ気になるシーンで“つづく”。しかも第1シーズン、ここで終了。第2シーズン放送まで、しばしのおあずけである。ものすごい寸止め。なんというじらし方。

 うーん………、マンダム。そう呟かずにはいられない。


2008.3.26(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 第10話“聖なる預言”』

「会見の演壇の上をヘビがはい回っていた」
「何匹です?」
「12匹ほど」
「ご冗談を。ピュティアのつもり?」
「ピュティアって誰?」
「預言者の1人です。
 3600年前、ピュティアは人類の追放と復活を預言し、神々は人類を新天地へ導く指導者を任命しました。
 指導者にはヘビの幻覚が見えます。
 その数は“2”と“10”。
 事が始まるしるし。」
「予言書に?」
「指導者は新天地に着く前に重病で亡くなるとか。でも、あなたは重病じゃないでしょ?」

『BATTLESTAR GALACTICA 第10話“聖なる預言”』より

 遥か昔、預言書に書かれていたことが、ついに現実のものとなるのか。12惑星の残存人類による新天地への脱出と、その指導者に見えるという10と2の蛇の幻覚、そして、12機のバイパー・マーク2によるサイロン基地への攻撃。
 奇妙に符合する“12”の数字。

 ヒト型サイロンには、“ゴースト”が存在するのか否か。高度に知能化されたプログラムと魂の境界線とは何か。
 サイロン占領下の惑星カプリカにおける、シャロン・“ブーマー”・バレリーの、あのシーンはもしかして“お約束”というやつではないのか。新人類誕生も間近なのでは…。と、いろんな妄想膨らむ『BATTLESTAR GALACTICA』。

 残り2回分の超光速航行しかできないほどの燃料不足に陥っている船団は、何年分にも相当する大量の燃料となる物質を蓄えた小惑星を発見するも、すでにそこにはサイロンの基地があった。
 基地を破壊し、燃料を手に入れるためにアダマ司令官は、“スターバック”に作戦立案を指示する。戦力で劣るギャラクティカに、勝算はあるのか。しかも“スターバック”自身は、まだ膝の怪我が癒えておらず、実戦に出られない。

 技量では“スターバック”に劣るのではないかと思われる“アポロ”が、プライドを刺激されてちょっといじけつつも、「やっぱ自分ではダメなんじゃ…」と不安感に苛まれているところが、なかなかかわいい。そんな息子を勇気付けるアダマ司令官が、じつに渋い。まさに父親の鏡。こ、こうありたいと思う…

 さて、今回はバイパー・マーク2の表現(扱い)が、これまでになくツボだった。
 囮の船体から本命の攻撃隊として出現する12機のマーク2のシーンとか、もう鳥膚もの。
 そしてなにより、敵基地に潜入する時の、マーク2の機動が心地よい。飛行機というよりは、どっちかというと『逆襲のシャア』等で表現されていたようなモビルスーツの動きに近い。うにょんと自在に空間を動くところが、まさに機動兵器かくあるべしみたいな感じで、旧作のバイパーとは一線を画す表現方法だったと思う。すばらしい。

 それにしても、大作映画でもない、普通のドラマ作品でここまで凝ったことのできるアメリカのコンテンツ産業の、底力を思い知らされた気がする。日本の現状(というか惨状)を思うに、クリエイターを正当に評価しなかった(扱わなかった)上の方の連中の罪はとても重いと言わざるを得ない。まぁこれは、技術職全般に言えることなのかもしれないけれど…


2008.3.5(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 第7話“裏切りの告発”』

 先週はうっかり時間を忘れて水曜日放送分を見逃した『BATTLESTAR GALACTICA』だが、リピート放送が土曜日にあったので、無事、事なきを得た。サブタイトル“魔女狩り”の通り、潜入したサイロン工作員のギャラクティカ内部での自爆事件により、ヒトにそっくりなサイロンの存在が明るみに出ることとなり、サイロン狩りが行われることに。
 しかしながら結局、追求はその方法のまずさゆえ、アダマ司令官により中止命令。結果的に、上官思いの部下1名が、無実にもかかわらず階級剥奪のうえ投獄という事で幕引き。

 自分がサイロンであるという自覚のないギャラクティカ内部のシャロン・“ブーマー”・バレリーは、部下の身を挺した庇い立てで目が覚めたチーフに距離をとられることになった。一方、サイロン占領下にある惑星カプリカでは、サイロンであるという自覚のもとに行動しているもう一人のシャロン・“ブーマー”・バレリーが、男を手玉にとりつつあり。
 対照的な二人のシャロンの存在が、今後、どう展開してゆくのか、興味深いところである。

 そして今週の第7話“裏切りの告発”。ギャラクティカ内部にいる、もう1人のサイロン、“No.6”。これまでバルター博士の目にしか見えていなかった彼女が、突如、実体をもった存在として姿を現す。
 結局、彼女はバルター博士の“自分が人類抹殺に加担してしまったことの告発”への恐怖を取り除いてやることに成功したわけだが、その意味するところは何か。毎回、冒頭ナレーションで語られる“サイロンの計画”が、着々と進みつつあるという漠然とした思いはあるのだけれど、それが何なのか、今現在、私には想像がつかない。
 なんだか、わざと人類を追い詰めているものの、全滅させるのが主目的でもなさそうだし…。もしや懐かしの『ガルフォース』ばりに、新しい種の想像とかいう方向にいったりは…。

 でも私にとって当面の最大の謎は、“なぜ行為中のサイロンの女の背骨は赤く光るのか?”ということだったりするのは、秘密だ。


2008.2.22(Fri)

