2000.5.1(Mon)

GW3日目

 保育園は通常日なので、みこりんは元気良く登園していった。今日は夕方まで、みこりん抜きの生活となる。午前中のうちに、土曜から水に浸している種を、菜園2号のほうに播いておくことにした。レタス2種、ほうれん草2種などは、すでに発根していたので、根っこを折らないように慎重に1粒1粒ピンセットで播き穴に置く。レタス2種は、5〜6粒ずつの点播き。ほうれん草は普通に1粒ずつ。土の表面をちょっとなでれば、ミミズがぽろぽろ飛び出てくる。いい感じに土が仕上がりつつある予感。
 グリーンアスパラは、収穫まで2〜3年かかるため、菜園ではなく、この春開墾したプラムの奥に、畝を作って播いてみることにした。少々アクセスに難がある場所だが、数年単位で育てる野菜ならば、こういう所の方がいいかもしれない。
 水に浸した種には、まだ、ごぼうが1種類残っているが、これはまだ固そうなので明日にする。今日の天気も、なんだかはっきりしない雲行きである。雨は落ちてこないが、どよんとしてうっとおしい。なんて思ってたら、夕方3時頃から“すかっ”と晴れた。明日もこの調子だといいのに。

ちょっとずつ進歩

 最近みこりんは、よく字を書いてくれる。自分の名前やら、私の名前やら。もちろん、みこりんにちゃんとした文字が書けるわけではない。“文字のような”みみずがのたくった感じのそれっぽい線画を、みこりんは“名前を書いてる”と主張しているのだった。たしかに、雰囲気はそれなりにある。20mくらい離せば、名前だと言っても間違いないくらいに。そろそろ“ひらがな”を教えてやるべきなのかもしれない。

 “文字”以外に、“絵”も最近は少し進歩した。「とーさん」の絵を例にとると、毎回ではないが“目鼻口”に加えて“耳”や“髪の毛”も描き込まれているのだった。手足がついてる時もあり、なかなか観察力も鋭くなったようである。
 “言葉”でも特筆すべきことが1つ。くすぐったいとき、ソフトにびっくりしたときなどに、「きゃはっ(はぁと)」とか「いや(同じくはぁと)」とか言うようになった。自然発生的に、その単語に至ったのか、それとも保育園などでおねぇさんが言ってるのを聞いて憶えたか。でも、「すげぇ」なんて言葉も使ったりしてて、そのアンバランスさが妙に可笑しい最近である。


2000.5.2(Tue)

魚採り

 お昼頃から、太陽が顔を覗かせるようになってきたので、長良川へ遊びに行くことにした。夕方から雨という予報だったので、今日を逃すと機会を逸してしまいそうだったから。今年もなんだか雨に祟られているなぁ。
 魚採り用具一式と、みこりんの水遊びセットなどを積み込み出発進行。去年見つけたポイントへと向かう。そうしている間にも、どんどん空は曇ってしまった。なんだかイヤな予感がする。

 30分ほどで到着した。さっそく河原へと降りてゆく。空模様がやたら寒々しいため、装備は残したままだ。偵察というわけである。
 対岸に釣り人が一人いるだけで、ほぼ貸し切り状態の広い河原を、下流方向へと歩いてゆく。視線はずっと川の中へ。少しの魚影も見逃さないつもりだったが、なんだか生気の感じられない雰囲気に、だんだん不安になってくる。
 おっきな石がごろごろした川辺を、みこりんはおにゅぅの赤いサンダルで転ばないように一生懸命。手を引いてやってても、危なっかしい。距離にして200メートルほど。やっと去年たくさん稚魚がいた辺りまでやって来た。ところが、なんだか様子がおかしい。どうどうと流れる本流しか見あたらないのだ。流れの穏やかな枝分かれした部分がない。
 ここでもやはり、稚魚1匹見つけることは出来なかった。いや、ハゼの子供が1匹、岩の影に隠れるのが見えた。でも、それだけだ。いったいどうしてしまったのか。去年、あれほど群れていたのが、まるで幻かと思えてくる様変わりようだ。そのうち、みこりんがついに辛抱たまらなくなったのか、「うみー!」と叫んで川の中へじゃぶじゃぶ入っていってしまった。「“川”だよ」と何度も訂正してやっていたのだが、たくさん水のある広い場所は、みこりんにとってすべからく『海』らしい。
 「とーさんも、はいってみ」と誘われるまま、片足突っ込んでみた・・・。つ、つめたぃ!なんて冷たさだ。「みこりん、冷たくないの?」と聞いてみたが、ぜんぜん平気らしい。熱いお湯にはとことん弱いが、冷水にはめちゃめちゃ強いみこりんだった。

 小腹が空いてきたので、いったん休憩を入れる。それにしても去年来たときには、もっと水はぬるかったはずだ(1999年5月1日の日記参照)。もしや稚魚はまだ孵化していなかったりして。

 腹が膨れたところで、再び川の中へ。今度はみこりんの手には網が握られていた。魚採りの雰囲気を堪能するには、これが一番。稚魚はいなくても、ハゼは探せば他にも見つかるはずだ。みこりんが満足すればそれでOKと思っていたが、いざ、ハゼが目の前に現れると、がぜん狩りの本能が駆り立てられてしまった。みこりんの手から網を強引に貸してもらって、ハゼの退路に網を入れる。正面から追い込む作戦だったが、ハゼは瞬間移動したかのように唐突に消失してしまった。むぅ、失敗か。
 Licも念入りに岩を1つ1つ裏返してチェックを始めていた。そうこうするうち、ついに網に追い込むことに成功!なんと2匹も採れていた。みこりんも興味深そうに覗き込む。
 3cmくらいのと、1cmほどの、ありふれたハゼだった。元気に網の中で泳いでる。水槽で飼うか迷ったが、去年、ハゼはうちの水槽では2ヶ月ほどしか生きなかったのを思い出して逃がしてやることに決めた。やはり飼うならオイカワあたりの稚魚がいい。
 みこりんが「ばいばーぃ」と見送る中、ハゼはゆらりと川に戻っていった。さて、そろそろ切り上げよう。なんだか“ぽつり”と来たような気もするし。

 夕方、激しい雷と冷たい雨が降った。


2000.5.3(Wed)

電車に乗って

 お昼頃、みこりんに起こされた。今日はLicとみこりんが帰省する日。そろそろ駅まで送っていかねばならない時間だった。
 ピンクのスカートに赤いリュックという出で立ちのみこりんは、その姿のまま1時間も前から玄関で待ってたという。よほど電車に乗れるのが楽しみなんだろう。じじばばに会いに行くという目的も、ちゃんとわかってるみたいで、いつもと違う非日常の始まりに、テンションも否応なく高まっているようす。いつになく聞き分けがよい。

 で、駅に着いてみれば、つい4分まえに電車は行ってしまったところだった。通勤通学ラッシュ以外の時間帯は、1時間に1本というローカル線ゆえ、ここで待つのも暇すぎる。お土産を買いに行くというLicの提案に従い、スーパーへ。
 1時間はけっこう長いと思っていたが、意外にあっさり過ぎ去ってしまった。再び駅へ。今度こそ、みこりんとしばしのお別れだ。

 独り、家に帰り着く。怖いくらいの静けさに、時間が止まったかのような錯覚を覚えた。

今日の園芸

 播いた種がどうなったか1つ1つ見回ってみる。菜園2号では、レタスの“グレートレーク”と“オークリーフ”が発芽しているのを発見!さすが、水に浸していた段階で発根していただけのことはある。昨日の激しい雨にも流されずに、無事でほんとうに良かった。
 育苗ポットでは、キセランセマムの発芽を確認。他は変化無し。
 発芽の様子をデジカメで記録してから、水に浸しておいた“さきがけ白肌ごぼう”の種を蒔くことにした。ちょこっと発根しているようだ。ピンセットで1つ1つ丁寧に埋めてゆく。元気に育ちますように。ゴボウが育つだけの深さに耕していないのが、少し心配だ。

 昨日、ホームセンターで買ってきたミニトマト“イエローペア”の苗1株を鉢植えにした。洋ナシ型の黄色いミニトマトというので興味を惹かれて買ったのだが、ホームセンターの野菜苗の充実ぶりは去年の比ではないように思う。海外産と思われる苗もちらほら見られ、カタカナ混じりの品種名が多く目に付いた。デルモンテのトマト苗もインパクト大だ。中でも料理用トマトに惹かれたのだが、あいにく品切れ状態。出遅れてしまった。
 さて、このミニトマト、本当はバジルと一緒にテラコッタに植えようと思っていた。テラコッタの候補には、今チューリップが植わってるやつと、白菜“ポチ”が盛大に咲いてるやつがあったが、どれも抜いてしまうに忍びなく、こうして単独の鉢植えとなったわけである。
 バジルも、2鉢に分散して鉢播きにした。トマトとバジル・・・・うーん、やっぱり料理用トマトは外せないような気がしてきた。買ってこようかな。

 *

 百日紅“サマー&サマー”に新芽確認。


2000.5.4(Thr)

本格的に晴れ

 ぴろぴろいう電話の音に起こされたのが、正午過ぎ。明け方眠るときに、目覚ましを9時にセットしておいたはずだが、すっかり爆睡していたらしい。カーテンの向こうでは、輝く日差しが溢れている。今からでも遅くない。ちゃっちゃと起きて活動開始だ。
 飯を食うのも忘れて、庭の隅々を見て回る。おぉ、マリーゴールド“デルソル”が発芽している。たった一日で、双葉がしっかり展開している生命力に、畏れすら感じた。明日からは忘れないように日光浴させなければ。

 草引きを少々行う。その後、デジカメで海老根の素晴らしい花具合を記録してから、ハリエンジュの様子を見る。みこりんの誕生記念の樹。子株は盛大に葉っぱを茂らせつつあるが、本体はいまだ枯れ枝状態のままだ。もはやこれまでか・・・・だんだん諦めの気持ちが強くなる最近だったが、“樹”の底力を思えば、まだ望みが完全になくなったわけじゃない。枝という枝を、全神経を目玉に集中して、微細な変化も見逃すまいと舐め回す。・・・・「あ!」思わず声が漏れた。
 わずか直径5mmほどの突起だった。しかし、たしかにそれは新芽だ。産毛に覆われたそれは、葉っぱとなる多くのエネルギーを溜め込んで、ぎゅっと固まっている。すごい。生きていた。
 みこりんの樹『ハリエンジュ』は、今年もたくさん花を咲かせてくれるだろう。

