にゃんきちくん


にゃんきちくん

 会社から家までの帰り道、最後の信号を右折している時だった。クルマのヘッドライトに照らされて、何かがぴょんと跳ねた気がした。四つ足の動物、しかもかなり小さい。色は、おそらく白。とっさに“仔猫だ!”と気づく。心の中で葛藤が始まった。
 すでに夜も更け、しかもここは人里離れた山の中。飼い猫であるはずがない。野良仔猫だ。あんなところをうろうろしてたら、クルマにはねられるかもしれない・・・。でも、我が家にはハムスターを筆頭に、猫の好きそうな小動物がたくさんいる。連れて帰るのはキケンすぎる。しかし・・・・・
 距離にしてわずか数十メートルをクルマが進む間、“連れて帰る”v.s.“このままほっとく”の論争が繰り返され、そしてついに結論が出た。クルマを路肩に停め、仔猫を捕獲すべく交差点に徒歩で戻る。静まり返った夜の交差点は、すでに信号機は点滅信号に変わり、ちかちか辺りを赤と黄色に染めている。仔猫の姿は、そこにはなかった。
 いったいどこに?歩道をさらに山側に向けて探索する。と、かなり向こうに、小さな影がひょこひょこ動いていくのが確認できた。どうやら仔猫に間違いないようだ。
 驚かさないように注意しながら接近した。仔猫は私に気づいたのか、歩みを止めて、じっとこちらを見つめている。なるべく目線を仔猫の高さに近づけるように、しゃがんだ姿勢でにじり寄る。仔猫はまだ動かない。
 もう少しで手が届く、と思った瞬間、仔猫はいきなりダッシュした。こうなってはあまり気を使ってはいられない。私は猛然と仔猫の後を追いかけた。
 猫は犬ほど走るのが得意じゃない。ましてや仔猫のダッシュなど、可愛いものだ。たちまち追いついて、ついには追い越してしまった。急停止して、くるりと仔猫に向き直る。仔猫は、観念したかのように立ち止まっていた。
 こうして我が家に、仔猫がやってきたのであった。

じゃれる 最初、Licは猫を飼うのを大反対した。そこで、飼い主を見つける間だけ、うちに置いておくということで暫定合意、仔猫との同居生活が始まったのである。
 これまで犬を飼ったことはあったが、猫を本格的に飼うのは初めてなので、わからないことだらけだった。いろいろ情報を集めてみると、猫にもワクチン注射が必要らしい。さっそく動物病院に連れていったが、幼すぎるのでまだ無理とのこと。体重を量ってもらったら、800グラムちょっとであった。検便の結果、寄生虫が発見されたので、虫下しと、あとはノミがすごいので、ノミ獲り用の薬も出してくれた。
 寄生虫を一掃し、ノミもほぼ退治してみると、仔猫はかなり綺麗なメス猫であることがわかった。全身を純白の柔らかな毛が覆い、シャム系の血がかなり混じった雑種ではないかと思われた。鳴き声も、なんだかどことなく上品な響きに聞こえる。
 ハムスター達がいるので、普段はケージの中で飼うことにした。屋外への放し飼いなど、もってのほかだ。他の野良猫が闊歩して危険という理由だけでなく、よその家の庭で粗相をして迷惑をかけてはならない。
 夜、みんなが寝静まった頃、仔猫をケージから出して、遊ばせてやった。遊びに飽きたら、私の膝の上で丸くなってすぅすぅ寝息をたてる。その姿を見ていると、“飼い主を見つける間”という条件は、だんだん私の中で希薄になっていくのがわかった。


じーー 仔猫には、なかなか名前がつかなかった。暫定的に飼っているという建前も理由の1つだが、ぴったりの名前が思いつかなかったのだ。しかし、名前がないと不便である。そこで“にゃんこ”とか“にゃーん”などという安直な仮の名前で呼んでいた。ちなみに獣医さんとこで診察券に記入した名前は“しろこ”である。
 1ヶ月が過ぎ、仔猫がいる生活がだんだん当たり前に感じられるようになると、このままずっと仔猫を飼うかもしれないという空気が漂いはじめる。そのうち、Licが仔猫に名前を考えてくれた。我が家にやってきて1ヶ月、ようやく仔猫にも名前がついた。その名は『にゃんきちくん』。メス猫なのに“くん”がついてるのがポイントだ。男装の麗人を思わせるボーイッシュな魅力が、にゃんきちくんにはある。にゃんきちくんは、成長したら相当な美猫になると思われた。


 今ではにゃんきちくんも仔猫の面影は消え、立派な若猫である。予想どおりの器量よし。ケージから出してやると、いつもピーコにちょっかいを出しに行くのは困りものだが、基本的にはおとなしい。みこりんも、最近はにゃんきちくんを可愛がってくれるようになった(でも、まだ怖いのも半分あるみたいだけど)。あの日の出会いは、運命の出会いだったのだな、と思えてくるのである。


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