『バトルスター・ギャラクティカ 第5話“帰還不能”』

 さて今週の『BATTLESTAR GALACTICA』は、先週からの続き、サイロン機との交戦で勝利したものの機体を損傷した“スターバック”が、月(先週は惑星かと思ったのだが、衛星の方だったようだ)の重力に引かれて落下していったところから。
 どうやら無事にパラシュートで着地できた模様。大気内でも飛行可能なバイパーゆえ、常にパラシュートは装備しているという設定なのかもしれない。だがここの大気に酸素はなく、バックパックの酸素ボンベが空になったら即、死である。バイパーは落下の時に焼けてボロボロ、おそらく再起不能。救助を待つしかないのだろうか…。しかし、先週ラストの落下シーンを、今一度思い出してみると、“スターバック”が撃墜したサイロン機も、同じように落下していったはず。あれが何かの伏線になってそうな予感がひしひしとする。

 一方、ギャラクティカの方では、行方不明になった“スターバック”の捜索が続けられている。酸素ボンベの残り時間が迫り、捜索に保有戦闘機のほとんどと、哨戒機も使い、さらには民間船も加わっているため艦隊がばらけて、今ここでサイロンに襲撃されたら危険なのではないかという大統領からの(ある意味当然ともいえる)指摘等もあり、次第に追い詰められてゆくアダマ司令官と“アポロ”。そしてついに時間切れ。
 しかし、「予備の酸素ボンベがあるはずだ」と、捜索続行を指示するアダマ司令官。もし行方不明になったのが“スターバック”ではなかったとしたら…。死んだ息子の婚約者だった“スターバック”だからこそ、司令官は私情を優先させているのではないか…。そしてついに堪忍袋の緒が切れた大統領が乗り込んでくる事態に。

 アダマ司令官には、生き残ったわずか4万数千人の人類を守る義務がある。“スターバック”の捜索打切りを指示するアダマ司令官の、苦渋に満ちた演技が大変渋くてよい。
 だがしかし、今回の見せ場は、やはりなんといっても、サイロンの戦闘機の秘密が一部明らかになったことであろう。

 月で不時着しているサイロン機を発見した“スターバック”。弾丸はモノアイ付近に命中しており、なぜか血液らしきものが垂れている。機体の損傷はそれくらいで、他に目立った外傷もない。ここまでの展開から予想できることといえば…

  • 機体からサイロン兵が分離して襲い掛かってくる。
  • この機体を操縦(?)して帰還する。

 の、いずれかであろうと思われる。
 しかしここで重要な疑問が…。サイロン兵って、この機体そのものじゃないん?

 最初の放送で、宇宙空間に曝露された赤いモノアイを見たときから、私はサイロン機って機械化された戦闘機だとばかり思っていたのだけれど、穿たれた穴から垂れている血液らしきものを見るにつけ、“ヒトとそっくりなサイロン”という、今作の新しい設定を思い出すことになる。
 “スターバック”が機体側面のボタンを押すと、機体のパネルが開き…、そこにあったのは“肉”であった。

 ぱっと見、人型をしているようにも思えない。一部しか画面に映ってないし。でも、何らかの有機生命体(あるいは機械との融合生命体とでもいうべきもの)が、この機体を操縦していたことは間違いなさそう。
 穴をふさぐ“肉”を、ナイフでざくざくと切り開いてゆく“スターバック”。そしてついに、コックピット内部へと潜り込むことに成功。“脳”と思われるパーツを、がこっと取り外し、機体の外へぽーい。なかなか豪胆である。

 コックピット内には、なにやらパイプがぞろぞろと垂れ下がっている。たぶん、このパイプが内部のパイロットと思われる物体に接続されていたのだろう。なんか血糊でべとついてるし…。そして重要なポイントは、機内には酸素供給用のパイプもあったということである。酸素を必要とするあたり、いよいよ生物と機械の融合生命体を彷彿とさせる。でもこのおかげで、酸素切れの危機は切り抜けることが出来た。
 ところで機体の操縦だが、いわゆる操縦桿らしきものはないのだが、どうやるのだろうか。“スターバック”は、おもむろに垂れ下がったパイプを捻ってみている。

 機銃発射。
 ふむふむ。なんかよくわからないけど、パイプに力を加えることで操作できるっぽい。“スターバック”は、おそるべき野獣の勘で、機体の操縦方法を身につけてしまっていた。さすが一騎当千のパイロットである。

 ギャラクティカが、まさに超光速航行に入ろうという時、“敵機発見”。それはもちろん“スターバック”の操縦するサイロンの戦闘機なわけだが、事情を知らないギャラクティカ側から見れば、当然、敵襲である。
 出撃する“アポロ”。
 “スターバック”は、どうやって自分が敵ではないことを知らせるのだろう。私が中学生の頃に見た『マクロス』でも、やはり同じように敵機をぶんどって帰還するシーンがあったのだが、あの時は、機体を左右に振って味方であることを知らせていた(と思う)。でも今度のは、そんな方法が通用するようにも思えないが…。

 結果的に、“アポロ”は、その機体に“スターバック”が乗っていることを知ることになる。その方法とは…。
 あまりにわかりやすく、しかも意表をついていたので、よし。
 来週、サイロン戦闘機ば詳細に分解調査されることになるのだろうか。あるいは“魔女狩り”というサブタイトルから想像するに、これまで極秘だった“ヒトにそっくりなサイロン”の存在が公にされるのかもしれない。
 期待して待つとしよう。


2008.2.15(Fri)