 *

 夕方、ガーデニング・スペース『ブルー・ブルー』に行ってみた。捜し物があったのだ。『ネコノヒゲ』。昨年、植えてみてその美しさに虜となった。冬の寒さを乗り切れずに枯れてしまったが、あれをぜひともまた庭で咲かせたい。そろそろ苗が出回っているのではないかと期待して。
 探して探してようやく発見。『ホワイトキャット・マスターチ』という英語名もしっかり覚えてきたし、今年もまたネコノヒゲの花を楽しむことができそうだ。ちなみに値段は198円。開花株の約半額といったところ。
 その他には、パセリ苗(120円)を1株買った。またアゲハチョウの幼虫にやられそうな予感もするが、あるとなにかと便利なので。

 明日も今日くらい晴れて欲しいな。

バスジャック

 明け方、バスジャックの中継を漫然と見ていたら、“突入”の瞬間に遭遇してしまった。現場の中継アナウンサーよりも、局でTVモニタ見てるアナウンサーのほうが状況を詳しく述べられるというのも、なにやら妙な感じだ。現場では、小型のモニターなどは使わないんだろうか。
 それにしても女ばかり人質に取るとは計算高いヤツめ。精神状態がイッてるとはとても思えない。6歳の女の子を常にそばに置くしたたかさだ。死の恐怖に何時間も隣り合わせの女の子のことを思えば、もっと早い段階で狙撃すべきだったのではないか。他人の命などなんとも思っちゃいない阿呆と、6歳の女の子と、命の重さが同じであっていいわけがない。テロリストには死を。まじめに生きるものが報われる世の中でなければならない。


2000.5.5(Fri)

切るのはちょっと・・・

 昼間は初夏を思わせる日差しのくせに、夜になると急に冷え込んでくるのが最近の特徴だ。でも、そろそろそんな寒さにはおさらばしたい。きっと、いまだに冬物衣料を、着られる場所に置いてるのがいけないのだろう。決めた。今日を限りに冬物衣料は封印だ。
 幸い、本日の気象も脳天がくらっとするくらいご機嫌なのだ。洗濯物も、あっというまに乾くだろう。半纏やらベストやら、夜の友を遠慮なく洗濯機につっこみ洗う洗う。3回くらい洗濯機を回して、ようやくすっきり。あとは乾くのを待って、押入の衣装ケースにしまい込めばいい。
 洗濯物はこれでいいとして、布団も干すべきだろう。もはや花粉の恐怖はない。思う存分、干しまくってやる。布団は言うに及ばず、あらゆるマット類も庭に持ち出した。カーポートを建てるときに、ついでにフェンスも設置たのだが、これが実に役立ってくれる。マット類を干すのに、ちょうどいい具合の高さと幅。これ以上の場所はなかろう。

 そうして布団やらマットやらが、ぽかぽか陽気に乾いていく間、今日も盛大にふわふわ綿毛が飛んでいた。家中の窓を開放しておいたので、部屋の中にまで転がり込んでくる始末。じつは、この綿毛を放つ木は、我が家にも1本ある。植えたわけではない。勝手に生えていたのだ。気づいたのは、去年の冬。クコの木の背後に、そっと隠れるようにして枝を伸ばしているのを見つけた。その時は、何の木なのかわからず(落葉していたから)、もしや花が美しいとか、実が美味いとかだったらラッキーと、抜かずに様子を見ていたのである。それが結局、“綿毛の木”だった。Licは「抜こう」と言ってるが、すでに地上1.5mにまで生長してしまっている『木』を「切断」するのは、かなり勇気がいる。雑草などの草系だといとも簡単に抜いてしまえるのに・・・とも思うが、草と木の「抜き安さ」の違いは、鯨を食べるのと霊長類たとえばチンパンジーの肉を食べる時の、食べ安さの違いにニュアンスは似ているかもしれない(チンパンジーの肉を食べたことはないが)。
 あぁしかし、この綿毛の木は、放っておいたら軽く3mくらいにはなる。このままでは済むまい。いずれ決断すべき時が来るのだ。・・・・・とっとと切ってしまったほうがいいな、確かに。

さらに復活

 みこりんの木『ハリエンジュ』に新芽を見つけたのは昨日のこと。今日は、ふとてっぺん付近を見上げてみたのだ。なにしろ高さはすでに2.5mはある。意識して見上げねば視界に入らないのだった。
 そこで見つけたものは、あまりに現実離れした光景だった。わさわさと茂った葉っぱだ。頂上にひとかたまりになって、空を覆い尽くさんと挑みかかっているような広がり具合。い、いったいいつの間に・・・。昨日、あれほど探したというのに、なぜこの状況に気づかなかったんだろう。

 心のどこかで、「枯れている」という思いこみがあったのか。だから、葉が茂っていても、見えなかった。存在しないはずのものを見たとき、無意識のうちにフィルタで除去してしまった、というのはうっかりミスの理由としてはありがちだ。それが昨日、新芽を発見して、「活きてる」ことを意識した。だから今日は、フィルタが働かなかったに違いない。
 今年は鉄砲虫にやられないようにしなければ。

寄せ植え

 夕方、ホームセンターに行ってみた。物干し竿を買うのが目的だったが、当たり前のように足はガーデニングコーナーへと向いていた。
 チョコレート色の花に、白い縁取りの入ったネモフィラ“ペニーブラック”を見つけたことで、寄せ植えのイメージを思いついたのだった。ペニーブラックは、最盛期を過ぎ、たたき売り状態に加えてメンテ不足で、かなり状態は悪い。でもまぁ、なんとかなりそうな予感(根拠のないただの直感)。

 合わせる植物を物色する。同じくチョコレート色の葉を持つバジル“ダークオパール”は、すぐに決まった。あと1種類、何にしよう。紫の花がいいか、ちりちりの葉っぱがいいか。迷っているうち、目に留まったのがスティッパ“ポニーテール”。水草でいうならヘアーグラスといった感じに、ふさふさの細長い葱の葉みたいなのが、柔らかそうに立っている。じつに繊細で、かつ、優雅でよい。こいつが風になびけば、気分は一気にエーゲ海だ。これに決めた。

 鉢にも気を配らねばなるまい。スティッパが似合うとなれば、やはりテラコッタだろう。スペイン風の白っぽいやつが色彩的にはグッドだが、大きさ形状がいまひとつ。結局、イタリアンな茶色のタイプを選んだ。値段も張ったが、たまにはこんなささやかな贅沢もいいのではないか。と勝手に理由をつけて、レジへと運ぶ。レジ打ちのバイト君が、スティッパのように爽やかな好青年だったのも、かなり気分がよい。男色の気はまったくないが、愛想のない並の美人より、爽やか好青年のほうが私の評価は高いのだ。

 帰宅後、さっそく植え込み開始。やたらと風が強いので、スティッパが折れやしないかと心配したが、なんとか完成。たっぷり水をやっておく。ペニーブラックは、だいぶ枝を整理したので、かなり見栄えも良くなった。ウッドデッキの手前に置けば、エーゲ海の雰囲気出るかな?・・・そんな1鉢でどうにかなるほど、甘くはなかったのであった。でも、イメージに近いものができたので、満足満足。


2000.5.6(Sat)

みこりん帰還

 普段、あまり使わない駅だったので、道に迷ってしまった。ようやく迷路を脱出してたどり着くと、お待ちかねのみこりん登場。3日ぶりに抱っこしてやると、すかさず「電車乗ってきたのぉ」と報告してくれた。大好きな電車を、たっぷり堪能してきたのだろう。かなりご機嫌な様子。
 家に着いてからは、さっそく草引きを手伝ってくれた。みこりんにも抜きやすい玄関前をやったので、面白かったらしい。雑草がなくなるまで抜いてくれた。飽きっぽいみこりんにしては画期的なことだ。
 1つ1つ草を指さしては、「これはいい?」と聞いてくれるので、間違って花の苗を抜かれる心配をしなくてよかったのも、初めてのことだった。一度「それはお花だからダメだよ」と教えてやれば、似たような形状のやつを類推して判別しているようである。おかげでずいぶん作業ははかどった。あらかた抜き終わったので、いつものウッドデッキ前へと移動する。ここの地面は非常に固い。スコップ片手にがーりがり。みこりんも最初は真似してチャレンジしようとしてたけど、「みこりん、できん〜」と音を上げてしまった。やがて三輪車に乗って、いずこかへ消えてゆく。

 みこりんは三輪車をガレージへと移動させていた。でこぼこの庭では、踏み込むだけでも消耗するが、この平坦なコンクリートだと、おぉ!すーぃすいと爆走できるではないか。コーナーリングもキメて、すっかり三輪車を乗りこなしている。しかもサンダルを脱ぎ捨て、裸足である。このほうが微妙な操縦ができるらしい。素足をまるでサルのように巧みに動かしているようす。
 だんだんみこりんの遊びのテリトリーが広くなってきた。いまに一人で公園に行ってしまうようになるんだろう。・・・・さらわれないようにしなきゃ。

冬仕様

 冬物衣料は、昨日封印した。ところが、私の布団はまだ、冬装備のままだった。分厚い毛布に、ごっつい掛け布団。今朝もこれにくるまって昼まで寝てた。それでも不思議と暑くなかったのだ。汗にまみれることもなく、さらっとした目覚めをもたらしてくれる冬布団。天日干しして、さらに寝心地良さは5倍増しだ。
 だが、今日、風呂上がりにみこりんを寝かしつけようと布団をかぶった時のこと。「あ、あつい・・・」汗がぶわっと吹き出してくる。まるで真夏のような寝苦しさ。暑すぎる、とても寝られたもんじゃない。掛け布団を剥いでみた。それでも毛布の起毛が今夜は気になってしょうがない。毛布も蹴飛ばし、ようやく人心地。布団も夏仕様にしなけりゃなぁ・・・。今さらながら、こんなことを思う夜であった。


2000.5.7(Sun)

倒れ込みレシーブ

 子供用の黄色いドッジボールが、なぜか我が家にはあるのだが、昨日からみこりんはそれでボール遊びをするのにはまっている。今までほったらかしになっていたのに、何か心境変化があったに違いない。保育園でお気に入りの男の子とボール遊びでもやってきたのだろう。
 昨日今日と、保育園はお休みなので、ボール遊びの相手は私だ。玄関前のちょっとした場所に、1mほど離れて向かい合って座り、ぽーんと投げたり受け取ったり。まだダイレクトな球は受けられないらしいので、バウンドもしくは転がしてやる。で、たまたまみこりんからの投球が高く上がったので、レシーブしてトスを上げてみた。狙いがかなり後方にずれてしまい、のけぞりつつ、背中で倒れ込みながらキャッチせねばならないヘタなトスになってしまったが、この動作がみこりん的にはヒットだったらしい。「みこりんも〜」と場所を入れ替わることを要求。そしてボールを投げてくれというので、意図を察した私が、同じように高いボールを放ってやると、ボールとは関係なく後ろに倒れ込んで、満足げに笑った。転がる動作が面白かったのか、と納得した次第。その後、この倒れ込みを、5〜6回やって、今日のボール遊びは終了となった。

 本日の被害“海老根の花茎、1本”。子供が外で活発に遊ぶようになると、ガラス割ったり壁をぶち抜いたり、鉢を割ったりと、どんどんエスカレートしてゆくのだろうなぁと、妙なところで物思いに耽ってみたりして。

ヤツか?

 首筋に、ちくっと熱い刺激が走った。瞬間的に、おぞましい足が無数に蠢くヤツを想起した私は、神速で首を手で払い、着ていたTシャツを脱ぎ捨て、ヤツを探した。抹殺せねば。我が家の平穏を乱すものは、何ものであろうと容赦はしない、という鋭い眼光で睨んでみたが、まったく動きがないのだった。どうも妙だ。ヤツではなかったのか?
 みこりんが私の様子をみて、面白がっている。ヤツかもしれないと、Licに話してみたのだが、のどかな口調で「焼き肉が飛んだんじゃないの?」などと言う。そう、今は食事の真っ最中。今夜は晴れてれば昼間、庭でするはずだった“焼き肉”が食卓にのぼっている。ホットプレートで焼きながら食っているところだ。

 「やきにく・・・が飛んだ?」そんなバカなことがあるものか、と瞬間的に思った。まったく自覚症状がなかったからだ。しかし、よくよく見れば、脱ぎ捨てられたTシャツの肩付近に、何やらちっちゃい物体が転がっているではないか?「こいつは何だ?」まるで褐色の芋虫のようなそれは、おそるおそるつまんでみた私にも(私は芋虫系が非常に苦手だ)、“焼き肉”の肉片であることがわかった。恐るべし、Licの洞察力。これが、あの日本の伝統芸と云われる『のどかなかーさん』の兆候であることは、疑う余地のないところであろう。これで我が家の安泰も、数十年にわたって維持されてゆくこと間違いなしと思われる。

未知のイメージ

 表彰式のドラムロールのように、さっきから雷が断続的に響いている。単発的に鳴るのはわかるが、どうしてこうも連続してごろごろいってるのか。鳴り止まぬ地獄の咆吼のような印象さえある。おまけに激しい雨と風まで一緒だ。まったくGW最終日に相応しい激しい気象といえる。
 みこりんは雷が苦手だ。ゆえに、今夜もどこかおとなしい。ことあるごとに「雷さんが来て連れていかれるよ」と私が耳元で囁くからかもしれない(当たり前じゃ)。

 はたしてみこりんは“雷様”を、ビジュアルではどうイメージしているのだろう。風神雷神図屏風は見せたことがないから、まったくオリジナルな雷様に違いない。どんなのを想像しているのか今度、絵に描いてもらおうかな。本気で雷様に連れて行かれるのを怖がっているみこりんの姿は、どこか素朴なものを感じて、ほっとしてしまうのだった。みこりんにしてみれば、冗談じゃないだろうけど。
 ところで今夜おとなしいのは、みこりんだけではなかった。にゃんちくんも、じっとなりを潜めたままだ。借りてきた猫状態である。動物でも、自然現象をあからさまに恐怖するのかと、意外に思ったりもして。
 このまま梅雨に入ることだけは勘弁してほしいものだが。


2000.5.8(Mon)

どこで知ったか

 蒸し暑い一日だった。昨日の嵐が幻かと思うほどの陽気である。暑いの大好きな私にとっては、このうえなく快適な日ということになるが。
 一日の仕事を終え、いつものようにLicが迎えに来てくれるのを待つ間も、そよそよと熱気をはらんだ風を楽しんでいた。やがてLicのクルマが現れる。

 みこりんは妙にハイだった。私と同じように暑いのが好きなんだろうか。熱いお湯は苦手のはずだが、暑い大気は得意なのかも。ひとしきりおしゃべりしてくれたあと、唐突に私の下の名前を連呼し始めたのだった。少なくとも私は名前を教えていない。名字はみこりんも知っているが、私の名前は「おとーさん」と覚えているはずだ。うれしげに名前を繰り返すみこりん。どこでその名を知ったのかと私とLicが問うても、まるで聞こえないかのよう。
 ふっと、みこりんが黙った。直後、「けたけたけたけた・・・・」と笑ったのである。今にして思えば、あれはみこりんではなかったかもしれない。通りすがりの“老婆の浮遊霊”が、いたずらしていたのかも・・・。おぉぉ、そのほうがもっと怖いな。みこりんが何かに取り憑かれたと思う方が、恐ろしい。

 明日、みこりんに私の名前を聞いてみよう。まだ覚えているようなら、きっとどこかで聞いたにちがいない。もし忘れているのなら・・・・Licの名前でも教えておいてやろう。


2000.5.9(Tue)

ついに来た

 ついにみこりんに来るべきモノが来てしまった。なんとも複雑な心境である。今年でみこりんは3歳になるのだから、いつ来てもおかしくはなかったのだが、まだまだ私の意識の奥底では“赤ん坊のみこりん”が強烈にイメージされているようだ。

 “水疱瘡”。保育園で流行っているらしい。おそらくGW前あたりに感染して、休暇中は潜伏期間で、明けて発症というパターンなのではあるまいか。朝、みこりんの顔に赤いぽつぽつが2つ3つあったことを思い出した。ただの湿疹と思ったが、あれが前兆だったようだ。

 病院に行くついでにお迎えに来てくれたLicとみこりん。やっぱり妙にハイなみこりんであった。保育園からの帰りは、機嫌のいいことが多い。新しい先生とも馴染んでくれたようで、一安心だ。でも、水疱瘡となれば、今日から少なくとも1週間はお休みせねばなるまい。私も多少、有給休暇を使う必要が出てくるだろう。この時期は気候が最高に素晴らしい日が多いので、堂々と休めるのは個人的にはありがたい。年度も始まったばかりで、仕事もさほど急を要するものもないし。

 病院についてから、ふと不安になったことがある。それは、私が水疱瘡をやっているのかいないのかってことだ。かすかな記憶の中では、おたふく風邪、麻疹、水疱瘡の3大疾病はやったことになっていたのだが、いまひとつ自信がない。おたふく風邪になったことは、確実な体験として記憶されているけれど、水疱瘡は?名前がポピュラーなため、自分も当然かかったつもりになってるだけではないか?という思いが急に沸き起こってしまった。全身に発疹が出来るという、幼児にしてみればけっこう怖い記憶が、私にはまったく残っていないというのも怪しすぎる。もし、私が水疱瘡をやってないとしたら・・・いま、こうしてみこりんにぺたぺた触ってるのは非常に危険だ。大人になってからの水疱瘡やおたふく風邪は、とても悲惨らしいし。
 確認せねば。というわけで、みこりんの報告も兼ねてLicが携帯でうちの実家に電話する。ばばの記憶も、最近あやしくなってはいるものの、私よりは確かな情報を持っているだろうから。はたして私は水疱瘡経験者なのだろうか。

 数分の後に結論が出た。私は水疱瘡をやっていない。つまり、みこりんのがすでに感染した可能性が、とても高い。
 これからどうなってしまうのか。漠然とした不安を抱きつつも、もはやどうにもならないことを悩んでいてもしょうがあるまいと、みこりんが診察されている間、クルマの中でお昼寝タイム。いい感じに夢の世界を楽しんでいたら、みこりんに起こされた。寝ていると、時間はすぐに経ってしまう。寝起きの余韻に浸る私に、Licが衝撃の事実を教えてくれた。今なら水疱瘡の予防接種をすることで、発症を抑えられるというのだ。時間との勝負らしい。ならば、今すぐ打ってもらおう。財布の中身を確認してから、クルマを降りた。

 ここは小児科なので、待合室も若いお母さんとお子さまばかりだ。そんな中、私は一人、すさまじく浮いていた。そばにみこりんでもいれば格好はつくが、水疱瘡のみこりんを待合室には連れてこれない。開き直って、お母さんチェックにいそしむ私。受付のお姉さんが、病院に不似合いなほど水商売系な面もちなのが、なにかと気になってみたりもして。
 無事、水疱瘡の予防接種を終えた私は、みこりんを心おきなく抱き抱きした。明日、みこりんがどんな状態になってしまうのか、ちょっとだけ不安な気持ちも抱きつつ。


2000.5.10(Wed)

『死霊狩り1』

 を買ってきた。アスペクトコミックスからのコミック版だ。
 平井和正の小説『死霊狩り』を初めて読んだのが、高校の時だったと思う。1980年代初頭、『狼の紋章』で平井和正にのめり込み、次々に文庫・新書を買いあさっていた時期だ。『死霊狩り』は、やたら薄い文庫だったにもかかわらずなぜか3分冊で、奇妙に思ったことを覚えている。今では小説の主人公のことは、すっかり忘れてしまったが、ウルフガイ・シリーズにも登場する“林石隆”が、飛び抜けて印象に残った作品だった。

 小説版『死霊狩り』は、1997年から順次、新書として再刊されたので、最近の人でも読んだことがあるかもしれない。私も扉絵がお気に入りの山口譲司だったので、ちょっとだけくらっと来かけた。でも、結局買っていない。まぁ、それが私のこの作品への評価ということになるだろう。たぶん『狼の紋章』や『サイボーグ・ブルース』だったら、迷わず買っていたはずだ。
 そして今回のコミック版。梁慶一という絵描きに、まず惹かれた。絵柄が10年くらい昔に流行ったサイバーパンク・コミック風という懐かしさも、プラスに働いている。内容が、原作通りなのかどうかの情報は持っていなかった。まぁたとえ原作通りだったとしても、平井和正の小説世界がどんな風にコミックで表現されているのか見てみたいという気持ちは強く、買ってきたわけである。

 一気に最後まで読んだ。原作をほとんど忘れているため、特に違和感はなかった。ただ、林石隆のキャラクターが、「こんなに軽かったかな?」という思いは残った。それだけが、イメージとは違う部分だ。良い方向にキャラ転換されたなら許せるが、これではちょっと・・・。とかいってて、原作がこの通りのキャラだった可能性は大いにあるので(なんといっても15年以上読んでいない作品だから)、ここの評価は保留としよう。
 絵は、私の嗜好によく合っていた。台詞がそのまま英語表記になったほうが、よく似合う。
 2巻も早いうちに買ってこなくては。


2000.5.11(Thr)

『死霊狩り』続き

 私の記憶では、小説版のゾンビーハンターは、実戦でゾンビーどもと戦闘をしたことがない。ところが、Webの書評などを見る限り、2巻以降でゾンビーとの死闘が描かれているらしい。これはいったいどうしたことだろう。考えにくいことだが、もしかすると私は1巻だけしか読んでいないのではあるまいか。2巻、3巻は今も本棚に眠っているが、じつは一度も開いていなかったりして。1巻を読み切った段階で挫折してたら、このような記憶の食い違いが起きても不思議ではない。むぅ、これは今一度、1巻から読み直すべきかもしれん(たんに私がすっぱり読んだ記憶を無くしているだけかもしれないし)。