『バトルスター・ギャラクティカ 第4話“悔恨の祈り”』

 さて今週の『BATTLESTAR GALACTICA』は、第4話、“悔恨の祈り”。
 とあるパイロットの1000回着艦で賑わう、着艦デッキ。おそらくそのほとんどが同僚のパイロットなのであろう。ワゴンに乗ってぐーるぐーるしている画面にまじって、カメラがそのすぐそばに保管されている武器と思しきものを映し出す。…ま、まさか。
 悪い予感通り、武器(ミサイルっぽい形状をしていたが、ドローンだったらしい)のフックが壊れて暴発。パイロット達目掛けて突き進む。

 ただでさえ少ないパイロットの数が、半減とまではいかなかったものの、大幅に減り、保有戦闘機数(40機弱)よりも少ない事態になってしまった。そういえば、元祖ギャラクティカでも、パイロットの数が足りなくなってしまい、急遽パイロット養成をしなければならないはめになってたエピソードがあったなぁ…、なんてことを思い出す。

 新装版の『BATTLESTAR GALACTICA』でも、同様にパイロット養成を行うことになるのだが…。教官に選ばれた“スターバック”は、以前、婚約者であり、訓練生でもあった彼を、パイロットの適正がないのを知りつつテストに合格させ、結果、事故で失うことになった過去がある。という伏線が、以前すでに張られていたので、いつかはこれが使われるのだろうなぁと思っていたら、今回このような形で出てきたか。確かに、これはちょっとドロドロ。死んだのがアダマ司令官の息子であり、“アポロ”の弟であるということから、最初からその辺の確執が描かれていたし。でもすでに“アポロ”はその事実を、“スターバック”本人から懺悔のような形で伝えられて知っており、彼はそのことを乗り越えたように思われるが、アダマ指令官はまだそのことを知らない。

 息子の死の真相を知ってもなお、“スターバック”を信頼することができるだろうか。…そのあたりの苦悩も、きっと乗り越えてゆくのだろうけれど、今回はその“スターバック”が候補生の教習中に、敵機と遭遇。1(+1)vs8で勝利したものの、機体は撃墜した敵の機体と接触し、動力停止。眼下の惑星の重力に引かれて、落ちてゆく。

 怖すぎである。宇宙空間から、大気圏突入、摩擦熱で焼けてボロボロになってゆく機体から、脱出。ものすごい高さである。高所恐怖症の人なら、これだけでショック死するであろう。
 脱出したはいいけれど、宇宙戦闘用の装備なのに、パラシュートは付いてるんだろうかという不安もあり。背中にしょったバックパックがなんとなくそれっぽいが…。
 次回も見逃せない。

落ちてゆくバイパー・マーク2


2008.2.8(Fri)

死神

 ちょっと前に、たまたま地上波で流れていたCMを見て以来、みこりんは“死神”が怖くてたまらなかったらしい。ぐわっと裂けた口とか、ぞろりと剥き出しになってる鋭い牙とか、たしかにインパクトは強いかもしれない。
 ところが今夜は、それまで話題にするのも怖がるほどだったというのに、自らその死神が出てくる映画を見るのだと宣言した。最新作『L change the WorLd』が劇場公開されるのに併せて、地上波で前作の後編が放送される。それを見たいというのである。いったいどんな心境の変化が……、あ、もしかしてみこりん得意の怖いもの見たさというやつかな。

 ちなみに、私は『DEATH NOTE』系に触れたことはないので、予備知識は無いに等しい。だからいきなり“後編”でも大丈夫なんだろうかという一抹の不安はあった。それはみこりんも同様だったみたいだが、なぜか大まかな設定は知っている模様。ひょっとすると学校の友達の間で、話題になっていたのかもしれない。

 というわけで、久しぶりにみこりんと共にTVの前に寝転んで、鑑賞中…

 最初に出てきた死神が、白くて怖くない系だったのも幸いしたのだろうか。みこりんは順調に見進めている。
 前編を見てないため、最初はやはり状況把握はあまり出来なかった。が、さすがに1時間経過する頃には、徐々に物語の背景なんかもおぼろげながら分かってきて、ほうほうふむふむと納得しつつ見ている自分がいた。
 みこりんはどうだろうか。ちゃんとついてきているかな?ん、なんとか大丈夫っぽい。

 がしかし、1時間半を過ぎたあたりで、なにやらみこりんの動きが止まった。
 「みこりん!?」
 そっと体をゆすってみる。

 応答なし。

 みこりんは夢の世界へと旅立って行ってしまった。
 今宵は格別に冷える。半纏を着たままで、もこもこ状態のみこりんをお姫様だっこして、布団の中に包み込む。黒い方の死神の夢でも見て、真夜中起き出さないといいんだけれど…

 天気予報によれば、明日は雪。道理で冷え込んでいるはずだ。
 灯油の残量がちょっと気になったが、幸い、エンディングまでもってくれたようだ。
 見終わったあとの感想は…。現実問題として、例えば危険な運転で子供を何人も殺したとしても、たった数年しか服役しなくてもOKな法律には、激しく違和感を覚える。私刑の代わりに法で裁くことの大前提として、そういうどう考えても変だと思うような状況をなくしていける道が、誰の目にも明らかとなっていなければならないだろう。そうでなければ、私刑を止める事はできまい。今は、とてもそうなっているとは思えない。だが、独裁も、非常に怖い。過去の歴史を振り返るまでもなく、現在進行形の近所の独裁国家のありようを見れば、言わずもがな。

 もやもやっとしたものが胸の奥につかえたままだ。
 みこりんは途中まで見て、どんな感想をもっただろうか。あとで聞いてみようと思う。


2008.1.31(Thr)

『バトルスター・ギャラクティカ 第2話“ウォーター”』

 シャロン・“ブーマー”・バレリー、コールサインとして残るブーマーは、旧作では男だったが、今作では美女である。しかも彼女はサイロン。でも、本人にその自覚はまだ現時点ではないような感じ。操られているのか、それとも二重人格のようになっているのかはまだ不明。