変態

 そいつを見つけたのが昨日の夜のことだ。外壁の下の方に、ちょっとしたでっぱりがあって、そこに“ぷらん”とぶら下がってた。たぶん蝶の幼虫だと思う。“なんとかタテハ”というポピュラーなタテハの仲間らしいのだが、残念ながら名前を忘れてしまっている。小学生のころは、読書感想文に昆虫図鑑を選ぶほど、虫に情熱を注いでいたというのに、20年以上昔の記憶はもはや修復不能なまでに散逸してしまったようだ。これからみこりんが、ますます「教えて」攻撃を熾烈に展開する時期だというのに、これではいかん。今年の夏のボーナスでは、ぜひ図鑑を買おうと思う。

 で、その蝶の幼虫なのだが、尻を固定したまま逆さにぶら下がっていたのだ。どうみても生きているようには見えなかった。状況的には“蛹”になろうと体を固定したはいいけど、何かのアクシデントで頭部の固定が外れたような感じだった。それでうまく蛹化できなくて、お亡くなりになってしまったのでは・・・と思っていた。なにしろ、今朝確認した時も、そのままの状態でぴくりとも動いていなかったから。
 ところが今夜再び夜の水撒きをしに庭に出てみると、それは見事な蛹へと変化していたのである。まったく姿の違う幼虫と蛹。子供のころも、やはりその変態の様子が気になってしょうがなかったのだが、一度も見ることができなかった。理科の授業で飼っていたアオムシ達も、登校したときにはすでに蛹になってしまっていて、悔しい思いをしたものだ(蛹から蝶になるのは何度か見ることができたけど)。

 変態は瞬間に起きるのだろうか。それともじわじわ変わっていくのかな。なんとしてもこの目で確かめてみたい。幸い、我が家の庭には今日“蛹”になったのと同じ幼虫が、まだまだ残っている。今度、ぶら下がってるのを見かけたら、定点観測してやろうと思う。


2000.5.12(Fri)

ぽっかりと穴

 塩沢兼人がもはやこの世にいないのだということを知ったのは、昨日のことだった。でも、いまだにリアルに受け入れられないでいる。残念とか、そういう感情よりも、そんなことがあっていいわけがないという思いでいっぱいだ。
 今夜は『メガゾーン23』に浸ってみようと思う。


2000.5.13(Sat)

アリさん

 午前中、庭で植物観察などやっているそばで、みこりんが熱心に地べたを探っている。何をやってるのかなと手元のバケツを覗き込んだら、そこにはゴマ粒のように小さなアリさんが6匹、入っていた。しかも、どれもこれも腹を“く”の字に折ったまま動かない。みこりんの足元には、アリさんの行列が続いていた。
 雨上がりということで、今日はアリの隊列が庭のいたるところに伸びている。みこりんもいつになく燃えているようだ。「ありさん!ありさん!」と口ずさみながら、じつに機嫌がよい。しかし、ピンセットのようにちっちゃなみこりんの指をもってしても、さらに小さなアリさんを捕まえるのはたやすいことではないらしい。「ありさん、あつめとるのよ」と言うみこりんの指は、どう見ても“すりつぶして”いるような感じだ。

 アリの捕獲には、ちょっとしたコツが要るのだが、みこりんはまだ気づいていないようだ。自分で発見するまで見守っていようかとも思ったが、ヒントくらいならいいかなと、ちょこっとだけ手を出してみることにした。そう、アリを捕まえるには、こちらから掴みに行ってはいけない。アリが自らこちらに取り付くようにすれば、傷つけることなく捕獲できるのだ。罠を仕掛けるのも面白いが、これはまだみこりんには早いかな。
 さっそくアリの通り道に、人差し指を置いてみた。ほどなく1匹、2匹と登ってくる。さて、みこりんはこれをどう見てくれただろうか。さっそく真似するかな?と思ったけれど、どうやらみこりん、アリの方から寄ってくるのは苦手らしい。まだ当分は、アリの受難は続きそうである。

誤用

 白身入りの卵かけご飯を、箸で食べようとしたみこりん。予想どおり、つるんと滑って落ちてしまう。何度か同じ事を繰り返したあと、ぱたっと箸を置いて、「食べやすいー!」と訴え始めたのだった。ちょっとまえなら、こういう時には「食べれんー!」だったが、新しい言葉を覚えたので使っているのだろう。ただ、言葉の使用法に若干(若干?)問題はあるけれど。
 「〜やすい」と「〜にくい」を、反対に覚えてしまったらしく、「食べやすい」以外にも、スリッパがきちんと履けずにけつまずいたりすると、「歩きやすいー!」と絶叫したりする。聞いてる方は、その用法が新鮮すぎて笑いをこらえるのに困ってしまうのだが、その都度、正しい言葉を根気強く教えてやっている。はたしてみこりんが正しい言葉を会得するのは、何日後だろう。私の予想は5月中だが、いきなりパスして別の言葉に走ってしまう可能性も大いにあり、目が離せない。

のどかな昼下がり

 みこりんネタ3連発である。病院から戻ってきたみこりんが言うには、水疱瘡は治ったらしい。まだ無数に赤いぽつぽつが残っているが、水泡が黄色や黒に変わってきているのが、治った証拠ということのようだ(これはLic談)。もう保育園に行けるとわかって、みこりんも上機嫌。いつになく遊びもヒートアップしているようす。

 さっきまで庭にいたと思ったみこりんが、急に姿が見えなくなった。いぶかしむ私の視界の隅を、なにやら見覚えのある頭が「たたたたたっ!」。いつのまに道路に出てしまったのか、みこりんは歩道をたったか走って行ってしまったらしい。大急ぎで追撃に移る。団地内の道路とはいえ、上の方にちょっとした工場があって、大型トラックがかなりの頻度で走行する場所だ。
 なぜか『ペットセメタリー』のワンシーンを思い出していた。よちよち歩きの息子が庭先を走る道路に出てしまって、大型トレーラーに轢き殺されてしまう、あの重要なシーンである。不吉なものを思い出してしまった。一刻も早くみこりんを確保せねば。と、勢い込んで玄関を飛び出すと、向こうからみこりんが戻ってきているところ。引き返してくれたのか。日ごろの言いつけを思い出したのかな?
 ところがみこりんの興味の対象は、私の背後のさらに先にあったらしい。「おったよ」と、どうしてか小声で話すみこりん。指差した方向を見れば、ははぁなるほど、“猫”が一匹ゆうゆうと歩いてるのが見えた。あれを追っかけていったのか、みこりん。
 手をつないで、こっそりあとをつけるみこりんと私。猫は、まったく動じることなく、お隣りの庭へと消えていったのだった。

組み合わせ

 夕方、激しい雷が鳴り始めた。今夜も嵐になりそうだ。
 こんな夜には、みこりんを早めに寝かしつけてから、スパロボにはまるに限る。もうじきαも発売されることだし、今やってる完結編も、そろそろエンディングを急がねば。

 エルガイムmkII、ヌーベルディザート、キュベレイmkII、νガンダムを入手できた。乗り換えに悩むが、とりあえずレッシィ、アム、ルー、アムロにしておく。νガンダムにアムロではハマリすぎだ。別の手を考えねば。


2000.5.14(Sun)

枯れた花束

 冬の間、縮こまるようにしていたパンジーも、いまや盛大に花いっぱいだ。だから週末ごとの花ガラ摘みは、欠かせない。そうやってぷちぷちやっていると、いつも決まってみこりんが寄ってくる。
 枯れた花を見分けるのが、みこりんにはまだ難しい。お手伝いしてくれてた時期もあるけれど、今ではもっぱら私の摘んだ花ガラを、花束のように持つ係りをやってくれている。「おねーちゃんになったら、みこりんもはながらつみする」そうなので、じつに将来が楽しみである。
 枯れた花ばっかり握り締めてるのが、そこはかとなく可笑しい。たまには綺麗な花でも持たせてやろうか。そろそろパンジーにも場所を空けてもらわないと、後ろでミニバラが窒息しそうだ。来週あたり、ばっさり行ってみようかな。

記憶の蓄積

 午後、WOWOWで『(ハル)』を流しながら、水槽のメンテ作業。この映画が公開される前から、私の周囲にはネットカップルが結構いたので、結構共感できる部分もあり。その後のドラマ『with love』で、ネットカップルは一般に認知されたように思う。で、今やネットは色恋沙汰に満ちている。
 さらに5年後。その頃には、ネットのあちらこちらで墓標が建つようになっているかもしれない。生前の履歴を、あますところなく記述して(一昔前に流行った自分史のように)。あるいは、今は電波系な人がたまにやってる自殺日記系も、もっと一般的に拡張されるかもしれない。たとえばウェブ日記の作者が、不慮の事故で死んでしまった場合などだ。家族が故人の記念にと、プロバイダ契約を継続する可能性はある。

 TNGなどSFではよくあるアイテム、記憶の保存とは多少ニュアンスは違うが、それほど方向が外れているわけでもなく、こういった記憶・生前の記録をネットに保存するビジネスは、“あり”かもしれない。すでにアメリカでは、ネットでの葬儀と自分史関連のビジネスが興っているらしいし。
 今はまだ、私も若いから“死”をリアルに感じることはできないが、年老いて、自分と関わった連中が一人、また一人とこの世から消え去っていく時が来る。たまたまネットの中で、そいつの“生きていた残滓”を発見することもあるだろう。さらに、自分も土に帰ったとして、その孫や曾孫が私の記録をどこかで偶然見つけるかもしれない。そういうのが百年も続けば、ネットの中でひょっこりネットゴーストが生まれていても、不思議じゃないかもしれないなぁ。ゴーストというより、伝説(都市伝説)に近いかもしれないけれど。


2000.5.15(Mon)

タイミング

 今日は職場の健康診断の日だ。といっても何千人からを、短期間でやってしまう荒っぽいものなので、実効性にはまったく期待できないけれど。
 メニューは、尿検査・身長・体重・体脂肪・聴力検査・胸部X線検査・視力検査・問診となっている。年寄りグループ(といっても30代半ばが境界線だ)は、これに加えて心電図やら血糖値やら胃部X線検査などもラインナップされるのだが、幸い私はまだそのグループには入っていない。
 今年も胃部X線はやらなくていいので、どうということのない健康診断だけれど、毎年気を使うのが“尿検査”である。いや、結果が、というわけではない。もっと根元的な心配だ。

 健康診断は、お昼休み明けの午後一番に行われる。そのとき、尿意を微妙なレベルで保持しておかねばならないのだ。時間に余裕があるのなら、特に心配もないのだが、集団検診ゆえに、あとがつっかえているのがまずプレッシャーになる。診療所のトイレなど、わずか2人分(大も使うとしても4人分)のキャパしかない。それに対して、並んでいる人間の数は、膨大だ。尿の採取に許された時間は、推定30秒。じつにせわしない。

 なんとか今年も、無事尿検査のタイミングに合わせることができた。ほっとしたとたん、とめどなくあとからあとから溢れてきて、長小便になってしまったのであった。これもまた、困ったことであることよ。


2000.5.16(Tue)

『死霊狩り2』

 仕事で使う本を注文したついでに、コミック版『死霊狩り2』を買ってきた。読み進むにつれ、記憶との乖離が著しくなってくる。私はいったいどのあたりを覚えているのか、さっぱりわからなくなってきた。1巻以外のシーンらしいことは、なんとなく予想できるが。すると私は小説版を、やはり3巻通しで読んでいることになる。

 押入の本棚から、小説版『死霊狩り1〜3』を引っぱり出してきて確認したところ、コミックの2巻は、まだ小説版の1巻のラストまでたどり着いていないことがわかった。いいところで“続く”になっている。小説1巻ラスト付近を読み直していると、かすかに記憶が蘇ってきたような気がした、でも、それは“気がした”だけで、実際には小説2巻目がどういう出だしになってるかさえ、思い出せない程度のものだ。これを読んだ当時、よほど私の嗜好には合わなかったと見える。あるいは半分眠りながら読んでいたのかも知れない。布団に入ってからが、高校生当時の読書の大半を占めるという生活パターンだったから。
 今、改めて部分的だが読み返してみたところ、あの頃より楽しめるようになっているのがわかった。よしよし、今夜からトイレの友は、小説版『死霊狩り1〜3』に決まりだ。


2000.5.17(Wed)

電話する象

 象さんが電話していたという。賢い象のこと、そのくらいのパフォーマンスは可能かもしれない。だから、みこりんからそう聞いたときにも、「もしかすると、本当かもしれん」という思いが、1割ほどあった。
 今日は保育園で、みこりん待望の『動物園への遠足』があったのだ。4月ごろから「象さん見るの!」と、『象』に並々ならぬ関心を寄せていたみこりん。帰宅後、真っ先に報告してくれたのも、やはり『象』のことだった。みこりんのこの報告は、果たしてイメージの産物か、真実か。もっと確認してみなければなるまい。

 というわけで、どんな風に電話していたのか、何をお話していたのか、ということをみこりんに振ってみたわけである。だがしかし、まるで先ほどまでのみこりんは別次元へと転移していったかのような応答が返ってきて、私は途方に暮れた。みこりんはこう言ったのだ。「ぞうさんが電話?それはすごいことやねぇ」
 天然ボケか、それともわざとやってるのか。ちょっとまえなら天然ボケの可能性が9割だったが、最近ずいぶん高度な会話テクを駆使するようになったみこりんのこと。もしかすると、独自にこの古典的ギャグを思いついた可能性も捨てきれない。油断できない日々である。


2000.5.18(Thr)

『イオ』

 ダイビング系ということで、買ってきた1冊。作者の“恋緒みなと”には、まったく心当たりがない。ないのだが、キャラはどこかで見たことあるようなのが目白押し。良く言えば無難、悪く言えば特長がない(個性がないともいう)。
 読み進めていくも、じつに凡々とした展開で、こりゃ失敗したかなと思いつつも、貧乏性が災いしてとりあえず最後まで読んでみることに。絵が下手、ギャグが寒い、などなど、かなりまずい状況だ。慣れないキャラを無理に描いてるという印象が、どうしてもつきまとう。でもまぁ、途中で放り投げない程度には、私の感性にひっかかる部分が少しはあったのかもしれない。そしてこのまま単調に終わってしまうのかというまさにその時、動きがあった。1巻最後の章、LOG.5『ポートレート』からだ。

 “親父”どもの若かりし時代。私は思いっきりこういうシチュエーションに弱い。おそらく本編では回想シーンにしか登場しないであろう場面に触れた瞬間、“勝手に妄想モード”に没入してしまったのである。野郎どもの熱い時代が、それまでの退屈な情景を吹き飛ばしてしまった。「こ、これは・・・もしかするととんでもなく化けるかもしれん」という期待が、否応なく膨らんでゆく。しかも、ラストの“アレ”はいったい・・・。
 2巻も要チェック。


2000.5.19(Fri)

「使える技術系サイト」への道

 会社で、1つのWebサイトのプレゼンがあった。うちよりも歴史のある別地域の研究部門が中心となって、去年から社内で試験的に運用していた技術系のサイトである。タイトルの一部に“戦略データベース”と冠されているのだが、説明を聞くうち、たしかにその名に偽りなしかもしれんな、と思うほどのコンテンツ構成だった。とはいえ、骨組みはあっても、肉がほとんどくっついてない状態なので、これが成功するかどうかはまだまだ未知数ではあるのだが。

 同業他社の詳細な動向、世界の技術情報の網羅的蓄積と分類、過去10年にわたる世界での技術進捗状況、などなど。1研究グループではなく、全研究部門対象ゆえに、とてつもなく膨大な研究分野、技術分野に及ぶ。おそらく毎日、それらの最新情報を更新するだけで精一杯なのではあるまいか、と余計な心配までしてしまうほどだった。
 担当者が、よほど入れ込んでいるに違いない。専任ではないことから、予算も時間も、満足には使えないはずなのに、明らかにマンパワーが不足するであろう構成にしてしまうとは。言うまでもなくこういう技術系データベースの価値は、情報の更新と使いやすいデータ構成にある。ただ単に、新聞をスクラップするがごときの詰め込みでは、役には立たない。全文検索機能はあっても、ヒット数が何百もあっては検索した意味など無いに等しいのだから。せめてトピックと概要は欲しい。そして様々な角度からの“動的な”分類が可能なようにしなければ。

 などと他人事のように言ってる私も、じつはぜんぜん他人事ではない。この5月から、うちの研究グループで立ち上げているWebサイトを引き継いでしまったのである。引き継いだとはいっても、秘密のベールに包まれていた前任者が、あわただしく急に異動となってしまったため、まったく“引継”などは行われていない。それゆえ、あちこちのサーバに分散しているコンテンツの現状を調べ上げるだけでも、丸一日かかってしまったという有様である。
 “使える技術系サイト”とは何か。情報交流掲示板の書き込みが管理者の1つだけ、ソフトウェアダウンロードページが、たったの参照“1”という現状を、なんとか改善せねばならない。しかも専任ではないので、そればっかりにのめり込むわけにもいかず、5月はドタバタと過ぎてゆくのであった。


2000.5.20(Sat)

そいつの正体

 時折、小雨がぱらつく昼下がり、みこりんと一緒に庭の草引きをする。通路を通せんぼするように垂れ広がった白菜“ポチ”は、すっかり葉っぱを虫に食われて寂しげだ。ほとんどがアオムシの仕業、でも、中にはちょっと変わったヤツもいる。そいつは茎にぴったり寄り添うように、擬態していた。おそらく樹木系にくっついたならば、それは完璧なものであったろう。でも、白菜の緑の茎には、まったくもって逆効果。すさまじく目立っている。

 たぶん“尺取り虫”の仲間だろう。焦げ茶の細長いボディは、森の小枝そっくりだ。こいつが動くところを、ぜひみこりんに見せてやりたい。イモ虫系が苦手な私でも、この尺取り虫のコミカルな動きには、一目置いているのだった。きっとみこりんも驚いてくれるに違いない。
 「これなぁに?」と、擬態したままのヤツを指さし、みこりんの気を引いてみたのだが、それが虫とは、なかなか気づいてくれなかった。やはり動かしてみせなければならないようだ。素手で触るのは、少々勇気がいる。あのぶよぶよした触感は、いまにも“ぷちっ”といってしまいそうで恐ろしい。でも、みこりんを驚かすためなら、たとえそいつが○○○○の幼虫(文字にするのもはばかられる)であっても触れそうな予感がした。

 つんつんつんつん。

 だが、ヤツはぴくりとも動いてくれない。冷静に考えてみれば、ここで動けば擬態してるのがばればれになってしまうのだから、自ら種明かしするような真似はしなのでは、と思い至るのだが、素手で触るという緊張感にそんなことにも気づかず、さらにしつこくつんつんつん。
 ヤツは意地でも動きそうになかった。でも、ついにみこりんは気づいてくれたらしい。何度も何度もそいつに触った甲斐があるというものだ。独特の動きこそ見せてやれなかったが、みこりんの経験値をちょっとばかり上げることができたろうか。

 しばらく草引きに専念していたら、みこりんが何かを見つけた気配。“むし”がいたと言っている。せかされて、さっそく“むし”を見に行ってみると・・・、指さす地面には、ただ雑草がぽつぽつと生えているのみ。虫の姿はどこにもなかった。「どこ?」と詳細なポイントを尋ねてみると、みこりんはじれったそうに指をソレに押しつけんばかりに接近させて「“むし”がおるよ。これだいじょうぶ?」と応えてくれた。
 一瞬、事情が飲み込めなかったが、次の瞬間、私は沸き上がる笑いの衝動を抑えるのに懸命だった。みこりんが“むし”だと教えてくれたのは、ちっちゃな“小枝”のことだったのだ。色といい、カタチといい、大きさといい、さっき白菜にくっついてた尺取り虫に瓜二つ。覚えたてのみこりんが間違うのも、無理からぬことだったかもしれない。
 即座に否定しては、せっかく教えてくれたみこりんの気を削いでしまうだろう。そこで、じっくり観察してみることを勧めてみた。しげしげと見入るみこりん。やがて、足でそぉっと踏んでみることにしたようだ。

 「これ、ちがうわ。むしとちがう。」
 そういうみこりんの口調は、私にはもはや真似しようのない純粋な驚きに満ちている。日々、新しい発見のある生活って、どれほど刺激的なのだろう。自分にもそういう時代があったはずなのに、微塵も思い出せないのが悔しすぎる。
 さて、“まっすぐな小枝”を“尺取り虫”と見間違えたみこりんだが、その1時間後、今度は“曲がった小枝”を“カナヘビ君(小型のトカゲだ)”と間違えて、おそるおそる触ろうとしてた。みこりんて、意外に“あわて者”だったりして。


2000.5.21(Sun)