 冒頭のナレーションで、“サイロンのコピーの数は計り知れない”というのがあって、一瞬考えた。ヒトと見分けが付かないサイロンって、12体なんじゃ…。もしかして、12体というのはオリジナルの数で、その劣化コピーみたいなのはうじゃうじゃいるということなんだろうか。すると、“ブーマー”はコピー版サイロンなのか…?
 まだまだ謎多し。

 さらに、“ブーマー”が破壊工作に使用した爆弾が、常に1個、彼女の身近にひょっこりと残ってるのは何故か。水タンクを破壊した際の残りがバッグに残ってたのは、単に余ったのかなと思えなくもなかったけれど、ラプター内部に設置されてたやつは、ちかちかと赤いランプを点滅させていたことから起爆装置の時限装置が作動していたのでは?
 自分で自分の搭乗する機体に爆弾しかけるというのもなぁ…。謎すぎる。もしかして、まだギャラクティカ内部にはサイロンのコピーがいるということなのだろうか。それとも水を発見させないために自爆指令が出ていた……、のかなと思えなくもない。けれどもサイロンとしての自覚がない彼女には、その指令を遂行することができなかった、と。

 次回の波乱を予感させる終わり方だった。
 み、見逃せない。


2008.1.23(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 第1話“33分の恐怖”』

 超光速航行“ジャンプ”を使用すると、転移先を把握することは理論的に難しいはずなのに、なぜか転移先にことごとくサイロンが出現する。それが転移してちょうど33分後なので、“33分の恐怖”か。なるほど。
 33分ごとにジャンプで逃げないといけないため、ギャラクティカのクルーは不眠作業132分とかテロップが出ている。約5日間…。
 そういえば、数年前に陸自のとある行事を見学した際にも、1週間以上の不眠作業というのがあったことを思い出す。有事の際には、こういう状況はあり得るので、そういう訓練があるのだろう。

 ギャラクティカと船団を組んでいる残存人類の数が、大統領搭乗船“コロニアル・ワン”のホワイトボードに記されている。5万人を切り、戦闘の度に着実に減ってゆくのを見るのは、静かな怖さがある。
 船内に無数に貼られた、死亡あるいは行方不明者の写真。
 核爆弾を搭載して船団につっこんでくる、ちょっと前まで味方だった船。
 9.11から、アフガン、イラクへと続くリアルの戦争を彷彿とさせるシーンだ。この番組が放送され始めたのが2003年12月だから、時期的にもなにか符合するものを感じてしまう。

 ラストでは、初めて船団に新しい命が生まれた。プラス1されるホワイトボードの数字。たった1つだけだけれど、重い。なぜか、涙が溢れて止まらなかった。

 今日はリアルであまりに哀しい事件があった事を、記事で読んでいたから…。


2008.1.16(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 序章(後篇)』

 さて、“後篇”である。生身のヒト型をしたサイロンの存在という新作オリジナルな設定が、じつに緊張感を盛り上げてよい。果たして誰がサイロンなのか。主要キャストの中に混じってたりは…、と思っていたら…………。最後の最後で、あぁぁぁぁぁ。やはりそうきたか。じつにうまい配役である。

 生き残った数万の人たちを生かすために、超光速航行のできない船に乗った数千人を犠牲にしなければならない苦汁の決断。とても重い選択だ。ジャンプに備えてカウントダウンする最中にも聞こえてくる、置いていかれる人達の声が、ぎりぎりと胸を締め付けてくる。

 未知宙域へ超光速航行で脱出を試みる、人類。待ち構えるサイロンの戦闘母艦と無数の戦闘機群。盾となって降り注ぐミサイルを阻止するギャラクティカ。今回の戦闘シーンも圧巻であった。特に、ギャラクティカの対空砲の、ものすごい弾幕はド迫力。弾幕薄いとか、そういう台詞が出てくる隙すらないほどの密度で放たれる、無数の砲弾。
 特に、今回はこの画像のように、船体中央の砲座から放たれた1対の砲弾の速度でカメラをぎゅんと引きながら、映像をぶらしつつ、ギャラクティカを画面中心に据えたままという構図は、奥行き感、スピード感溢れるもので、迫力満点だった。日本のアニメが得意としてきたような演出である。カメラワーク上手すぎである。

 来週から、レギュラー放送開始。見逃せない。

対空砲を放つギャラクティカ


2008.1.9(Wed)

『バトルスター・ギャラクティカ 序章(前篇)』

 今夜、SkyPerfecTV!の Super! drama TV にて、『バトルスター・ギャラクティカ 序章(前篇)』が放送される。その名が示すとおり、この作品は30年前の『宇宙空母ギャラクティカ』のリメイクである。この新作がアメリカで放送されたのは、2003年12月。以来、待つこと4年ちょい。じつに長い待ち時間であった。

 PCにて録画しつつ、鑑賞する。

 …………、こ、これはっ!