朝の光景

 たしか去年も5月第3日曜日は、前日の土曜深夜からものすごい嵐になったような気がする(毎年この日曜日には、労組主催の潮干狩り大会と、団地自治会主催の春祭りがブッキングするので、気象状況は記憶に残りやすいのだ)。今年は幸いなことに、朝には嵐も収まり、まるで“台風一過”のような青空が広がっていたらしい。こういう好天の日に限って、またもや私はお昼まで寝てしまっていた。
 階下から聞こえてくる、みこりんのおっきな声で目が覚めた。どこかにお出かけするらしい気配。きっと春祭りに行くのだろう。大急ぎで階段を降りてゆくと、すでに姿は見えず。追いかけるように玄関を出てみると、なにやらそそくさと遠ざかってゆくLicの姿が。私に気づいたみこりんが、「おさんぽいってくるのよ」と振り返って笑った。けれどLicはひたすら先を急いでいる。
 そのLicの様子がどうも不自然だったので気になっていたが、ひととおり朝の支度を終えてテーブルについた時に、なんとなく理由がわかった。そこには書き置きのメモがあったのだ。

 『旅に出ます。探さないでください・・・』

 なんて書いてあったら刺激的だけれども、内容は詳細な“水槽の魚”への餌やり報告だった。ふいに浮かんだイメージは、三島由紀夫の遺書の文面。不思議な連想をしてしまったあと、私は飯も食わずに庭仕事に出るのだった。

緑のトンネル

 ついに伐採した。あの綿毛の樹を。
 じつはその樹が以前から庭のいたるところに生えていた“雑草”(幼苗時は、草のように見える)の生長した姿だとわかったので、決心がついたという次第。おそらくこれまでに数十本は、雑草として抜いている樹だった。それならばなんら躊躇する必要もなかった。樹というより、私にとっては雑草のイメージが優先したようである。
 ついでに、その前に生えているクコの木も邪魔な枝をばっさり剪定。下の地面にも陽が射し込むようになった。少しばかり生えていたひょろ長い雑草を整理してみると、ちょっとした小径が出来る。南の花壇から、矢車草やらポピーやらの群れる奥へと入り込んでくると、昔懐かしい裏山の藪のよう。座り込んで、クコの足元からその向こうを覗いてみれば、緑のトンネルが先へと伸びているようにも見える。空気まで緑色に染まったように感じられた。

 みこりんの、私を呼ぶ声がする。そっと息を潜めていると、私に気づかず通り過ぎていってしまった。狭い庭なのに、かくれんぼができるとは驚きだ。なかなか見つけてくれないので、ちょっとだけ声を出してヒントをやる。そんな場所にまさか隠れる場所ができたとは思いもよらないのだろう、みこりんが私を発見するまでさらに3分。
 緑の小径に入ってきたみこりんは、そのトンネルの向こうが気になるらしい。じっと見つめてから、奥へと進んでいこうとした。みこりんサイズならば、通り抜けられそうな感じだが・・・。でも、私はみこりんを止めていた。植物が踏み荒らされるという心配をしたわけでもない。ちょっとだけ、恐かったのだと思う。緑のトンネルには、どこか妖しげな気配があった。無数に蠢く蟲どもの、無言の圧力のようなものを感じてしまったのかもしれない。みこりんは、いったいどんな刺激を受けたのだろうか。その瞬間に確認しておけばよかったなと、あとになって思いついた。もったいなかったかもしれない。

新しい“妹”

 お風呂上がりに、みこりんとヨーグルトを食べる。今夜はみこりんの隣に、新しい“妹”がいた。夕ご飯の時も、鰺の開きを“妹”のためにみこりんは身をほぐしてやっていたし、お風呂でも、体や頭を、綺麗に洗ってやっていた。じつに堂に入った世話ぶりであった。
 新しい“妹”は、今日、我が家にやって来たのである。名前を“ぽぽちゃん:お風呂も一緒”と言う。みこりんは“ぽぽちゃん”をすでに“一人”持っていたのだが、その“ぽぽちゃん”はお風呂には入れないタイプだった。今度の“ぽぽちゃん”はお風呂に特化したタイプである。お風呂大好きなみこりんにとって、これはかなりポイントが高かったようだ。
 だからみこりんの機嫌もすこぶる良い。さっきから笑ってばかりである。『箸が転んでもおかしい』年頃のよう。何がそんなに笑いにツボに入っているかといえば、“やっぱ、おいしい”という台詞だった。最近みこりんが好んで使うこの台詞を、さきほどから何度も何度も自分で繰り返しては、笑い転げているのである。時には“思い出し笑い”さえする。もはやヨーグルトを食ってる場合ではなくなってきた。食べ物が口に入ってる瞬間は、笑い衝動が通常より鋭敏になるというのは、幼児も我々も同じらしい。

 寝るときも、もちろん新しいぽぽちゃんと一緒。古いぽぽちゃんがどうなったかというと、Licに洗われて干されているのだった。明日、ぽぽちゃんの髪の毛が大爆発してなけれなよいが。「こんなのみこりんのぽぽちゃんちがうー!」と、みこりんに泣かれないように。


2000.5.22(Mon)

誤報

 “■検索業者いらずのソフト AOL慌て1億ドルで買収”(毎日インタラクティブ 2000.5.19より)

 ひ、ひどい。よくこんな嘘を平気で書けるものだなぁ。
 大元のニュースソースと思われるワシントンポスト紙の記事『E-Power to the People』は、こう。

Frankel didn't think his company should be free, though. He sold it to AOL for just under $100 million last fall. He still works at Nullsoft in San Francisco and hasn't spoken publicly since Gnutella was disavowed.

ワシントンポスト紙 2000年05月18日の記事より

 それが毎日インタラクティブの記者にかかると、こう変貌する。

 米サンフランシスコの21歳の技術者が、通常のネット検索システムを経由しなくても、ソフト利用者がお互いにデータを検索・入手できる革命的なパソコンソフトを開発し、あわてたインターネット接続業最大手のアメリカ・オンライン(AOL)が開発をやめさせる代わりに、1億ドル(約110億円)で買い取ったことが分かった。

毎日インタラクティブ 2000年05月19日の記事より

 たぶん、原文の“会社”を1億ドルで売ったってくだりを、毎日の記者は勝手に読み間違えたんだろうけど、それにしても“会社”を売った時期が去年の秋っていうのに、Gnutella公開の今年3月の出来事と、どうしてごっちゃにできるかな。読み間違えたというより、文脈を理解してないに違いない。英文読解能力に問題ありすぎ。それ以前に、この業界における“常識”が欠如してるのが致命的。
 だいたい、AOLは Gnutella を買ってないし。この時既に、Gnutellaの開発元Nullsoftは、AOL傘下に入ってるし。AOLがやったのは、Gnutellaの開発及び公開を中止させただけだし。

 5月22日午後8時10分現在、いまだに何の訂正も行われていないっていうのが痛すぎる(記事掲載からすでに3日)。やはり、毎日、TBS系っていうのは、そういう体質なのかね。


2000.5.23(Tue)

人形のこと

 子供の頃、盆暮れには田舎のじじばばのところに遊びに行くのが、うちの実家では習慣になっていた。旧家ということもありやたらと屋敷が広いのと、田舎ゆえの自然に囲まれた環境に、子供時代の私はその日が来るのを楽しみに待っていたものである。
 ところで母方の実家には、あちこちに“人形”が飾ってあった。日本人形もあればアンティークな西洋人形、手作りと思われるマスコットなど、人形の視線が届かぬ場所が皆無であるかのように、いたるところに配置されていた。昼間でも妙に静かな場所だったので、置き時計の時を刻む音とも相まって、なかなかに恐い。そして夜、賑やかな居間から離れ、そっと暗がりの座敷に入り込んでみると、そこはもう通常の世界ではなくなっていた。

 床の間に飾られた日本人形の顔が、じっとこちらを伺っているように見える。その隣の市松人形の表情は、どうしてああも笑ってるように見えるのか。しかも刻々と変化しているようにさえ感じられる。動かぬはずの人形達が、いまにも“するっ”と拘束を解かれて動き出してきそうな雰囲気に、私は視線をそらすことができなかった。いまにして思えば、あれは魅入られていたのかもしれない。

 そういうこともあり、みこりんが産まれたときに、実家の両親には市松人形系のお人形はいらないからねと、念を押したのだった。Licもやはり日本人形は怖いというので、我が家のリアルなお人形は、雛人形だけである(雛人形は、どちらかというと“人”より“神”の雰囲気を持つので、別格なのだ)。
 ところが最近、事情が微妙に変わってきた。“ぽぽちゃん”である。先日、新しい“ぽぽちゃん”が我が家にやってきてからというもの、みこりんは二人の“ぽぽちゃん”相手に“お人形遊び”にも一段と熱が入ってきたらしい。まるでそれが本物の妹であるかのように、かいがいしく世話をしている。それまでは“ぽぽちゃん”を見ても、みこりんのオモチャ以上のことは感じなかったのだが、今週に入ってからと言うもの、椅子に座ってるぽぽちゃんに気づいては「びくっ!」とする日々である。

 存在感が増したと思う。しかも“モノ”というより、“人”の雰囲気を秘めて。
 以来、私は二人の“ぽぽちゃん”の髪の毛と口元が気になってしょうがないのであった。


2000.5.24(Wed)

ふくらはぎを這うもの

 フライングで今日にも『スパロボα』は店頭に並んでいることだろう。とっとと『スパロボF完結編』を終わらせてしまわねば。というわけで、今夜もコントローラーを握る。
 椅子を出しそびれてしまったので、立ったままやっていた。足元を、にゃんちくんが時折かすめていくのがくすぐったい。だからその時も、てっきりにゃんちくんの尻尾が当たっているのだろうと思ってしまったのだ。

 左足のふくらはぎに、何かが触れるのを感じていた。ふんわりタッチで始まったのだが、次第にチクチクし始めてきたので、にゃんちくんに“激しいじゃれつき”は駄目って言うつもりで、足元を見た。
 「にゃ?」と見上げるにゃんちくんは、たしかに足元にいた。いたけれども、にゃんちの尻尾は私の左足には届かない位置にあった。それに気づいた瞬間、今まさに無数の足を波打たせてふくらはぎをよじのぼってくる“ヤツ”の姿が、はっきりと認識できたのである。

 咄嗟に頭に浮かんだのが「噛まれたら痛い!」という恐怖であった。ヤツは全長13〜4cm級だ。とてつもなく痛いに違いない。私はやみくもに叫び、激しく足を振って、ヤツを振り落とそうとしていた。ひしとしがみついてくるヤツの無数の足。その感触が、はっきりと感じられた。だ、駄目だっ・・・・

 *

 運が良かったのかもしれない。私は噛まれることなく、ヤツを殲滅していた。新年度になって、このクラスのヤツが出現したのは、これで通算4度目だ。月平均、2匹である。例年だと梅雨の時期にもっとも多く出てくるのだが、今年はいつになくペースが早い。今からこの有様では、ピーク時にはこの3〜4倍は覚悟すべきだろう。来月早々に実施されるシロアリ予防の殺虫剤噴霧が、どれほどヤツにも効くのかが注目される。


2000.5.25(Thr)

UMA

 Sky Fish(海外サイトならば、こちら)が話題になっていたので、久しぶりにUMA(Unidentified Mysterious Animal:未確認動物)の世界に足を踏み入れてみることにした。子供の頃なら、図書館でそれっぽい本を探すか、『ムー』などを買ってたわけだが、現在はやはりWWWであろう。サーチエンジンからたぐっていくと、『UMA(未確認動物)のページ』とか、『Sea Serpents and Lake Monsters』(いかにもそれっぽい怪しさが素敵)とか、『Taking a Hard Look at Cryptozoology』(かなりアカデミックな香り濃厚)などに行き当たった。この手のサイトは、もっとあるのではないかと思っていたのだが、意外に少ないようだ。まぁUMAというくらいだから、自分で調査しに行くのが非常に困難には違いない。そうなると、過去の文献の焼き直しみたいになってしまって、独自にサイトを立ち上げる意味が薄れてくるのかも。

 Sky Fishのように、比較的最近(1990年代)になって発見されるUMAもいて、なかなか興味深い。火星に生命の痕跡を見つけるのと、UMAの1つでも解明されるのと、はたしてどちらが先になるだろう、なんて考えてしまったり。
 紹介されているUMAを1つ1つ眺めていると、懐かしいものを発見した。30代以降の人ならばリアルタイムにニュースなどで見た記憶があると思われる、あの『ニュー・ネッシー』(詳しい解説は『Sea-monster or Shark? An Analysis of a Supposed Plesiosaur Carcass Netted in 1977』参照)である。この正体不明の死体が、海の底から引き上げられたのが1977年4月25日(私の感覚では、中学2年付近と思っていたけれど、どうやらさらに古く小学校中学年から高学年の境目あたりの出来事らしい)。こいつを引き上げたのが、ニュージーランド沖で操業中の日本のトロール船ということもあり、かなり話題になったものだ。
 死体の形態が、いかにもな感じというのが好奇心を刺激する。結局、正体は確定しないままに終わったけれど、現在の技術を駆使すればウバザメなのか別種の生物なのかは、かなりはっきり判明しそうな気もするなぁ。骨を持ち帰っていればなぁ・・・。あぁ、いったいどんな生物があの地に潜んでいたんだろう。

 どうやら私は、UMAの中でも、かなり水棲生物に弱いらしい。というか、毛皮系のUMA(ビッグフットとかイエティとか)は、じつはどうでもよかったりして(神秘性よりも、生々しさの度合いが強くて)。世界中のあらゆる海や川、湖に池、それらを一瞬だけ干上がらせることができたらなぁなんて思ったこともあるけれど、とんでもないモノまで見つかってしまいそうで、少々怖い(少々?)。


2000.5.26(Fri)

今日の園芸

ミニバラ“オーバーナイトセンセーション” 久しぶりに定時に帰ることが出来たので、さっそく庭の手入れを開始する。いつのまにかカンパニュラが咲いてるのにも驚いたが、ミニバラ“オーバーナイトセンセーション”の花にはたまげた。ミニバラらしからぬ立派なサイズ。さわやかな薄桃色の花色も、やさしい雰囲気で心地よい。香りの実験はともかくとして、この花がスペースシャトル船内に持ち込まれたのは、じつに正しい選択だったに違いない。

 さて、クコの木周辺である。まるでミステリーサークルか何かのように、群生していた矢車草とポピーの束が、部分的に“どう”と地面に伏していた。まだ倒れるには早すぎる。起こしてやらねば。支柱を立ててみたが、倒れた本数が多すぎて、とてもカバーしきれないのがわかった。仕方がないので、稲藁を立てる要領で、まとめて紐をかけて自立させることにした。ぎゅっと詰まって、窮屈そうになってしまったが、倒れているよりはずっといい。
 Licが切り花に欲しいというので、乱れている枝を整理するついでに10本ほど贈呈した。保育園用の切り花にも狙っているらしい。まぁ、矢車草とかポピーなら、まだいい。怖いのは、足元でひっそりと咲く、松虫草の花にもLicの視線が注がれていることだ。地上15cmそこらの花では、まったく切り花には不向きのはずなのに、どうしてそうも情熱的に見やるのだろう。たしかにこの松虫草の花は、美麗ではあるけれど。

 枝垂れ染井吉野の葉っぱが地表を覆い尽くしてしまったので、そこで実をつけているイチゴを収穫するのも大変だ。みこりんは、とうとうギブアップ、Licにタッチ交代しているもよう。赤く色づき、甘い香りのするものは、ほとんどが虫食いの痕。虫も、美味いものはよく知っている。やはり地植えでイチゴというのは、収穫の面では不利か。いずれ植え替えるとして、今はこの桜の下枝をなんとかするのが先決のようだ。
 剪定バサミでは、もはや太刀打ちできないレベルの枝になってしまっているので、工具箱から金鋸(我が家には、鋸の類は、この金鋸しかない)を持ってきて、付け根からばっさりいった。長さにして1.5mはあろうという、畳一畳分ほどの枝葉を茂らせやつを、まず撤去。かなり見通しがよくなった。さらに奥へと入り込み、地表に接しているような枝を切ってゆく。ついでに下草なども抜いていたら、夕餉の支度ができたとLicの声。
 今夜はここまで。続きは明日だ。


2000.5.27(Sat)

今日の園芸つづき

 雨である。いきなり初春に戻ったかのような冷えた雨。気温も低い。
 今日はマリーゴールド“デルゾル”を苗床から移す予定だったのに。菜園1号を耕す予定だったのに。すべて明日に賭けるしかないようだ。
 ところが、午後に入って雨足は弱まるどころか激しくなる一方である。BS放送も、さっきからずっと砂嵐のままだ。イヤな予感がする。

 夜の天気予報では、明日も激しい雷雨になるのだと、ますます落ち込むようなことをしゃべってる。とはいえ、マリーゴールドはもはや待ったなしの状況だ。やはり雨合羽を買ってこなくてはならないらしい。明日は雨天決行でいくとしよう。

レインコート

 クリーム色の地に、ブルーの花柄模様というのが、みこりんのレインコートを特徴づける。おしゃれな初老婦人が、こういう生地のワンピースを着てそうな感じだ。フードじゃなくて、帽子がついてるのも変わってる。幼児には、ちょっと不似合いかも?と、これを贈られたときには正直思ったものだ。でも、そういうアンバランスさがかえって新鮮な雰囲気を醸し出しているのかもしれない。
 保育園から戻ってきたみこりんは、レインコートを着たまま、さっそくプラムの木の下に潜り込み、赤く色づいたイチゴを摘んでいる。その姿は、雨の憂鬱さを吹き払うような爽やかさであった(親バカ道一直線)。みこりんがこのレインコートを着たのは、私の記憶をたぐる限り、初めてのはず。やはり服は、“着てなんぼ”ということを、思い知らされたのだった。

 あいかわらずみこりんは“おチビさん”なので、やっぱりレインコートが歩いてるように見える。とはいえさすがに来年は着られなくなっているだろう。今、この瞬間を記録しなければ。植物の観察記録用にたまたま手にしていたデジカメで、心ゆくまで激写しておいた。それを終えると、なんだかほっとしたような気になるのは、私が歳を食ってしまったからかもしれない。


2000.5.28(Sun)

朝の庭にて

 さて、昨夜の予報では“激しい雷雨”ということだったが、今朝はまだ時折ぽつぽつくる程度である。これから悪くなってゆくのか、それとも回復するのか、西の空を見る限り、後者の気配が70%。晴れますように。
 昨日の雨の被害を確認していると、庭の真ん中に積み上げた雑草やら剪定で落とした枝の上で、何かがのたくったような気がした。ヤツか!?
 殺虫剤片手に玄関から飛び出してゆく私のあとを、みこりんの不安げな声が続いた。庭に出てみると、やはりそこにはヤツがいた。体長15cm。大物だ。

 私の姿を確認したみこりんが、安心したようにウッドデッキまで戻ってきて、何がいるのかと聞いてきた。「何に見える?」と逆に問うてみたところ、「こわいやつ」に見えると言う。よしよし、正解だ。では、ヤツの動きを止めるとしよう。木ぎれで雑草の山から、広い場所にはじき飛ばし、もはや逃げ隠れできないようにしてから、殺虫剤を細切れに吹き付けた。ヤツは本能で察するのか、正確にウッドデッキの下を目指して這い始める。だが、道のりはあまりに長い。たどり着くことは叶わぬだろう。
 ヤツの進行方向に、たまたまみこりんのおにゅうのサンダルが置いてあったので、みこりんの不安は一気にレッドゾーンに突入したもよう。「みこりんの、みこりんのぉ〜」とうわごとのように繰り返す。まだ距離にして1m以上離れているのだが、さすがに15cmクラスの大物となると、かなり怖いらしい。だんだん泣き声が混じるようになってしまったので、サンダルを待避してやった。さっきまでの怖がりようが嘘のように「お、すすんどる。はんたいむきに、すすんどる!」と歓声を上げるみこりん。相変わらず、切り替えが早い。
 「こっちが頭だよ」と、みこりんの間違いを訂正しつつ、さらに数回スプレーを吹く。そろそろヤツが動きを止めるだろう。私は“箸でトール”用に庭に常備している“割り箸”を取ってきた。ほどなく、ヤツは永遠の沈黙に落ちたのだった。

なんじゃこりゃ?