 途中、みこりんが「怖い」と言うので寝付くまで画面を消しておいたりしつつも、物語の背景はだいたい把握できているので、なんとかついていくことができた。がしかし、こいつは正直ぶったまげた。おそるべき完成度というか、近年まれに見る傑作なんじゃなかろうか。
 重厚な音楽。アダマ艦長をはじめとするキャスト陣の渋い演技。“戦争”というものの、恐ろしさ。惑星全土に投下される核兵器の圧倒的な破壊力と、それをただ見ているしかできない虚無感への感情移入。
 戦闘機に組み込まれたサイロンの不気味さ。旧作では人型をしたサイロン兵が戦闘機を操縦していたが、今作では機体と一体化されたロボット兵器として扱われており、宇宙空間に曝露された赤いモノアイが、とてつもなく怖かった。そしてサイロンによりコンピュータを無力化された人類側の攻撃部隊が、なすすべなく破壊されてゆくさまは、心の底からぞっとした。
 この流れがあることで、ジャンクと化していた旧型の戦闘機と、老朽艦で退役予定だった空母ギャラクティカが生き残るという設定がものすごく生きてくる。レーザー兵器ではなく、あえてミサイルと実弾兵器を使った戦闘シーンというのも、生々しくてよい。

 さらに、見ていて常に緊張感が漂うのは、絶妙なカメラワークによるところが大きいと思われる。手持ち撮影しているかのように、終始、微妙に画面がぶれるのだ。CGの部分にもこれは適用されているので、おそるべき臨場感がある。解説等を読むと、これは意図的にこういう撮影方法がとられたらしい。没入感200%増しである。

 そして今回の作品中で、もっとも私のツボをついた箇所は、これ。

核ミサイルを迎撃する“スターバック”機

 スターバックが操縦する旧型戦闘機“ヴァイパー・マーク2”が、ギャラクティカに向けられた核ミサイルを迎撃するシーン。機体各部のスラスターが噴射されているのが見える。こういう細かい部分で手を抜いてないところがじつによい。
 それにしても核の直撃を受けて耐えてしまうギャラクティカって…、めちゃくちゃ頑丈。いにしえの、某宇宙戦艦を彷彿とさせるタフネスぶりである。

 “後篇”は、来週のこの時間。見逃せない。


2007.12.29(Sat)

『マリと子犬の物語』

 この冬、みこりんがもっとも見たい映画は、大方の予想に反して『たまごっち』ではなく、『ドラえもん』でもなく、『マリと子犬の物語』だった。
 もともと大震災系の話や、ドキュメンタリー調の物語を得意としているみこりんなので、ある意味、これこそが待ち望んでいた話なのかもしれない。しかも当日割引となるサービス券まで入手しているとあっては、公開中に大画面で見てかねば大きな後悔となるであろう。というわけで、今日、一緒に最寄の映画館までお出かけ。

 どのくらいの人数が見に来るのか予想がつかなかったので、予約で席が全部埋まってた場合の事をみこりんと相談してみると、明日に回すより、レイトショーになってもいいから今日中に見たいと言う。このあたりにも、みこりんの気合の入れようが伝わってくる。
 幸い、午後イチの上映直後の閑散としたチケット売り場では、余裕で次の上映分の座席指定が可能だった。窓口のお姉さんの口ぶりからすると、結構余ってそうな雰囲気。そんなわけで、みこりんの好きなはしっこの席、しかも前列とは通路で区切られている絶好のポイントを確保することができたのだった。

 時間まで、併設されたスーパーで正月用の買い物などして時間をつぶす。上映時間は130分以上あるため、待ち時間はかなりある。注連飾りやら裏白やら、新年用のネコ川柳のカレンダーやら、いろいろなものを買い。それでもまだ時間が余っていたので、店子として入っている本屋で立ち読み。ここで、みこりんがこれまたずっと探していたという2008年版のギネスの本を見つけたというので、それも買い。
 15分前、移動開始。

 映画鑑賞の友として、キャラメル味のポップコーンと、飲み物を手に、入場。案の定、座席はほとんどが空席であった。指定席に座り、ポップコーンを頬張りながら、上映を待つ。
 長い予告やCMが終わると、いよいよ始まり。

 2004年の新潟県中越地震。陸の孤島と化した山古志村が舞台となる…。という映画のあらすじくらいは事前に知っていた私だが、あまりチェックしてなかった作品なので、詳しくは知らない。
 マリって誰?マリが飼ってる子犬の物語?なんてみこりんにとんちんかんな質問をして、その度に「ちがうよー」とチェックされてきたが、それらの謎は今日、すべて明らかとなる。

 鑑賞中……

 ひたすら鑑賞中…

 時折、場内で啜り泣きの声が。うっ、たしかにこれは涙腺にくる映画だのぅ。と思って隣を見てみると、みこりんは真剣な表情で画面に見入っていた。

 エンディング。平原綾香の『今、風の中で』が心に染み渡る。
 犬と飼い主と、家族の愛。それも感動ポイントだとは思うのだけれど、私的にツボだったのは、陸自の輸送ヘリCH-47の雄姿である。
  新入社員研修の時に、工場でこいつのミッションを組み立てたという繋がりしかないけれど、映画の中のCH-47かっこよかった。度々、後部ハッチの開閉シーンが出てくるのもよかったし、ホバリングしながらのホイスト救助の様子が見られたのが一番よかった。いやたぶんあそこのシーンでは、なぜ着陸して即、みんなを回収しなかったのか?と疑問に思う子供達が多いかもしれないけれど、脚機構がタイヤになってる大型ヘリは平坦な所じゃないと着陸するのは難しいし、危ないのでやらない。だからホバリング。これもまた低空だと自らが吹き降ろした風の影響などもあって、かなり安定を保つのが難しい。ヘリによる救難というのは、そうとう高度な技が要求されるものなのだけれど、ちょっと説明不足だったかもしれない。まぁ、怪我人の出血が酷く急がないと間に合わないという緊迫感があり、マリ達、犬は連れて行けなかったんだよという理由付けは成功してるので、あまりヘリの方の理屈は重要じゃないかもしれないけれど。

 *

 130分を超える長さというのは、まったく気にならなかった。14時55分上映開始だったので、映画館を出てみると、すでに辺りはほの暗く、すっかり夜の気配。
 今夜の夕食用に、生鮮食品を最後に買い物していく予定だったが、みこりんが見終わってどっと疲れが出たのかクルマに転がり込むようにして乗り込んだので、予定を変更してこのまま帰る事に。

 帰宅後、みこりんは『マリと…』関係のWebを検索でいろいろと探し、感動を継続中の模様。でも、上映中も、みこりん泣いてなかったなぁ。結構、涙腺は固いもかもしれない。


2007.5.1(Tue)

雨の一日

 連休4日目。しかし、みこりんは今日明日とド平日のため、学校がある。寝過ごさないよう、念入りに目覚まし時計を二重系にしておいたのだが…、ふっと気がついたときには、家の中には私ひとりしかいなかった。

 午前10時過ぎ。外は、雨。しかも今日は燃えるゴミの日だ。
 昨日袋詰めした雑草の山は、およそ9袋にのぼる。雨でなければクルマに積み込んでラクできるところだが、雨ゆえに、すべて人力で行わねばならない。雨で濡れたゴミ袋には、いろいろとぬめっとした生物などがくっついているので、クルマに積むにはちょっと…
 なんて思いつつ、昨日袋を並べておいた庭の一角を見やると、あれだけひしめきあっていたゴミ袋の山が1つもないことに気づく。
 も、もしかして…
 テーブルの上に置かれたメモに、ここでようやく気がついた私。
 読んでみる。

 どうやら朝のゴミ出しは、Licがやってくれていたようだ。
 袋のあちこちから、枝などが突き出て持ちにくい上に、結構な重量があるにもかかわらず、この雨の中、1つ1つゴミ置き場まで往復して運んでくれたのか。ありがたや、ありがたや。
 そしてLicはかねてからの計画通り今日一日、羽を伸ばしに出かけた模様。雨なのが、ちょっと残念。

 というわけで、みこりんが学校から帰ってくるまで、ひとりだ。世間が平日な日に片付けておくべき作業は、いろいろあったが、とりあえず宅急便屋さんと、郵便局で用事を済ませてしまうことにする。宅急便屋さんに運んでもらうブツは、昨夜のうちに厳選しておいた中古のPCパーツ類。すでにメールによる査定は済んでいるので、あとは現物を送るだけとなっている。これで物置の荷物も、少しは減るので大助かり。しかも買い取ってくれるため懐にもちょこっとだけうれしい。とはいっても一番高値のついたCPU(Athlon XP 1600+)でも1500円なので、ほんとうにささやかなものなのだけど、燃えないゴミとして捨てるよりはなんぼかましだ。

 雨の激しさが増し、ざんざん降りの中、用事を済ませ、帰宅。
 本当は、物置で場所を無駄に消費している故障中のCRTモニタも郵便局で送ろうと思っていたのだが、メーカーに引き取ってもらうには事前に申し込みしておかないとダメだったりしたので、今回はやめておいた。それよりも、民間業者が“送料のみ個人負担で、タダで引き取ります”という商売の方が気にかかる。正規のルートを通せば4000円必要だが、送料のみならばおそらくこれよりは安価で済むだろう。
 …しかし、なにか引っかかるものを感じるので、もう少し調査が必要だ。

 *

 午後、みこりん帰宅。雨なので野菜苗が植えられないことに、ちょっとがっかり気味。
 昨日の陽気に比べると、まるで2月にでも戻ってしまったかと思うほどの肌寒さ。燃料の尽きたストーブ類を、生き返らせるべきかしばし迷う。みこりんとも話し合った結果、寒いのは服を余分に着込むことで耐えることとなった。みこりんも、なかなかしっかりしている。

 *

 夕食を2人で食べ、風呂にも入り、あとは寝るだけとなったみこりんが、「かーさんは、まだ戻ってこないの?」と、少し不安そうに言った。
 夕方、Licからメールで状況を聞いていたので、たぶんみこりんが起きている間には戻ってこないだろうということを話して聞かせると、何事か納得したのかおとなしく眠りについたのだった。

 *

 Lic帰還。
 お土産に持って帰ってきてくれたパン屋さんのおいしいパンを食べつつ、Licがさっき見てきたばかりの映画『バベル』について語るのを、聞き入る。あらすじを聞いた感じだと、私が大学時代にいろいろ試しに見た、イタリア映画やスペイン映画あたりの雰囲気と似たものを感じる。真夜中、部屋の灯りを落として、小さな14インチのブラウン管テレビで、ぼーっと布団にくるまりながら見ていると、だんだん頭の中がトリップしていきそうにな感じの…。

 でも一番ツボだったのは、Licが“ヨコーテ”と言ってたこと。私も一瞬、ヨコーテって何?と思ったのだが、状況からしてそれはきっと“コヨーテ”だろうと。
 たまーに、素でこのようにボケをかましてくれるところが、Licのコケティッシュな一面である。
 Licが楽しそうだと、私も楽しい。『バベル』は、あとでDVDが出たら借りてこようと思う。


2007.4.10(Tue)

『メガゾーン23 マニューバ・ブック』

メガゾーン23 マニューバ・ブック 1985年、夏。
 私が大学の1回生をやってた頃のことだ。所属していたサークル(某SF研究会)で、“夏合宿に向けて”という名目のもと、サークルメンバーが狭い下宿の一部屋に集まったことがあった。
 毎週やってたサークルの例会は、学内の喫茶店を利用していたので閉店時間もあり、夜遅くまで、なんてことはなかったのだが、この日は普通の下宿だったため、時間無制限。しかも1回生にとっては“初”のシチュエーションということもあり、妙に緊張していたことを思い出す。それにこの時はまだ、大学生の自由さを、真に体感してなかった頃だったし。
 当然、女の子達は野郎共の巣窟に進んで身を投じるようなことはしなかった。ゆえに、とてもとても暑苦しいメンツだけが集っていた…。