 発見したのはみこりんだった。玄関から庭へと続く、煉瓦のアプローチのど真ん中に、そいつは落ちていた。不思議そうにみこりんが触ろうとしていたので、慌てて止めた。「なんじゃこりゃ?」
 最初、雪玉かと思った。真っ白な一握りサイズの塊で、表面は透明な層で覆われているらしい。どことなく輪郭が曖昧だ。でもこんな季節に雪玉ってことはあり得ない。とにかくもっと調べて見なくては。ここにも箸でトール用の割り箸を常備していたので、さっそくそれでつついてみることにした。

 な、なんという・・・。この感触は、まるでイソギンチャクだ。軟体動物のそれに酷似した、ぷるんぷるんと弾力のある軟らかさ。裏返してみると、中央にくぼみがあるのが見えた。これも、イソギンチャクなら“口”だと思われる部分に似ている。ただ、箸で開いてみても、口ならあるはずの穴やら亀裂がまったく見つからない。どうやら口ではないらしい。
 そもそも、これが生きているとはとても思えないのだ。まるで肉塊であり、生気はみじんも感じられない。こいつの色が、純白であるというのが、私を不安にさせた。肉塊としたら、この色を説明しづらいからだ。脂肪層にしては、分厚すぎる。牛や馬ならともかく、こんな住宅地の庭先に転がってる肉塊としては、その持ち主がまったく想像できない形態だった。どことなく内臓を連想させるのも気色悪い。表面を覆ったぶよぶよの粘着質の物体が、さらにその想像を逞しくさせるのに貢献している。

 わからないことだらけだが、口のようなくぼみが、どうやら外側なのではと思いついた。そこだけ表面の質感が違う。おそらく皮膚か何か、別の組織があって、本体から切断された瞬間、きゅっと縮んだのだ。だからこの肉塊は、くるっと丸まっているのだろう。あぁしかし、それが想像できたとして、やはり持ち主が皆目見当がつかないのに変わりはない。ほ乳類なのか、爬虫類なのか、魚類なのか、鳥類なのか、それさえもわからない。これまで見た、どんな肉質とも違う。おぉぉ、ミステリアス。こいつはいったい何なのか。

 悩んでいると、Licがやって来てこう言った。「目玉じゃないの?」
 め、めだま??めだま、だと?私の脳裏を、理科準備室に並んでいたホルマリン漬け標本の映像が蘇る。たしかに大型ほ乳類の目玉は、こんな感じの色・カタチだったような・・・。くぼみは、水晶体があった場所・・・か?いやいや、それにしてもそんな大型獣の目玉が、なにゆえ我が家の庭先に落ちているのか。猫が襲えるとも思えないし、鳶はもっぱら小物専門だ。・・・この団地には、人知れず未知の肉食獣が潜んでいるとでもいうのか。牛を襲えるくらいに強烈なやつが(3キロ先に、牛小屋はある)。

 結論を見いだせぬまま、その物体をビニール袋に詰めると、ガレージのゴミバケツにぽいしておいた。もしこれが宇宙からの訪問者で、夜になると活動を始めるのだとしよう。きっと明日にはいなくなっているはずだ。まず、その確認くらいはしてもいいかもしれない。

今日の園芸

 朝の予想どおり、天気はどんどん回復に向かい、お昼前には陽光が射すまでになっていた。それを見越して、午前中はひたすら苗床の苗達を、ポリポットや地植えにと、忙しく作業を続けていた。午後から『親と子供の青空広場』なる催し物があるとかで、それに間に合わせるためLicも手伝ってくれており、一日仕事かと思われた作業も、なんとか午後1時には終えることができた。予想以上の“いい”ペースである。

 *

 そして夕方、昨日の雨で倒れてしまった矢車草とポピーの整理。大部分の茎が途中で折れてしまっていたので、起こしても意味がない。花は綺麗なものが多いので、全部切り花にすることにした。
 25リットルバケツが、ぎっしりになるほど大量の花束である。みこりんに明日保育園に持っていってもらうとしても、まだまだ余る。・・・雨さえなかったら、まだまだ夏まで咲き続けてくれたのに、と思うと、ちょこっと悔しい。

 以前から考え考え考え続けていたクコの始末を、今日つけることにした。撤去に決定。この場所をクコが占めるには、もったいなさすぎる。東南の一番日当たりのいい場所、しかも横に広がるので他の植物にも影響大。撤去だ。
 生きた木、しかも自分で植えた木を切るのは、じつに心苦しいが、“公共の福祉”のためにあえてハサミを入れよう。長い間、ありがとう、クコの木よ。

 福だるま葱を、収穫した。直径6cmには届かないが、それでも最大直径3cmには育っていた。あんまり立派に伸びすぎたので、背後の黄サヤインゲンへの日当たりが遮られ、ちょっとまずい状況だ。しかも昨日の雨でほとんどが倒れてしまって、インゲンを押しつぶそうとしてるし。というわけで、20本ほど大胆に抜いた。通常の太葱よりも、2〜3倍の太さを持つやつを、こんなに大量に一度に収穫してしまうと、あとが大変である。今夜、Licはひたすら葱料理に翻弄された。小麦粉を使い切るまで“葱焼き”にし、残りは鍋と煮物に。白い部分だけなく、先端の青い部分まで食べるには、このようにするしかない。葱焼き用に、2mmほどに刻むのがもっとも労力を使うようだ。なにしろふっとい葱である。弾力もハンパではない。
 葱だけで腹が膨れた。なんだかとても健康になったような気がする。
 一ヶ月後には、タマネギが同様に収穫のピークを迎える。同じ過ちを繰り返さないように、こまめに今から新タマネギとして食っていかねば。


2000.5.29(Mon)

夜の駐車場

 帰宅途中、本屋へと寄る。店内を、いつもの巡回コースでチェックしていたら1時間が過ぎていた。みこりんも絵本コーナーを堪能したようなので、そろそろ帰ろうとレジに並んだ時であった。Licが不吉な予感を口走ったのだ。「クルマのキー持ってる?」
 最近、行きも帰りもLicに運転してもらってるので、この日も私はキーを携帯していなかった。たぶんカバンの中に入ってるはずだ。そのことを告げると、Licは明らかに動揺していた。なんとLicもキーを持っていなかったのだ。

 クルマを降りたときには、たしかにキーはバッグの中に入れて持っていたらしい。ところが、みこりんをチャイルドシートから降ろすために後席のドアを開けたあと、バッグをクルマに戻してしまったのだ。もちろんキーはバッグの中に入ったまま。だが、このときはまだ、キーを閉じこめたことに気づいていなかったようである。
 ドアロックをかけ忘れているわずかな可能性に期待したが、こういう日に限っていつもかけ忘れているドアまでしっかりロックしているというのはお約束。完璧に閉じこめてしまったようである。

 さて、こういうときには慌てず騒がずJAFであろう。これまで一度も利用したことはなかったが、ようやく会費が報われる日が来たようだ。あいにく携帯電話もクルマの中なので、Licは電話を探して放浪の旅へ。私は、みこりんを抱っこして、何か腹の足しになるものを求めて国道に出た。
 みこりんは歩きたがったが、私のエンプティランプは激しく点灯しており、もはや一刻の猶予もならない状況に近づいていたので、抱っこのまま夜道を急いだ。他に歩行者のない歩道は、激しくクルマが行き交っている騒々しさとは対照的に、ひどく孤独な静寂に包まれているようだ。
 外灯のない暗闇の向こうに、ぽぅっとオレンジ色の灯りを見つけた。牛丼の某有名チェーン店の看板だ。ガラス張りの店内には、空腹を満たすべく丼をかき込んでいる人の姿が、わずかだが見える。そこだけ「街」が機能しているかのように。がちゃりとドアを抜け、「持ち帰り、並」と告げて待つ。腹の虫は、出された湯飲みをすすることで押さえ込んだ。

 もと来た道を、みこりんと戻る。手に提げた「並」の重さが心地よい。どうやらみこりんも、この状況を楽しんでいるらしい。通り過ぎるクルマのライトや、信号機の明滅のことを、内緒話するみたいに教えてくれた。
 駐車場の片隅で、閉め込んだクルマの傍らに並んで座り、あつあつの「並」を頬張っていると、『スローバラード』の、泣くようなフレーズと共に、長らく忘れていた記憶が蘇る。たかがキーを閉じ込めただけなのに、なんとお得な疑似体験であろうか。今夜が蒸し暑い夜でほんとうによかった。

 小一時間後、JAFの兄ちゃんが到着し、ドアは瞬時に開放されていた。


2000.5.30(Tue)

『完全なる飼育』

 を見た。レンタルビデオ屋で見かけるたび、気になっていたところ、今月WOWOWでも放送されたので録っておいたものだ。
 竹中直人と小島聖というキャストのうち、予測がつかないのが女の方だった。女子校生役にしては、そんな年齢だったか記憶があやふやだ。二十歳やそこらじゃなくて、もっと歳食ってたような気もしないではない。(調べてみたところ、生年月日は1976年3月1日とのことだった。今年24歳か。 /2000.6.2追記)

 中年の男が、女子高生を監禁するというシチュエーションは、官能小説ではありがちな設定だが、はたしてこの作品はどんな風に“調教”してゆくのかと、少々期待したのがまずかった。これは、そういう映画ではなかったらしい。“調教”ということなら、たとえば黒木瞳の『化身』のほうが、圧倒的にエロティックである。では、この作品では何が描かれるのだろうということになるわけだが、結局、私にはよくわからなかった。“完全なる愛”のために女子高生を“飼育”するという非日常において、互いの心がいかにして惹かれ合うか、という重要な部分がほとんど描かれていないからではなかろうか。いつのまにか女は男に心を許してしまっていて、温泉旅行のあとは、ひたすらやりまくるという唐突さに、かなり面食らった。やりまくるのは別にいいんだけど、それに至る心理描写が絶対的に不足していては、ただのアダルトビデオである。キャスティングの巧さと、小島聖のナイスバディがなければ、救いようがなかったかもしれない。
 真夜中、家族が寝静まったあと、ぼぉぉぉっとBGVにするにはちょうどいいかな。


2000.5.31(Wed)

妙なシステム

 この春から、会社の勤怠管理システムが従来のIDカードから、社内イントラネットを用いたWebベースのものに替わっている。IDカードの時代、出勤退社時刻は電算システムに連動しており、工数管理システムにも自動的に入力されるようになっていた。ところが新しいシステムは、どういうわけか工数管理システムと切り離されてしまったのだ。というか最初から連携は考慮されていなかったらしい。ゆえに、毎日、勤怠管理システムのデータ一覧をプリントアウトして、それを工数管理システムに打ち込まねばならないという、信じられない事態になっているのだった。

 このシステムのタコなところは、これ以外にもいくつかあるのだが、もっともバカげているのはコレだ。フレックスタイム制では、コアタイム以外に、時間内、時間外という基準時刻が設定されていて、それぞれに勤務時間を分類しなければならないのだが、これを人間の手作業でやらねばならないのだ。だから現在、基準時刻からいくらプラスだったかマイナスだったか、時間外は何時間かというのを、人力で計算して、それぞれの入力フォームに打ち込んでいる。普通、こういうシステムを設計するなら、入力させるのは出勤時刻と退社時刻だろう。あとの時間区分ごとの計算など、コンピュータでやらせればいい。少しも難しいことじゃない。けれど、このシステムを担当した部門の言い分では、これは技術的に難しいらしいのである。

 そうまでして導入された勤怠管理システムだが、優れた点が1つだけあった。IDカードを通さなくてもよくなったので、サービス残業が自由自在なのだ、IDカードならば、時間超過にならないように、いちいち通しにいかねばならなかった。変更の効かない一発勝負なので、時間管理を綿密にやってないと、すぐオーバーしたりマイナスになったりしたものだ。それが新しいシステムならば、あとからなんとでも修正できるのであった。IDカードのように、その時刻、たしかにそこにいたという物的証拠が不要なためだ。
 まったく、このためだけに新しいシステムを導入したのではないかと思ってしまうくらいである。おりしも不況のまっただ中。残業は一律禁止。だが、人は減ってるのに仕事は減らないのだから、実際にはそんなの無理に決まってる。かくしてサービス残業はますます横行するのだった。いやまったく素晴らしい。


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