 そして、“夏合宿”に関する話題がぜんぜん出てこないのを不審に思い始めた時には、すでに手遅れだった。

 (名目なんてどうでもよくて、ただ単に集まってくっちゃべってるのが、この人達には楽しいんだ…。)

 まだSFモノとしての経験値の低い1回生メンバーが、続々と途中抜けしていく中、私は妙に気を遣いすぎて帰る機会を逸してしまい、結局、朝(というか昼)まで先輩達の濃い会話を眠たい頭で聞くはめになったのである。
 その時、BGVとして流されていた映像作品の中に、『メガゾーン23』があった。

 先輩達が冷凍マグロのように寝静まった頃、私は「かえりますー」と言って外に出た。
 夏の熱気がじりじりと肌を焼き、乾燥しきった空気に思わず空を仰ぎ見る。薄暗い部屋に慣れていた瞳は、太陽の明るさに耐え切れず、視界がぼぅっと白くなった気がした。

 …この感覚、さっき見た『メガゾーン23』のラストシーンに、なんだか似てる。

 その時から、『メガゾーン23』は、私にとって特別なものとなった。たぶん、オトナになった今、初めてこの作品を見てもどうということはないだろう。あのバブル絶頂期に向けて日本中が無闇にわきかえっていた時代、そして10代後半という微妙な年齢と、初めての一人暮らし、有り余る自由さ、それら諸々の要因が合わさってはじめて、あの作品に惹きこまれてしまったのだと思う。

 『メガゾーン23 マニューバ・ブック』、税抜き3333円という、ページ数の割りに値段の高いところがちょっとアレだが、堪能するには十分。文中の人物紹介のところで、名前の前に“故”がついてる人が目立ったところに、過ぎ去った時代を感じる。

 今ならバンダイチャンネルで視聴可能


2007.3.3(Sat)

10円セール

 “CD&DVDいずれもレンタル料10円セール開催”の、お知らせメールを受信したのが約1週間前のこと。最寄のレンタル屋が改装オープンするにあたり、土日限定の大盤振る舞いに打って出る、らしい。
 10円…。13枚借りても130円。これはきっと…、開店待ちの行列ができているにちがいない。人ごみがものすごく苦手な私にとっては、そのような環境に身を投じるのは苦行以外のなにものでもないが、10円という響きにはそれを凌駕する心地良さがあった。

 というわけで、午前10時過ぎ、家族揃ってレンタル屋に出発。すでに開店時刻を過ぎているため、あらかたの商品を借りられまくったあとの、閑散とした店内など思い浮かべつつ、駐車場に着いた。
 ぎっしり並んだ車の列に、しばし唖然とする。んー、やっぱりこうくるか。そりゃそうだ、みんな10円のチャンスを逃すはずはない。どうにか1台分の隙間を見つけて、駐車。みこりんは、自分が借りたいDVDの名前を繰り返し唱えているが、はたしてこの状況では残っているかどうか、かなり不安。

 駐車場の様子から想像していた通り、店内はものすごい人であった。普段は多くてもレジ待ち行列5人程度のところに、今は100人以上が連なっている。陳列棚の奥の方まで、行列はうねうねと伸びていた。
 そんな状況だったので、とてもみこりんを連れて移動できる空間はなく、みこりんに「ほら、その隙間から入っていっておいで」と、一人送り出すのが精一杯。子供一人ならば、どうにか入り込める余地があるかないかといったすさまじさ。みこりんはひきつった表情ながらも、借りたいDVDによほど執着があるらしく、果敢にアタックしていったのであった。
 強くなったな、みこりん…。

 人波に消えてゆくみこりんを見送ったあと、私は比較的人の少ないアダルト方面からDVDコーナーへと潜入することに成功し、最深部で一息つくことが出来た。さすがに行列の最後尾はここまで伸びてはいなかったようだ。
 さて、物色開始。

 わりとDVDの数は残っていた。なんか妙だな、と思っていたら、最後尾を指揮する店員さんが「お一人様、音楽系5枚、映像系5枚までとなっております」とアナウンスしているのが聞こえた。メールにはそんな条件は書いてなかったはずだが、おそらくここまでの人が一気にやってくるとは店側も予測していなかったのではなかろうか。急遽、そういうルールになったのだろう。道理で、がばっとオトナ借りしてる人の姿がないわけだ。

 5枚と制限がつくと、シリーズものを一気借りするのはほぼ不可能。ばらばらに5枚となると、なかなか選ぶのも難しいものだ。しかもみこりんが借りる分も考慮しなければならないので…。なんて考えていると、みこりんがどこからともなく現れた。どうやら目的の品がどの棚に並んでいるのかわからないらしい。改装オープンで店内の商品の配置がごっそり入れ替わっているため、みこりんの機動性の高さをもってしても探しきれなかったようだ。
 とはいえ、私が一緒に探してやれるほどの隙間はない。私はみこりんをはげまし、再度、送り出すのであった。

 *

 人の熱気と、人波独特の圧迫感で、頭がぼぅっとしてくる。んー、そろそろ限界か。みこりんは首尾よく自分の借りたいDVDとビデオを1つずつゲットしており(よその子が店員さんに、あるDVDの在り処を質問してるのを聞いて、その作品傾向の類似度から推測して目的の棚を見つけたらしい)、Licも比較的空いていたCDコーナーで、まるで新品のように美しい『FINAL FANTASY XII』の初回限定版サウンドトラックや、私向けにangelaの『I/O』などを借りてくれており、これ以上この場に留まる理由もなさそうに思える。でもまぁとりあえず10円なので、某声優のCDとか栗山千明関連の映画のDVDなど、咄嗟に思いついたものを2つほどつかんで、レジの行列に合流したのであった。

 レジまであと数人というところで、Licが中古のPS2版『FINAL FANTASY XII』が1980円になってるのを見つけ、これも買い物カゴに加わった。
 そしていよいよレジでピッしてもらったところ…、お会計「2060円になります」
 「…は?……いやいや、それでOK」頭がぼーっとしていたので、その金額が異様に安く思えてしまい、一瞬動きが止まってしまったりもしつつ、どうにか支払いを終え、外に出る。

 あぁ、空が青い…。3月上旬とは思えぬおだやかな風が、心地良かった(でも花粉舞ってるからあとで怖いことに…)。


2006.12.23(Sat)

『どうぶつの森』

 お友達が今日、映画『どうぶつの森』を観に行くのだということを、ちょっとうらやましそうに話す、みこりん。こういう時は、たいてい“自分もそうしたい”という願望を言外に告げているパターンなことが多いので、おそらく今回もそうなのであろう。公開初日、しかもクリスマス目前の土曜日ということもあり、混んでいることは予想されたが、最寄の映画館は全席指定のため、早めにチケットを買ってしまえば問題なし。
 というわけで、「『どうぶつの森』観に行ってみる?」と、みこりんに聞いてみたところ、案の定「行く!」と即答だった。

 さっそく映画館のサイトで公開時間など調べてみたところ、午前中の3回の上映にはちょっと間に合いそうもないが、午後からの2回については大丈夫そうなことがわかった。子供向けということもあり、夕方からの上映はない。
 午後イチの上映に余裕で間に合うように仕度をし、1時間前には家を出る。出かける間際まで、髪型とか服の組み合わせに気を使っていたみこりんに、やや衝撃を受けたりなんかしつつ。まだまだ保育園な頃のちっちゃなみこりんのイメージが記憶に焼きついているので、現在とのギャップに驚かされること多し。

 *

 駐車場には、ほどよく空きスペースが残っていた。ふむ、この状態ならば楽勝かもしれない。みこりんを伴い、チケット売り場に並ぶ。待ち行列は、ほとんどなかった。…が、油断禁物。
 私たちの順番になり、希望の座席を指定するわけなのだが、もっともリラックスして観られる中段最前列は、すべて埋まっていることが判明。次点の中段2列目通路側を2名分指定して、チケット購入することができた。早めに来ておいて正解だったかもしれない。

 さて、朝食が遅かったとはいえ昼食抜き午後イチの上映では、途中でお腹がすくかもしれない。みこりんに何か食べ物を買っていくかと問えば、ポップコーン(キャラメル味)と即座に返答があったので、それを買い。いつもはレギュラーサイズをチョイスするところだが、今日はみこりんが「Sがいい」と言うので、ちっちゃい方にする。みこりんと私の2人しかいないということから、みこりんなりに考えてそうしたのだろう。ちょっと感心。

 開始10分前、指定位置に着席。この時点では、ほどよく空席があったのだが、開始1分前くらいになると、一気に人が増え、ほぼ座席は埋まったような感じ。ほとんどが親子連れだった。女の子率高し。

 映画は、冒頭からゲーム版と同じようなシーンから始まった。とはいえ、『どうぶつの森』は、決められたシナリオはないに等しいゲームゆえ、いったいどんな映画になってるのかというのは、私も気になっていたところだ。

 途中、昨夜の寝不足がたたって「おとーさん、寝ちゃいかん」と、みこりんにつっつかれたりなんかしつつも、上手い具合にゲーム世界を映画の舞台として使ってるなと思う。主人公の女の子と深く関わってくるキャラを厳選してあるところとか、ゲーム内の小技をさりげなく表現してたりとか(木をゆすって果物を落とす、魚釣り、虫取り、ボトルメール、落とし穴、星空、化石 etc...)、なかなかツボを押さえた作品に仕上がっていたのではなかろうか。
 そしてやはり大貫妙子によるエンディングは、絶品。みこりんも、この曲はとてもとても気に入ったらしい。二人して聞き入っていたのだが、ここで半数ほどの人が退場してしまったのは、ちょっと意外。そして案の定というか、曲が終わったところで、本編の続き(エピローグ)があった。うん、いい〆だ。

 *

 帰り際、隣接する大型スーパーの文具売り場で、みこりんが欲しがっていた24色の色鉛筆セットを買ってやった。パッケージのピンク色したやつが売り切れていて、青い方しか残ってなかったのだが、みこりんは「青い方がいい!」とやや興奮状態。かなり24色色鉛筆に飢えていた事を窺わせる瞬間だった。
 小学校入学当時、学校がクーピー12色セットを推奨していたので、みこりんも今日までそれを使ってきた。しかし、クーピーは書きやすく消しゴムで消せるという特性をもつ代わりに、発色がよくないとか、鉛筆タイプの色鉛筆のように繊細なタッチが苦手とか、学年が進んでくるとデメリットが目立ってくるようだ。実際、みこりんのクラスでも、クーピーを今でも使ってる子は圧倒的少数派になってしまってるらしい。

 こうして24色色鉛筆セットは、みこりんの宝物になった。
 ところで映画といえば、『ライアンを探せ!』はどうなったのだろう。最初、みこりんはこっちの方を観たがっていたはずだが…?
 みこりんに確認してみたところ、「それはもういい」んだそうな。『どうぶつの森』で満足しきったのか、あるいは、みこりんなりに映画は金がかかるというのを気にしてるのか。映画はあとでDVDでも観られるよ、と教えてやったことも影響してるかもしれない。
 ま、今日のところは『どうぶつの森』でお腹一杯かな。


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